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2018年02月号

樋口泰人の妄想映画日記 その63

2018年02月20日 21:29 by boid
2018年02月20日 21:29 by boid

boid社長・樋口泰人による2月13日~19日の業務日誌ときどき映画&音楽&妄想日記。連日深夜の新宿ピカデリーでの音調整も『バーフバリ』でひと段落。トーキョーノーザンライツフェスティバル上映『ティグレロ 撮られなかった映画』でサミュエル・フラーについてのトークをし、新作『ラッキー』『泳ぎすぎた夜』を鑑賞。ニール・ヤング新作アルバムから「Already Great」な1曲目も。そしてタイ爆音、YCAM爆音映画祭の準備も同時に。




文・写真=樋口泰人

2月13日(火)
怒涛の4夜連続爆音調整が終わる。終了したのは午前5時過ぎ。『バーフバリ』の2作品の音がでかすぎて、疲れ切った果てのさらなる過酷な調整作業でほぼ意識を失った。爆音史上かつてない無意識浮遊状態調整。まあ、その前にやった『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』の影響もあるかもしれない。特別大きな音が出てその勢いではるかかなたへと魂を持っていかれるというような映画ではないのだが、あのゆっくりとしたリズムの反復に身を任せているうちに意識が天空を浮遊し始め、人類の全歴史の上を漂い始める。その浮遊する意識のまま、『バーフバリ』の大爆音を浴びたわけである。意識は木っ端微塵である。

帰宅して爆音調整レポートを書き、風呂に入って寝たのは午前8時を回った頃。12時前には起きて、14時からの銀杏BOYZの峯田和伸くんとのスタジオボイス誌掲載用の音楽ドキュメンタリーについての対談のため、青山に向かう。対談はあれこれと盛り上がり2時間を超えた。いろんな面白い話になったのだが、それはスタジオボイス誌にて。3月20日発売のドキュメンタリー特集。わたしはこのほかに、サーフィンのドキュメンタリー映画についても話している。そして、対談終了後の雑談の中で、タイ爆音の話になる。峯田君も最近モーラムにはまっていて、色んな音源を集め始めているとのこと。そして昨年NHKで放映されたsoi48の番組を見てもいた。とにかく、タイのミュージシャンを今度招聘するんですよと伝えたら、いきなり「アンカナーン・クンチャイさんですか?」という返答。とにかく2月のタイ爆音もそうだけど、今年の夏から秋にかけてもまたあれこれやりますよと、そんな話。もちろんsoi48にもそのことは伝えた。

その後は某所にて某映画情報番組の収録。例によってスタジオのあるビルを間違えて迷子になる。その後は新宿ピカデリーで『バーフバリ』の2本を再調整した。とにかく今朝方の無意識調整が不安だったので、まずは、同じく新ピカで通常上映中の『バーフバリ 王の凱旋』を観て、通常上映の音を確認。その後、昨夜の爆音調整結果を確認したのだが、ほぼまったく問題なかった。単にわたしの無意識が不安になっていただけだった。十分爆音で十分にいい音で十分に楽しめる音になっていた。爆音素晴らしいと、ちょっと嬉しくなった。本当に疲れ果てていた。




2月14日(水)
昼からボチボチと社長仕事ほか。しかし事務所は相変わらず寒い。
夜はトーキョーノーザンライツフェスティバルにて上映の『ティグレロ 撮られなかった映画』のトーク。ミカ・カウリスマキがジャームッシュとともにサミュエル・フラーの撮られなかった映画のロケ地を訪ねるというドキュメンタリー。フラーにとっては40年ぶりの訪問となるのだが、冒頭からまったくドキュメンタリーの匂いがしない。40年ぶりにかつてのロケ地を訪れようとするふたりの男を、明らかにフラーが演出している。監督はミカだが、まるで御構い無し。以後も同様なのだが、冒頭から10分くらいしたところで、ロケ地となったジャングルの中の村の人々と出会い、その中のふたりの男が祭の衣装なのかを着て彼らの言葉で同じ単語を反復して叫びながらフラーの前を行ったり来たりする。
その時フラーがカメラに向かって「ハリウッド」と言う。一体どうして「ハリウッド」なのかと一瞬戸惑うのだが、なんのことはない、村の男ふたりの発する謎の言葉がそれ以降「ハリウッド」と聞こえてくるのだ。つまり空耳なのだが、フラーが「ハリウッド」と語ったその瞬間から謎の言葉は「ハリウッド」になる。そこからこの映画が始まるというわけだ。映画とはすべてそのようなものではないか。何になるともしれぬアイディアの断片の集積、そのままだと役立たずの何ものでもないものの平原に立った監督が一言何かを発する。そこから映画が始まる。日々こうやってフラーは映画を作ってきたのだ。形になるとかならないとか関係ない。なんだかわからないものを空耳したり空目したりして、ひとつの言葉を発した途端に、あらゆるものがそれに従って体制を整え、物語も自動的に語られ始める。トークはそんな話から始めた。本当にいいものを見た。残りの在庫全てを持っていった『サミュエル・フラー自伝』もすべて売り切れ、これで完売。本屋さんの店頭に残っているものしか在庫はない。今後どうするか、考えどころである。



トーク終了後、会場であるユーロスペース側にあるイサーンに行った。辛さに胃が燃えた。




2月15(木)
起きた時から圧倒的に疲れている。まあ、仕方がない。連夜の調整の後のテレビやライヴでのトークも終わり、ようやくひと息。とはいえ午前中から打ち合わせあれこれ。そして午後からは試写。例によってギリギリで、渋谷駅からアップリンクまでが遠い。しかも本日は気温も上がって、事務所の寒さゆえ厚着中のわたしは汗だくである。すでに事務所引越しを考えている。そしてさらに身軽になれたらとか。

『ラッキー』はハリー・ディーン・スタントンの遺作ということで映画もそれを意識して作られた節もあり、単にさよならH.D.スタントン、みたいな映画になっていたら嫌だなあと、なかなか足が向かなかったのであった。だが、そうでありつつそうではなかった。圧倒的な老人映画であった。力強いわけではまったくない、力のないことや先がないことがすべてを支える最強の姿を見ることができた。いずれにしても歩く姿だけでも十分スペクタクル。倒れずにいったいどこまで歩くことができることやら。頑固にタバコは吸い続けるが、もはや酒は飲めないということか、ほとんどがコーヒー飲みながらの会話。若くはない女性が自宅を不意に訪れた時にはハッパを吸う。そのときふと、リラックスした時間が流れる。緊張などしているはずはない老人なのだが、彼女との別れ際に「怖いんだ」と言う。何が怖いのかは説明されないが、それでも老人の恐れは伝わる。日々彼を強張らせる恐れを、その時の彼女との時間がふと解放したということなのだろう。ふたりの表情がふと緩む。そのままキスするのではないかとさえ思う。いつかどこかできっとそうなる。今はここまで。これが終わりではない。そんな時間の飛躍が胸をキュンとさせる。ようやく酒を飲むのか飲まないのかもしかして出された酒にひとくちも口をつけていないかもしれない最後の酒場のシーンには、デヴィッド・リンチがゲスト出演していた。




2月16日(金)
昼から試写に行く予定だったのだが、タイ爆音間近で上映作品の字幕付作業が大詰め。とはいえわたしには何も手伝えないので、せめて事務所の事務作業を、というのとやはり疲れていて試写に行っても寝てしまいそうだということもあって、試写は諦め事務所にてもろもろ。やろうとしたことの半分もできないまま夕方になり、YCAMスタッフとのフェイスブックのメッセージ機能を使っての3月フィルム爆音の機材セッティング打ち合わせ。昨年までのセッティングでまったく問題ないのだが、YCAMの豊富な機材を贅沢に使って昨年までとはちょっと違うセッティングにできないかという話をした。細かい話はいろいろあるのだが、要するに、今回はちょっと昔っぽい音にしたいという要望。現在、東京では丸の内ピカデリー、新宿ピカデリー、ユナイテッド・シネマお台場という3カ所で主に爆音をやっているのだが、丸ピカだけが、その他ふたつとは全然違う機材で行なっている。丸ピカの方が古い機材で、音が柔らかい。YCAMは新ピカやお台場に近い機材とセッティングなのだが、それらをも活かしつつ丸ピカの音にも近づけたいというわがままな要望をしてみたのである。どの機材をどのようにセッティングするかはYCAMスタッフにお任せなのだが、とにかくこういったベースになる音は、セッティング前に伝えておかないと、作品ごとの調整の時では遅い。今回は、2月26日の機材設置、スピーカーチューニングの時からYCAMに出向いて、諸々確認して音を決める、ということにした。

その後、土居くんがやってきて今後の悪巧みをあれこれ。そして、YCAMの広報担当もやってきて3月爆音の最後の盛り上げ企画を話すということだったのだが、ほとんどが無駄話だったような気がする。東京以外の爆音映画祭の場合、東京ではSNSを使ってわいわいするくらいしかできることがないのがもどかしい。爆音メルマガみたいなのを作って、全国の爆音ファンを少しずつ集めて告知して行く、みたいなことができるといいのかもしれない。


2月17日(土)
完全休養日の予定だったのだが昨日の仕事が終わらず、延々と支払調書の発送のための住所整理作業。それが終わると『大和(カリフォルニア)』のチケットやポスターなどの入稿作業で、しかしデータに問題があり入稿できずなど難航。その後、やはり同映画のプレス資料掲載用のプロダクション・ノート作り。すでに深夜をだいぶ回ってしまった。ちょっとだけ外に出たら風が冷たくて呆れた。花粉も肌にしみた。そしてその一方で、タイ爆音の上映用BD作成のため、soi48、boid田中、大阪の長崎くんたちが、最後の大詰めを迎えている。


2月18日(日)
花粉がひどい。世の中の人々はどうなのだろうか。わたしの場合、症状自体は鼻水と鼻の違和感、皮膚や目のかゆみや頭痛くらいでひどいことにはならないのだが、微量の花粉でも反応するので結局具合悪いことには変わりない。とにかく本日は花粉がひどい。義母と姫の誕生日が2月なので、この時期の休日は毎年必ず一族が集まってお祝いをするのであるが、そのために舞浜。風に乗って花粉が渦巻いていた。舞浜はディズニーランド客目当てに完全に人口都市になっていて、あまりにトロピカルな風景と冷たい風が不似合いで、もうこの先廃墟になるばかりなのではないかとさえ思ってしまう。でもこんな人工都市でどうでもいい休日を過ごすのも悪くはないなと思った。いつまた行けるかどうかわからないロサンゼルスに思いをはせた。4月くらいに行ってやろうとか、ひそかに思っているのだが。



帰宅後、試写にはタイミング合わずまったく行けそうもない『泳ぎすぎた夜』のサンプルを。雪の音に目が覚めた。かつて映画の中で、このような雪の音が入っていたことがあっただろうか? この映画の宣伝文句にも「しんしんと雪の降る夜」というようなフレーズがあったはずだが、「しんしん」とは、そのまま静けさや、音の消えた世界をイメージさせる言葉でもあり、映画の中でも雪は基本的に静けさとイコールであったはずだ。でもこの映画の雪は、音がする。全部のシーンでそうなのではない。冒頭あたりと、あとは1,2カ所くらいだったか。いや、私は雪国出身ではないので、雪国の激しい雪は、「しんしん」どころじゃないのかもしれない。そこを初めて訪れた監督たちは、その音に驚いたのかもしれない。とにかく映画の冒頭はまず雪の音。雪がこんな音をして降るのなら、以降何が起こっても不思議じゃないと、だれもが思うに違いない。もちろん何が起こるわけではない。ただひたすら、「何かが起こる」と「何も起こらない」の境界線上を危うく歩く少年の移動を、われわれはハラハラしながら見つめるばかりなのである。『泳ぎすぎた夜』という不思議なタイトルへのヒントは映画の中にいくつか散らばっているとは思うのだが、結局泳ぎすぎたのはこの映画を観たわたしのほうだったのだろうと思うばかりである。水族館に行って魚になった気分になるあの感じに近い。雪の音でこちらの魚スイッチをあっさりと入れられてしまったということだが、つまり、その音で一気に雪の中に私は連れ去られ、雪夜の暗闇と白い光の中で一篇の幽霊譚を聞かされた、ということである。




2月19日(月)
そういえば昨夜、1年がかりで読んでいたジェイムズ・エルロイの『背信の都』を読み終えた。この小説を読むのに1年かかるとはと呆れる方も多いかもしれない。早い人はひと晩で読了できるんじゃないか。そしてだからといって一語一句丁寧に読んでいるわけでもない。あくまでも適当に風呂に入りながら。つい眠ってしまって、湯船に落とすこと数回。上下巻ともにふにゃふにゃである。そのふにゃふにゃの中から、今はもうアメリカ映画でも観ることのできなくなってしまったような人たちのおぼろげな姿が浮かび上がってくる。毎晩、風呂の中でそんな亡霊たちと戯れていたわけである。



今夜からは3年前から読んでいるピンチョンの『重力の虹』に戻る。久しぶりに知り合いのところに顔出した、みたいな感じ。ニール・ヤングの新譜『The Visitor』にもそんな親密さと優しさが満ち溢れている。だがもちろんこちらの勝手な「親密さ」のイメージは、1曲め「Already Great」のイントロで根こそぎぶっ飛ばされるわけだ。すべてにおいてクリアに分離した清潔さと分離ゆえの滑らかさが求められる現代において、そのイントロの第1音だけで「そんなものはクソだ」とあっさりと示すのであった。もういきなりクソのような音の塊が飛び出してくる。そこにはすべてがある。通常なら削られてしまうねじれや歪みや奇妙な反響。すべて引き受けて、しかしそれらが絶妙なバランスの中で混沌と混乱のハーモニーを奏で出す。歌声はクリアだ。そしてそれをそこらじゅうから聞こえてくるコーラスが包み込む。なんという自由、なんという制御、なんというおおらかさ。すべてはここから始まる。いつもこうなんだ、これをいつも忘れてしまうんだ、最高だ。と思わず呟くのだが、いや「Already Great」なんだと、そこでは歌われているのであった。





樋口泰人(ひぐち・やすひと)
映画批評家、boid主宰。3月2日(金)まで「新宿ピカデリー爆音映画祭」が開催中!明日2月21日(水)より24日(土)までの4日間は渋谷WWWで「爆音映画祭2018特集タイ|イサーン VOL.2」

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