boidマガジン

2018年02月号

樋口泰人の妄想映画日記 その64

2018年02月27日 14:32 by boid

boid社長・樋口泰人による2月20日~25日の業務日誌ときどき映画&音楽&妄想日記。ようやく開催となった「爆音映画祭2018 特集タイ|イサーン VOL.2」。タイの人間国宝モーラム歌手のチャワイーワンさん、ポーさん、そしてケーン奏者のウパニさんや日本人ミュージシャンによるライヴとイサーン映画と空族映画の爆音上映の様子を。そして終了翌日はYCAMでの三宅唱監督の撮影現場最終日へ滑り込み。




文・写真=樋口泰人

2月20日(火)
昨日から何だか体調が変で、昨夜はWWWでのカーネーションとスカートの対バンにと思っていたものの、まったく体が動かず。朝を迎えてもいつも以上にボーっとしていて、事務所での待ち合わせも1時間ほど待ってもらった。明日からのタイ爆音、その後の山口、尼崎と爆音続きで事務所には3月13日まで来ない。多分いろんなことをやり残している。夕方になってようやく体調回復してきたので、夜は井手くんとビーサンのライヴに行った。ライヴを見に行くというよりも、ふたりが住む家に遊びに行くというような妙にリラックスした気分になるのはなぜだろう。そのせいか、最近は収まっていた渋谷迷子病が発症。7th floorに向かっているはずが見事なまでに、どこだったのだろうか、おそらく神泉駅のさらに北側とか、とんでもないところに出てしまった。違うなと思い始めても引き返せなくなってしまったのだ。最近なぜ迷子にならないかというと完全にグーグルマップさんのおかげなのだが、なぜか今日に限ってそれをしなかったのである。行き慣れた友だちの家に行くのにわざ地図に頼る奴はいない。なんてことはまったく思ってもいなかったのだが、ほぼ無意識。
とはいえなんとかたどり着いたときには、ビルの下のエレベーター待ちの列が結構なことになっていた。スタート時間の20時より10前くらいには着いていたのだが、中に入れたのは20時20分くらいだったか。30分押しでライヴは始まった。もちろん、友だちの家に遊びに来たという奇妙なリラックス感はもう止めようがなかった。うっかりするとそのまま寝てしまいそうだった。やはり体調が変なのかもしれない。とりあえず寝るのだけは踏みとどまった。それくらい気持ちよかった。窓の外には新宿のビルが見えた。外は思いの外寒くはなく、室内のゆったりとした温かさとどこかで通じ合っていた。そのぬるま湯とも言えるゆるゆる感に浸りながら、気がつくと宇宙の果てまでぶっ飛ばされる。『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』の感覚にも似た時間の渦が、そこにはできていた。それにはぬるま湯がちょうどいいのだ。ぬるま湯に浸りながら宇宙の果てまでとか、これまでの若者の音楽からは想像することもできない。 明らかに新しい音楽が生まれている。ニール・ヤングの親密さと歪みやひずみもまた、似たような感覚なのだろう。わたしたちもそのおかげでどこまででも行ける。
井手くんとビーサンは週末は沖縄。我々は明日から渋谷でイサーンである。ケーンのウパニくんが明日にはやってくるのに、井手くんの「おてもやん」で共演叶わず、それは次回へ持ち越しとなった。

 




2月21日(水)
タイ爆音初日だというのにボーっとしていて、副都心線渋谷駅で降りるはずが、気が付くと明治神宮前駅だった。心ここにあらずなこの感じはいったい何なのだろう。カーディガンのボタンを1段かけ間違えて左右非対称になっているということも後に指摘される。心身ともに老人化へ向けての心構えが必要である。
セット部分は鈴木清順『肉体の門』じゃないかとか思わせる『バー21の天使』の幸薄いミュージカル、そして小学生たちにビーチボーイズやウィングスやイーグルスを歌わせたカナダの教師がイサーンに行ったらこんなことになるのだろうかと思わせる『田舎の教師』、最後にこれが新たな抵抗の一歩であるとも言える『タクシードライバー』の徹底した諦めにも見える無抵抗を確認しつつ音のチェックをすませた。
上映本番には色んな知り合いたちがきてくれた。このままみんなでイサーンに移住したら面白そうだとも思った。今日本で起こっていることに比べたらほぼまったく「無」に等しい出来事ではあるのだが、それでも渋谷の一角に、いい空気が流れた。




2月22日(木)
チャウィーワン・ダムヌーンさんのトークとミニライヴの日である。リハーサルの時からもう、あの声とケーンの音色にメロメロになっていた。何があっても大丈夫。いつかなんとかなる。酷いことも悲しいことも起こるが、それでも生きていける。いや、生きていけなくてもいいと思えてくる。生きていけなくてもいいと思えることが生きることを静かに支える。小さな悲しみや大きな痛みがゆっくりと喜びのようなものへと変容していく。リハーサルが本番へと変わる。本番がリハーサルへと裏返り、ステージは自宅の居間のようなものへと変わる。だがここにはお化けがいるのだとか突然の語りが始まり、その語りと普段の言葉との区別はつかない。モーラムは語り芸だが、つまり生活そのものだということで、生活は日常の現実ということではなくその日常にはお化けがいてそれとともに暮らすことである。チャウィーワンさんの笑顔が絶品だった。その絶品さにはどこかこの世の絶品さも含まれていて、つまり頼もしかった。74歳とのことだがもはや年齢がまったくわからない。富田くんの『雲の上』のおばあちゃんはチャウィーワンさんなのではなかったか。いや、おばあちゃんの話を聞く少女の方か。多分少女が正解だろう。

 

 




2月23日(金)
久々に『サウダーヂ』を観たら、どこのどんなシーンだったかすでに忘れてしまったが、おばあちゃんに寄り添う女性のシーンがあった。寄り添っているのは田我流が恋する東京帰りの女性だが、このシーンが『雲の上』のおばあちゃんと孫のシーンにつながり、昨夜のチャウィーワンさんとも繋がって行く。チャウィーワンさんのひと声を聞いただけで、世界がぐんぐんと回り始めている。
『映画 潜行一千里』のトークはあのまま2時間くらいやってもよかったかと思うくらい面白かった。監督であるMMMこと向山正洋は、『バンコクナイツ』のカメラマンもやっていて、どのようにしながら本編のカメラマンとメイキングの撮影とを行なってどういうポジショニングを取っていたのかと尋ねたところ、まさにそのふたつのポジショニングを同時に取ることができたからこそ本編の撮影もできたし、メイキングの撮影もできたと。本編に集中する視線とそれを外側から見つめる視線のふたつが『バンコクナイツ』を作り、同時に『映画 潜行一千里』を作ったということか。MMMによると、いろんなシーンでいろんな人がその場を仕切り、つまりシーンごとに監督が変わっていったとのこと。本来の監督である富田克也はその中で、監督として主演をしているのである。『バンコクナイツ』の面白さは、とにかくそこに尽きると思っている。イーストウッドやウディ・アレンや北野武が主演しているのではない。単なる監督がそこにいるのに主演していて、どう観てもそれは監督なのである。監督自身が内部に入ってしまった映画。それを外側の奴らがワイワイ言いながら観ている。日本人がタイの暗部にも入り込んで映画を撮影するということは、つまりそういうことなのではないか。そんなことを実感した。 それから、MMMは、日々撮影したメイキング素材を、1日の本編撮影が終わると、深夜に編集していたのだという。毎日ではないとは思うが、相当まめにメイキング素材を編集していたと思われる。何本も作られたクラウドファンディングのための特報映像は、その成果である。と、こうやって書くと普通に仕事をこなしたかのように思えるかもしれないが、本編の撮影中に、そのカメラマンでもある人間が、メイキング素材の編集を日々行うというのは、とんでもなく大変な作業である。通常なら寝ている時間にも、編集作業を行わなければならない。しかも翌日も撮影があったとしたらその準備もある。昼間は本編の撮影である。この作業を続けられる根気と体力。ステージ上では当たり前のように笑って話していた。例によって録音し忘れたのが惜しまれる。

 


夜の回の『サウダーヂ』は大入りで補助席も出した。とりあえず、前回のタイ爆音の時に比べて、ベースになる層が広がった気がする。昼の『トーンパーン』の回は来場者は少なかったが、半分以上が女性客だったと思う。今年の秋に予定している3回目のタイ爆音では、さらにいろんな方たちに来ていただけたらと思う。


2月24日(土)
とりあえず最高すぎて何も言うことがない。まだ気持ちが空の上を浮遊している。どこまでも舞い上がっていきそうである。身体の中から何かが抜けたのかと思ったら大間違いで、身体自体が空に舞い上がり、幽霊のようなものが現実に残っているという感じ。心ここに在らずではなく、I'm not here。ボブ・ディランもこんな感覚だったのだろうか。チャウィーワン・ダムヌーンさんの歌は、何度聞いても聞くたびに心が風のようになる。チャウィーワンさん自体がもうほとんど年齢不詳、どこからかやって来た声が彼女の身体を通して出たり入ったりして彼女を作り上げている。普段はきっと、空の彼方をゆったりと舞い続けているのだろう。
ポーさんは一昨年来た時よりも艶っぽかった。声が光っていた。チャウィーワンさんとの関係がそうさせるのだろうか。ギンギンであったと言ってもいい。チャウィーワンさんの年齢不詳な感じもそれに近い。タイはギンギンである。神様と関係しているだけではなく、この下世話な現実とも十分に深く関係している。ステージ上での紹介の時にsoi48の高木くんが「タイの人たちはお金が好きです」と言ってにこにこしていたが、まさにその感じ。その現実感が、こちらの身体を空へと飛翔させるのだった。
ウパニくんはさらに芸域が広がっていた。ピンの音色はまろやかになり、2種類のケーンを使い分け、反復するリズムはうねり宙を舞いこちらの足元を軽くする。このままずっとこの中に浸っていたいとも思うが、気が付くとその音色とリズムは体の中にすっかり染み入っていて、演奏が終わっても身体のどこかで鳴り続けている。いや、こちらの身体のどこかで鳴り続けていたその音を、ケーンが呼び起こすのではないか。しばらくはこの音がわたしの中でも鳴り続けることになるだろう。

 

 

 



というわけで、4日間の「爆音映画祭2018 特集タイ|イサーン VOL.2」が終わった。相変わらずご機嫌すぎる4日間だった。前回はタイの音楽好きな人たちが中心かなという感じだったのだが、今回は、なんだかおもしろそうだと、タイのことは詳しくはないがやってきた若者たちと、タイ好きの人たちとがいい感じでミックスされていたという印象。『バンコクナイツ』や『映画 潜行一千里』、それからsoi48のメディアへの露出や地道な活動の成果が確実に実を結び始めている。今年はもう1回やる。というか、本来なら今回の映画祭は昨年やっているはずだったのだ。


2月25日(日) 羽田でのアイホンなくした大騒ぎの後、無事山口へ。さすがに眠い。三宅唱がYCAMに滞在しながら地元の中学生や高校生たちとワークショップしながら映画を撮っている。その撮影期間が延びて、25日が最終日となるとの連絡を受け、ギリギリ間に合わせたのである。YCAM内での撮影。中学生、高校生がキャストなので、撮影は学校が休みの日のみということで、期間は1か月ほどだが、実質的な撮影日は10日くらい。脚本もないわけではないが、事前に彼らに渡して練習して撮影ということではなく、撮影日に彼らとともに考えながら、また、撮影の状況に合わせてどんどん変えていくというやり方。したがって、否応なく順撮り。最終日の撮影は映画のラストシーンということになる。

物語の内容は何度か聞いたのだが、例によって無茶苦茶な記憶になっているのでここでは記さない。ふたりの男子中学生と図書館だかでバイトしている女子大学生との出会いと別れの物語なはずで、ラストシーンは「別れ」のシーン。もちろん大袈裟な別れではなく、明日もまた顔を合わせても不思議ではない単なる別れにも見える、小さな別れでもあり、しかしどこかで決定的な別れでもあり、いつかまたどこか別の時間別の場所で出会うはずの別れでもあるような、未来の出会いに向けての別れのシーンとなっていた。その別れに含まれる未来について、あるいは別れの小ささと大きさについて、中学生たちが三宅にいくつかの提案をし、自省し、それに対して三宅が反応し、ヒントを出す。そして次第に、その「別れ」自体が成長していく。つまりそこにある現在の「別れ」が彼らの過去や未来を持つようになるのである。そしてその「別れ」を体験する映画の中の中学生を演じる現実の中学生たちも、この役を演じなかったらあり得なかった過去や未来を獲得して、そしてその中から映画の中の彼らの言葉が出てくるのが分かる。出てくる言葉自体は同じだが、その言葉の強さや弱さ、なめらかさやざらつき感といったニュアンス、音色の変化と変容がそんなことを思わせる。おそらくこの撮影期間中に、出演者たちはそれまで生きて来た自分の人生以上の経験をしたのだろう。彼らがその間に経験した彼らの人生以上の経験の大きさと、その成長の過程や未来が最終日の演技の中に現れていた。最終日にこの撮影を観ることができてよかった。最終日でなければこの感覚は味わえなかっただろう。

 


その後、この夜だけのYCAM公演、マームとジプシーの「みえるわ」。川上未映子さんのいくつかの小説から文章を抜粋し再構成してつなぎ合わせた70分ほどのセリフを、青柳いづみさんのひとり芝居によって行う。あふれる言葉を次々に繰り出すだけでなく、バックに流れる音楽とその言葉の出るタイミングが見事にあっている。音楽はすでに作られたもので一定の時間を刻んでいるのだが、その音楽に合わせて作られたのではない言葉は生で、つまり歌のようにはまったく作られているわけではない音楽と言葉が、絶妙のタイミングで同期する。あらゆる「形式」が形式としての美しさを保ちつつ、というか形式としての美しさを加速させつつ、気が付くとその中身がスルっと外に飛び出していく。三宅の映画の中学生たちはあくまでの素人のやり方でそれを体験体現し、青柳さんは徹底したプロの手さばきでそれを体現表現する。偶然ではあるが、同じ日に続けて観ることができたのは幸運だった。





樋口泰人(ひぐち・やすひと)
映画批評家、boid主宰。3月2日(金)まで「新宿ピカデリー爆音映画祭」が開催中!3月2日(金)より4日(日)まで「YCAM爆音映画祭2018 特別編:35ミリフィルム特集」。そして3月8日(木)より11日(日)まで初開催の「爆音映画祭 in MOVIXあまがさき」

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