boidマガジン

2018年03月号

宝ヶ池の沈まぬ亀 第21回 (青山真治)

2018年03月23日 05:52 by boid

青山真治さんの連載「宝ヶ池の沈まぬ亀」第21回は、インフルエンザ発覚から始まる早春の日記。『世界でひとつのプレイブック』と『ジャイアンツ』に見る「夫婦の寝室」、急逝された大杉漣さんへの想い、久しぶりのワークショップや甫木元空さんたちとの新曲のレコーディングのことなどが綴られています。




文=青山真治



21、のろい電車がやってくる、カーブの向こうから

某日、どうも今期のドラマを見続ける気にならない。『アンナチュラル』はつけっぱなしにして井浦新くんの演技のみ注視しているが、他はたとえば川瀬陽太の登場シーン終了後見る気を失くしたり。べつに「ゆがみロス」というわけでもないが、にしてもどこかで見た人物造型ばかりでは続かない。昼にテレビを点けるとカザン『エデンの東』。何回見ても好きになれない例外的な作品。インフルエンザで唸っているとさらに気に入らない。要は何もかもインフルエンザのせいで機嫌が悪いせいかもしれない。そうそう、風邪だと思っていたものがあまりに悪化するので再検査したら、インフルエンザA型だった。まあよくあることだ。そんななか、やはりテレビで、これで三度目となるデヴィッド・O・ラッセル『世界でひとつのプレイブック』を。これまで嫌いだったのに好感を持ったのは、とうとうジェニファー・ローレンスの芝居を好きになった、のか慣れたのか知らないが、とにかく見ていて嫌悪感を抱かなくなったせいで、彼女は一度も笑わない、というか無表情なのだが、それでいて感情の波を表現するという難関を克服していて感心してしまったのだった。加えて、これだけ悲惨な話なのに最終的にほぼ強引にハッピーエンドに持ちこむ技(読めてはいるのだが)に粋を感じ、今期のドラマにこの粋を一切感じないがゆえに見ていられないのだ、と悟る。スタジアムでのいざこざから戻った後のスッタモンダにさらにジェニファーが加わって微細なゲームスコアを交えて自分の利点(しかも運がついてるかどうか)を詳細に説明するくだりなど、いったいいつまでやるんだ、これ、というくらい長々と続くのだが、始まりは夕方だったはずが、いつのまにか夜になっているという、こういうことは馬鹿げていると承知の上で監督としてはやりたくてしょうがなくなる。そして坂本安美がアルノーの話を挙げ、一本の映画を何度も見て評価が変わることがある、とツイートしていたが、その通りのことがまたしても起こり、あらためてアルノーには感謝しなければなるまい。とはいえ、肝心のダンスシーンはやっぱり全然ダメだし、デニーロも最後以外は嫌なんだけど。
某日、ようやくインフルエンザも抜けたようで、そんな昼間に『ジャイアンツ』。最初に見たときも子供の頃、昼間にぼんやり見ていた気がする。親父はこれのディーンが好きだったが、いま見るとアメリカの金持ちはすべて悲しい、という感想しか浮ばない。そしてこれの「夫婦の寝室」が典型的な五〇年代のそれで、前夜の『プレイブック』のデニーロ夫婦のベッドの狭さというのはこれに対してむしろ異常なのかもしれない。それより動揺したのはデニス・ホッパーだ。ロック・ハドソンの長男という、ちょっと微妙なキャスティングだが、彼が1941年、つまり真珠湾攻撃直後のクリスマスに父親からプレゼントされるのはテンガロンハットなのである。これにはやられた。鏡を見て何とも知れない笑いを浮かべたホッパーがたまらない。ここのところ、ホッパーのことを懐かしがってばかりいるような気がしていたところだったから、よけいに。

映画『教誨師』より



某日、ふと字幕付きの『バニー・レイクは行方不明』を見始めて、なるほど「行方不明発覚」までがジャスト20分か、などと分析的に見ているうちに状況が怪しくなる1時間あたりで急にディスクがストップ。と、その瞬間、仕事帰りの女優が背後で叫び声を上げ、三度その名を呼んだ。ディスクの疵を確かめ布でゴシゴシ拭いて再挑戦するが、ダメだったので諦めてニュース番組に切り替えた。その報を確認してからテレビ東京でドラマを見る。元気に女優陣とカラオケを歌う姿を見ることができた。初めて会ったのは助監督二本目の佐々木組『幕末合唱団』であり、以来数えたら八本の作品でお仕事させてもらっていた。夜更けや早朝に直接電話をもらい、小道具の発注を受けたことも度々だった。親密に酒を酌み交わすなど畏れ多い存在だったが、私のことは常に「あおちゃん」と呼んで重宝して下さったと思う。他の現場では「怖い人」と噂されているなんて信じられない話だった。四半世紀前の話。監督としては一度もご一緒したことがない。理由はない。助監督であれだけやったからあいつはもういいか、ということだったかもしれない。黒沢さんと一緒にサンジェルマンデプレの映画館で『HANA-BI』の車椅子姿で波にまみれる様を見たとき、ああもう雲の上の人になっちゃったんだなあ、としみじみしたことを憶えている。でも本当に一本もできなかったことはあまりに寂しく、辛い。何か一本くらいやりましょうよ、とこちらから電話すればよかったのか。でももう番号を知らない。光石さんか松重さんか誰かに聞けばよかった。ドラマには一緒に仕事をした人たちが大勢出ていた。僕だってあそこへ行ってカチンコくらい叩ける。松重さんはデビュー作『地獄の警備員』から一緒だけど、たまたま従兄が学生時代に松重さんと同じ劇団で演じていたこともあった。縁は異なものである。大杉さん、向こうへ行ったら、ご存知と思いますが堀君という優秀なのがいるんで、寺田さん撮影で一緒に面白いやつ拵えてDVD送ってください。楽しみにしてます。こっちにはもうほとんど面白いことなんかないんで。
某日、何にも落ち着かないので佐々木さんとしのやんに電話。話したいことを話したい人と話せて少しだけ落ち着く。『バニー・レイク』も代替盤が届いて終わりまで見た。そんなに本気にはなれないけど、やっぱゾンビーズが出てくると落ち着く。もちろん『サイコ』以後の映画ということになるだろうが、プレミンジャーを殺したのは『反撥』のロマン・ポランスキーだったと思われた。


某日、フライシャー『10番街の殺人』。またしてもディスクがストップするので、これは盤の問題ではなく、十年以上使っているプレイヤーの問題だろうと確信。テレビを含めて買い替えの時期だが、そんな経済的余裕はない。紛う方なきイギリスの物語だが、全篇撮影技法はアメリカンであることも疑う余地なし。唯一、ジョン・ハート翁が「教養のない人」に見えないことだけが失策か。あるいはそれもこちらの勝手な思い込みか。
某日、SMAにてワークショップ。体調はひどいありさまだったが、やっているうちに復調した。通しで本読みすると、ジャスト二時間。それほど勘が鈍っているわけでもないことを確認できた。夜は演助・平井ちゃんと目黒・炎屋で作戦会議。
某日、目覚めてネットのニュースで、たけしさんがテレビで大杉さんのために涙を流したということを知り、なんとなくだが、それで二十数年前の自分の矮小な助監督生活も多少は報われたかという気がした。これもやはりこちらの勝手な思い込みに過ぎないけれど、その名前の並びはそう思い込ませるにじゅうぶんなものだ。そして左とん平さんも亡くなった。女優が共演した際、心から感動して語ったのを思い出す。ワークショップ二日目。一所懸命やる者にはそれなりの成果があるが、それは最初から知っていることの延長線上であって、どんなキャリアでも知っている者にとってワークショップはメンテナンスになりうる。しかし方法を知らない者には苦渋に満ちた場になりもする。方法を教えることはできない。自分で気づく他ない。やってみるしかない。次はその苦渋が生きる。

京都造形卒制展にて。ユーロ前。(撮影:鈴木歓先生)


某日、そしてユーロスペースで開催された一週間の「京都造形映画学科卒業制作東京展」が終わり、ワークショップも後半の二日を無事に終えた。二日目は春一番が吹いた。卒制展についてはフェイスブックにできるかぎり書いたので、もう言うことはない。京都から逃げるように去ったことのうしろめたさと久しぶりに連中に会える喜びが相半ばして終わりにはくたくたになり、その疲労はワークショップの後半でさらに重篤化して、何とも異様な体調の悪さで迎えた月曜だったが、何のことはない、花粉症と低気圧の到来で血圧が迷走しているに過ぎなかった。それにしてもワークショップは私にとっても快楽であり、何しろ稽古場という場が好きだという事実を再認識させられるのだった。二度、三度とやるうち徐々に立ち上がっていく芝居には得も言われぬ歓びがある。あ、それいいよ、と言いたくなる瞬間も何度かあり、しかしこれを習慣的に味わっていると、誰かの公演やなんか見に行った際に口から「ダメ出し」や「カット」が出そうになり、イチイチ危険だ。気をつけよう。あと、ワークショップの受講生ならびに京造の人々にも言いたいのだが、笑いを取りに行く場面を真剣に検討しなければならない。卒展の『しかと青くあれ』で見せてくれた水上竜士先生による手ぬぐいの至芸で大いに笑ったが、笑えたのは全日通してそこだけ(『カルチェ』の辻凪子には残念だが脚本上何かが足りず笑うに至らず)だった。かつてわが師匠(みすたぁ)は、映画に必要なのは何か、と問われると間髪入れず「歌、撃ち合い、そしてギャグ」とお答えになった。しかしギャグとは何か。脚本を真剣にしか捉えなければ見えてこない笑いの要素(考えてみれば滑稽だよね、という)を引き出すことも可能なのだ。笑いは難しいが、いわばヒットエンドランのようなもので、うまくいけば好機に転じる(撃ち合いもね)。賭けである。最近誰かが「批評は賭けだ」などと偉大なことを言ったが、笑いもまた賭けだ。この賭け抜きでは作品は魅力的になってくれない。私の助監督時代、大杉漣はつねに笑いを取ることを中心に芝居を構築していた。
そんなことを考えつつ、春嵐に晒されながら小竹向原へ遠征。アトリエ春風舎にて映画美学校アクターズ・コースの修了公演、平田オリザ作の『S高原から』を鄭龍進と松本勝とともに。目当てはこの小屋のありようと出演者たちの見学。殊に京造卒の田端奏衛の出来が気になって。いささか宗教儀式的な静謐さを持つオリザさんの戯曲に忠実な演出の中でカナエだけが無駄にテンションが高く、いちいち全体のバランスを崩す。そこを私は笑っていた。龍も勝もそこがよかった、と言う。帰りに池袋・楽々園にておっさん三人で快気炎。よせばいいのに、のちに打ち上げを一旦抜けてきたカナエが合流。おっさんらに言いたい放題言われた挙句リリースされた。

快気炎中



某日、季節の変わり目というのは基本的に体調が低迷するが、いまがそれ。しかし甫木元が来て新曲録音の準備が始まる。構成をあれこれ入れ替えているうちに形が整う。アレンジ準備でうちのエレクトリックギターズに電気を通した。半年ぶり。数年前に小倉で贖ったVOXミニアンプにも通電。やくざに歪むこれと125の相性良すぎてビビる。通電するなり125があっという間に生き返ったのにも驚く。これは『EUREKA』撮影中ずっと共に旅をしてメロを作って以来の戦友である。一方、レスポールはなかなか立ち上がらない。ビグスビーアームを載せるつもりだったがピックアップまで改造する気になる。結局今回は想定通りテレキャスター(ジャパン)で行くことになりそう。晩飯でえらく泥酔し、わざわざ甫木元に送ってもらう、ていたらく。
甫木元に仕事が舞い込んだ。小さいがいい方向の話。期待できる。
某日、音色選びやバッキングアレンジを三日間続けて、いよいよ録音。完全にサム・フィリップス気取りである。応援をお願いした広田智大の車両に機材を積み込んで朝十時、川崎スタジオ・ハピネス集合。セッティングを整えて、まずはガイドとして畏兄・山田勲生のアコースティックギターと甫木元の仮歌。イントロとその後、アウトロと3パートに分けて録音。続いて山梨が誇る佐野忠のベース、山田ドラムス、そして私のギターという平均年齢57歳のスリーピースロックンロールおじさんチームで、通しのバックトラックを長時間かけてアレンジ、録音。映画『はるねこ』でも聴ける忠さんのベースのドライブ感は最高である。何テイクいったか、最後の三回あたりで形になりながらもへとへと。スタジオのドンでありエンジニアの平野さんにエディットをお任せしつつ、遅い昼食。それから甫木元の本歌録り。これまたかなりテイクを重ねつつ、コーラスまで。さらに私の「五十の手習い」ノイズギター。通し四、五回で形を決めつつ、本番二回やって体力切れ。最後に山田ラップ・スティールを重ね、データ掃き出し含めて19時ジャストで終了。お疲れさまー、と退場したはいいが、駐車場の山田車がバッテリーアウト。どこからともなく現れたおじさんが、フォグ点けっぱなしだったと。山田さん、久しぶりの録音で興奮しておられたご様子。甫木元が近所のドンキでケーブルを贖い、山田さんに同行していたパーカッショニストつかさんの協力によりどうにか解決を見る。しかしさらに、料金を払うのを忘れてコインパーの爪にひっかかり、愛車の腹を痛める。山田さん、まさに踏んだり蹴ったり。満員の土曜のデニーズで晩飯。駐車場でつかさんが山田車の下に潜って山中湖まで走れるかどうか確認し、二組は逆方向に別れる。夜十時過ぎ、自宅で機材をバラし、甫木元は十条へと帰っていった。「情報7days ニュースキャスター」でたけしさんの声を聞きながら眠りに落ちる。まるで子供の頃に「オールナイトニッポン」を聴きながら、のような。
新曲のタイトルは「花束」。

録音風景



某日、一日中集中してギターを弾くと、翌日には肩から足腰まで軽い筋肉痛に見舞われることに気づかされた。そういうものなのか、それとも老化の現れなのか。とにかく日がな寝て暮さざるを得ない疲労。三週ぶりに見た『西郷どん』がいい。さらに続けて見た周五郎原作の『子連れ信兵衛』がまたいい。数シーン見て、演出が京都の伝統的な筋の方と思われた。左とん平さんが出ている。これが最後の作品だろうか。中村嘉葎雄さんのお元気そうな姿を見ることもできた。さらに深夜、五輪カーリング女子チームのドキュメントを見て、独立独歩の並々ならぬ努力と知恵に大いに感心する。
某日、様々な謎を解明し、確定申告作業を完遂。ついでに久しぶりに地下の仕事場に戻る。甫木元の他の楽曲をどう作るか考えるためにあれこれ聴いているうちに、不意にある上演台本を、しかもメモ用紙に書き込み始める。これがうまく書ければ初のオリジナル戯曲ということになる。まあ、たんに既成の台本を探すのが面倒なだけなんだが。


某日、ノーキー・エドワーズの訃報。巨星墜つ、とはこのことだ。メロは取れても細かいリックは謎という真の大家。ジミ・ヘン以前にエレクトリック・ギターの可能性を最大限に拡げたひとの一人だと思う。小さいときに一所懸命勉強させてもらった。大感謝と共にただただ合掌。作業に疲れて眠りに落ち、真夜中に目覚めてあまり真面目に聴いてなかったディランのブートレッグ・シリーズ『トラブル・ノー・モア』を。ケルトナーの雷みたいなドラムがもうちょい鮮明にならなかったかと悔やまれるが、これ、実は大変いい出来であることに気づく。そしてスプーナー・オールダム。アメリカン・ロック界のハリー・ディーン・スタントン、なんて言い方はへんだが。HDSもその中にいたわけだし。しかし気づけば毎晩、スプーナーが誰かしらと演奏しているのを聴いている。ここでも只管美しく、控えめかつ変幻自在。にしてもディランというひとはいろんなひとを巻きこみ、不幸にしたり幸せにしたりしながら独歩邁進する。しかしだいたいひとは多かれ少なかれそういうことであり、ただこの怪物ブルドーザーのそれは尋常ではない、そんなことにビビってたらすぐに足元を掬われるぜ、とでもいうように。結局見習うべきはディラン、という落とし処に今夜も落ち着くわけだ。そういえばそろそろ『ラッキー』が始まる。四月になればスピルバーグもジェニファーもある。映画館に足が向く時期だ。
なお、今年のオスカーについては、泥酔したジェニファー以外、特に感慨はなし。

地下デスクの現状

(つづく)




※映画『教誨師(きょうかいし)』は10月6日(土)より有楽町スバル座にて公開、他全国順次公開
出演:大杉漣、玉置玲央、烏丸せつこ、五頭岳夫、小川登、古舘寛治、光石研 / 監督・脚本:佐向大
公式サイト



青山真治(あおやま・しんじ)
映画監督、舞台演出。1996年に『Helpless』で長編デビュー。2000年、『EUREKA』がカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞&エキュメニック賞をW受賞。また、同作品の小説版で三島由紀夫賞を受賞。主な監督作品に『月の砂漠』(01)『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(05)『サッド ヴァケイション』(07)『東京公園』(11)『共喰い』(13)、舞台演出作に『ワーニャおじさん』(チェーホフ)『フェードル』(ラシーヌ)など。
4月7日(土)に相模原市新戸の常福寺で開催されるライヴ&トークイベント「常福寺ライブ―be―死を想え」(BIGTORY企画)にトークゲストとして登壇(ご予約・お問合せは常福寺へ)。また4月末発売予定の「映画芸術」に「私の映画史/政治・社会派映画 日本映画篇」の文章と『憂鬱な楽園』評を寄稿。

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