boidマガジン

2018年03月号

映画川『ワンダーストラック』 (川口敦子)

2018年03月24日 16:05 by boid

久しぶりの掲載となる映画川。今回は映画評論家の川口敦子さんが、4月6日公開の『ワンダーストラック』(トッド・ヘインズ監督)について書いてくれました。ブライアン・セルズニックのベストセラー小説を彼自身が手掛けた脚本によって映画化した本作では、1977年と1927年という二つの時代のニューヨークを舞台に、それぞれ会ったことのない父親、憧れの女優との対面を願う少年・ベンと少女・ローズの物語の交錯が描かれます。何とベンがニューヨークに足を踏み入れたのと同じころ、初めて同地を訪れたという川口さんはこの映画をどのようにご覧になったのでしょうか。




文=川口敦子


 1976年、建国200年記念の年のアメリカはミシガン州、ヒューロン湖畔の田舎町アルピーナでひと夏、ホームステイの機会を得た。ホストファミリー、といってもデイヴとジュリーのエリオット夫妻はまだ20代半ば、少しだけ年上の兄弟みたいな気軽さで迎えてくれた。地元のテレビ局に勤めるデイヴは、スモールタウンの青春ドラマを地で行くような高校生たちを率いてミュージカル「ゴッドスペル」を演出したりしていて、映画にも造詣が深かった。夏も終わる頃、映画と舞台ならやっぱりニューヨークでしょ――と夫妻が一週間の小旅行を決行してくれた。42丁目、タイムズスクエア、セントラルパーク――ミッドタウンからアッパーウエスト、それからダウンタウン、グリニッチビレッジ・・・と初めてのマンハッタンはお上り気分のせいだけでない圧倒的な緊張を強いてきた。なにしろ70年代当時、そこは犯罪のメッカとして日本にまで悪名を轟かせていたのだから。
 『ワンダーストラック』でその1年後に当たる77年、ミシガンよりさらに西、ミネソタはスペリオル湖畔の田舎ガンフリントからひとり旅立つ12歳の少年ベン。マンハッタン、ポート・オーソリティのバスターミナルに降り立った彼が、落書きだらけの壁際のベンチで身を固くして朝を待つ様、はたまた意を決し重いドアを押し開け、途端に流れ込む危険地帯ヘルズキッチンの危なさを呼吸して、アフロ・ヘアが目につく人の流れを遡り、トリプルXのポルノ館の看板が目に飛び込む怪しげな界隈を行く姿に、ああ、と思わず往時のわが身を重ねずにはいられなかった。あの猥雑な街と雑踏のむっとするような空気の澱みにのみ込まれ、身をすくめ、コンクリートの照り返しで倍増する暑さと臭気に包まれて、それでも抑え難いわくわくとした陶酔感を抱えながら早足で往く無愛想な人人人の波に加わるスリル。その感触がまざまざと蘇った。トッド・ヘインズの新作が差し出す時代と街とは実際、そんなふうに親密な肌触りを射抜き、そこに息づく真正な臨場感に打ちのめされる。
 興味深いのは、“おいしい生活”以後の、つまりはお洒落の代名詞に祭り上げられてからのウディ・アレン映画や「セックス・アンド・ザ・シティ」のニューヨークに親しんだ若いスタッフが、70年代マンハッタンのそうした荒廃を知らず、再生された往時のストリートに驚きの声をあげもして、そのこと自体が驚きだったと浄化政策以前の同地で育ったヘインズの盟友にして製作者のクリティン・ヴァションが証言していることだ。制作ノートに記されたこの挿話は、生まれる以前のことだから知らないというだけでなく、映画作りに関わる面々が、監督ヘインズや撮影エド・ラックマンが参照したというアメリカン・ニューシネマ、とりわけ『フレンチ・コネクション』や『サブウェイ・パニック』(共に撮影監督オーウェン・ロイズマン)のニューヨークをも既に当り前に知らずにいられるような今を指し示してもいるだろう。90年代はじめ、新鋭インディとして登場してきた頃の印象のまま未だに若手のように錯覚していたヴァションやヘインズが、もはやその経験や記憶に基づくひとつの時代の保存者、証言者の側にいる事実にはもう一度、改めて打ちのめされたりもしてしまう。
 そういえばまさに70年代半ば映画小僧として鳴らしていたスピルバーグの新作『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』でも同様の感慨を噛みしめた。ベトナム戦争をめぐる政府の嘘を暴く機密文書掲載を決めたワシントン・ポスト社の女社主の逡巡の末の英断と成長の物語、そこに声高に権利を主張する類のそれとは別のたおやかなフェミニズムと時代を重ねた映画は幕切れにロマコメの女王みたいな位置づけに甘んじている今は亡き監督・脚本家ノーラ・エフロンへの献辞を置いてみせる。それは70年代、他ならぬワシントン・ポスト社傘下のニューズ・ウィーク誌で、女子はコピー係かデータ原稿要員とみなされる暗黒時代を耐え、辛辣でしかしユーモアも忘れず、嘘のない女性としての在り方を探り、その作品に結実させたひとりを映画のヒロイン共々顕彰し、同時にそういう時代があったのだと身を以て知る作り手スピルバーグならではのおざなりでない付言の重みを感じさせもする。あるいは映画はまた新聞というメディア――足で稼ぐ取材、タイプライターから叩き出される原稿、さらに植字作業を経て輪転機が回る印刷へという手作業の、アナログの、ニュースの生まれる過程を愛で、往年のハリウッド映画でおなじみの刷りたての紙面を朝露に濡れた歩道で拾い上げる薄明の光景をもぬかりなく挿入し、現実と映画の歴史の証言者として電脳スペースでは味わい難いもの、その肌触りを確かに伝えてみせもして、なんだかスピルバーグがかつてなく好きに感じられたりもしたのだった。と、些か脱線めいてきたが実はこの触知できる時代感覚の親密さと真正さこそが『ワンダーストラック』をも裏打ちする磁力に他ならないだろう。



 アメリカ自然史博物館に展示された狼のジオラマ、64年万国博のためにクィーンズ美術館に設置されたニューヨークのパノラマ、そこにたくし込まれた家族の物語/歴史――。
 映画は77年のベンの物語と対をなし、反射するように進む1927年の少女ローズの物語を用意する。聾唖の彼女が耽溺するサイレント映画の形式をそのまま彼女の世界を物語る術として、白黒、無声の映画を紡ぐヘインズは、アメリカの繁栄の始まり――20年代と洪水の後――70年代、半世紀を隔てた二つの時代と物語とをランダムに交錯させて長編デビュー作『ポイズン』の3つの形式とジャンルと物語で編まれた世界を想起させもする。時代というフレームを通じてアメリカの今を常に検証してきたヘインズは今回も対照的な二つの時代とそのフォーマットをつきあわせ、しかしそれでも人を動かす感情の力にこそ焦点をあわせる。ジャンルを、スタイルを究め、そうやって映画の表皮を研ぐことで、それでも覆せない感情のリアルに手をかけ得るのだと示す。ヘインズ初の児童映画――そんな宣伝文句に反して、監督はいつもながらに時代を射抜く真正な形式を尖らせて、それでも溢れる物語の心で観客を巻き込んでいく。
 77年7月14日――ニューヨーク大停電の闇の中、星空を見上げるベンとローズは映画がミネソタ部分でそっと引くオスカー・ワイルドの言葉(みんな、どぶの中にいるけれど、そこから星を見上げる奴もいる)を体現し同時に『ポイズン』を締め括ったジュネの言葉(気高く在るために人は長いこと夢を見なければならない。そうして夢は闇の中で育まれる)を照らし返してもいるだろう。そこに満ちていく穏やかな心の場所の肌触り!


 蛇足になるがヴァションと共に今回製作にあたっているのが90年代インディ映画の隆盛を支えたジョン・スロス(ヘインズ作品の他、リチャード・リンクレイターとの絆でも知られる)、そしてグッド・マシン社を率いて往時、中規模の予算をもつニューヨーク・インディ映画を牽引したテッド・ホープという点はやはり見逃せない。とりわけ後者はアマゾン・スタジオのトップに収まりスパイク・リーの新作やジャームッシュ『パターソン』を手がけ、ストリーミング映画? と危惧する声をしり目に着々とインディ旋風再興を仕掛けている。例の騒動で90年代インディ旋風といえばのH・ワインスタインが抹殺された(自業自得とはいえ)今、ホープの今後の動きがいっそう気になっている。

 

ワンダーストラック  Wonderstruck
2017年 / アメリカ / 117分 / 配給:KADOKAWA / 監督:トッド・ヘインズ / 脚本・原作:ブライアン・セルズニック / 出演:オークス・フェグリー、ジュリアン・ムーア、ミシェル・ウィリアムズ、ミリセント・シモンズ
4 月 6 日(金)、 角川シネマ有楽町、新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ渋谷他全国ロードショー
公式サイト





川口敦子(かわぐち・あつこ)
映画評論家。「キネマ旬報」「映画芸術」「朝日新聞」「映画.com」他、様々な媒体で映画評を執筆。著書に『映画の森―その魅惑の鬱蒼に分け入って』(芳賀書店)、訳書に『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(アルトマン著、キネマ旬報社)などがある。クリント・イーストウッド監督の新作『15時17分、パリ行き』の劇場パンフレットに寄稿。

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