boidマガジン

2018年04月号

宝ヶ池の沈まぬ亀 第22回 (青山真治)

2018年04月20日 18:16 by boid

青山真治さんによる日付のない日記、「宝ヶ池の沈まぬ亀」第22回。前半は地下室に籠り、ジェームス・テイラー、ヴァン・モリソン、ナタリー・マーチャント等々を聴き込む音楽三昧の日々が、後半は一転、名古屋~渥美半島~蒲郡・竹島~岡山~高知~米子~赤碕~津山を巡ったシナハン&休日の旅の模様が記されています。




文=青山真治



22、暗い春、されど満開の花

某日、世間は右往左往しているが、こちらは地下室にて安定の音楽三昧。何しろ12曲あるので、妄想が次々と花開く。メロディメイカーとしての甫木元は、ほぼ即興ではあるがかなりの腕前。弾き語りのそれを生かしつつバンドサウンドに妄想することのささやかな幸福。ときにクインシーとなりときにクロッパーとなり、ある場合はジョージ・マーティンを気取り、そして基本サム・フィリップスという、ひとりゴージャスな疑似体験。妄想としてシングル盤を作る夢とアルバムを作る夢を両方叶えている按配である。結局一番の幸せは自己満足である。あれこれ他人を忖度するより自分が享楽するのが最優先、他人も幸せになればなおけっこう、ということで万事快調ということならベスト・・・ということを延々とやっているであろう本ページ主催の社長に一度は問うてみたい案件である。答えは「当り前じゃん」に決まっているのだが。
某日、再び甫木元来りて、次に録音すべき二曲について再考。ついでにうちから姿を消していた『はるねこ』サントラを持って来る。しかしこれ、十年くらい経って幻の名盤ということになりはしないか、と妄想するのも、プロデューサーの自己満足にすぎないのか。いまやっていることがことごとく他人の理解を得られないのは、やはり自分が間違っているのだろう。甫木元の『はるねこ』から新盤への進化はJTのファーストからセカンドへの流れに似ていなくもないが。大袈裟か。私はピーター・アッシャーのような天才ではないし、甫木元もJTのようにギター巧いわけじゃない。
そんなことばかりも言っていられない。そろそろ推敲を開始しなければ。
某日、ということで何もやることがないわけではないのだが、どうにもエンジンがかからず呆然として妙に寒いのはどうしたことかと訝っていると、雪。それまで寒さは平気だった(『東京公園』の音楽作業中に凍りついた深夜の山中湖畔を8キロ歩いて酒贖いに行った経験あり。まだかろうじて四十代のこと)のに、五十過ぎてから夏はもちろん冬も体が言うことを聞いてくれなくなる。明らかに老化である。数年前に山田さんから覚悟しとけと忠告されたがその通りである。WOWOWドラマの音楽作業あたりからこの異変に気付いた。体の筋という筋がこわばって、動いてもいないのに筋肉痛のようなことになる。三月も終わりを迎えようというのに雪に降られたら誰でもおかしくなると主張したいところではあるが、そういうレベルではもはやない。一年の半分は使い物にならない気がする。五十代も半ばに差し掛かるとそういうものだ、と某社長にせせら笑われるだろう。もはや気力だけが頼りである。
夜も更けてようやく少し楽になり、ドラマ『anone』最終回。二十数年変わらないってのがいいことかどうか知らないけど、さかもっちゃんはまるで変わってない。それを言えばおれもそうだろうけど。そんなわけで、ひとときしみじみとあの頃を想う。


某日、昨年嵐で倒れて枯れた、と勘ぐっていた桃の木に気づいたら花が咲いている。まだ五分程度だが、このまま持ち直してくれるといい。眺めながら昼風呂。いくらか体調持ち直す。夕方から某社と打合せ。言いたいことは言い、納得はしないが、関係修復。
某日、書きかけの上演台本を持参しての会合@下北沢。どうやらいつも口やかましい主演俳優もお気に召した模様。その後、俳優二人が合流し、ああでもないこうでもないと深夜に及ぶ。三茶に移動した後、某俳優氏にお会いしたのが印象的だった。翌日疲れきった状態でメモ書きのそれをパソコンに直しながら書き写し、さてこの先はどうしようかと思案しながら、初めての『ウォーキング・マン』『ゴリラ』『イン・ザ・ポケット』とJTを聴き続ける。どちらかといえば、デヴィッド・スピノザよりレニー・ワロンカーの方に、というかニック・デカロにより親近感を抱く。先日スタジオにデカロの肖像が額に飾られていて感動したのが記憶に新しい。まあ実は『ゴリラ』の「アングリー・ブルース」でスライドを奏でるロウエル・ジョージの圧勝なのだが。というわけで、最終的にマリア・マルダー『オールド・タイム・レディ』を久しぶりに。ライがおり、ジム・ケルがおり、ドクター、ビル・キース、そしてスプーナーもいるといういまの私にとっては大名盤かつ偉大な参考書。「真夜中のオアシス」のエイモス・ギャレットのソロなんて、凄すぎてちょっとついていけない。
某日、偶の日曜、駅まで用足しに出かけると目黒川沿いは桜が七分といったところか、見物人でごった返しているのは毎年のこと、行人坂で心臓と足を鍛えつつ往復、桜は逆光とか確認しつつ、帰りは目黒不動に寄り道。久しぶりに頭を刈る。『西郷どん』相変わらず好感。おそらく原作通りか、西郷と篤姫のほのかな心の通い合い、いかにも通俗で苦笑したが、いやこれでよい、と思い直した。安政地震ではなく、その夜を濡らす雨がよい。まあ又吉家定には苦笑しかないが。夜はシティ『夢語り』キャロル『ライム&リーズン』ときて先週から何度目かの『アストラル・ウィークス』を聴いている最中にネットでボストン時代のヴァン・モリソンの話に出くわし、これは聴けということか、と棚を漁り始め、普段ならたぶん見つかるまいと気が進まなかったのがあっという間にごっそり出てきて、ああもうこれは聴き込めということだろう、と。まずは名盤『ヴィードン・フリース』から。もうそこから動けない。最終曲「カントリー・フェア」で頭からケツまで唸っているドローンは何だろう? もしやハーディガーディだろうか。どなたかご存知の方、お教え下されば幸いです。なかなかの出来栄えだったNHK『小野田さんと、雪男を探した男』を挟んで三回目を聴いていると「カルデサック」(袋小路)にさしかかった辺りでツイッターに上がった「某社長がみなみ会館の扉にサインする映像」を偶然見てしまい、なんだかしんみりしてしまう。ようやくとりあえず離脱、『ストリート・クワイア』『ブロウイン・ユア・マインド』と続いたところで力尽きる。しかしヴァンさんは本当にエネルギーの塊であり、独立独歩の人だ。



某日、三島有紀子監督の紹介で某ワークショップの打合せ。また稽古場に立つことができる歓び。久方ぶりに「どん底」で飯を食い「鳥立ち」に寄ると中原昌也氏が当然のように登場。調子よさそうで何より。帰宅は明け方。
某日、目覚めて、墓参に行った義母の土産で久方ぶりに谷中「乃池」の穴子寿司を食す。当然、美味。キャロル・キングのソロデビュー『ライター』を聴きながら、狙いはここにもある、と熟考。だんだんロビー・ロバートソンよりダニー・クーチマーの方が好きになっている。そして届いたヴァン・モリソン『セント・ドミニクの予言』初聴。72年、これは同時代日本のポップスにも大いに影響を与えているのではないか。
某日、早朝から『ギミー・デンジャー』。後半30分、泪がただ溢れる。めったにそんなことは考えないが、これは特典映像も全部見るべきだと思う。すべての点でジャームッシュは「本気」でこの作品に向かっている。たとえば私がルースターズのドキュメンタリーを作る機会が巡って来て、このくらい「本気」になれるか。自信はないがやってみたい。たとえばジャームッシュ以外の映画作家はストゥージズを「共産主義者」と規定することはないだろう。それがイギー本人の発言であろうとなかろうと。しかしこうした発言が日本のどこかでジョークとして通用するだろうか。本気になるということは、そのポイントを突き刺すということだろう。続けてラッセルさんの『ジョイ』。これが日本未公開=DVDスルーであることが信じられない。へたすると『世界にひとつのプレイブック』よりいいのではないか。明らかに私はジェニファーに惚れている。・・・と妄想したところで、不意にステファーヌ・オードランの訃報。もちろん年齢的には不思議はないのだがあらためてこの女優の偉大さを儚んだ。オードランとシャブロルのおかげでこの世の小さな悪、しかし普遍的にあり続ける悪を我々は感じ続け、その甘美な世界を味わい続けた。それは私の内面に巣食う悪への欲望を常に満たし続けてくれた。ステファーヌの横顔がなかったら、と思うと途端に世界が矮小していく気がする。その意味で彼女はヌーヴェルヴァーグの誰よりも私のもうひとりの母のような存在だ。だからいま、まるでもうひとりの母が死んだように悲しい。そして心からの感謝を送りたい。ちなみにステファーヌとジェニファーはどこか似ている気がする。



某日、ワセブン金井号届く。加藤泰と中上の話やらインタビューが矢野さんやらでゲラゲラ笑いながらまだ熟読はできていないが、それにしても市川のバカヤロー、おれはともかく中原も呼んでいない。数少ない(はずの)真の金井一派はおれと中原しかいねーのに。どっかで泥酔の上で出会ったらぶん殴ってやるよ、市川の野郎。でもキシンちゃん(うちではこう呼ぶ)の写真が素晴らしすぎるので、そのことを語ってるうちに忘れるかも。
某日、忠さんの歓待により甲府でリハ。青山ギターと山田ドラムのアンサンブルでリズムパターンを一個見つける。その後忠さんご自宅で深夜に及ぶ研究会。いつの間にか敷かれた布団の中で目覚めて、奥様のご用意して下さった朝食をいただく。甘美。解散後、自宅にて再度甫木元とあれこれ確認。VOXのベーアンとうちのテレキャスの相性がいいことに気づいたが、中途で記憶がなくなる。翌昼あれこれ確認しているうちに先月録音した「花束」と続けてアル・グリーン「Let’s stay together」を聴いてしまい、おれはいままで何を聴いてきたのかと、この冬を総ざらえする如き底無しの絶望。何もかもやり直しである。目指すはウィリー・ミッチェル。

with 忠さん in 甲府



某日、そんなわけでダメである。この絶望から立ち直るいい話もあり、そうして誰かと会い言葉を交わすうちはいいのだが、一人になるとどうにもならない。ブッカー・Tのオルガンに耳を澄ませるとか、ハワード・グライムスとホッジズ・ブラザースのアンサンブルを分析とかはできるのだが、映画と小説にまったく気持ちが動かない。音関係もやればやるほど感情は暗澹たる方向へ向かう。であれば誰かと会いに出かければいいのだが、自分から誘い出す気にもなれない。要するに、ダメなのだ。甫木元にそれを話すと、花粉症のせいじゃないかと言う。たしかに鼻と喉は午前中など使い物にならない。頭も腐るほど重い。東京を離脱する週末から来週一杯の動きで回復しますよ、と慰められる。そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。
某日、今日も午前中はダメ。どうにもならないので安定剤のお世話になると多少上がり、家事をこなせる程度にはなってきた。夕方、昨日自棄になって注文したCDが届き、順番に聴いていく。まずは昨夜読んで感激した同郷・井上富雄君のインタビューで語られた佐野元春『THE BARN』を。最初は、え、これ、ウッドストック?とか、そこはウォリッツァでは?とか生意気なことを考えていたが、三曲目のガースのアコーディオンあたりから徐々に乗って来て、七曲目「ドクター」以降は納得の仕上がり。これは聴き込もう。さらにその井上君お勧めのナタリー・マーチャントの『OPHELIA』。これはマジで傑作。聞き惚れる。いいウォリッツァが鳴っている。しかしエンディング、ギャビン・ブライヤーズのアレンジで飾る、というのはちょっとスノッブじゃないか、という疑問。さらに『ナタリー・マーチャント』。一曲目にLadybirdという曲が入ってるが、グレタなんとかさんの映画と関係あるのかな。いや、どれもいい曲なんですが、だんだんアレンジがゴージャスになってってなんか気後れしてきて、小編成の曲の方が惹かれる。ううむ、まだ届いてないソロ・ファーストに期待。
某日、前夜深い時刻に旅程だの旅先のホテルの予約だのして爆睡。目覚めてようやく少し楽になってきたところで病院。気管支炎と肺弱を疑われ、検査。とりあえず大きくは問題なし。夜は、何十回目かの『JFK』で世界は何も変わらないとぐったりしたあと、ナタリーさんのサード『MOTHERLAND』のTボーンなサウンドで心和ませてから、翌日の草稿を三時間かけて書き上げ。来月の録音に向けてあれこれ。昨日の流れで調子づいて山田さんと忠さんの分のホテル予約まで。どうもおれは元気なような気がする。来月のカード支払いはとても心配だが。


某日、常福寺ライヴのため、初の座間。本当に小田急線が苦手な私は新百合ヶ丘あたりで本当に引き返そうかと考えたが、いつものとおり気の弱さから無事到着。駅から寺までの道すがら、座間には本当に何もない、と運転手氏の語りの合間に、この線路沿いに例の殺人事件の現場が、とか、今日はキャンプのオープンが、とか。いやいやじゅうぶんいろいろあるじゃないですか。絶対一人では帰れない物凄い複雑な道を通って寺に到着。瀟洒という言葉が相応しい。楽屋でいろいろ挨拶しているとやがて田中泯氏到着。ほぼ開口一番にセシル・テイラーの訃報に触れられる。私のトークはいつも通り、脱線に次ぐ脱線で反応もよくわからなかった。泯さんのトークは、爆音でジェット機が通過したのがやはり持ってると感じつつ、途中でガタタッと何かが倒れる音がして、それがまるでセシル・テイラーの音楽のようで、あ、いるな、と当然のように感じられた。夕方、終わって来てくれた甫木元と大沼と一緒に帰京。途中、キャンプ前を通過。イベントから帰っていく家族連れを見ながら、この辺り出身の大学時代の友人が子供の頃から基地のイベントに行くのが習わしだった、という話を思い出す。目黒で魚を食す。超美味。
某日、一夜明け、またしても体調頗る悪く、仰臥のまま三十分ほど広田に行動不可能という電話をするかどうか悩んだが、とにかく猫たちにご飯を、と起き上がり、そうするとするする動き出す。女優に品川駅まで送ってもらい、集合場所を間違えた広田と数分遅れで合流、一路名古屋へ。車中、広田から笑い話を諸々。名古屋錦のアパホテルは驚くべき質感。仙頭曰く「居抜きで買うたんやろうな」と。小一時間、今後の日程を話し合い、いよいよ某首謀者と某ジャズバーで会合。題材に関してさまざま情報を入手。首謀者は「映画って本当にいいもんですね」のおじさんに名前も顔も酷似していて、それだけで信用する。明日からはいよいよシナハンである。
某日、朝九時出発。仙頭の愛車で高速道路を東へ、南へ。23号線に入ったところで運転を制作・梅村に交代。だんだん海が近くなるのを感じながら名鉄渥美線を横断、防風林の隙間からちらりちらりと水平線が見え始める。途中いくつも「いちご・メロン狩り」という看板を見かける。堀切という場所で満開の菜の花畑を鑑賞し、しばらく行くとようやく太平洋の広がりに出会う。日出と書いて「ひい」と読むこの場所には石門と呼ばれる巨岩がある。背後の山上には伊良湖(これは「いらご」である)ビューホテルが見える。期待されたサーファーはここにはいない。一旦急斜面を登り、丘を越えると本日の目的地である伊良湖岬と恋路ヶ浜が見えてくる。名古屋から二時間。数軒並ぶ食堂前に駐車。紺碧の海の彼方から一大船団が我勝ちに伊勢湾の方へ帰港していく壮観な運動に圧倒される。まるで各自雄叫びを上げているように見えた。食堂のひとつで昼食。焼大あさり二個がついた海鮮丼定食、1500円は安い。食後、灯台へ。門司の部埼灯台よりは大きく、城ヶ島の二つの灯台よりは小さい。戻ってきてもまだまだ船団は帰っていく。運転を広田に交代、伊勢湾フェリーの発着場を見学。『わが胸に凶器あり』の撮影が懐かしい。灯台にもいた中国人のおばちゃんグループがまた。ああいうエキストラが作れるといいのだが。続いて伊良湖神社。小さくて静かだが、実はかなり本格的な神社に思える。階段の途中に神馬の社があり、木造の白い馬が内部に納められている。さらに初立ダムへ。これは「はったち」と読む。異常に既視感があるのだが、どこで見たのか記憶が戻らない。奥にある公園におたまじゃくしがうようよいた。伊良湖シーパーク&スパにチェックイン。夕景間近の伊勢湾を一望。伊勢湾は広い。向こう岸が見えない。名鉄高速船や伊勢湾フェリーが出て行くのを眺めて、各自部屋へ。全員仮眠の後、夕食はホテルのバイキング。本日終了。明日は田原経由で蒲郡へ。
某日、朝九時出発、ホテルからすぐの海沿いの直線道路を見る。矢印の形をした渥美半島は多くが直線でできている。この直線なるヴィスタをひとつのよすがとして構成を考えるのも手だろう。その奥にある発電所脇、通称「六階建て」。これは卓爾君の担当、ということにしよう。さらにその近くの港から運河に架かる橋。そして近くの秋葉神社にお参り。この辺はずっと干潟が続く。田原町界隈にはあまりめぼしい風景を感じられず、そのまま蒲郡へ。途中、行ったことはないがまるでデトロイトかクリーヴランドのような界隈でスケボーを持った実にさえない少女を目撃。パツキンにホットパンツ。この地帯を象徴していると感じて、どうにか物語に加えられないかと悩む。自分の求めるのは華麗に路上を滑走するスターではなく、不様に転ぶ彼女だった。そのうちに蒲郡・竹島着。言うまでもなく小津『彼岸花』の聖地である。これを汚染しようというのだから勇気が必要だ。全国ご当地うどんチャンピオンとかいうものになったうどんを食し、まあ、そういうものか、と心に留めつつ竹島へ。神社の名前は「八百富神社」という。島全体が天然記念物である。正に「はきだめの鶴」と書くと怒られるだろうか。反時計回りに遊歩道を戻る。島周辺には小魚が、昨日のおたまじゃくし以上にうようよいた。チェックインの時刻まで、蒲郡クラッシックホテルのカフェで潰す。頽廃に似た何かを味わう。晩飯を食いに出て本日も終了。全員、まあまあ疲れている。足の筋肉痛がひどい。
某日、このホテルの寝具が最高である。寝具のみならず、調度品やバスルームなどどれもがいわゆるクラッシックの良さを満喫させる。朝食も美味い。特にパンは各種いい。もちろん喫煙者であり、六十歳以下の我々は明らかに部外者なのだが。離れて、一路名古屋刑務所へ。山を切り開いて作られたようなそれは広大な敷地の上に建てられている。が、驚くべきはそこではない。その周囲を「中の上」といったレベルの一戸建ての家々が取り囲んでいることだ。まるで『シザーハンズ』だ。刑務所をマイホーム思想の権化のような新興住宅地が囲繞するとはどういうことか、と仙頭と二人、ひたすら首を傾げる。つまり「立ち入り禁止」の札と向き合いながら「何も起こらないから大丈夫」という前提に立った戦後文化をこうした縮図が都市計画として担っている、ということか。しかしそんな異常さに自分の人生を賭けるのはいやだ、という結論に達し、逃げるように名古屋へ。旧き良き大須観音。鳩に餌を撒く老人。二列の長く伸びる商店街。その奥に円形の大須公園。これはどういう思想だと言うのか。公園に面した台湾料理屋で昼食。ナゴヤ球場が見たい、という話になる。ここは素晴らしかった。もしや中に松坂大輔がいるのではないかとそわそわしながら覗きこむ。さらにそこから数分の尾高橋へ。かつての遊郭がいまもその姿を残しながら止まった時間の中に佇んでいる。雨のせいもあって心が和む。ではナゴヤドームはどうか。イオンと向かい合い、裏にはパワハラ騒動の志学館と藤井聡太の通う学校が並んでいる。まったくもって奇天烈だ。この街は語りづらいとつくづく感じる。何を言っても誰もが「そんなことは我々が一番よくわかってる」と答えてきそうだ。その点では沖縄に似ている、と仙頭。四日間、沖縄ナンバーのアルファロメオで走った結論はこれだった。もちろん映画はそうした現実の軛から解かれた物語を語らねばならない。ホテル123にチェックイン。最後の晩餐には、やはり「風来坊」を択んだ。季節柄どてめしはやっていないのだが満足。以上で第一次シナハンは終了。明日からさらに西へ。
某日、ここからは休日としてもよい。朝十時に名古屋駅で広田と別れ、岡山へ単独行。約二時間後、甫木元空監督と合流。まずは岡山でギターを探る。惹かれる個体もないではないが、ここでは買わず、丸亀へ。骨付き鶏を食す。うまいが、これなら門司「お福」でよい。というか、このまま門司へ行きたくなる。高松に移動、さらにギター探訪。甫木元はこれで、と当初から想定のとおり、黒のストラト(もちろんパチモン)とミニアンプをゲット。計二万円也。いそいそと180キロ先の四万十町へ向かう。甫木元家は想像を遙かに超えた堂々たる田舎っぷり。お祖父様、御母堂、弟君の手厚い歓待を受ける。いたどり、えそ、にろぎなど珍味の連打に囲炉裏端で舌鼓を打った後、早々に爆睡。

(左)ひろめ市場 (右)うつぼたたき


翌日、御母堂を病院に送りつつ、高知市へ。桂浜を訪れるのは実に四十年ぶりである。ウミガメに餌を差し出した割り箸を噛み折られた記憶がまざまざと甦る。そして通路沿いにはアイスクリン。酔いが醒めないせいか、途中から「水曜どうでしょう」状態となり、笑い続ける。奥田家のおやりになっている映画館を見学し、ひろめ市場で昼食。毎日ここで昼を過したっていい、と思えるファンキーな空間。うつぼたたき、くじら刺身、どろめ、と連日の珍味攻勢。駐車場で昼寝などしてまさに「リョーマの休日」である。帰り道に「道の駅あぐり窪川」で晩飯を食したのだが、どうしても何を食ったか思い出せない。この日も早々に気絶。コードチェンジの変更指示を受けたピアニストが、確認すべく振り返るとすでに寝落ち、その後は寝言を寝て申しておった由。



翌日、朝五時半出発。車で二十分ほどの窪川駅に、京都より深夜バスの仙頭武則着。彼にとっても休日である。着いた早々、お祖父様の豪華かつド渋いカラオケルームを見学。要するに甫木元家はそういう血筋であり、歌はほぼ家業と実感。朝食をいただいた後、買い出しへ。仙頭と私は新鮮な野菜群を自宅へ郵送すべく大量購入。しかし千五百円也。一旦戻り、仙頭ごく短時間爆睡。その後車で一時間ほど。一時間走っても四万十町を出ない、という感覚の奇妙さ。東京から離脱した夫婦の営む喫茶店へ。生憎の雨だが心地よい。戻ると今夜も御母堂の豪勢な手料理を爆食。仙頭は甫木元弟・風也氏の施術を受け、夜行バスで傷めた腰と首を癒される。夜も雨、周囲は蛙の大合唱のなか、誰もが眠りにつく。

甫木元家カラオケルーム



某日、早朝に雨上がる。朝食をいただき、まったりとした時間を過ごした後、名残惜しみつつ甫木元家を辞す。本当にお世話になりました。好天の下、ゆっくり高速道路を北上、大豊ICで降り、本山へ。MOJO KING藤島晃一氏の店MOJOYAMA MISSISSIPPIが今日の目的地。アトリエと称されるでかいプレハブはいつでもライヴ可能になっている。米英あちこちのブルースを撮った写真が所狭しと飾られ、その他も完璧な設えが施されている。藤島氏の脳内をそっくり移植したような見事さ。できればそれをお借りして何かできたらなあ、と。高知から飛行機で帰名する予定だった仙頭、急に岡山から新幹線で、と言いだす。米子へ向かう我々も当然その方が都合良い。その仙頭と岡山駅で別れ、さらに北上。大山に至る頃にはすでに真っ暗で何も見えず。米子ホテル・ハーベスト泊。近場の居酒屋で遅い晩飯。疲れが出て、急速に眠る。

MOJOYAMA


某日、しかし四時には目覚め、あれこれするうちに八時半出発。荷物を車に入れ、駅へ。食堂で月見そばを食し、七年半ぶりに山陰線の切符を贖う。目的地は赤碕。大山口駅を出た辺りから大山の表情が変わる。さらに御来屋駅から電車の左右は海と山に分れる。赤碕駅で下車、徒歩700mで花見潟の端に出る。とうとう来てしまった、という感慨が胸に迫った。鎌倉末期に始まる自然発生の広大な墓地。海岸線に沿う東西三百五十米約二万基の墓石群の間を往復、これでようやく2010年12月に決行した小説『樊噲』のための山陰の旅に決着がついた。米子に戻り、再出発。予定にはなかった津山に、思いつきで寄り道。美味なるホルモン饂飩を食したのち、鶴山公園へ。時間の都合と入場料をけちって外からのみ観察。『秋津温泉』ロケ地に対してあるまじき行為だが。昨日の岡山での夕方の渋滞を懸念して、倉敷駅へ。そこで甫木元と別れ、各駅停車で岡山に着き、そこから新幹線。気づくと名古屋まで寝ていた。品川には女優が迎えに来てくれた。誰も彼もが親切にしてくれた旅だった。

花見潟墓地
 
(左)津山・ホルモンうどん屋 (右)鶴山公園





青山真治(あおやま・しんじ)
映画監督、舞台演出。1996年に『Helpless』で長編デビュー。2000年、『EUREKA』がカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞&エキュメニック賞をW受賞。また、同作品の小説版で三島由紀夫賞を受賞。主な監督作品に『月の砂漠』(01)『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(05)『サッド ヴァケイション』(07)『東京公園』(11)『共喰い』(13)、舞台演出作に『ワーニャおじさん』(チェーホフ)『フェードル』(ラシーヌ)など。
私はタッチしていませんが、甫木元空監督がindigo la End「ハルの言う通り」のPVを演出しました。

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