boidマガジン

2018年04月号

メイキング・オブ・ワールドツアー日記 2017-2018 (三宅唱)

2018年04月21日 14:02 by boid
2018年04月21日 14:02 by boid

4月21日(土)からYCAM[山口情報芸術センター]で三宅唱さんとYCAMの共同制作によるインスタレーション展「ワールドツアー」が始まりました。この展覧会はboidマガジンで連載中の『無言日記』を出発点に制作された作品で、三宅さんが2017年8月からの山口滞在中にiPhoneを使って日々撮影してきた映像と、YCAMスタッフをはじめとするプロの映画製作者ではない撮影者たちによって記録された映像を編集したものが、複数スクリーンで上映されます。ここでは同展の開催を記念して、会場でも掲示されている三宅さんが制作過程で書いた日記&メモを、YCAM館内や設営中の会場で撮影された写真とともに特別掲載。興味を持たれた方は是非YCAMに足をお運びください!




文・写真=三宅唱



2017年8月24日(木曜日)
「冬の朝が晴れていれば起きて木の枝の枯れ葉が朝日という水のように流れるものに洗われているのを見ているうちに時間が立って行く。どの位の時間がたつかというのではなくてただ確実にたって行くので長いのでも短いのでもなくてそれが時間というものなのである」。吉田健一『時間』


2017年9月1日(金曜日)
なにをつくるか、そもそも映画をつくるかどうかも決めない地点からスタート。とはいえ、まずは複数の人と一緒に「日記を撮る」ことから探ってみる。同じ町で生活する様々な人たちのビデオ日記をずらりと一気にみることでなにを感じられるのだろう。依頼メールのためのメモ。①わざわざ撮る必要はなく、生活のなかで自然に撮れるときに撮ってほしい。②一度録画したらできれば10秒以上撮ってほしい。予想もしないことが起こるかもしれないから。③なるべくズームはせず、もっと近くでみたいと思ったら足で近づいてほしい。④あくまで自分の場合、変化するものや二度とみられなさそうなものを撮りたいと思っているが、いざ目にするとなぜかそういうものこそ撮りたくない気分になることがあり、撮影よりその気分を優先している。⑤あくまで自分の場合、つまらないと思ってもいずれ面白くみえるかもしれないから、むしろつまらないものを撮ってみたりもして遊んでいる。


2017年9月10日(日曜日)
なんとなくやる気がでず、といって外に出歩く気もせず、館内でだらだらして終わる。なんだかわけもなく寂しく孤独な気分の一日だった……という一文をこの日記に書いておこう……と考えながら帰っていたら生まれてはじめて流れ星をみた。こういう、因果関係がまるでないことが起こるこの感じは映像日記なら表現できる気がするのだが。


2017年9月12日(火曜日)
他人の、それもまだ親しくないYCAMの人たちによる1週間分の映像日記をみる。誰が撮っても面白い=面白さは誰が撮ったかどうかと関係がない、ということを体感できてホッとした。ほとんど全員が同じiPhoneで撮影しているために撮影者の身体の違いもクリアに感じられて新鮮な驚きもある。が、面白さの中心はやはりそこではない。だれかが発見した日々のあれこれを自分もまた発見できること。発見の共有か。いや、撮った人すらまだ発見していないなにかを、みる人が発見することもあるだろう。樋口さんが『無言日記』に<誰のものでもない日記>というサブタイトルをあててくれたこと、ようやくその意味がなんとなくわかったような。文章の日記と違い、映像の日記は撮り手のモノというより、被写体あるいはみる人のモノであるという感じ。デジャヴ=既視感について調べていたら、その反対、ジャメヴ=未視感(すでに見知っているはずなのに、はじめてみたと思うような感覚)という言葉を知る。日記をみるときはこの両方を感じているような気がする。デジャヴとジャメヴ。語呂かわいい。



2017年9月25日(月曜日)
6時、近所の寺の鐘の音で目が覚める。外をみると霧。すぐに撮影しようと思ったがiPhoneの充電が切れていた。失格。朝飯を食べながら『10:04』を読み終え『オープンシティ』を読み始める。自分でもためしに小説を書いてみる、というのはどうだろうかと思わせられる。中央公園で芝刈り機が走っていた。かっこいい。午前中、足立館長に九月分の映像日記をみてもらう。宮本常一や森寛斎について話を伺う。YouTubeで『日曜日の人々』を見直す。やはり滅法面白い。明らかに演出された芝居、カット割があることにはじめて気づく。


2017年9月30日(土曜日)
寄り道しながら秋穂方面に撮影へ。石畳の道。江戸時代の町の入り口。交差する巨大な高架。エヴァンゲリオン新幹線。千年村プロジェクト。吊り屋。引き潮の神社。古墳。採石場の地層。和同開珎。かつて海だった場所が埋め立てで田畑になっていること。火の山。野焼きの煙。「山口のギリシア」的な海岸。道中、土地の歴史や風習などいろんな話を聞く。ただの風景に物語が重なっていく。目にとめていなかったものが目に入るようになる。その一方で、そんな物語や歴史とは無関係のように、自分が目にとめてもとめなくても、ただただ樹々や人の生活ははっきりと存在している。過去の積み重ねとしての現在と、過去と断絶した現在の両方がある。夜、焼鳥屋。薄く肉が巻かれた串が旨い。


2017年10月1日(日曜日)
久しぶりに35mmフィルムの編集作業をしていると聞き、撮影させてもらうべく映写室に行ったが真剣に作業されていて、なんだか撮影するのが憚られてすぐに出た。図書館でW・G・ゼーバルト『土星の環-イギリス行脚』『カンポ・サント』を借りて読みはじめる。図書館のパソコンで本を検索する少年、その真剣な顔に惹かれた。『THE COCKPIT』のOMSBたちのような表情。夕方、近所の散歩。かつて泉だったことが書かれた看板が立つ空き地を発見した。夜、「他人がiPhoneで撮った日記映像を自分のiPhoneで再生する」実験。なんだか自分のiPhoneが自分のものじゃないような妙な感覚。それと「この人はここに立ってこれを撮るような人だったのか」というように映像を通して相手を感じる、そのエロさが際立った。視線や立ち位置が重なり合うことの官能。杉原さんがiPhone映像をみている時の顔がとてもよかった。図書館の少年、あるいは『デジャヴ』のデンゼル・ワシントンと同様の良さ。「映像を真剣にみる人の顔」「映像にみ惚れる人の顔」を撮りたい。



2018年10月6日(金曜日)
大雨。全身装備をして桂ヶ谷旧貯水場跡地に撮影に出かける。「だれかがカメラを手に、野に分け入っていく物語」がイメージできた。また、無人の実景カットよりも、そこを歩く人物がいた方が周囲の木々などに目がいくような気がした。人物が媒介物(メディア)になるということだろうか。メディアアートの意味はまだよくわからないが、この考えが展示などで活かせるのかどうか。夜、山口市内を展望できるスポットに行く。予想よりずっとたくさんの街の灯で、明るい。道にいると暗いのに。


2017年10月8日(日曜日)
バイオラボのワークショップ「未来の山口の授業」に参加。植物のDNA採取。まるで無縁のことだと思っていたが自分でやってみるとやたら刺激的。普段は目にみえない世界や意識しない世界が「みえる」ようになっていく感じ、周囲の風景がやる前と後で変わる感じが、日記を撮ることに似ているように思う。また、自分で手を動かしてDNA採取をすることが、自分のiPhoneで映像を作ることとも重なる。あらゆる分野でそうした流れが並行しているということ、らしい。


2017年10月10日(火曜日)
プロジェクトの方向性は現時点で4つ。①映像日記を元にしたインスタレーション。②映像日記を撮る人たちのドキュメンタリー。③映像日記を基にした劇映画。④上記では表現しきれないものを記したテキスト(日記かエッセイか論文か小説か)。徳地方面に撮影に出かける。カメラばかり回していて、なんだか回していなかった時間の記憶の方が途切れ途切れで、よくない。それにしても、気持ちのいい森がたくさんあった。自分がその場にいるいないに関わらず、自分とは全く無関係に生きている森のような世界をなんとなく思っておくことは精神衛生にいい気がする。夜、具合が悪くなって何度も寝たり起きたり。いろんな女性がYCAMで働いているという夢?幻影?をみた。こういう場所で働く女性の姿を自分は撮りたいと思っているのだろうか。とはいえ、だれか実際の職員に交渉しカメラを向けるという方法をとるのは今回違う気がする。では、日々目にする彼女たちの働く姿を参考に一つの「役」を俳優とともに作り上げていく、という方法? 



2017年10月13日(金曜日)
体調復活。昼、スポーツハッカソンの開発テストに少し混ぜてもらう。面白い。例えばスポーツハッカソンを舞台にした恋愛映画、なんてものはあり得るのだろうか。恋愛ハッカソン21(仮)、みたいな。夕方、みんなが撮ってくれた映像データをみる。大学生が撮ってくれた日記は、具体的になにが映っているということに関わらず、すぐ大学生のものとわかるような空気に満ち溢れていて面食らう。そうした時間をすでに自分は失っている=もう撮れないということが体感できて面白い。


2017年10月19日(木曜日)
夜、ようやく『オデッセイ』を杉原さんと一緒にみる。あまりにも面白くて呆れてしまう。まさかの日記映画だった。調べてみると原作『火星の人』も日記形式だった。とにかくこのマット・デイモンのように仕事をしたいと思う。プロの仕事人映画だが、寡黙で淡々というわけではなくむしろ、子どものように一喜一憂するユーモラスな感じ。でも手を止めないという、その両立。


2017年10月29日(日曜日)
京都へ。京都みなみ会館の閉館&移転の話を聞く。また映画館が消えるが移転がうまくいけばいいと思う。山口の不満は映画館の数の少なさだけだ。かつて映画館だった場所は今ファミリーマートと聞いた。京都文化博物館にて黒田清輝や藤田嗣治の絵などを駆け足で。裸婦、日光浴の絵などが印象に残る。カメラのなかった時代に絵を描くこと。『密使と番人』上映後トークのあと山口へ。湯田温泉駅に降りると自然と「帰ってきた」と感じたことに驚く。滞在をはじめてたった二ヶ月だが、ここに慣れた。しかしそのせいで新鮮さを感じることが減る=撮影する瞬間が減る。よくない。



2017年11月1日(水曜日)
「映像をみる人」を撮るための建込セットを仮で組んでもらった。ある映像をみている顔とその映像そのものを同一カットで撮るためのセット。うまくいきそう。この仕掛けがインスタレーションに活きるのか、劇映画に活きるのかはまだわからない。夜の打ち合わせで劇映画の中心要素を確定する。中高生が主人公。iPhoneカメラで撮影したり、どこかに出かけたりする(彼らが撮るカットそのものと、その彼らの姿を自分が撮るカット。その二つを組み合わせる)。そして、YCAMで大人に出会ったり、恋をしたりするような展開があり得る?日記では誰かが一目惚れする瞬間は絶対に撮れない。そんな瞬間を表現するために劇がある、のだろうか。中高生のナマな感じに自分がどこまで反応できるのか、どこまで一緒に作れるか。出会ってから決まる。借りていた漫画『懲役339年』、『OZ』、『獣王星』、『秘密 THE TOP SECRET』をここ数日で読んだ。物語装置としての洗練がすごい。


2017年12月14日(木曜日)
露天風呂最高。数十年後にもこんな幸せを享受できる美しい施設があればいい。YCAMからほんの15分車を走らせればすぐに美しい風景が広がる。いずれ田畑や庭先を日々丹念に手入れする方がいなくなった瞬間、一気にただの野山に変わるだろう。惜しいようにも思うがそれはそれで仕方がない。それよりも、いま家屋がある土地でやがて無数の竹が奔放に揺れ、様々な植物が自由にひしめきあう、そんな未来の空間を想像すること。すでにそんな景色がすぐそこにある。20世紀にタイプスリップしてこの映像日記をみせたい。というか、植物がかわいい。植物を撮りたい。


2017年12月25日(月曜日)
念願叶って大脇理知さんのダンスレッスンを受ける。予想以上に面白く、頭や目だけでなくこのダンスの体の感覚を通して俳優や空間を捉えられたらきっといい。帰って丹田呼吸についてググる。



2018年1月22日(月曜日)
インスタレーション展示のタイトルを「ワールドツアー」に決める。OMSBの同名曲からもらった。海外諸国に限らず山口や東京はもちろんワールドであり、ただの路地や自宅の庭や苔の内部にもワールドが広がっていること。人それぞれのワールド=生活があること。地球=ワールドが太陽の周りを公転して季節が巡ること。「三日会わざれば刮目して見よ」という案もあった。副題を入れるなら「月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也」。多分入れないけど。


2018年2月16日(金曜日)
撮休日。スタジオAで「ワールドツアー」の設置テスト。スクリーンを床につけるのかやや浮かすのか、その違いだけでも映像の体感がまるで変わることを知り、面白い。懸案だった「窓越しに展示空間をみる」装置の案がシンプルな形になる。



2018年3月9日(金曜日)
東京から山口へ移動。山口に着いても「ああ帰ってきた」という気持ちにならなかった。そろそろ東京に戻る生活がみえてきたせいかもしれないが、東京が「帰る場所」という感じもしない。ホームがないまま、いろんな中間地点、中継地点を移動し続けているのだと思う方がしっくりくる。帰り道、たしか秋に一度撮影した、電線に引っかかったままのビニール袋がまだ同じように残っていた。あちこちでは年度末の工事中。新しい家を建てているのか古い家を壊しているのか、どちらかよくわからない光景。


2018年3月23日(金曜日)
ずっと編集している。「一体どういうカットが使われたり使われなかったりするのか」と尋ねられる。たとえば、実際に体験した方が明確に面白そうなイベントごとを映像でみるのはなかなか面白くない。むしろ、実際に目でみただけならまるで気がつかないかもしれない瞬間や風景を、映像でみることではじめて面白いと思えること。例えば空き地とか。カメラと映像によってその場所の潜在的な可能性が示される、という感じ。夜、みんなとフットサル。今夜に限ってはほとんど誰もろくにビデオを撮っていないと思う。もっとも幸せな時間は撮ることができない、撮っても撮らなくてもどっちでもいいってくらい幸せ、という感じ。撮られなかった無数の瞬間、無数の出来事。



2018年4月11日(水曜日)
編集しながらふと、みんなが撮ってくれた全ての映像データ、この2万カット強の映像が一気に消えたらどうなっちゃうんだろう、という妄想(*バックアップもないという設定で妄想)。実際に起きたら仕事としてはだいぶ恐ろしい。しかし、記録や保存が一番の目的ではない、ということに改めて気がつく。カメラ(フレーム)を手にすることで自分が愛やらなにやら感じるものを新たに発見できることの楽しさがまずあり、そして誰かが発見したそれを映像をみることで他の誰かもまた発見できる可能性が生まれること。みんなの日記映像には、自分では気にとめなかった、そもそも立ち会えもしなかった数々がある。その影響で、清水湯で休憩。最高。「ワールドツアー」の展示空間でも、温泉みたいにくつろいでもらえたらいいのだけど。


2018年4月18日(水曜日)
OMSBとHi’Specがきて展示空間内で音出し。極楽。





三宅唱+YCAM新作インスタレーション展
ワールドツアー

開催日時:2018年4月21日(土)〜5月27日(日)10:00〜19:00
※火曜日休館、4月21日はオープニングイベント開催のため展示は14時まで
開催場所:YCAM [山口情報芸術センター] スタジオB
上映時間:60分(ループ上映/毎時0分よりスタート)
料金:入場無料
公式サイト






三宅唱(みやけ・しょう)
映画監督。2010年に初長編映画『やくたたず』を監督。長編第2作『Playback』は2012年のロカルノ国際映画祭に正式出品された。2015年にはドキュメンタリー映画『THE COCKPIT』、2017年には時代劇『密使と番人』が公開。雑誌『POPEYE』にて映画評「IN THE PLACE TO C」を連載中。昨年函館で撮影した監督最新作『きみの鳥はうたえる』が今秋公開予定。また「ワールドツアー」と並行してYCAMで製作・撮影された映画も完成間近。

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