第7回目となる今野恵菜さんによるサンフランシスコの科学館・Exploratorium研修記『先行きプロトタイピング』。アメリカより帰国し、山口情報芸術センター[YCAM]に復帰して改めて考えた「プロトタイピング」とは。

文=今野恵菜 写真=今野恵菜・© 2017 Exploratorium
私がサンフランシスコ Exploratoriumでの研修を終え、山口情報芸術センター[YCAM]での仕事に復帰してから丸二ヶ月が経過した。今回は、研修を通じて私が考えた「プロトタイピング」というものの本質について記し、この散文的な体験記を締めくくりたいと思う。
先日、YCAMでは「スポーツハッカソン/未来の運動会」というイベントが実施された。今回が第三回目の実施となったこのイベントは、まさにプロトタイピングの連続によって成り立っていると言っても過言ではない。スポーツハッカソン参加者に課せられたミッションは、定番の運動会道具、YCAMが用意するガジェットやシステム、参加者が持ち込んでくるツールを駆使し、2日間で「まったく新しい運動会種目」を作り上げ、3日目に実施される「未来の運動会」をデザインすること。この運動会には約300人の地元の人々が参加し、それだけの人々が「つい数日前までこの世に存在しなかった新しいゲーム(種目)」に精神的にも肉体的にも真剣に向き合っている様子は、独特のスリリングさに満ち溢れとても興味深い。

詳細はこちらのページでチェックして頂きたい。
私はこのイベントに、ハッカソン参加者のテクニカルサポートとして参加した。参加者から提案される種目のアイデアに対してアドバイスしたり、ソフトウェア/ハードウェアの開発による種目作りのアシストなどが主な仕事だ。新しい種目を作るために使える時間はたったの2日。しかもその2日の間に運動会全体の設計も行う必要があるので、プロトタイピングに使える時間はかなり限られている。これは、「可能な限り時間をかけて丁寧にプロセスを積み上げていく」というExploratoriumでの展示作りやワークショップ作りとは正反対にも見える状況だ。しかし、むしろそういったはっきりとした違いがあるからこそ、共通している「プロトタイピングの肝」のようなものがハッキリ感じられた。

運動会の種目と、Exploratoriumのコンテンツ(展示/ワークショップ)、YCAMで展開するアートプロジェクトの共通点は、「人がいて初めて成立する」という点であると私は考える。種目はそれに興じる人が存在しなければ成立しないし、アート作品も科学館の展示もそれを鑑賞/体験する人の思考と身体があってこそ、初めて機能していると言えるように思う。そもそもこれらの制作はグループで行われることが多く、当然そのグループも複数の人々によって構成されている。そのバランスはそれぞれ異なるが、制作時に「人」という要素を排除することは不可能と言って良いだろう。そしてそんな時こそ、プロトタイピングの出番だと私は思う。
プロトタイピングは一般的に「実働するモデル(プロトタイプ)を早期に製作する手法およびその過程」を意味する。確かに「実働するモデル(形)」を作ることで見えてくることは多く、プロトタイプが本来そのものが取るべき姿に近ければ近いほど、余計な憶測や推測を挟まずに、それを見た人々に明確なビジョンを伝える事が出来るだろう。しかし重要なのはプロトタイプを「本来そのものがあるべき姿に近づける事」その事自体ではない。あくまでも「ビジョンを伝える事」こそが目的であり、そこを履き違えると「美しい無用の長物」ばかりが蓄積されていく事になる。自分にとっても耳の痛い話だが、どれだけ美しかろうと、コミュニケーションに役立たないプロトタイプは、役に立たないどころか、存在することでかえって制作のスムーズな進行を妨げることすらある。制作のジャマ物なのだ。

逆に、素晴らしいプロトタイプは、そのもの自体のビジュアルや精度はどうであれ、コミュニケーションを円滑にし、議論に参加する人を英語表現で言うところの「同じページの上(on the same page)」に連れて行ってくれる。言わばコミュニケーションのブースターだ。それこそExploratoriumでの研修では、自身の英語能力では伝えきれない情報を伝える上で、プロトタイプには何度も本当に助けられた。そしてそれは、基本的には同じ言語を話す環境下においても変わらない。特にスポーツハッカソンのような短い制作期間にならざるをえないようなイベントでは、Exploratoriumでの制作以上にコミュニケーションのブースターを必要としていると言えるだろう。
この連載の中で、私がExploratoriumでの研修生活を通じて「言語」という、不確かかつ強固な存在に興味を持ち、その興味を元にいくつかのプロトタイプを制作したことを紹介した。しかし、日本に、YCAMに帰ってきてからExploratoriumでの研修の日々を振り返ると、プロトタイプを制作するプロセスで行われた「プロトタイピング」そのもの自体が、制作したプロトタイプ以上に「言語的」なのかも知れないと感じるのだ。プロトタイピング、それは言語以上に最短距離で作り手の意思を示す「言葉」であり、言語の違いを飛び越えて心を1つにする対話術と言えるのかもしれない。勿論つくったプロトタイプ自体かけがえのないものだが、私は自分で思っていた以上に「常に」自分の興味関心を追求する時間が過ごせていたようだ。

この連載の第一回で記したような、「自分がこれまでしてきた事、そしてこれから考えるべき事を考え見つめ直す」ということが研修を通じてきちんと出来たかどうかは、日本に帰ってきて随分たった今でもわからない。「テクノロジー系アラサー女子の大分遅い自分探しの悲喜こもごも」という意味においては、ある程度この連載の目標を達成出来ていると思いたいが(とはいえこの連載に書き記していない恥ずかしい失敗談や苦悩話はゴマンとあるのだが…)、先への不安は深まるばかりだ。しかし、1年間の試行錯誤の日々は、私に「言葉(コミュニケーション)への興味」と、「試行錯誤(プロトタイピング)を楽しみぬく勇気」を与えてくれたように思う。先行きプロトタイピングにゴールはなく、コミュニケーションに終わりはないようだ。

「自分の人生のプロトタイピング」などという恥ずかしい目標をかかげ、がむしゃらに手を動かし続け、思考し続けることを応援してくれた奇特な職場 YCAM と、初日は英語での挨拶もままならないような外国からのダメスパイ(時折、冗談交じりに彼らは私のことを”アートセンターから来たスパイ”と呼んだ)を暖かく見守り、対話を諦めないでくれたExploratoriumのスタッフ、そしてこんな珍妙かつ畑違いにも思える内容を連載させてくれたboidマガジンへの感謝の言葉で、とりあえず、この「先行きプロトタイピング」を締めくくりたいと思う。
来月からは、アメリカから帰って来たことでますます新鮮に感じる我が職場YCAMで、自身の身に巻き起こる事件 、イベントやアート作品の制作などについて、最前線の現場で戦うテクニカルスタッフとしての視点をまとめていきたい。
今野恵菜(こんの・けいな)
山口情報芸術センター [YCAM] デバイス/映像エンジニアリング、R&D担当。専門分野はHCI(ヒューマン・コンピューター・インタラクション)など。2017年3月より1年間サンフランシスコ Exploratorium にて研修。
読者コメント