boidマガジン

2018年07月号

俚謡山脈の民謡を訪ねて 第2回

2018年07月11日 12:14 by boid

日本各地の民謡を収集・リサーチし、DJプレイやCD・レコードの再発を手掛ける2人組のDJユニット俚謡山脈(ムード山+TAKUMI SAITO)の連載「俚謡山脈の民謡を訪ねて」は民謡が現在でも聴ける状況について、そしてアウト・オブ・キーな声の魅力について語っています。



文=俚謡山脈 ムード山(M)・TAKUMI SAITO(S)


都内某所。連載第2回目はもうちょっとだけ深いところまで行きましょう。


なんで民謡を発見できたのか?

M:前回の対談では、民謡は俺らにとって未知の音楽でフレッシュだったって話をしたんだけど、それは他の人にとっても同じはずじゃん?今まで民謡を俺らみたいな形で取り上げる人ってなんでいなかったんだろうか。新しい、フレッシュが故にみんな民謡を発見できなかったのかな?「似たものを探す文化」ってのが根付き過ぎてて…

S:戦後日本人があまりにも西洋人として生きてきちゃったから、聴いてみても分からなかったんですかね。ピンとこなかった?

M:大量にレコードを買えば自然と集まってくる側面もあるけどな。

S:「レコードになってる」っていう事実そのものが魅力的でしたよね。

M:そうね。

S:「音楽が記録されて残ってる」ってことそのものがロマンなんで。

M:この国には「民謡ブーム(※)」ってものが実は何度も起こっていて、そのおかげでこれだけ多くの民謡のレコードが残されているわけなんだけど、もし民謡ブームがなくて、八木節とか安来節のブーム(※)とかもなくて、労作唄とかのみというか、明治の頭ぐらいまでで全てが終わっちゃってて、レコードとして残っていなかったとしても、その時の唄はもちろん素晴らしいと思うんだよね。だけどレコードがなかったらそこまでハマれないよね。というか知ることができなかったと思う。

S:できなかったし、違う形の音源資料として国会図書館あたりに残ってたとしても、それを聴き漁ってハマるってことはないですよね。

M:そうね〜 レコードになってて良かった!

S:他の国との対比も良くしますけど、タイも含めて、確実に日本は恵まれていた訳じゃないですか?その「生活と結びついた唄」がギリギリ残ってるタイミングと、それを録音できる技術ができたタイミングが合致した。

M:近代化される前の労働と結びついていた頃の唄を知ってる明治生まれのジジイババアがまだ生き残ってた1950-60年代に、持ち運びができるテープレコーダーが登場した。そしてその後「堕して(※)」行く過程もレコードとして残されたしね。

S:そこで民謡をベースとした独自のポップスのようなものに発展していかなかったのは確かに残念ではあるけれど、労作唄から現代の民謡まで全部が録音として記録されているっていうのは結構奇跡的じゃないですかね。

M:そうね。

S:それはやっぱり殆ど町田佳聲と竹内勉のおかげなんですけどね。(第0回参照

M:他の国の民謡はどうなんだろう?って調べてみたりしてるけどさ、結構プロの歌手がスタジオに入って録音したようなものが多いじゃん。土地のジジイババアの録音をここまで大量にアーカイヴしてる国って日本以外にあるのかな?

S:それも佳聲と竹内さんの仕事を知らなければ気づかなかった視点ですよね。


民謡ブーム
日本には幾度となく「民謡ブーム」が訪れている。元々労働の場や祭礼の場で唄われてきた民謡だが、その唄自体の魅力からレコードに吹き込まれたり、舞台で唄われるようになり、本来唄が生まれた労働や祭礼の場が近代化によって失われた後も、唄だけが残ることになった。特に戦後の民謡ブームは非常に長期間かつ大規模なもので、テレビでは民謡番組が放送され、豪華なボックスセットのレコードも多数リリースされた。



八木節とか安来節のブーム
大正期に興ったブーム。八木節は堀込源太、安来節は渡辺お糸をオリジネイターとし、それぞれ浅草などに代表される寄席で興行を行い人気を博した。本来土地のものである唄が商品として別の土地に移動していった最初期の例。

堕して
俚謡山脈用語。浅野健二著「日本の民謡」(1966年)に出てくる言葉「堕す」を、我々はよく使用する。浅野先生的には「郷土色を失う」という意味だが、我々は「洋楽的なアレンジがされている」ぐらいな意味でも使います。
以下引用:民謡の本質は、やはりその生まれた土地の匂いという点にあるべきで、その土地の匂いーすなわち郷土色を失った民謡は、もはや「民謡」ではなくて最下級の「流行唄」に堕したものといってもよかろうと思う。


声の魅力と「アウト・オブ・キー」

M:声の魅力はどうですか?

S:声の魅力はめちゃめちゃありましたけど… 簡単な分かりやすい言い方でいうと「アウトサイダー」的だったわけですよね。

M:そう。「アウト・オブ・キー」って言い方を最初すごいしてたよね。

S:してたしてた。

M:まあ今でもしてるけど。

S:してたけど、竹内さんの言葉を借りれば、それは(民謡的に)「正しい声の出しかた」だったわけでしょう?でもそれを西洋音楽の文脈の中で置き換えると絶対にそんな唄い方はありえないものだった。声の出し方がハナから違うし。

M:シャッグス(※)のことを「アウト・オブ・キー」って言っちゃうと、それはそうなんだろうけどさ、でもシャッグスって実はシャッグスの基準に基づいて、めっちゃちゃんと演奏してるじゃん?それと近いというか。「(俺らが知らなかった)違う基準に則って凄いちゃんと演奏してるな」っていう。

S:そうだし、やっぱり「人に聴かせようとしてるのかしてないのか」って部分も重要なんじゃないですかね。誰が何を言おうが「俺はこれでいいんだ」っていう部分を感じる人が一番魅力的に聴こえてしまうのは確かですね。

M:うん。あとさ、アウト・オブ・キーってことに関して言うとさ、半プロみたいな人の方がより凄いって気もするんだよね。

S:ほお。

M:堀込源太(※)とかさ、足本秀春(※)とかね。普通のさ、日本民謡大観(※)にいっぱい入ってるようなババアが一人で呟くように唄ってる糸繰り唄とかのアウト・オブ・キーもあるけど、名人上手として認識された上でステージでドカーンとかまされるアウト・オブ・キーっぷりのほうが…堂に入ったアウト・オブ・キーっぷりと言うか。完全にそれが自分のものになっちゃってる。

S:そうですね。

M:自信満々に唄うじゃない?自信満々に、西洋基準からすると全然違う唄が唄われるのが凄いなと。

S:それは完全に最初の基準がその人だったからってことですよね。

M:あとは唄だけじゃなくてさ、新津松坂(※)の「ピーヤ↑♪」とかさ、八木節の「ピ!↑♪」みたいなさ…

S:はいはい。

M:ああいうのもさ、お囃子とかやってる人だったら「あれはそういうもんだよ」「あれで正しいんだよ」って思うんだろうけどさ。未だにやっぱり引っかかるし、気になる。俺の知らないルールに基づいて演奏されている音楽だと感じる。

S:あと太鼓の間とか掛け声の間もそうですね。

M:そうね。昔の日本人のタイミング、タイム感。

S:それを自分が持ってなかったのかっていう。まあ持ってるんでしょうけど「出したことなかったんだな〜」っていう。

M:でもそのおかげで「アウト・オブ・キーだ!」って面白がれるから得してるのかもね。現代の日本人。

S:でも100%西洋人な耳で客観的に民謡を捉えているか?っていうとそんなこともなくないですか?

M:あーそう?

S:もちろん「日本のものだから」って視点で民謡を聴き始めてはないんですけど、外人が「ギャハハ!アウトサイダー音楽おもしれ〜」っていう感覚ともちょっと違うような気がするんですよね。

M:いわゆるアウトサイダー音楽にはない「本物感」を感じたんだろうか?まあ圧倒的に「本物」ではあるんだけど…

S:それこそ、「外れたから面白い」とかじゃなくて、その人たちにとっては「正しい音の出し方」「正しいタイム感」なんですよね。たまたま西洋的に違っていただけで。

M:なるほどね。アウトサイダーじゃなく、違う基準に沿って存在した音楽だったということだ。今までは「西洋音楽に対する落差」ってとこにフレッシュさとアウト・オブ・キーを感じて、って話をしてたかと思うけど、俺らもだいぶ色々民謡を聴いてきて、それでも未だに聴くたびに「ヤバい!」って思う理由は、その「違う基準」ってのがそもそも素晴らしいものだからってことかな。

S:そうですね。こんだけ聴いてもまだ分からないって部分ってそこなんじゃないですかね。

M:民謡本来の面白い部分ってそこなのかもしれないよ、意外と。

S:現実、昔の日本人はこれがヤバい、イケてる!って思ってたからこそ残ってるわけですしね。

M:そうだよ。みんなこれ聴いてフリークアウトしてたわけでしょう?

S:竹内さんが民謡採集してた時代までに残っていた民謡が数万曲として、その全てが評価に晒されて残ってたってことですもんね。

M:それぞれのコミュニティの中でね。

S:だから俺らが再評価してるように思いがちだけど、もうすでに格好良かったわけですよ。

M:その時点まで残ってたってことはね。

S:なのに今の現代人は、自分たちも含めてそれを知らなかったってこと。

M:だからあっという間に失われちゃったんだな〜

S:ホントにね。

M:今話した「フレッシュ」及び「アウト・オブ・キー」って魅力だけど、そうじゃない民謡もあるじゃん?ぶっちゃけつまんない民謡というか…

S:そうですね。

M:多分さ、世間一般の民謡のイメージってきっとそっちの方なんでしょう。古くて、つまらない。でも、民謡を知る知らない以前にさ、俺らが選んでDJで回してるような民謡が、もっと一般的に知られていれば、きっと民謡のイメージは違ったはずなんだよ。

S:音頭(※)とか演歌と勘違いされてる原因は確実にそこですよね。音頭とか新民謡程度のものしか民謡と思われてない。新民謡的にアレンジし直された民謡が今の民謡のイメージとして定着しちゃってる。

M:「おてもやん」だ「黒田節(※)」だっていう有名民謡だってさ、その元々を辿ればね。

S:有名になっていく過程でつまんなくなっていったんだと思います。黒田節だってめちゃめちゃ格好いい唄い方してた人が絶対いたと思いますよ。

M:過程ね。その過程を1、2、3の段階に分けて説明したのが町田佳聲なんだけど、その話は次回にしますか。

(続く)


シャッグス
アメリカのニューハンプシャー州に住む姉妹によって結成されたロック・バンド。アウトサイダー音楽で最も有名なバンドと言えるだろう。






新津松坂
新潟県の新津に伝わる盆踊り唄。哀調のある笛が特徴。




堀込源太
初代堀込源太は八木節のオリジネイター。二代目、四代目とレコードは多数存在する。



足本秀春
安来節の名手。竹内勉によって「発見」された。



日本民謡大観
日本全国に残る民謡を聴き取り採集することに人生を捧げた民謡研究家、町田佳聲(かしょう)が残した最大の遺産。昭和19年「関東篇」を皮切りに昭和55年の「九州篇(南部)・北海道篇」まで全9巻が刊行された。当初は聴き取り採譜による楽譜集であったが、CD10枚組の音源が付属した形で全9巻が復刻、発売されている。復刻版の定価は1巻あたり59,000円で、個人で楽しむために購入するにはかなりの気合が必要だが、最近APPLE MUSICに登録されて誰でも手軽に聴けるようになった。

音頭
ここでの音頭とは、東京音頭以降に作られた洋楽とミックスされた音頭のレコードのこと。その手の音頭は「太鼓入りの洋楽」であり、民謡ではないのだが、一般的に区別がついていない場合が多い。

黒田節
黒田節ファンの皆さんごめんなさい。つまらない民謡の例みたいになってしまいましたが黒田節ももちろん良い唄です。ただDJでは使わないかな…





俚謡山脈(Riyo Mountains)[ムード山+TAKUMI SAITO]
世界各国の音楽がプレイされるDJ パーティ「Soi48」内で活動する日本民謡を愛する2人組DJユニット。日本各地の民謡を収集/リサーチし、DJプレイしたりCDやレコードの再発を手掛けている。主なリリースにMIXシリーズ「俚謡山脈 MIX VOL.1」~「VOL.4」、「田中重雄宮司/弓神楽」(監修/エムレコード)、「境石投げ踊り」(監修/エムレコード)など。ロンドンのインターネットラジオNTS LIVEに日本民謡だけで構成されたMIXを提供。農民ダイナマイト(山梨県)、大和町八幡神社大盆踊り会(東京)など各地のパーティーにDJで参加。
Facebook www.facebook.com/riyomountains
Twitter @riyomountains
E-Mail riyomountains@gmail.com

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