boidマガジン

2018年07月号

映画川 『スティルライフオブメモリーズ』(荻野洋一)

2018年07月13日 17:19 by boid

久しぶりの掲載となる映画川は、7月21日公開の『スティルライフオブメモリーズ』(矢崎仁司監督)を取り上げます。フランスの画家・写真家アンリ・マッケローニが写真集『とある女性の性器写真集成百枚 ただし、二千枚より厳選したる』の制作過程において、その被写体となった女性と過ごした時間、彼女との関係性に触発されて作られたという本作で表現されているものは何か? 荻野洋一さんが考察されます。




文=荻野洋一


 映画の冒頭は、午後遅くらしき黄昏れた光の中、森林の中を右往左往するフレームで幕をあける。その落ちつきのないフレームからは、撮り手が自分にふさわしい被写体とは何かを探してファインダをあらゆる方角へ向けているかのようだ。森の木々か、葉か、昆虫や鳥か。やがてせせらぎの音がかすかに聞こえ、湖の水面が見えてくる。彼または彼女は、水を撮ろうとしているのだろうか。しかし湖面はすぐに現像液の揺れる水面に取って代わられ、やがてプリントされていくのが花のクロースアップであることが分かる。静物画(スティルライフ)である。自然そのものではなく、黒バックに照明が当てられた硬めの画調。映画のタイトルを日本語訳すると「記憶の静物画」だ。
 「ここを、撮ってください」。主人公の写真家・春馬(安藤政信)は依頼内容の詳細も聞けぬままに、どうやら依頼人である謎の女性・怜(永夏子)のものらしい山梨県内の山荘に入る。かつては画家のアトリエだったらしく、画材や描きかけの絵が散乱する山荘の居間で、怜は言う。「ここを、撮ってください」。パンティをみずから脱いだ彼女が、自分の股間を指さしている。この唐突かつ奇妙な依頼の理由は、いったい何なのか。物語はあれよあれよという間にテンポよく進行し、撮り手と被写体の秘儀めいたゲームが毎週のようにくり返されるが、私たち観客には、この撮影会の意図がまったく説明されない。近年、これほど謎めいた映画はないように思う。ある種のバルテュス、クロソフスキー的な秘密のエロティシズム共有ではないし、そもそも春馬と怜のあいだにカメラと女性性器しか介在しないというのに、セックスは存在しないという倒錯が生じている。
 なぜ怜は性器を撮られたがっているのか? いまは自撮り棒なんかで簡単に自分の性器を好きなように接写できてしまう時代なのに、なぜ他者の目を必要とするのだろうか? しかし筆者がその問いを監督の矢崎仁司に差し向けたところ、彼はその問いそのものを打ち消すかのように次のように答えた。「女性が現れて、“撮ってくれ”と言い出すその空気感さえ撮れれば、僕にはその時点で嘘ではないんです」。理由を求める前に、そこに起こっている現象に目を凝らし、耳を澄ませるというのがこの映画作家の姿勢だ。「この場所で、この光の中で、こういうことがおこなわれているということが、どんな空気感を生むのかということにしか興味がありません」。
 山荘での撮影初日を終えて帰宅した春馬に、婚約者の夏生(松田リマ)が仕事内容を尋ねる。春馬は「ただのブツ撮りだった」と答える。春馬からすれば「見知らぬ女のヴァギナを撮りまくった」などと答えるわけにはいかないから、ごまかしのつもりで言った答えだっただろう。しかしそれはなまじ嘘でもない。性器とは生き物の身体の中で最もヴィヴィッドな器官である。しかし、ヌード写真とちがって性器だけとなると、モノクロフィルムで撮影された写真は、限りなく静物画(スティルライフ)にも近づいていく。だから「ただのブツ撮り」と言ってもあながち間違いではない。



 美術史的知識の話となるが、静物画というジャンルは17世紀のオランダで発生した。”Stilleven(スティルレーフェン)”、つまりオランダ語で「静止した生命」というジャンル名が命名された。1世紀遅れてフランスでもこのジャンルが発達したが、フランス語ではもっと直裁的に”Nature morte(ナチュール・モルト)”つまり「死んだ自然」と名づけられた。雉の死骸や花、グラス、石膏の像、籠、または骸骨など、生命の謳歌とはかけ離れた被写体がテーブル上に供えられている。生けるものは必ず死ぬ。”Memento mori(メメント・モリ)”、ラテン語で「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句がある。静物画とは最も端的に”Memento mori”を表象しうるジャンルとして生起したのだ。
 19世紀、ダゲールの発明になる写真術もまた、この静物画で始まった。ダゲール本人が最初に撮影したダゲレオタイプ第1号は、石膏像がいくつか台上に注意深く置かれた静止画であった。黒沢清の『ダゲレオタイプの女』でも描かれたエピソードだが、ダゲレオタイプは露光時間の長さゆえに、生き物よりも死体の撮影に向いていた。亡くなった赤ちゃんの亡骸を思い出の肖像画として撮るよう両親からの依頼があったではないか。あれは19世紀における史実を元にしている。

 『スティルライフオブメモリーズ』という映画は、この、静止画としてのヴァギナと、女性のセックス器官、赤ん坊が生まれてくる通路としてのヴァギナ、こうした両義性、多義性と共にあり続ける。かつてのピンク映画界のスター、伊藤清美が怜の母親を演じており、どうやらあの山荘は、画家だったこの人のアトリエだったようだ。しかし臨終間近の彼女にはほとんど動く機会が与えられない。ホスピスらしき空間はすでに死後の世界のようで、患者は寝台に身を横たえて、ほとんど死体の予行演習をするかのごとく静止している。生きているのに、静止する。母親はすでにスティルライフと化している。この母親のスティルライフ化は、娘が自分のヴァギナを撮られたがるという欲望と関連があるのかもしれない。しかしそのもっともらしいからくりを詮索するのはやめておこう。矢崎監督が言うように、「この場所で、この光の中で、こういうことがおこなわれているということが、どんな空気感を生むのか」だけが重要なのだから。
 思えば映画冒頭のタイトルバックに写し出された花々の写真も、植物の性器の「ブツ撮り」である。本作に登場する写真作品を撮影し、またロケーションのスチール撮影も担当したのは、注目の若手女性写真家・中村早である。彼女はこれまで男性ヌードと花を被写体としてきた。臆することなく性的器官と対峙してきた表現者である。映画ファンには、廣瀬純著『暴力階級とは何か』(航思社刊)の表紙写真を担当したと言えば、分かってもらえると思う。この本の表紙を最初見たとき、筆者は前衛いけばな作家・中川幸夫(1918-2012)のようだと思った。3歳で脊椎カリエスを患ったために身長1メートルほどしかなかったこの小さな巨人はまさに、花の生と死を残酷舞踏のように演出した。筆者のその最初の興味がいま、『スティルライフオブメモリーズ』というこの常軌を逸した異端的作品に繋がってきたとは、感慨無量である。
 性器とは何か。本作は四方田犬彦の性器をめぐる著書『映像要理』(朝日出版社刊)を原作とし、フランスで女性性器を撮り続けた写真家アンリ・マッケローニを発想源としつつ、螺旋模様をくるくると描きながら、奇妙な生成変化を遂げていく。その緩やかな回転の妙味に触れる観客が一人でも多くおられることを願う。

スティルライフオブメモリーズ  Still Life of Memories
2018年 / 日本 / 107分 / 監督:矢崎仁司 / 原作:四方田犬彦『映像要理』(朝日出版社刊) / 脚本:朝西真砂、伊藤彰彦 / 写真:中村早 / 出演:安藤政信、永夏子、松田リマ、伊藤清美、四方田犬彦ほか
2018年7月21日(土)より新宿K’s cinemaほか全国順次公開!
公式サイト




荻野洋一(おぎの・よういち)
映像演出、映画評論。元「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集委員。「リアルサウンド」や『キネマ旬報』などで映画評を執筆。また季刊誌『nobody』で「衆人皆酔、我独醒(衆人みな酔ひ、我ひとり醒めたり)」を連載。09年に開設した自身のブログ「荻野洋一 映画等覚書ブログ」も更新中。

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