家では常にテレビつけっぱなしの生活を送る編集者・風元正さんが、ドラマを中心としたさまざまな番組について縦横無尽に論じるTV時評「Television Freak」。今回は6月14日~7月15日に開催されたサッカーのワールドカップ・ロシア大会観戦記をお届けします。日本代表の試合を中心に、日本代表が決勝トーナメントで敗れたベルギーや、優勝したフランス代表チーム、印象に残ったゴールシーンについて等々。まずはW杯ではなく、飴屋法水たち作・演出の舞台「スワン666」のことから――

アザールに魅せられて
文・写真=風元正
飴屋法水たち作・演出の『スワン666』に震撼した。「北千住BUoY」という、2階はボウリンング場、地下は銭湯だった廃墟を改装したという劇場もまた謎めいた場だった。駅から線路沿いに歩いてゆくと、だんだん人通りが少なくなり、不安が募る。入場のとき、「2」というスタンプが手の甲に捺されるのだが、単なる「悪魔の数字」だけでない意味があると人から教わった。
暴力衝動と死への欲望を、ここまで全開にしていいものか。しかし、ともに全力疾走した爽快感もあった。たくさんのマネキンの手足や胴が無造作に転がった舞台。大きな水槽が置かれている。演者たちは、それぞれの方法で身体を追い込み、やがて限界スレスレまで到達する。「日高屋」があれだけ発声される芝居は稀有だろう。嘘くさい住宅街の平和を憎み、コンビニやファストフード店しか馴染めない感覚が増幅されて、メキシコで起こっている連続殺人にまで繋がってゆく。
小田尚稔は、自殺したマラソン選手・円谷幸吉の遺書の文を叫びながら、舞台をいったい何周しただろうか。山縣太一は、トラウマに充ちた言葉を語りながら、ずっとヒトと機械と幽霊を掛け合わせた不穏な動きを続けている。そして、飴屋法水はフィルムで断片的にしか知らぬ土方巽を強力に連想してしまった。金属バットのスウィングが恐ろしい。暗黒舞踏的な動きと、世界の裏側にある大量の死と性暴力を「2666」の世界観を踏まえながら繋いでゆく音楽と美術が中原昌也。あの爆音生演奏は、中原にしかできない芸当だろう。唐突に流れる「太陽に吠えろ!」のテーマと「終わりでーす」という声には笑った。
とまあ、無理やり印象を書いてみたもののこれで降参。謎が多すぎてキリなし。当日はほぼ満月で、とてもきれいでした。

「チコちゃん」に叱られたい大人が増えた今日この頃。私はワールドカップ馬鹿で、あとは鈴愛ちゃんに泣き、「秋風ロス」に苦しむだけだったが、突然、テレビの画面がL字型になった上に猛暑。もう訳がわからない日々だった。それにしても、多発される「観測史上」という言葉は、いかがなものだろう。せいぜい100年くらいしか記録が残っていないはずだから、地球史から見れば統計として意味を成さない。むしろ、近代以前の天災人災が当たり前の頃に戻ったと言うべきだと思う。
さて、もう遠い過去にも感じられるが、「馬鹿」として日本代表を振り返ってみたい。ともあれ、ハリル・ジャパンの最後の練習試合に呆れた日のことを思い出せば望外の結果だった。あのコロンビア戦の開始直後の、大迫、香川、原口の気迫のこもったチェイシングは、心身の充実を示していた。PKをとったのも偶然ではない。と、考えるうちに確信を得たことがある。皮肉な話だが、西野監督になってから、ハリルホジッチ前監督の「デュエル」と「タテへ」という2つのテーマを、自分たちの意志で実行できるようになったのではないだろうか。主力メンバーは重なるが、相手から逃げるように横ばかりにパスしていた前大会とは意識が違っていた。
もちろん、あのチーム状態では、監督交代は当然だし、遅すぎた。しかし、ギリギリだからこそ、西野監督は開き直れたのかもしれないから、タイミングは微妙である。コロンビア戦のスタメンを知った瞬間の、これで戦えるという感触は忘れることができない。ハリルホジッチが監督だったらあの11人になっていなかった。西野監督は、森保、手倉森という日本の誇る頭脳の意見をとことん聞き、その上で勝負師として決断しただろう。計算したはずはないが、大会に向かう布陣は結果オーライだった。
ただ、選手、スタッフのみなさんにとって、ベルギー戦は生涯の悔いが残るかもしれない。まず、出場時間中、目一杯走り続けた原口にご褒美のようなカウンターからのパスが来て美しいゴール。野洲高校の「セクシーフットボール」が世界の舞台で開花した乾の完璧なシュートも出て、2点あるなら残りが40分でも、という意識をもったはずだが、たぶん予期していた局面より有利すぎて浮足立ち、攻めも守りも中途半端になってしまった。
日本の弱点は高さ、と見定めて、攻撃的な布陣に変えたベルギーの圧力のすごさは圧倒的で、さすがブラジルを撃破するだけある。夢の時間は短かった。とりかえされた2点はどう防ぐかと問うてもほぼ意味がない。うろたえていただけだろう。残り1分、たった9秒でキーパーからゴールに至るベルギーのカウンターは、何百回もメージを共有し実践したチームのみが可能な技である。ゴール前でルカクにスルーされたらどうにもならない。
ベルギーはブラジル戦で日本の課題を示してくれた。より強いブラジルの波状攻撃をかいくぐって2点リードした後、アザールはとことんドリブルを続けてシュートで終え、ブラジルのカウンターを絶対食わない選択をし続けた。最初私も、空いているルカクにパスが行かない理由に気付かなかったのだが、これは「安全」に対する感覚の違い。もう1点とりたいルカクは悔しがっていたが、アザールの意図は伝わっていないようで、これが若さだろう。日本代表には、アザールのように長時間徹底してボールキープする意志を持つ選手はいなかった。経験が足りないのか、能力がないのか、これは見定めがたい。
日本の攻撃陣は、世界でも十二分に通用する。相手が大きくとも、ヨコの俊敏性によって対抗すればいいわけで、香川、乾のセレッソコンビのゴール前での素早さは際立っていた。決定的なチャンスを思い切り外していた乾について、セネガル戦で決めて1位通過だったら相手は若いイングランドだったのに、という微妙な思いがあったのだが、決勝トーナメントを見たら、相手はどっちでも同じだった。
ポーランド戦の最後の10分のボール回しも、同時刻のセネガル・コロンビア戦を見ながら、「これなら1-0で終わりますよ!」と進言したスタッフがいるはずで、決断した西野はさすが「マイアミの奇跡」を起こしただけの器だ。あのハラハラした10分間は、われわれの財産になるだろう。善悪はなく、結果があるだけである。ただ、「フェアプレーポイント」で上回るというのは、選手たちやサポーターの後片付けでホメられる日本らしかった。
その上で、タテへの意識を体現した長いパスを出し続けた柴崎が「結局、勝てたのは10人のコロンビアだけだった」と語るのが重い。ベスト16なら行けるけれど、という現状のポジションを上げるためにはディフェンス力の強化が必要である。批判が集中した川島は、とりわけポーランド戦ではいい働きをしていたし、むしろ頑張った。若い世代も含めて、なぜ世界レベルのキーパーが育たないのだろうか。ディフェンス陣も、吉田、昌子の2人はいいとして、ほかの選択肢はないのも困る。控えが6人出たポーランド戦は、次戦に戦う体力を残すための渾身のギャンブルだったが、試合は見るべき点はなかったし、ベルギーは9人控えを出していた。層の薄さはちょっと悲しいし、もう少しフィットする選手もいたはずだろう。たとえば、8分のデキでいいから岡崎をベルギー戦の2点リード後に使えたら、とかタラレバはキリがない。

W杯期間中は夢のようで、試合を見るのにとにかく必死だった。自分でも、何やっているか、と呆れてしまうが、ポルトガル戦のカバーニ→スアレス→カバーニと渡ったスーパーゴールを見たりすれば眠れない。1次リーグは、モロッコのとことん前に走る姿勢に衝撃。イラク戦のせめぎ合いはすごかった。イングランド代表から1点とったパナマの37歳のDFバロイのゴールは感動的だったし、無失点で終われなかった隙がクロアチアとの延長戦に出てしまったのかもしれない。
メッシはほぼいいところなし。Cロナウドは得点力を見せたものの、走らない2人のスーパースターは早々に消えた。時の流れは残酷である。もはや、守備と攻撃の1対1の勝負で決まる、という牧歌的な戦いが戻ってくることはないだろう。かつては「無敵」と思われたスペインの流麗なポゼッションも、身体の大きな選手に守備のブロックを固められ、高速カウンターでいきなり追い越されれば一巻の終わり。現代サッカーのスピード化は止まらない。
特筆すべきはロシアの躍進である。あのパブリック・ビューイングを含めた盛り上がりは、日韓大会の時の「テーハミング」よりも迫力があった。ロシア代表は大きな選手を揃えて合理的な戦いに徹しており、アイスランド代表といい、ぶきっちょなドイツみたいなチームが目立った。出場していない中国企業も目立ったし、「ワールド」を謳う大会でここまでアメリカ色が薄いことは記憶にない。ただ、プーチンは会場でサマになっていたが、トランプがいたらとんでもなく場違いだっただろう。71歳のミック・ジャガーも元気だったが、「呪い」も健在だった。
私は、アザールのドリブルと面魂に魅せられ、ベルギー優勝を望んでいた。3位だったが、イングランドには2点差つけて勝ったし、まあ、これでいいのか。大会を通じてフランスの安定感は際立っており、憎らしいほど強いのであまり熱心に観なかったが、結果的に、壮絶な打ち合いになったアルゼンチン戦が天下分け目の戦いだった。決勝戦後半、クロアチアのマンジュキッチの2点目はすごい執念だったが、ずっと延長戦続きだから仕方なし。モドリッチもさすがに力尽きたがMVP、不屈の闘志は忘れられない。
ペレやマラドーナが今大会のフランスに対してどう戦ったか、つい考えてしまう。ずっとスタミナを失わなかったセンスの塊、主将グリーズマンの一貫して体を張る姿勢には脱帽するしかない。エムバペみたいな速くて上手い人が日本に出現するのはいつの日か。選手と監督の両方で優勝したデシャンはフランス精神を体現していた。ジダンが指揮をとったレアルも強かったし、やはり1998年にワールドカップを制したフランス代表は特別なチームだった。とりあえず、こちらも燃え尽きてしまったが、4年後はどんな世界が待っているのだろうか。雨の表彰式のプーチンはあまり威張っておらず、ちょっと可愛らしかった。

誰しも思うだろうが、この夏の熱さは限度を越えている。ずっと災害の現場とサッカーを見続けるというのは特殊な時間だった。しかし、2年後この季節にオリンピックが行われるのだ。安定したロシアの気候を横目で眺めつつ、いったい、大丈夫なのだろうか。だからこそ、6月30日のカーネーションの日比谷野音が晴れて、ただただハッピーな日だったことを寿ぎたい。出すっぱりだった直枝政広がいかに慕われているか、音から伝わってくるし、あのラメの森高千里のふわっとしたダンスに合わせて揺れる大観衆を見て、第一線を張ってきたアイドルの凄みを思い知った。今はちょっと寂しい。

風元正(かぜもと・ただし)
1961年川西市生まれ。早稲田大学文学部日本史学科卒。週刊、月刊、単行本など、 活字仕事全般の周辺に携わり現在に至る。ありがちな中央線沿線居住者。吉本隆明の流儀に従い、家ではTVつけっぱなし生活を30年間続けている。土日はグリーンチャンネル視聴。
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