boidマガジン

2018年07月号

宝ヶ池の沈まぬ亀 第25回 (青山真治)

2018年07月25日 17:19 by boid
2018年07月25日 17:19 by boid

青山真治さんの連載「宝ヶ池の沈まぬ亀」第25回は、サッカー・ワールドカップ開催中に書かれたもの。墓参りのために帰省した門司の街や、ゴーモン映画特集で『マイエルリンクからサラエヴォへ』が上映されたマックス・オフュルスの諸作品について。そして再びシナハンのために訪れた愛知では、重要な発見があったようです。




文・写真=青山真治



25、「メキシコはラウル・ヒメネスを最前線に使ってきました」

某日、自炊生活を続けている。ここへ来て、前回のアナばかに『ディキシー・チキン』USプロモ盤を持参した静岡在住の後輩・清水健治が土産にくれた「うなぎの肝」の瓶詰がうまくて、甫木元の故郷・四万十の「青のり」(これまた美味)と並べてご飯の御伴定番であるのだが、瓶詰だけにやがてはなくなる。これはこれで寂しいものである。スーパーで似たようなものを贖ってもそうそう心が満たされるものではない。この齢になるまで到来物をあてにしたことはないが、自炊してると期待しちゃうよね、そういうのも。
某日、沖縄慰霊日。いつもぱるるは何かをくわえて走り回り、がたごと音をさせているのだが、その朝はちょっと音が大きくて、おや、と見ると、なんと鈴木創士さんの新訳である文庫、ボリス・ヴィアン『お前らの墓につばを吐いてやる』を床じゅう引きずりまくっていた。大笑いしながら追いかけて回収。あちこち歯形だらけ。お嬢はホントにいたずらっ子。あと毎度振り回されているのは、アンスティチュのゴーモン特集のフライヤー。ぼろぼろになりそうなのを何度も救出している。W杯は一応見ている。国名は当てにならんし、ゆえに個人名も。どこかの首相もチームプレーと叫んでいるらしいが、言い訳にもならないし信用するわけがない。瞬間に起こる偶発事に集団も個人もない、というのがサッカーの映画的な見方というべきではなかろうか。
某日、だからそれほどサッカーが好きではない、はずだ。それどころかほとんどの時間を退屈している。できればあんなに長い時間を拘束されたくはない。ただ、不意にロングパスが通る瞬間、自分が急激な勢いで変わってしまう感覚はある。これが忘れられなくて四年に一度のこの日々の救い難い寝不足を自分に許してしまう。そんなさなか、室生犀星原作の『あにいもうと』で半年分ほど涙腺が崩壊してしまったのは、べつにその製作スタッフの力によってではなく、また主演の大泉洋に惚れるわけでもなかったことはきちんと書いておきたい。日本セネガル戦は実に筋の通ったものだった。



某日、午前に女優帰国。ぱるる大はしゃぎ。富山の事件。博多の事件。あまりに陰惨な事件が多すぎる。翌朝、今度は私が門司へ。墓参のため。しかし四時間半の新幹線、体への負担が半端ない。宿泊は堺町公園のホテルクラウンヒル。当然安さで決定。路上に外人多し。いったい小倉に何を見に来るのかと不思議になる。朋友との待ち合わせで、門司駅に移動。先日の香川での鶏唐揚げ不完全燃焼をリベンジすべく、どうしても「お福」ということになる。友の着く前に鬼瓦焼を注文したわけだが、やはり圧勝。壁にも「二年連続最高金賞受賞」というポスターが貼ってある。しばらく来ないうちに若干味が濃くなった気もするが、それはこちらが齢を食ったせいか。遅れて到着の朋友と久々の歓談。齢を食えば本当にいろいろある。拙作に燈台がやたら出てくるという話から関門の燈台を数え上げることに。思えば船の航行を考えるように映画を作っているかもしれない、と妙な勘違いにいたる。そこへFC西山(朋友の元部下)が合流。朋友は次の予定に消え、西山と二人で「ギャラリーソープ」へ。客は二人きりなので店主・宮川氏とたーくんのSODA!キャップを被ったバーテンダーの四人で、四方山話。大江君の最新CDを購入して西山とも別れ、ホテルへ帰還したが、疲労困憊でダウン。サッカー見ず。翌朝、チェックアウトしてわれらがソウルフード(とはいえ、子供の頃はなかった)「資さんうどん」魚町店でかしわうどん。満足。電車で門司駅に再び。昨日もいくぶんか感じてはいたが、なんだか大里の町がちょっとだけ活気を取り戻している気がする。久しぶりに御所神社へもお参り。急に樹木が大きくなった。両親の納骨堂に参ると、誰かがうちの親の好きそうな小分けにされた洋菓子の詰め合わせを供えてくれていた。帰りしな、小二まで住んでいた辺りを散策。いつも通っていた床屋の名前が思い出せない。同じ場所にたしかに床屋はあるのだが。小一のとき自動車に轢かれた交差点のY字路の角にあった煙草屋は現存していたが、これも名前が違う。かつては「ひぐち」さんだった。鈴虫をいただいたこともある。棲んでいた県営アパートと隣接する幼稚園との境の小路を歩く。左手の住宅街には「マルクのパン」の工場兼販売所があった。右手は当時あんなに高い塀だったのが、いまでは自分とほぼ変わらない。先日の地震時の事故を受けてあちこちに「近づいてはいけません」という急造の看板が貼られた、何十年も変わらないブロック塀が街じゅうにある。兄が脱走した幼稚園の塀はもちろん修復されていた。そりゃそうだ、もう五十年を過ぎたのだから。神社の手前の天野医院はいまでもやっている。もちろん代は変わっているだろう。柳市場は髑髏のような暗い駐車場になったが、角の松原さんという果物屋だけ残っている。いまは包丁砥ぎ屋になった柿色の看板の小さな三角の店はかつての貸本屋。『カムイ伝』に最初に出会ったのはここ。アーケードを失った柳町商店街の入口の珈琲豆屋は変わらない。その隣の隣、小鳩楽器店のスタジオをわれわれはレギュラーとして使っていたがいまはもうない。店の奥に先頃亡くなった森田童子の大きなポスターが貼ってあったのを憶えているから、このシンガーは当時無名どころか全国区であったはず。某新聞社の盟友・内門君に最初にインタビューを受けたのは、そのはす向かいのカドという喫茶店。今日は定休日。そしてこの商店街を抜けるといつも本当に小さな頃の思い出にある金魚屋の前を通る。記憶の中でそこへ行くときいつも夜で、ぼんやりした裸電球の下で鉢の中を赤い金魚が何尾かゆらゆらと泳いでいた。風鈴と鈴虫の音。

そんなこんなで昨夏以来の帰省終了。小倉に取って返し、ホテルに預けた荷物を取って、再び新幹線で名古屋まで戻る。昼飯に贖った「かしわめし」の包装紙には「北九州の味」と謳っていても、イラストに「もじ」は入っていない。折尾中心主義。まあ東筑軒さんだからあれだけどなんだかねえ。

で、名古屋、想像してはいたが暑い。小倉よりずっと暑い。アパホテル栄東はどこかで見たような(ホン・サンスの済州島の映画の――階下の廊下に不倫現場を目撃する――アレだが)回廊式の建築で妙に面白い。しかしやはり日々これだけの距離を移動すると疲労はピーク。草臥れ果てて夕方まで休む。暮方、某地域を散策。ほとんど『ブラタモリ』状態で高低差を確認してまわる。最初のシナハン初日に入ったジャズバーで食事。夜半、仙頭と短い再会。ギターを借りる。外国人だらけの通りをおどおど通ってホテルに戻るとすでに眠いが、甫木元にアレンジの変更案を連絡。やがてサッカーを見始めるが、ぼんやり。一点入ったところでどうでもよくなり気絶。ふと目覚めるとイングランド×ベルギー戦。めっちゃおもろくて覚醒。永田町で起こった何十番目かの言語道断の暴挙に想いを馳せつつ、セネガルをもう一度見たいと残念に思う。
翌日、朝からシナハン。ホテルを出る時は晴れていたのに、地下鉄~名鉄と乗り継ぎ、駅を出ると降り始め、案件であるビル屋上に上ると本降り。コンビニで傘を買い、歩いていると止む。なんだかバカにされているようだが、シナハンとかロケハンで降ると本撮影では意外に天候に恵まれるということはあるのだ。これでいいと勝手に思う。いい感じに古びた街並みを見てもうひとつビルの屋上を見てから名駅に戻り、うまいもん通りにて梅村君にうな丼を奮発してもらう。その後一人、地下鉄で栄に戻り、あれこれ買い物をしてホテルに戻る。疲労困憊しつつ様々なSNSを見ていたのだが、作品はひとりでつくるものとお考えの諸氏には何を言っても無駄だと諦めつつも、こいつらには「あのひとに向けて作る」ということによって生じ何人かの間で育まれるものの豊かさがわからないのだろうと憐れに感じ、あらためてそのような同志を失う悲哀に落胆する。気を取り直し、早速送られてきた甫木元デモにさらに変更を加えるべく電話。夕方、梅村君と再合流、今池へ。ここのやたらと広くて人気のない通りとだだっ広い駐車場たちが好きだ。そして久しぶりのスタービル。名古屋シネマテークのあるところ。やたらぐるぐる歩き回り、日暮れに老舗中華「ピカイチ」。ここは知る人ぞ知る中日マニアの聖地で、壁一面選手・監督らの写真とユニフォームが飾られている。そして絶品の料理群。堪能。ホテルに戻り、沈思黙考。それにしても米原の竜巻といい、富山の発砲事件といい、ドライヴレコーダーの映像は驚くほど生々しい。全篇あれで映画を、とはさすがに思えないが、部分的にあれに近づけることで何か描き方に刺激が出るかもしれない。以前みすたぁが監視カメラの映像の生々しさについて言及したが、それが足を持って外界に偏在する、みたいな。しかし、それがハンディのようにエグさ競争に陥るとどんどんつまらなくなるのだけど。あるいは『バイオレント・サタデー』冒頭のことなど考える。
某日、午前中から仙頭のお出迎え、昼食を摂って内容ミーティング。三時間、えらく深い話になり、さらにそこから発展して某運河の遊覧船を見ておかねば、ということで、そちらへ急行。詳細は避けるが、ほぼ一時間のこのクルーズはちょっと得難い体験だった。水門を超えて名港に出るなり運河を走る船の領域ではなくなり、しかもこの日はいくらか時化ていてタフな時間が数分続いた。三人で呆然としながら街なかに戻って晩飯。ホテルに戻り延々とうつらうつらしながら二試合を心から堪能。19‐178の選手の名を「エムバぺ」と呼ぶことへの一貫した違和感。かつての「エムボマ」問題は一切記憶にないらしい。かれは「ンバペ」であるはずだ。まあどうでもいいが、そのンバペが球を獲って走り出した瞬間、29‐198にしか見えなくなることには驚くしかない。寝不足でうまい表現を思いつかないが、あの『バビル二世』のロデムが黒豹になって夜の街路を疾走し始めるあの快楽、とでも取り急ぎ書きつけておく。とはいえ、ディマリアなのかデマリアなのかも知ってはいないのだが。



某日、ホテルに缶詰めデー。昼は中日ビルの「チャオ」でミラカン。名古屋以外の人にはわからんだろう、あんかけスパ。要するにハマったわけだ。晩は栄のoutbackを奮発。迷ったが200gで正解。あれ以上食えん。『西郷どん』は早野凡平先生をキメてくれた石橋蓮司氏最終を『出張』でさらにキメるというのはどなたのご趣味だろうか。その後が不要としか思えなかったが、イヤミは言うまい。で、ロシア。イエロ監督のローアングルからの寄りがよすぎた。延長前半だったかイニエスタの瞬間移動のようなドリブルにやられた。延長後半で降った怒濤の雨にも。もうひとつ、イニエスタのPK中だったかあさっての方角に視線を馳せていた透明な顔。たぶんオーロラヴィジョンを見てたんだろう。
翌朝、イニエスタ代表引退表明。そういうものだ。シナハンは知多半島先端の港まで。大変面白し。昼食は河和駅近くにてお寿司。激安にして美味。午後、街なかに戻って、コメダにてシロノワール氷なるメープルシロップのかき氷。これまた美味い。晩飯はひとり「風来坊」。さらに仮眠後、結局メキシコ×ブラジル。好ゲーム。悔しいがまだネイマールを止めるところまでは行けなかった。眠れなくなり、見るつもりのなかったものを見たらこれが超面白く、へたすると大会屈指かと。なんならひとつ前のゲームを帳消しにしてもいいくらい。柴崎と原口のチェンジで変えてはいけない流れが変わり、それで決定した。放送中も放送後も歴史的瞬間とか世界の壁とか日本らしさとかいうどうでもいいタームを駆使する放送のくだらなさ。これでFIFAランキングなど意味をなさないことを盲信しなければかれらの健闘も水泡に帰す。もちろんかれらはとっくに知っている。まるでW杯が終わったかのように語る放送。いやはやこれからなのに。
某日、名古屋学芸大学へ。渡辺眞学部長と打合せ、およびスタジオ見学。さらに仙頭研究室にもお邪魔する。このあと数人でブレインストーミングする以外、今回のミッションは終了となる。

仙頭研究室(部分)



昼食は「ブロンコビリー」にてハンバーグ。夕方、ブラジル×メキシコの再放送。やはり緊張と緩和の好ゲームである。船越英二みたいな田中邦衛といった墨監督しかり。それにしても選手交代というのは本当に難しいらしい。夕食は栄の焼鳥「大銀杏」。超美味。今後の展望を話しこむ。翌朝、のそのそと準備して雨のなか帰京。
某日、週末に予定されるクリス・フジワラとのオフュルス・トークのためにオフュルスBOXをようやく開ける。実は今年の初めから集中して見ようとDVDを固めてデスクの端に置いてあった。まずは『ディヴィーヌ』。これや『明日はない』を見て『現金に手を出すな』を思い出さない人はいないが、逆にこちらを先に見ている人々は当然逆の反応を示すだろう。キャバレー文化というのか、ベッケルとオフュルス、そしてプレストン・スタージェスという関係にそのような匂いが漂っている。続く『ヨシワラ』での早川雪舟の何ともアメリカンな芝居に括目。『忘れじの面影』の旅行遊園地のアイデアをすでにここでやっていることも驚き。これと『明日はない』のキャメラはオイゲン・シュフタン。この『日曜日の人々』を端緒とするドイツ人脈が後年ハリウッドで発現させるリアリズムとイリュージョンの相克としての現代映画が、オフュルスによって初発され、さらにアメリカでウルマーとシュフタンによってマチエールが研ぎ澄まされていくのだが、同じ戦後ハリウッドにありながら微妙にずれていく二人の関係が興味深い。『ハスラー』にさえオフュルス的なものは当然残っている。
翌日も続けてオフュルス。この日はハリウッド二本。まずは『魅せられて』。何しろバーバラ・ベル・ゲデスがヒロインの作品など見たことがないが、やはり芝居が絶妙に巧い。そしてロバート・ライアンとジェームズ・メイスンのこれまた絶妙な存在感。メイスンの共同経営者の医者の居方とライアンの部下クルト・ボワ(!)の対称をなす友愛関係は、『ヨシワラ』の中尉の友人や『明日はない』のヒロインの相棒や医者の友人にも繋がっていく。私はこうしたドラマの人物配置が好きであることを再確認した次第。そして本作はエンタープライズ・プロ作品であり、ロバート・パリッシュ編集(ノンクレジットながらマイケル・ルチアーノの記録もあり)、アルドリッチ助監督というスタッフによるものでもある。続いて何年かぶりの『無謀な瞬間』はもちろんオフュルスの中にシャブロルも、あるいは成瀬も含まれていることを思い知る傑作だが、本作でのジョーン・ベネットを見ながらオフュルスの「女性映画」をどう捉えるべきか、しばし考え込む。それは明らかにサークとは違っているのだが、結論は同じかもしれない。「あなたは囚人か」と問いかけるメイスンの「弱さ」も気になる。まるでフォーリー『アフター・ダーク』の主人公のようだ。女優の誕生日だが、朝からオウム七人虐殺とか暴風雨で大被害とか、つい先日の陰惨な事件群をさらに超えるようなひどいことばかり起こる。何しろ門司の奥田が土砂崩れなんて相当なことだ。門司は基本、五〇年代までの鉄砲水対策が整っていたはずなのにそれももう寿命か。地球が本気で地形を変え始めた。あと、朝ドラがまるで「めぞん一刻」のようにシフトを変えてきたことも印象に残った。
某日、トーク当日。飯田橋へ向かうまでずっとオフュルスの「女性映画」ということについて考え込んでいた。主催から送られてきた『マイエルリンクからサラエヴォへ』のDVDはなぜかグレミヨン『混血児ダイナ』で、これが船の映画であり、同時にウェルズ的高さのサスペンスということもあって楽しんだのだが、オフュルスはトーク直前までお預けということで夕方にアンスティチュへ。この作品で「道を間違う」というオフュルス的主題を確信。アメリカ時代以後のフランス復帰時期のオフュルスに乗り切れない理由も何となくわかった気がした。というかそれに関しては打上げで廣瀬純と葛生賢が上手く言語化してくれた。要は「明日」のなさと過去の間に宙吊りになる時間の有無だ。クリスによる「新しいメロドラマの可能性」の提言にもかなりヒントを得た。本当はロビー・ミュラーにも寺尾さんの偉業にも触れたかったが、その余裕はなかった。ともあれ、こうした形でのオフュルスとの再会は自分にとって大きなヒントになるかもしれない。

 



この間のワールドカップとしては、ンバペの不発やベルギーがブラジルを下したこと以上に、クロアチア・モドリッチの孤独な背中がやたら気になってならない。 某日、暴風雨とオウム虐殺のさなかでの自民幹部らの酒盛りが非難されている。どのみちマスコミはすぐに忘れるだろうが、家を失くした人らが簡単に忘れるとは思えない。そういう想像力を欠いている人々がいかに多いことか。と書いて、ふとメールチェックすると、これから一緒にやっていこうと楽しみにしていた人材から離別の報告。かなりショック。助監督時代、大学の後輩を誘って制作部や演出部の見習いに入れたが、私の居丈高な態度やギャラの未払いなどでほぼ全員やめていった経験があり、だからそれ以降あまり近しいところで仲間を作るまいとしてきたが、近年の大学教員経験の延長線上で卒業生にどうにか仕事を、とつい考えた途端にこのざまだ。結局かれらの気持ちを理解する想像力を欠いているのは自分も同様である。
夕刻、「たむらまさき氏を送る会」の会場を求めて新宿へ。芳しい結果は得られず、下北沢に助言を求める。うまくいくといい。

某日、そんなわけで己が誕生日。あちこちからSNSなど通じておめでとうメールをいただく。なんとなく特別感を覚え、無駄な多幸に包まれる。おいしいごはんを食べて、犬や猫と家族と仲良しで笑っていられたら、それでいいのかも、などと。

安珠+はっぴいハーフえんど


某日、猛暑。品川キャノンギャラリーSにて、安珠さんの展覧会とトークショー。ゲストは細野晴臣と松本隆。サーカスの話から細野さんと松本さんがかつての東京オリンピック以前に東京にあった遊園地の話をして、それが楽しかった。帰りにクイーンズ伊勢丹で買い物、家で穴子と章魚を食す。美味。なんとなく食いたかった。夜は『ブラタモリ』関門海峡第一夜(偶然にも関門の燈台=導灯が大きくフィーチャーされた)とW杯三位決定戦。ベルギー2-0イングランド。ゴール前の神がかったアルデルウェイレルトのクリアやデブルイネ~アザールの呆然とするコンビネーション、などなど大変盛り上がった。GKクルトワはフランス戦での相手の消極性を手厳しく非難していたが気は晴れただろうか。
某日、そして決勝。かなりスピードの速い展開。しかもどちらのどの得点も(失策も含めて)頗る芸術的構造。クロアチアのモドリッチのフリーキックからのペリシッチの一点目、フランスのポグバの三点目、ンバペの四点目など一分前くらいから何度も見返したい。結果は4-2だが、もはやそういう問題ではないだろう。ヤングプレイヤー賞はンバペ、MVPはモドリッチ。心からの祝福を。プッシー・ライオットの一件については何とも言いづらい。あれがパンクだと言われたら、私の知っているパンクとはもはや違う。しかしあれ以上世界にアピールするパフォーマンスがあるかと訊かれたら、たぶんない。だからやる意味も分らないわけじゃない。ただ、あれでゲームの流れは明らかに変わっただろうし、クロアチアのメンバーからすればなんか恨みでもあんのか、と言いたくなって当然だ。VARシステムといい48チーム制といい、のどかでシンプルだったワールドカップもこのロシア大会でついに終わりを告げたのだろうか。第一回優勝国ウルグアイの2トップ、スアレスとカバーニがポルトガル戦で放った横殴りの応酬からの顔面シュート、あれがその有終の記念碑だったのかもしれない。でもあえて今後の日本に必要なものといえば、あのような野蛮で精緻な漸進性以外にはないだろう。
さて、明日から何をしようか。・・・やるべきことは山ほどあるのだが。
某日、夕方にたむらさんの会についてあらかた決まる。詳細は追って後日。それにしても二日続けて異様な夕暮れ。爆発的。赤い悪魔。

 
(つづく)






青山真治(あおやま・しんじ)
映画監督、舞台演出。1996年に『Helpless』で長編デビュー。2000年、『EUREKA』がカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞&エキュメニック賞をW受賞。また、同作品の小説版で三島由紀夫賞を受賞。主な監督作品に『月の砂漠』(01)『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(05)『サッド ヴァケイション』(07)『東京公園』(11)『共喰い』(13)、舞台演出作に『ワーニャおじさん』(チェーホフ)『フェードル』(ラシーヌ)など。
近況:たむらさん、堀君と今後二か月はまるでお盆のような催しが続く感じ。詳細は後日お伝えします。映芸次号(464号、7月末発売)にもたむらさん追悼文書きました。

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