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2018年08月号

宝ヶ池の沈まぬ亀 第26回 (青山真治)

2018年08月29日 16:30 by boid
2018年08月29日 16:30 by boid

青山真治さんによる日付のない日記、「宝ヶ池の沈まぬ亀」第26回。猛暑によって呼び起されたいくつかの記憶とともに、甫木元空さんの新曲のレコーディング、ボブ・ディランを特集した「アナログばか一代」、「たむらまさきさんの長期ロケ出発を見送る会」のことなどが綴られています。




文=青山真治



26、鞍上モドリッチ片腕に旗を掲げて最前線へ

某朝、機材搬入のため女優に車を出してもらい、川崎のスタジオへ。甫木元の新曲を録音するため。多摩川の渋滞で遅れ、すでに甫木元、山田、ピアノの菊池は到着していた。この日はどうも調子悪く、新しいアイデアが浮かばない。特に自分のギターの音色に不満。山田さんからこれ使えば、と渡された歪み系エフェクターがどうもしっくりこない。そのうち神経が痛んできて酒に逃避することになる。さらに疲労が加わり、OKテイクの後は記憶も曖昧という惨憺たる結果に終わった。

撮影:山田勳生



翌朝、そのテイクを聴いてさらに落ち込む。こうやるべき、ということは初志貫徹すべきという鉄則を捨て、優柔不断な演奏に終始している。無念なり。昼過ぎに女優の友人、モモちゃん(PC達人)が来て女優の新しいPCをセットアップしてくれる。おかげで鰻の御相伴にありつけた。悪いことがあればいいこともある。

某日、熊谷で最高気温歴代一位、41.1℃を記録。たしかにきつい夏である。百歳の大往生の日から読んでいた橋本忍『複眼の映像』読了。どうも別の著述による既知がほとんどで特に蒙が啓かれることはなかった。黒澤明についても、ここが出発点だよなあ、研究は、と。この文庫本もまたぱるるの格好の餌食で、すでに表紙は歯形だらけ。キネマ旬報は二号続けての「70年代ベストテン」だが、こういうものをひとがどう捉えて選んでいるかわからなくなった。自分の好きなものではなく、世間的にこう捉えられるであろう、という、いわゆる「忖度」で択ぶのか。そこにおそれながら、と持論を挟みこむやり口か。しかしこういうものは普通、大胆であればあるほど面白いにちがいない。いずれにせよ、いつもながらおなじみの特定人物の選定にしか興味は向かわなかった。

某日、火野さんの『こころ旅・春篇』終了と共にテレビから気持ちが離れる。『5時夢』以外、引き戻される力がどの番組にも感じない。ダントツの『義母と娘のブルース』以外、各局の連ドラに惹かれない。Love me tenderが流れる野島脚本に期待したが、やはりダメである。報道がダメならドラマもダメに見えてくる。テレビとはそういうものかもしれない。殊に朝ドラで「2002年における新人監督と業界のありよう」についてほぼ絵空事としてしか描かれていないものの、そのあまりの「こんなもんでしょ」感に心底うんざりしてしまった。うんざりと云えば、昨夜から今朝にかけてうんざりする連絡ばかり来た。まるで何もかもおれのせいで、おれがすべての責任を持たねばならないような。しかしどこかで切り替わり、こちらも攻めの姿勢でいくと、問題は何も解決していないがなんとなく気分だけは晴れる。おまけにまだ午前中だ。
昼、S&B噂の名店シリーズ神田マンダラバターチキンカレー。ルーは完熟トマトの赤。五点中星四つ。甫木元来りて、日曜の録音の段取りを組む。買ったままになっていたエフェクター、スーパー・オクターヴを試すべくアンプを繋げたら爆音が噴出、ぱるるをえらく驚かしてしまった。晩飯はシンロンロウ。

某日、若干気温の下がった心地よさのなか、早稲田まで出かけてサバティカルがあとひと月で終わるアーロン・ジェロー氏と再会のランチ。ニューイングランドやニューヘイヴンでの日々が懐かしく思い出される。まさか勝井さん(ROVO)の話などジェローさんとすることになるとは。いつかまた、今度は長期のイエール滞在を、とお互いに言い交わし合って別れた。渋谷東急ジュンク堂にて『悲劇喜劇』購入。松原俊太郎の新作『山山』を読みたくて、渋谷シャルマンだの目黒焼鳥センターだの転転。最終的に炎屋で共喰い会。どこかに眼鏡を忘れる。

某朝、こりんの去勢手術とぱるるの狂犬病予防接種のため、目黒動物病院へ。夕方こりんを迎えに再訪。ふたりとも晩飯のときすんなり薬をのんだ。焼鳥センターに忘れた眼鏡を取りに行ってから下北沢へ。アナログばか一代ディラン特集。モービル盤の良し悪しよりまずディランとメンバー、スタッフがどんなことをやっているかが重要なのだとあらためて学んだ。何よりもディランの耳のよさ。勘の良さ。個人的にはGirl from the North Countryの『ナッシュヴィル・スカイライン』版とそれにまつわる話が印象的だった。ジョニー・キャッシュのライナーノーツについては新しい小説に短いが言及している。清水健治の土産は布谷「台風13号」と『Pat Garrett and Billy the Kid』プロモ盤。終わり間近の『追憶のハイウェイ61』聴き比べ中のLike a Rolling Stoneは、要するにド頭の銃声スネアがバン!と来るかどうかだと思われた。そりゃあバン!と来た方がいいに決まっている。あとはエルヴィスになろうとして成功したのは実はディランだけだという密かな確認。終了後LJに寄り、某社編集Aと合流。若手作家橋爪くんを紹介され、話は深夜に及ぶ。

某日、昼に新宿中村屋インドカリー・ビーフスパイシー。じゃがいもの柔らかいのが食感よろしからず。星二つ。午後は文學界から依頼された文章を書いた。映芸最新号、届く。たむらさんを「田村正毅」表記にしたことは理解できるが、平仮名表記は本人のきわめて強い政治的意図で始まったことなので、私はそのことを尊重した。ちなみにフィルモグラフィーにテレビドラマ「私立探偵 濱マイク」シリーズが欠けていることを指摘しておく。たしか拙作『名前のない森』と萩生田作品がたむらさんの撮影だったはずだ。

某日、去年もあったが前代未聞な進路の台風がやってきた。ひきこもって韓国の映画誌から依頼のホン・サンス論を執筆。5000字は久しぶりの長め。

某日、関東は台風一過。とりあえず最終的な録音。女優とぱるるが車で楽器を運んでくれる。今回は自分で真剣に練った音を弾けた。山田さんのストラトも実にいい音。菊池君のパート(ウォリッツァとハモンド)もうまくいった。勢いに乗って二曲目も攻めていく。ドラムス・ベース・エレピ・ギター+ヴォーカルでスタジオライヴ。そこへ19時に千賀太郎君到着。豪快なハープを入れてもらう。三回のスタジオワークで三曲を録り終わり、これをプロモーション材料とする予定。ひとつの主張を持った音楽をやっと作ることができた、という一種の達成感を味わった。こういう感覚は「長山」以来のことかもしれない。先週のリベンジを果たした感。ぱるるは帰りに駒沢公園のドッグランに寄ったそうな。

撮影:山田勳生



某日、起き抜けから昨日の疲労に体が浸る。NIKO千葉房総ポークカレー中辛。年齢のせいか、ポークはもうひとつ濃すぎる。星三つ。後輩・健治の個人的土産である鰻肝佃煮椎茸入りは、前回の瓶詰があまりに美味だったせいで、申し訳ないが若干低調、と断じざるをない。ぼんやりしたまま、届いた『そんなことはもう忘れたよ/鈴木清順閑話集』を読む。何だかこの書物に記された晩年の師匠と生活の意見が合いすぎて、長くないんじゃないか自分、と訝る。午後、銀行作業に外出。暑さが清々しい。帰宅して、やがて日が暮れるにつれどんどんぼんやりしていき、朝の残り物で晩を済まそうとしていたところが、外出から帰宅した女優が突然、この夏自分たちを襲ったこの咳はエアコンのかびのせいであるというネット情報を主張、いきなり三台のエアコンの掃除が始まった。歯ブラシを用いてフィルターの埃を風呂場で落とし、内部を拭く。約一時間汗みどろになりながら、終えてしばし呆然。いよいよ本日閉店ガラガラということになる。

某朝、師匠本、脚本『蜜のあはれ』以外読了。脚本もチラチラ眺めたが、読みやすい。監督の書く脚本だからか、思考が手に取るよう。しかし考えてみれば単独で脚本を書かれたのはこれだけではあるまいか。午前中から仕事を開始(ホン論続き)し『五時夢』が始まる頃に終える、という橋本忍ルールにしばし倣おうかと。夜は女優がカンボジアの山奥で蛭に吸血される状況を見て愕然。女優はそれを東京で回想し、自分のDNAはあのジャングルに拡散された、と自信たっぷりに力説した。いや、ちょっと意味わかんないんですけど。その後、今期圧勝の『義母と娘のブルース』。コメディエンヌ綾瀬はるかの真骨頂と言えよう。しかも、竹野内君の芝居がおそろしくうまい。



某日、午前五時よりホン・サンス論続き。途中、映画がさんざんな業界として採用される朝ドラにうんざりしつつ。昼過ぎ、戸外は今季最暑かと。夕方、銀行作業の続きのあとでLJにて打合せ。
某日、いや案外2008年の妄想は2018年の実態かも、と想像しなくもない朝ドラの展開にリアリズムの未来を遠望していると『世界ネコ歩き』が始まるや、ぱるるが画面上の仔猫たちにたいへんな関心の示しよう。フレームアウトした猫たちがどこへいったか、モニター周辺を探しまくる。これは何より他者の運動を無意識ではなくフィードバックとして認識したということだろうか。べつにそう難しく考えなくても実に面白い。で、2008年は三分の一くらいパリで過ごしていたはずで、その夏の暑さは記憶にないが、ぼんやりテレビを見ていると、この夏の暑さは2013年以来であるということ。2013年はたぶん多摩美の二年目で、山中湖合宿で短篇を撮影した年だと思われるが、実際そうだとしたらマジで暑かったのだ、あの年。山中湖にいたときはまだしも、東京に戻ってきた八月半ばの夕刻、まだまだ皆がバラシやってる最中に、出演した足立理に思わず「居酒屋に呑みに行こう」と抜け駆けを誘ったほどだ。過去を振り返ってもあれほど暑かった年はない。上野毛校舎が熱で赤く染まっていた。午後、斉藤陽一郎来たりて、某会のための歌の練習。四、五回やってだいたい固まる。夕刻、焼鳥センター。長々とわれらの歴史を語る羽目になってしまった。しかし自分でも不思議だが、数年前の入院騒ぎに話が及ぶと、いかに病室暮らしが自分に向いていて、なおかつそれは事務所を借りていたときとほぼ同格に快適だったと結論を下していた。この話の中心はアルコールと煙草だったのだが、どちらも自覚的に禁じる病室の暮らしと真逆の事務所での日々に同格の享楽を得ていたとはどういうことか。まあ理由は様々あるのだが、要は自分の仕事好きである、ということ。仕事が自在にできる環境ならどちらでもかまわない、とそういう結論が出た。そしてまあ、こうした与太噺を笑って聞いてくれる陽一郎に心から感謝している。

某日、このところひとつの案件をめぐって短いメールで世間話をしていたさる尊敬してやまぬお方から「モドリッチは南軍将校のようであった」という主旨のワールドカップがらみの返事が来て、寝不足の日々が報われた、というか自分が見ていたものが何であったかはっきり教えられて気分爽快となった。そう、私はモドリッチのおかげで無意識にフォードとペキンパーの西部劇をワールドカップに重ね合わせながら見ていたのだった。非常に合点の行く解釈。その朝、女優が北九州ロケに出かける。

某日、そうして「たむらまさきさんの長期ロケ出発を見送る会」を開催。これはご本人を差し置いて自分の出自を総ざらえしていただく羽目になってしまった感のある会になったことをご出席の皆さんに心から感謝させてもらう盛大なことになったのであった。しかしながら、たむらさんがいかに人望の厚い人であったか、誰もが納得した会であったろう。それにしても写真は二枚である、でなければならない、とひしひしと確認した一夜だった。
写真では一枚のように見えるが私が邪魔して見えなくなっている。残念。

撮影:今井孝博



翌日は大学時代の友人たち=関口・沢栗・石塚・星各氏との呑み会。深夜まで無礼講。共に古河在住の関口賢と斉藤陽一郎が数百メートルの位置で対峙しつつ、火災に向けてキャメラを構えていたことに人生的な震撼を覚える。

撮影:斉藤陽一郎



某日、いよいよ台風十三号が到来・・・らしいのだが、何か社会と隔絶した気配があるなあ、これも台風のせいか、とぼんやりしていたら携帯をタクシー内に置き忘れていたことに気づいていなかったことが判明し、なおさらにぼんやりする。親切なタクシー会社さんに着払いにてお送りいただけることで決着。で、その間も超鈍行の台風を待ち続ける間に何度目かの寝落ち、ふとまだ暗いうちに起きてPCを立ち上げ最初に見たのはマキノ家の偉大な名前の訃報。政治的には真逆だろうし支持してきたわけではないし一度もお会いしたことはないけれど、何しろマキノ家の方である、もうそんなに残っていない心が盛大にポキンと音を立てた。津川さん、当家の最高の自慢は、家内がマキノ家の映画に出ていることです、ありがとうございました、謹んでご冥福お祈りします。

某日、PFFの記者会見。その後、荒木さん、森本さんと飯を食う。京橋~銀座~日暮里と夜まで流れ、最後は映画酒場月永もいた、が、泥酔のまま散々ご迷惑をかけ続けた上に薄い記憶。

某日、それでも未明から起床、山中湖へ。春から録音を続けてきた甫木元の新曲三曲を山田さんと仮ミックス。これは一回では終わらないことは覚悟していたが、まあとにかく何十回も聴かないことには終わらない。
翌日、作者ともろもろ相談し意見一致。

某日、綱渡りのように生きている自覚はあるものの昼間にPと駅前で打合せ。久々でありながらこちら側はこれと言って進展なく、申し訳なし。だらしなく帰宅。とにかく新曲を何度も聴き続けるばかりである。

某日、床で数日間寝ていたら腰をやられてしまった敗戦記念日。動けなくなる。かろうじて寝起きは可能なものの、ぱるるの理不尽な行動にはまったく対応できず。腰痛の訪れは久しぶりだが、かつては働きづめから来たのに対し、今回は怠惰がすべての原因。ただただ各方面に申し訳なし。アテネでの中原のイベントにも参加できず、無念さばかり募る。すると中原の父上逝去という報。さらにアレサ・フランクリンの訃報。ほとんど寝たきりで悲しみに浸る。慰めはぱるるのみ。この間、上梓したホン・サンス論にちょっとしたNGが出て、その修正。さらにアルドリッチ特集への檄文を書く、など。

 
(つづく)






青山真治(あおやま・しんじ)
映画監督、舞台演出。1996年に『Helpless』で長編デビュー。2000年、『EUREKA』がカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞&エキュメニック賞をW受賞。また、同作品の小説版で三島由紀夫賞を受賞。主な監督作品に『月の砂漠』(01)『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(05)『サッド ヴァケイション』(07)『東京公園』(11)『共喰い』(13)、舞台演出作に『ワーニャおじさん』(チェーホフ)『フェードル』(ラシーヌ)など。
近況としては、9月8日(土)にPFF「たむらまさき特集」で仙頭武則とトーク、9月23日(日)に渋谷シネマヴェーラ「堀禎一特集」で川瀬陽太とトーク。あと、10月7日(日)18時から甲府・桜座にて映画『はるねこ』上映がありますが、その際スペシャルライヴ付きでして、初のバンド形式になります。ギター、青山です。

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