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2018年09月号

映画は心意気だと思うんです。 第1回 (冨田翔子)

2018年09月19日 16:50 by boid
2018年09月19日 16:50 by boid

ホラー映画をこよなく愛するライター・編集者の冨田翔子さんによる新連載がスタート! 記念すべき第1回は、10月19日から『遊星からの物体X〈デジタル・リマスター版〉』が公開されるジョン・カーペンター監督のデビュー長編映画『ダーク・スター』について。本作は冨田さんが苦境に立たされたとき、その「心意気」によって救われた大切な作品だそうで――。




我がダーク・スター号乗船記
『ダーク・スター』(1974年製作、ジョン・カーペンター監督)


文=冨田翔子


記念すべき連載1回目に、私が“心意気映画”と愛してやまないこの『ダーク・スター』について書く機会をいただき、感謝の気持ちでいっぱいである。

本作は、大学生だったジョン・カーペンターとダン・オバノンが心意気を結集して撮りあげた約45分の短編映画に端を発し、その後劇場公開するために追撮された。4年の歳月を費やし、晴れて完成した映画は、1975年に劇場公開されたのだった。

私が『ダーク・スター』を初めて観たのは、2011年。卒業式を4日後に控えた3月11日、あの大地震と大津波が発生した。学校全体の卒業式は無くなり、こじんまりした教室の中で、教授から「この先、いいことなんてほとんどないですよ」と言われ、私たちは社会へと送り出された。私は希望と虚栄心をもって大学院試験を受験。結果を待つ間、部屋の隅でひたすら眠って過ごした。届いたのは不合格通知。就職先も進学先もなく、私は途方に暮れた。

4月になり、ハローワークに通う途中、新社会人とすれ違う気持ちは何とも言えないものだった。さらに悪いことは続き、3.11の余波で当てにしていた日雇いバイトが吹っ飛び、新たに職探しするものの、不安が顔に出ているのか、バイトの面接も全く通らない日々。

あまりに何もなく、どうしようもなかったので、映画を観ることにした。いい機会だったので、かねてより好きだった映画監督たちのフィルモグラフィーのリストをつくり、1本ずつレンタル屋に借りに行った。そのリストの一つが、ジョン・カーペンターで、最初に借りたのが『ダーク・スター』だった。

『ダーク・スター』は、安っぽい宇宙との通信画面から始まる、変な映画だ。舞台は21世紀の宇宙。惑星を植民地にするために、妨げとなる不安定な惑星を爆破することがダーク・スター号の任務だ。20年もその作業を続け、クルーたちの間にはすっかり退屈のムードが漂っている。私は宇宙飛行士はきちっとした身なりの人々だと思っていたので、全員の風貌がヒッピーだったことに軽い衝撃を受けた。彼らは船内の暮らしに飽きていて、日光浴をしたり、お手製の楽器で遊んだりして何とか暇つぶしをしている。事故により冷凍保存中の船長、ビーチボール型のエイリアン、“自我”を持つ爆弾などのユニークなキャラクターに彩られ、物語は進行していく。終盤、発射装置が故障し、船に取り付いたままカウントダウンを始める爆弾20号を、クルーが哲学的な問いで爆弾の自我に語りかけ、止めようとするくだりは、シュールで笑える。爆弾20号は説得に応じたかに見えたが、自己を見つめ直した結果、やはり爆発することを決心。最後はダーク・スター号の破片で、クルーが宇宙サーフィンをするというカルト人気を誇る名シーンで幕を閉じる。

学生映画のため、お金がないのがまるわかりの撮影だが、SFを表現するための工夫は随所にみられる。宇宙食は溶けたアイスキャンディ、指令室のコントロールパネルは製氷トレーを裏返して作ったものだ。ちなみに、その辺の撮影の裏側は、2015年に発売された『ダーク・スター 【HDニューマスター版】スペシャル・エディション初回生産限定版』ブルーレイに収録されている。(初回生産限定なので、早めに買うことをおすすめする。)



今ではカルト的な人気を獲得した本作だが、当時の興行収入は失敗に終わった。オバノンとカーペンターが良かれと思って作ったSFコメディは全く観客に受けず、オバノンはショックを受け、「俺たちは平凡だと思い知った」と話したという。しかし、彼もカーペンターも、決して凡人ではなかった。

その後、オバノンはジョージ・ルーカスに呼ばれ『スター・ウォーズ』(1977)に携った。同作では、『ダーク・スター』で見せたワープ・シーンと同じ、ハイパードライブのアニメーションを手掛けている。脚本を書き大ヒットに導いたSFホラー『エイリアン』(1979)に登場するクルーの生活空間は、『ダーク・スター』でのグラビア写真が壁一面に貼られ、散らかっただらしのない仮眠室から受け継がれたものだ。カーペンターは『ダーク・スター』の後、期待した映画監督オファーはなく辛酸をなめる時期を味わったが、『ジョン・カーペンターの要塞警察』(1976)が評価され、『ハロウィン』(1978)の大ヒットにより、今日までその名は語り継がれている。互いに才能を認め合っていたオバノンとカーペンターだが、『ダーク・スター』での主導権の取り合いで気まずい雰囲気になり、その後一緒に仕事をすることはなかった。オバノンは2009年にクローン病でこの世を去っている。

1975年の観客には受けなかったそうだが、あの時、2011年に観た私は、爆笑し感動した。自我のある爆弾の遺言ともとれる最後の独白、「始めに闇だけがあり闇は無形で空虚だった。闇の他には私がいた。私は闇をさまよい孤独を知った。光あれ!」は、路頭に迷っていた自分に不思議と刺さった。クルーたちが宇宙に取り残され、疎外されている姿は、世間から取り残された自分と重なる部分もあった。そして映画全体に流れるゆるい調子が心地よく、“ちゃんと生きなければ”と思いこみすぎていた当時の私を「適当でも大丈夫じゃん」と思わせ、勇気づけた。実際は工夫に工夫を凝らして撮っていたのだから、ずいぶん失礼な話なのだが。

“ダーク・スター=闇の星”とは、当時の私にとって、未知で何も見えない恐怖の世間だった。クルーたちにとって宇宙は、広大で終わりがなく途方もなかったに違いない。そんな場所でカントリー・ミュージックを流し、時間が止まったかのようにまったりと生きる彼らの姿に、私は癒されたのだった。

冒頭でいったように、『ダーク・スター』は、学生だったカーペンターとオバノンが、映画を撮りたい、お金がないけどSFを撮りたい、何だか撮れる気がする、という心意気だけで作り上げた映画だ(と思う)。その心意気は、その後彼らが携わった作品群を観ても、確実に脈づいている。よって『ダーク・スター』は何十年経った今観ても、彼らの信じていていた自由と才能が胸を打つのである。

ダーク・スター  Dark Star
1974年 / アメリカ / 83分 / 監督・製作・脚本・音楽:ジョン・カーペンター / 脚本・プロダクションデザイン・編集・出演:ダン・オバノン / 出演:ブライアン・ナレル、ドレ・パヒッチ、キャル・クニホルム、ジョー・サンダース、マイルス・ワトキンス



冨田翔子(とみだ・しょうこ)
エンタメWebサイト編集部勤め。好きなジャンルはホラー映画。心意気のある映画を愛する。

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