boidマガジン

2018年09月号

宝ヶ池の沈まぬ亀 第27回 (青山真治)

2018年09月26日 21:52 by boid

青山真治さんによる連載「宝ヶ池の沈まぬ亀」第27回は大増量版でおおくりします。まずは、拠所ない事情による放浪を経て、4月に訪れた(連載第22回参照)高知にある甫木元空さんのご実家を再訪。その約2週間にわたる滞在の様子が綴られています。後半は、ほんの一時の帰京を経て伊豆高原に籠り、高知で蓄えたエネルギーを使っての執筆作業の日々。




文・写真=青山真治



27、孤独をこじらせた愚者による新・土佐日記&マイビッグピンク

某日、あるのっぴきならない事態が起こり、数日間都内を放浪の日々。この間の仙頭武則と廣瀬純夫妻の友情には心から感謝。最後には中原昌也と大橋咲歩も加わって泣きそうになる。翌日には新幹線と特急を乗り継いで高知へ。6時間強のタフな行程。真っ暗闇を突き進む特急南風は見失った自分の気分にそっくりであった。20時50分着、高知駅で甫木元空が出迎えてくれた。そこからさらに車で約一時間半、これからお世話になる甫木元邸に到着する。疲れきって眠るかと思いきや、一向に寝つけない。前夜までの深酒が習慣となって眠りを妨げる。こういうとき薬があると助かるのだが、持って出るのを忘れた。おまけに咳が止まない。何度も短い悪夢を見ては目が覚める。朝までまんじりともせず。

第一日、朝ドラかんちゃんの二回転半に驚愕した後、御厄介になる御母堂に丁重に御挨拶し、朝餉をいただく。いつもながら次々うまいものだらけ。お茶がうまいので、訊くと、そこらへんに生えている雑草を煎じたものだと。車で10分のコンビニへ買い出し。昼は冷やしうどんを。普段二食生活の身にはこの時点で腹が一杯。家長であるご老体にようやく御挨拶。偉大なる農民として生きるご老体と御母堂が夕食のために買い出しに出かけるが、港は台風一過のため漁に出ておらず、目当てのものはなしとのことで、ご老体少々おむずかりのご様子。しかし夕餉はクエ鍋と焼きニロギ。私への歓待。先述の通り、昼で満腹中枢が停止している者には午後五時に出された半分も食べられず。泣く泣く撤退。食前に最寄りのスーパーに着替えを贖いに出かけ、一式揃えて数日ぶりの風呂をいただいた。ドラマ『石ノ森章太郎物語』の後、ETV特集『隠されたトラウマ~精神障害兵士8000人の記録』を見る。日がな寝たり起きたり。昼、床にヒラタクワガタの雌がいた。

カワラケツメイ


第二日。やはり眠りは不安定で、ぐったりとしたまま朝餉に。いまだ食欲湧かず。台風前に刈った草を処理するという話だったが、空の弟の風也君が朝から出かけ、翌日に延期。この日は昼食を断る。昼過ぎ、ようやくギターを鳴らす気になり、新曲のアレンジを考案し始める。が、甫木元のギターが一音狂っていて心配になる。かなりのところまで構成はできているので、装飾的なギターをどう捉えるか、キーボードをどうするか、他の楽器は、ということを夢想する感じ。前日のお茶のことが気になってどういう雑草か見に出かけると、小さな黄色い花をつけた葉が珍しい形の雑草が群生している。戻って、これが何かと検索したら、カワラケツメイと判明。飲んだものはネム茶(葉っぱの形に由来する)とか豆茶と呼ばれるほとんど漢方薬のようなもので、何と弘法大師が中国から持ちこんだのだと。しかし偶然にも咳の止まらないいまの自分の飲むべき効用があると知る。有り難し。ちなみにこの植物を見に行くとき、甫木元家の墓に参った。全部で二十数基はあるか、山肌に並ぶそれらのある高みまで上る階段が急で、足元が覚束ない。脚力が極端に衰えている。不甲斐なし。前日のことを考慮して少なめにしてくださった夕餉に出たリュウキュウという野菜に感銘を受ける。これはトトロが持っている傘代わりのあの植物の茎を刻んで酢漬けにしたものだという。そして極上イサキの刺身。高知へ来るとこうして自然の恵みをたっぷり受ける。二人で完食した。食後、自宅から荷物が届く。久しぶりに薬をのみ、この日も寝たり起きたりだったが、プラシーボかどうかタチドコロに覿面。買い出しも普通に楽しんだ。帰りには明るい満月を見た。『西郷どん』終わりにはもう目が渋くなり、煙草を吸うべく外に出ると、満月が朧に踊る下、一面の霧。高麗屋の襲名披露公演「勧進帳」をうつらうつらしながら見たけれど、それが限界でどっと眠りに落ちた。写真は道の駅で撮影したリュウキュウだが、甫木元家で食すものはあくまで甫木元家で採れたもの。



第三日。朝ドラの点いた音で目が覚める。何と午前零時から午前八時まで一度も目が覚めなかった。こんなことはいつ以来だろう。薬の力おそるべしか、いや食事の力ではなかろうか。まあ酒を辞めたせいだろうが。朝食は焼いたカマスにリュウキュウ、そして好物のオクラ。本日は風也君も参加可能ということでご老体と兄弟の刈草処理が九時半より。軽トラで何往復もする量。しかし家族が賑わいながら作業する様は麗しい。まだ体力に自信のない者は部屋で原稿書きに集中しつつ、その歓声のみ聴く。十一時半終了。ちなみにご老体八十八歳の体力は尋常ならず。とても五十四歳の及ぶところではない。午後、冷やし中華をいただいた後、昨日よりもうひとつ奥に進んだ場所にある甫木元家の新しい墓地に参る。階段はないので昨日より疲れない。道々トンボを見る。シオカラ、オニヤンマ。汗をかいたので、風呂。トマトジュースが自宅より届き、甫木元家にお渡しする。夕餉は、ご老体特製のイノシシ汁、シイラのフライ、野菜の天ぷら、さらに仙頭武則より送られてきた「風来坊」の手羽先。リュウキュウ含めて本日も完食。食後再び日用品を買い出しにコンビニとスーパーへ。十九時よりご老体は仲間と共にカラオケルームにて歌謡大会。大いに盛り上がっている。二十時終了。ニュースで世田谷の豪雨を知り、気を揉む。さくらももこさんの訃報。何しろ『コジコジ』ファンだった。アニメだけでは足らず、単行本も手に入れて、大いに溜飲を下げた記憶がある。眠りに落ちてしばらくすると、顔に針刺すような痛痒が始まる。これは断酒を始めるとよくあることで、これまでも何度もあったが対処法を知らない。汗が滲みているのか何なのか、とにかく痒くて掻き毟り、フェイシャルペーパーで拭き続け、三十分以上格闘、ようやく収まりあらためて眠りに落ちる。


第四日。朝六時半、起床。戸外に出ると再び霧が谷を覆う風景を眺める。朝餉は焼き鮭。食後に桃のソルベ。美味。昼には晴天。本日の探検は、田圃の間の道を突っ切って向かいの山の林道へ行き、ぐるりとまわって戻るルートだが、この「田圃の間の道」がほぼ道なき道で、若干の斜面を降りようとして生い茂った雑草に足を滑らせこけるこける、尻餅まで搗く、ちょっと前までこの程度で転ぶなどということはなかったが、明らかに老いている、あるいは衰弱なお止まず。しかし林道に上がってからは快適な散歩。途中にジェラルミンの建具が崖に設置してあった。旧防空壕か。青空の下のんびりと歩き汗をかき、二十分ほどで戻る。昼はぶっかけうどん。魚のてんぷらがまた旨い。午後は延々と十月のライヴについてああでもないこうでもないと古い楽譜など引っ張り出して侃々諤々。つい数か月前に録音したギターのフレーズをまったく思い出せず呆然としたり。夕餉はついにカツオのタタキ。玉ねぎとニンニクのスライスをまぶして。さらに春巻き。無論、完食。いつものコンビニに買い出しに行くと、昨日までなかった「森永コメダ珈琲店監修シロノワール味アイスバー」が入荷。今日三つめのアイスになるがゆえに躊躇したが、購入。やはり美味。帰りに旧道を通ると離合不可能な狭い一車線の崖が一部崩落しており、大変にびびる。帰宅後は静かな夜。

撮影:甫木元空



第五日。ところがやはり眠ると痛痒が始まり、うつらうつらしかできない状況。午前三時ごろまでその調子で、朝六時半起床。頭はぼんやりだがもはや眠れない。しかし戸外へ出ると涼風が駆け抜ける。朝餉は太刀魚のみりん干し。午前中ははなれで仮眠。それでやっと多少まともになり、パソコンでの銀行操作に手を付ける。昼はそうめんと煮鳥。味覚も回復するが、腹痛を訴える空とともに半分残す。こちらも朝から腹を下していて、二人とも昨日氷菓子を食べ過ぎたに違いない。空、午後眠り続ける。起きてきたところでアマゾンから『大江健三郎全小説3』届く。言うまでもなく「政治少年死す」のため。夕餉はポトフとハマチとマグロの刺身。超美味。風呂を借りている間、空が須崎の研究会へ出かけ、こちらは読書に熱中。聞きしに勝る傑作である。この作品から何人の作家が産み出されたことか。たとえば高校時代の中上はこれとともに走り出し、やがて『枯木灘』に辿り着くだろう。しかし「南原征四郎」が広島の喫茶店で食べているのが、昨日の朝自分の食べた「桃のシャーベット」であった、という符号にちょっと慄く。風呂上がりに中庭で煙草を吸っていると、昨日懸命に地べたを這いずっていた蓑虫が干からびて死んでいた。先日はトカゲが干からびていた。それでも生命は次から次に現れる。中庭にまた煙草を吸いに出て、見上げると満天の星空。ここへ来てはじめて味わった。いままで夜は雲が厚かった。そこを夜間飛行のジェットが行き交う、大瀬村まで車で二時間の場所。空は帰り道で野兎に遭遇、ワンダーランドへ導かれそうになった由。

第六日。朝六時起床。昨夜は痛痒もなく、よく眠れた。朝餉は焼きカマス。毎朝のことだが味噌汁が超美味い。食後、すぐに「政治少年死す」の続き。昼前に読了。おそらくいま読むと古いという印象を持つ方もおられるだろうが、私にとってはやはり決して錆びつくことのない強度を持った傑作であり、自分の小説観がこの辺りに端を発することをはっきり確認した次第。そして、読み返したわけではないが出来としてこの時期の大江作品でも頭二つくらい抜けていると思われた。昼はカレー。昨夜のポトフからの、野菜たっぷりでこれがまた美味。というかレトルト以外のカレーが久しぶりだったため感動もひとしお。買い出しに出る間際、どこかから帰宅したご老体によるヨコ(カツオの小さいの)の三枚おろしと半身タタキが始まる。これはもうエンターテイメントである。空が倉庫から藁を持ち出して地べたに敷いて点火、そこにお手製の長い柄のつけられた網(サスマタを四角にしたような)に載せた半身を掲げて炙る。火加減も細かく指図。さらに裏返し。見事タタキの出来上がり。それを楽しみに買い出しに出かけたら、途中で温泉の話になり、とりあえず行ってみることに。しかし行けども行けども辿り着かず。ようやく着いた先は松葉川温泉というごく現代的なホテルと温泉併設の場所。途中の川沿いなど風光明媚だったし、生態系が違うのかと驚くほど田圃の上にアキアカネが乱舞していたが。途中「土佐鶴」の看板を見てしまったせいで、帰りについ小瓶を贖い、タタキのお伴に、ということになる。夕餉はこのヨコのタタキと刺身。それに加えてマグロのへその醤油煮(ちちこ)の美味いこと! 二十数年前に井土紀州氏の御実家でいただいて以来の味である。これさえあれば他のおかずいらん(嘘)というくらい。さらにこれらを肴に「土佐鶴」とともにいただく幸せ。この幸せのまま風呂を借り、やがて眠りに落ちる。眠る前にちょっと東京とひと悶着あったが。

第七日。ともあれ昨夜も安眠できた。朝餉はカツオの「はらんぼ」。ハラミのこと。これぞ珍味である。濃厚な味わい。食後すぐに御母堂の検診のため高知市内へ。行程約一時間、病院へお送りしてから月末の銀行手続き。交渉の末ギリギリで借金が可能になり、他方への義理果たす。はりまや橋の周辺でそれらを済ませてイオンモールへ。書店を物色、楽器屋で弦など入手後、禁酒の身としてあえて「ひろめ市場」には近寄らず、高知のうどん名店「三宅」でランチ。ちょっと自己主張の強い麺に好感を持つ。病院へ戻って御母堂と合流後、久礼の「道の駅なかとさ」にてカツオのタタキなど、さらに大正町市場にてカツオのへそ、ウツボのタタキなど入手。快晴の久礼の港の呆然とする美しさを堪能しつつ帰路に着く。夕刻には空が何やらスカイプで某所とのやり取りあり、夕餉をいただきつつその一部始終を傍らで聴く。晴天の続いた一日の終わりには、見たこともない星座を含む満天の星空が拡がっていた。天の川を見たのは何年ぶりか。ひとは定期的に天の川を見るべきではないか。深夜、雨の音に目覚め、ツイッターを開くと黒沢清監督がPFFのために語った、いわば「黒い十人の監督」が通読可能になっており、それらを一気に読み、満足して再び眠りに落ちる。

第八日。目覚めてふと気になった、というかどこか物悲しい気持ちになったのは、黒沢さんが根源的には作家主義的発想をお持ちではないはずなのが、あたかも枷のように作家論を語っていたせいかもしれないことからくる。これが「黒い十本の作品」であれば爽快な何かがあったかもしれないが、そうはならず、作家単位で語ることを、まあ言ってみれば頼まれたからやる、というおなじみの黒沢節に終始なさったことが、物足りないのではなく、物悲しい。いつか『絞殺魔』について、『フランティック』について、『スペースバンパイア』について、あるいは『ロンゲスト・ヤード』について、それらのディテールを詳細に綿密に快活に語られる黒沢さんの言葉よ、読者に届けと願う。かつて私はそれらの言葉を身に滲みこませるように拝聴した。あの爽快感。そして今日も朝から出かける。港町須崎の「新子(シンコ)まつり」である。しかしやや出遅れたせいで、悪天候のため不漁のシンコは贖えず。雷が鳴ると海底に潜ってしまう、とのこと。会場の、濃厚きわまる漁師汁とかつおめし、ウツボのから揚げ、エビの塩ゆでで朝食。贅沢。帰りに「道の駅なかとさ」と大正町市場再訪。帰宅してギター弦の張り替え。雨降り始める。スライドバーでいくつかのチューニング(byロウエル・ジョージ先生)を試す。夕餉はハマチとトビウオの刺身。陶然。やがてうっとりと眠るがこの日も深夜目が覚め、考え事止まず。

第九日。雨と雷。このまま台風になれば不漁は続き、スーパーに魚が並ぶのは当分先か。朝餉ははらんぼ。昨日昼を抜いたせいか、極端な空腹で一気食い。空が青くなった頃に買い出しに出て、昼は焼きそば。午後、この集落の中心たる桧原神社へ。境内には樹齢五百年の大杉が佇立している。一歩入っただけでパワースポットと判る音響的密度。しっかり散歩して家に戻り、かき氷を食べに西へ。大正~昭和~十川とどんどん素朴化していくそこは、移住者たちの楽園だという。このかき氷屋も移住者たちによるもの。たぶん私より二十ほど若い人々が寄り集い、子供を育て生活を共にしている。イヌイアキラが「コミューン」と呼んだ場所。ひょうたんがいくつもぶら下がるその店はインディアンの交易所のようにも見える。四、五歳の子供たちがあっという間に群がり、若者たちもそれとなく集まり、やがて親が子を連れて夕餉の支度に帰っていく。かき氷はその家でできたブルーベリーやイチジクがソース。美味。昨日の「新子まつり」とは全く違う、広大なこの四万十町のダウン・トゥ・アースなアナーキーっぷり。はてさてここから新しい何かが生れるや否や。夕餉はハマチの刺身に舌鼓。ここへ来て二度目の『西郷どん』が始まる頃には眠くなり、中村泰のNスぺ途中でダウン。深夜目覚め、また星を眺める。オリオンがドーンと頭上にあった。

岸豆茶(カワラケツメイ)の乾燥作業


第十日。深夜からのシナリオ作業、早朝に及んだが、そのまま寝落ち、朝ドラを見逃すという椿事。朝餉はついに鯵の干物。甘美。午前中、さらにシナリオ作業。途中でご家族による岸豆茶の伐採・乾燥作業が始まり、総出で鋏を持って切り刻む。この笊のことをどうしてサツマと呼ぶのかと空。たぶん薩摩揚げに形が似ているからではないか。昼はそうめん。食いながら空が「次回のこの日記は農村リポートの態をなすであろう」と予言。うむ。買い出しに出る頃に台風の接近を感じる雲行き。十五時に空が新荘小学校へ出向く。そうそう、新荘というのは日本最後のニホンカワウソが目撃された新荘川にちなんだ地名で、これに材を取り鍋焼きラーメンの丼を頭に被ったゆるキャラ「しんじょうくん」というのがいて、全国でもかなりの人気者らしく、先日の「新子まつり」にも出席していた。どうやら世界ツアーが決まっていると聞いたが、見た目かなりくたびれてはいた。命名由来としては当然元阪神、日ハムの新庄ともかけてはあるんだろう。写真は「道の駅四万十とおわ」前に設置されてあったパネル。


雨は降っては止み、降っては止む。台風直前とはこんなものだったか。夕餉はハマチの刺身とカツオのタタキ。毎日こんな御馳走ばかりいただいていいのだろうか。幸福のさなか、ふんわりと九時過ぎに眠りに落ち、またしても深夜に目覚め、シナリオ再考。

第十一日。そして台風はやってきた。そんな日に相応しく朝ドラ驚くべき無内容の回。『東京ラブストーリー』の引用はまだしも「あれ、松たか子さんの旦那さんが作ったんだよ」という本当に無駄な蘊蓄には笑わされた。朝餉ははらんぼ。九時過ぎにテレビで、ここ窪川が現時点で最大雨量と報じられ、ビビる。中庭に出るといったい何年振りか、山をバックに雨のカーテンが風に流れるのを見て、しみじみとした感動を味わう。たぶん親の終の棲家となったマンションから見たのが最後だろう。子供の頃あれを見るのが好きだった。しかし十一時頃肩透かしのように止んだ。ところがその後大阪が大変なことになっていて、笑い事ではなくなる。昼は焼うどん。その後御母堂とともに買い出しに出かける。四万十川の沈下橋は文字通り増水した水の中に埋没していた。夕方、空がふと差し出した小説の原型のような文章を読む。夕餉(焼き鯖・鯵の南蛮・・・両方大好物)を挟んで訂正箇所を細かく指摘していく。悪くはない。例によってやがて眠り、深夜起き出してまた作業。一時間に一回満天の星座を見に中庭へ。『こおろぎ』で撮影した三日月がエッジの利いた光を放っている。ここへ来た頃は満月だったのがもうすぐ新月になろうとしている。夕餉の際に明後日発つ旨をご老体と御母堂にお伝えした。本当はここにずっといたいのだが、そういうわけにもいかない。月の光に涙腺が緩みそうになる。

第十二日。明け方、この地を目に焼き付けておきたくて、周囲をそぞろ歩く。何もかもが美しい。朝餉は焼きカマス。食後動き出し、空の運転で山道を延々と走る。細道でダンプと向き合ったり、西日本豪雨によるがけ崩れの実態に恐怖しながらも、約四時間かけて愛媛は内子町に到着。二十数年前、ここでの撮影に参加した。ダニエル・シュミット組である。しかしほとんど記憶に残るものはなし。内子座だけははっきり覚えていた。



さらに奥へ。大瀬。驚いたのは小学校も中学校も立派過ぎるほど立派な校舎であること。それがノーベル賞効果かどうかは不明。この川で健三郎少年も泳いだだろう。



昼食は内子・米屋というレストランにて。帰路は紀州にも勝るおそろしく雄大な山林を眺めながら、四国カルスト経由。高度は違えど、平尾台が懐かしく思い出される。まあ平尾台には放牧牛はいないけど。午後五時過ぎに帰宅。夕餉にはカツオ・ハマチ・豚しゃぶ・なす・肉じゃが・ニガウリが並んで、多幸感爆発。こんなにお世話になってどう感謝を表したらいいかわからない。明け方、北海道で震度7、全道停電の報。どうやら泊原発が停まったらしい。大阪の台風被害といい、これまでこの国のやってきたことはすべてマイナスとしか思えないが、無能政治家は言い訳と生半可な慰めばかり発する。この政権に何ら任せておけないことはとっくに明らかだが、それでもこのままやるつもりなのか。いよいよ選挙民の覚悟を迫るのは大自然である。このまま都会に戻るのはいかにもつらい。できればこの自然の中に逃げ隠れていたい。そう考えながら自分が、つまりは孤独をこじらせてここまで逃げてきたという実状へと考えが至る。誰の目にも愚かな振舞いと見えるにちがいないし、何ら言い逃れもできない。



第十三日。いよいよ都会へ戻らなければならない。朝ドラは北海道地震のためお休み。はらんぼの朝餉をいただき、荷物をまとめ、土下座したいほどご老体と御母堂に心底からの感謝とお別れを告げて、出発。四万十の橋の上から顔を出した沈下橋を撮る。



ご老体からの「孫をよろしく」との一言が忘れられない。
窪川駅でその孫たる空とも別れ、特急南風12号に乗って高知経由で岡山へ。車内ではお土産として渡されたミレー・ビスケットなどポリポリしながら、この機会に一旦取り戻した『パンとペン』を再度読み耽る。堺枯川の柔らかさにあやかりたい。岡山駅で穴子の駅弁を買って空腹を埋める新幹線内。名古屋で下車、名古屋城前のKKRホテルへ。着きかけて目の前に、おや、と思われるアルファロメオ。偶然ながら名古屋の宿泊を頼んでいた仙頭武則・ユーコさん夫妻が同時に到着したのだった。チェックイン後三人で尾頭橋のコメダ珈琲店へ。シロノワール氷(ミニ)を堪能。その後、ユーさんお勧めの老舗名店「葉栗屋」で名物・味噌カツ含めてゆっくり晩餐を愉しむ。このようにして私には食卓を囲む家族とか仲間が必要だったとつくづく思わされる。独りで食べる食事が辛かった、それだけのことだったのかとも思う。孤独をこじらせ、アルコールでごまかさなければその辛さから逃れられなかった。寄る年波の問題かもしれない。もっと若ければ平気だったかもしれない。しかしせんさんとも空とも離れているとこれまた京都の繰り返しかと自覚。もちろんかような病気の男に付き合い続ける他人などめったにいやしない。

某日、名古屋駅で仙頭夫妻と共に昼食を摂って帰京。どうしても帰宅できず、同じ銀座のホテルに部屋を取ってもらい宿泊。翌日はPFF「たむらまさき特集」。昼夜の二回仙頭氏と共に喋る。が、ほとんど記憶なし。だらしないが、たむらさんとおれのことをそう簡単に他人にわかってもらえるとは思えない。なぜか「美々卯」に二度行く。黒沢さんのアルドリッチ講演を聴いたのち、ぴあの面々、黒沢夫妻と夕食を囲んだのち、またしても皆さんに手配してもらった青物横丁のスーパーホテルに宿泊。その上で翌朝、帰宅、女優やぱるると再会。人見知りされる。でも二人ともが可愛くて仕方がない。同じ装備のまますぐ出発、伊豆高原へ。近所のスーパーで買い物をして、昏々と眠り続ける。明け方目覚め、持参したDVD『クリスティーン』を。某社長からの依頼による文章はあっという間に書けてしまうが、ここにはネット環境がないので送付は後日。四万十での台風より激しい雨に降り込められ、仕方なく続けて『遊星からの物体X』のメイキングを。これがすこぶる面白い。さらに何度目かはもはや記憶にない本編も再見。夜半、雨はさらに激しくなる。ちなみにネット環境どころかここではテレビさえ見ることはできない。朝ドラは空からのレポートで流れを知るしかない。孤独に負けた男の更なる孤独。私自身、何者かにボディスナッチされたかのような。夜半、雷の轟きが凄い。持参した『音職人・行方洋一の仕事』を読み耽る。これまたすこぶる面白い。さらに置きざりにしていたエドゥアール・グリッサン『フォークナー、ミシシッピ』を。放っておくといくらでも読めそうだ。しかし書き物をしに来たので、そろそろ本腰を入れたい。

某日、この伊豆高原に編集者Aが登場。小説『樹々の午睡』の追加の提案。駅の蕎麦屋やらラーメン屋やらであれこれ食いつつ、相談後もう一度『物体X』と『クリスティーン』を見、さらに様々な話を繰り広げる二日間。やがては空の歌のCDを託すことにまでなった。帰京する彼の友情に心から感謝しつつ見送り、再び一人になればそこからはジョナサン・デミ再追悼、というかこれは結局デミ先輩による魂の洗い直しということに。『羊たちの沈黙』『フィラデルフィア』『ハート・オブ・ゴールド』『レイチェルの結婚』と。三日目の朝、目覚めると同時に『幸せをつかむ歌』を見始めるなり涙止まらず。「心が腐乱死体」というナイスな日本語字幕あり、胸が潰れそうになるが、ともあれロックンロールは終わらない、という意志はカーペンターもデミも繰り返すし、私もまたしかり。

某日、盟友・廣瀬純までがこの地に到着。持つべきものは友人なり。その得難い幸福を噛みしめながらお互いに、日々早朝から原稿に従事し、午後は二人で散策、来宮神社には行けなかったがパン屋や八幡野港にも連れ立った。この一週間ずっと雨で寒かったが、純が帰るという日になってようやく晴れ渡り、むしろ夏の戻りのごとき蒸し暑さ。そうして散歩で行った八幡野港で見事なほどの夕焼けを堪能。純がたくさんのDVDを持参してくれたにもかかわらず、残念だが『シャレード』を見ている途中でテレビモニターがアウト。いよいよ映像が根底から失われた。当分音楽と小説書きだけが救い。純は『シャレード』を授業で使いたいと語る。



某日、夜半に純が帰京し、かくして再び独りになったが、小説も大詰めというところで風邪。寒暖差の激しいせいか、急坂の上下でかいた汗で体を冷やしたせいか。夕方に午睡から覚めたところで発熱に気づく。酒を呑んでどうにかやり過ごすしかない。せっかく買ってきた食い物を無駄にしそうで残念。発熱のさなか、夜半に携帯電話の待ち受け画面にあるボンボンの写真を見ていて急に寂しさが極まり、声を上げて泣き叫ぶ。ボンボンの死(失踪)にはいまだ慣れることができない。すでに一年経つがボンボンの不在をいまだに受け入れることができない。思わず女優と電話。やさしい。深夜に至り、震えながら眠る。

某日、熱が退いて、安室ちゃんが引退し、樹木希林さんが亡くなり、そうしたなかで近隣にも慶事あり。それにしてもこれからどうすればいいのか。とりあえず喜びと狼狽で一時間以上泣きじゃくる。毎日いろいろ泣いてばかりだ。それ含めてまったく体力を失い、先行きの発想力さえない。午後しばらく眠り、目覚めて数人と電話で話した後、この地に置き去りにしていた二枚組版『ロック・オブ・エイジズ』後半。いつもながらこれで大変な力を貰うことになる。次々に繰り出される三人の歌声の力、偉大なり。RRのギターソロでも久々に泣く。女優には申し訳ないがここはわがビッグピンクであると本気で宣言しようと思う。もちろん私には何ら所有権なし。ザ・バンドのいい映像が残っていないことに何やってんだと頭に来るが、残ってないからいいんじゃねえか、ざまあみやがれという自分も同時にいて、あ、リックがフィドル弾いてるとか、あ、いまこれリチャードのドラムでリヴォンはマンドリン弾きながら歌ってるとか、あ、ディラン出てきたとか、この史上最強のロックンロールだけで縦横無尽に想像を巡らせることをとにかく幸福に味わう。そして盤を『セイリン・シューズ』に変えるとそこはそれ、世界はリトル・フィート一色になるのだった。いや、しかしこれ聴けば聴くほど無茶なアルバムだな。もちろん死ぬほど美しいのだけれど。

某日、熱は下がったが体力払底でふらふら。これはショーン・ペンが監督した某映画のようだと切実に感じる。寝たり起きたりの一日の終わりにふとテレビをいじっているとDVDが見えることに気づき、純の持参してくれた『ナイト・スリーパーズ』を拝見。ジェシー・アイゼンバーグもダコタ・ファニングも大人になった。この監督、ひょっとして『ユリイカ』見たのかな、などと余計なことを考えつつ、堪能。想像どおりとはいえ、ラストにひどく感銘を受ける。夜半、ギター(伊豆常駐のムスタング)を掻き毟ったあとやっと買い物に出た。その後、山田さんと長々電話で喋る。

某日、六時起床。今日こそは踏ん切りをつけねばなるまい。もちろん体力が戻るわけはないが。そんなわけで書きつつ眠り、書きつつ眠りしながら、最後は気力を振り絞って13時30分ようやく脱稿に至る。歓喜と脱力に一気に至る。このまま眠りたいが眠れない。あちこち電話するがみんな忙しい。ふと空に繋がり、長々と談笑。気づけば食う物が何もないのだが、外は大雨。買い物に出る気力も体力もない。脳が収縮しているのが分る。そろそろPFFも発表の時刻ではないのか。気が急く。ともあれ小説『樊噲 HANQUAI』もいずれやがて皆様のお目に触れることとなりましょう。乞うご期待。 午後、昏々と眠り続ける。夕方PFFでグランプリを獲った『オーファンズ・ブルース』のプロデューサー、窪瀬環から歓喜の電話。寝起きだったが、とにかくよかったね、と。私の京都での活動もこれで完結。出会うことのできた若者たちに心から感謝。お祝いに久しぶりの『カフーツ』を。リヴォン、リック、リチャード三人の歌声とガースの天才に空腹を忘れてひたすらさめざめと涙を流す。雨は降り続けるが、降るがままにしておけ。人生はカーニバルなんだぜ。

某日、これまた悪天候。しかし何か食わないと死んでしまう、という気がして雨が穏やかになった隙に早朝コンビニへ。家に入るなり再び大降り。疲れて例の『フォークナー、ミシシッピ』の続きを読み始めると途端に脱稿したばかりの原稿に手を入れたくなり、午前中はその作業に終始。外は再び嵐の態。マジでInto the wildである。また熱がぶり返す。しばし眠った午後、朝贖ってきた助六寿司をほおばっていると、あちらこちら友情に満ちた連絡が届く。雨も止んだらしい。気を落ち着けるべく『ムーンドッグ・マチネー』。あまりの素晴らしさにしばし言葉もない。特にやはりMystery Trainのリヴォンのドラムは、いつ聴いてもマジでヤバい。そして圧巻すぎるThe Great Pretender。さらなる推敲を経てまたもや睡眠。脳は限界に達している。暗くなると雨も止み、庭で虫の音が壮大な一個の交響楽を奏でる。それでもまだ推敲。自分がなぜこの小説を書く必要があったかという一文を中に埋め込む。もういいでしょう。夜はとろろそば。深夜、再び雨。

某日、下山準備。久方ぶりに朝の光が庭から部屋に差し込む。ところがまたしても雨。今度も激しく雷も伴う。気温はやけに高い。午後は止むということなので戯曲に着手しながら洗濯し、しばし休む。眠りが乏しかったせいか、幻聴なのか、遠くにずっとブラスバンドの演奏が聞えている。下の合宿所かとも思って窓を開けるが、すると聞こえなくなる。雨が小やみになってどんどん音が大きくなるので、もう一度窓を開けるとやはり遠くで鳴っているようでひと安心。困ったものだ。しかし洗濯機を三度回し干し終えた頃にはぼんやりして立てない。掃除もまだだがとにかく何か食おうということで、コンビニへ出かけついでにQ&Pも買うべく下山したのだが、下りはまだしも上りは足元がふらついて仕方ない。隣を走っていた車のドライバーをヒヤッとさせたかもしれない。せっかく甫木元家でいただいたエネルギーはすっかりなくなってしまった。おまけにまた雨。というわけで本日は断念。明日の朝はどうにかして帰らねば。

 
(つづく)






青山真治(あおやま・しんじ)
映画監督、舞台演出。1996年に『Helpless』で長編デビュー。2000年、『EUREKA』がカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞&エキュメニック賞をW受賞。また、同作品の小説版で三島由紀夫賞を受賞。主な監督作品に『月の砂漠』(01)『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(05)『サッド ヴァケイション』(07)『東京公園』(11)『共喰い』(13)、舞台演出作に『ワーニャおじさん』(チェーホフ)『フェードル』(ラシーヌ)など。
近況:上記のとおりさまざまとそのうちお目を汚すかと。『クリスティーン』の原稿はboid発のカーペンター本に、『遊星からの物体X』は次号「映画芸術」に近日掲載予定。

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2018年09月号

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2018年09月号

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