boidマガジン

2018年11月号

樋口泰人の妄想映画日記 その83

2018年11月16日 16:42 by boid

boid社長・樋口泰人による10月後半の妄想映画日記。爆音行脚は丸ノ内ピカデリーから高崎と大阪、そして新千歳へ、各会場での爆音調整が続きます。『アリー スター誕生』(監督:ブラッドリー・クーパー)、『ポルトの恋人たち』(監督:舩橋淳)の新作映画について。そんななかレジデンツのハーディ・フォックスの訃報も。今後のレジデンツにも思いを馳せて。



文・写真=樋口泰人


10月16日(火)
1週間分の事務作業と発送作業。夜は丸の内ピカデリーの爆音映画祭、残った3本の音調整。何度聴いても丸ピカの音は身体に馴染む。爆音の原点。いつまでもこの音を聞いていたいと思う。ゆったりとふわっと広がる低音、まろやかな高音が優しく、そして時に激しく会場全体を揺らす。ここの音だけは特別だ。


10月17日(水)
吉祥寺で打ち合わせがあったついでに、HMVとユニオンでレコードを何枚か。レジデンツのものは昨年発売されたのだが、スネイクフィンガーが亡くなる前、1987年のライヴとスタジオ録音。懐かしくも心踊る音。この音のおかげでわたしの音楽の世界が限りなく広がった。なんて妙な感慨に耽っていたのだが、月末になってレジデンツの広報担当ハーディ・フォックスの訃報を聞くことになるとはもちろんこのときは思いもしない。音、アート、広報が一体となった「ザ・レジデンツ」という集団の、ひとつのエンジンが消えということのなるのだが、しかし誰かが消えれば消えるほど消えた何かとして、レジデンツをレジデンツし始める。そしていつの日かホーマー・フリン氏が亡くなったとき、真の「ザ・レジデンツ」が誕生するという妄想に身体がほころぶ。



しかし吉祥寺での打ち合わせはなぜか水曜日が多い。ピワンだけではなく、わたしの吉祥寺中華のお気に入り翠蘭も定休日なのである。わたしのように常に体調が良くない者にとって翠蘭のおかゆ定食は本当にありがたいのだが。

夕方は内幸町のワーナー試写室にて『アリー スター誕生』。レディ・ガガ主演、ブラッドリー・クーパーが初監督で主演、という情報以外にまったく予備知識ないまま、もちろんバーブラ・ストライザンド版などは観てはいるものの、とにかくいきなりのライヴシーンの音がアンプからそのまま出ているようなゴツゴツした音で、しかもブラッドリー・クーパーのバックバンドをプロミス・オブ・ザ・リアルがやっているのであった。クーパーも自身の演技などについてニール・ヤングやエディ・ヴェダーを参考にしたとも語っているのだが、つまり、パール・ジャムをバックにした『ミラーボール』の頃のニール・ヤングを参考にした演奏、みたいなことになるのだろうか。だがそのこと以上に、レディ・ガガの歌声に驚いた。当たり前のようにさらりと、微妙な変化を散りばめている。物語の前半だったか、初レコーディングの時に緊張で上手く歌えなくなってしまった彼女に、クーパーがいつものようにピアノを弾きながら歌ったらいいということでレコーディングスタジオにピアノを運ばせるというエピソードが描かれていたのだが、この映画のレディ・ガガもこの歌声とともにあるからこそ俳優としての表情がするりと出てきているのではないか、そんなことも思った。




10月18日(木)
高崎へ。駅前は来るたびに綺麗になって、今年はなんと駅前だけではなく、雪で落ちてしまっていた電気館そばのアーケードの屋根も修復され、新しい店もできてアーケード全体が少し活気付いてきた気もした。しかし廃墟感が増すばかりのオリオン座と、夜の歓楽感は相変わらずだった。





そして爆音の方も今年から機材が少し変わり、電圧も200Vのフルデジタルのシステムになった。これまでに無い音圧感。太い中音域もしっかり出て嬉しい。


10月19日(金)
夜から本番。『ミッシェル・ガン・エレファント』。久々の爆音上映。バウスの頃に戻ったような感覚。高崎爆音の年齢層は全国の爆音映画祭の中で一番高いはずなのだが、さすがにこの映画だけは見かけ上20代から40代にぎゅっと圧縮されている。調整をやりながら、わたしも少し若返った気分になった。調子付いて音量を上げたりするわけだが、現実のわたしの身体が、その音量を受け付けなくなっていることもわかる。

しかしネオンのついた電気館はまだまだ十分に華やかである。




10月20日(土)
朝、散歩の途中で地回りの猫様に出会う。



本番2日目は『名探偵コナン ゼロの執行人』『グレイテスト・ショーマン』『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』『ラスト・ワルツ』。
冒頭、『コナン』の音が出ない。いきなりである。バウスの頃、スイッチの切り替え忘れみたいなことで出なかったことはあったが、原因不明のトラブルは初。怪しいケーブルがあってそれを取り替えたら突然出るようになって、上映再開したもののやはりすぐに出なくなる。さまざまな原因を確かめつつ、3回目に音が出なくなった時に原因がはっきりした。要するに電力量の不足。計算上はまったく問題なかったのだが、やはり古いビルなのでこちらの計算通りにはいかない。『エリ・エリ』のためのフィルム巻き取り機を使用すると急に電圧が落ちて、その落ちた電圧に対してデジタルアンプが安全対策として反応して音を出すのをやめた、というような流れ。とりあえず最初の方だけだったので、上映はその部分をやり直して再開。終了後に招待券配布、という対策をとった。いろんなことが起こる。こういう時、シネコンだと本当に大ごとになってしまうのだが、電気館のような劇場だと劇場がそれを許してくれるというか、来場者の方たちもおおらかにそれを受け入れてくれ、こちらとしては本当に助かった。常にこういうことが起こるということが想定されているわけでは無いのだが、何かがあった時にそれをおおらかに受け入れ対応できる抜け穴のような場所があるのはいい。それに甘えるわけでは無いが、それがあることによってギリギリのところで何かがうまくいく。そんな場所とともにありたいと思う。

『グレイテスト・ショーマン』は安定の音、すでに映画館としては通常の使命を終えた電気館という場所にふさわしい上映になったのではないか。
フィルム上映の『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』は冒頭からこれまで以上に不吉なというか、暗鬱な空気が流れ、久々の爆音だったのだがあらためて驚いた。いったい自分はこの映画の何を観てきたのだろう、という気分にもなった。20世紀が終わりフィルムの終わりが確実に明らかになった21世紀のはじめ。21世紀になって大きく変わるはずの世界を20世紀の終わりに描いた黒沢さんの『大いなる幻影』の時代設定である2003年をも超えてしまった2005年の製作。少なくとも映画は何かが確実に変わった。それを弔うことより、それが亡くなった中でいったい我々には何ができるのかをまず今ここで考えざるをえないくらいには十分追い詰められていたし、それは今も同じである。その前向きな翳りの深さ。ナンシー・シナトラの「The end of the world」がモノラルからステレオになる瞬間の喪失感と同時に現れる世界の広がり。われわれは常に何かをなくし同時にその失われた何かによって世界を広げてきた。ただそれだけのことだ。だがそのただそれだけのことが途方もなく悲しい。そして後戻りはできない。

そんな翳りの中で観る『ラスト・ワルツ』も格別であった。そこに映る全員が、存命の人も含めて、すでにこの世にいない人々に見えた。


10月21日(日)
昨日の猫様はそれなりに人馴れしていたが、本日の2名はあからさまな警戒感まるだし。挨拶だけした。





『「幻想」&「巨人」小澤征爾+サイトウ・キネン・オーケストラ』は果たして普段クラシックの音響に慣れている方たちにどのように聴いていただけるか? 以前ベルリン・フィルの映画をやった時はその録音の良さ、精密さに助けられたのだが、今回の場合はブルーレイの音で、ベルリン・フィルほどのマイクの数は無いはずだ。したがって楽器の音の再現性、ということよりも会場全体の音の響きや大胆な音の動きがどんな風に聞こえてくるかに気を使った。というかこの映画は指揮する小澤征爾を真正面から捉えたショットなどがあって、指揮者の表情や身体の動きがそのまま音楽になっていることが見て取れる。あるいは指揮者がその場で聞いていた音楽が今ここで鳴っているように。その意味では『ベイビー・ドライバー』的作品とも言える。

『キングコング対ゴジラ』は予想通りの男性率だった。8割以上か。3月にみなみ会館でやった時はデジタルリマスターされた音の振り分けのバランスに苦労したのだが、今回はまったく普通に聴こえてくる。あの時の苦労が嘘のようだ。何れにしても結果は同様。キングコングを讃える音楽が鳴り始めた瞬間から心は少年に戻ってしまう。そして『遊星からの物体X』ではさらに男性率が上がった。女性は3名ほどではなかったか。こちらとしては誰が観ても全然大丈夫とは言わないまでも普通に面白く観ることができますと訴えてきたつもりでも、やはり観る前に「わたしには無理」と思わせる何かが出てしまっているのだろう。まあ確かに、「物体X」が暴れ始めるとわたしは笑ってしまうが、そうでない人もいるのはよくわかる。しかし、『ロード・オブ・ザ・リング』ではもっとグロくて残酷なものが映っていたようにも思うのだが。主人公が少年で、とりあえず少年に感情移入さえしてしまえば、そのグロさも乗り越えられる、ということなのか。だとすると物体X自体に問題があるのではなく、カート・ラッセルと隊員たちに問題があるということになる。たとえば『オーシャンズ8』みたいな感じで女性版というか現代版の『遊星からの物体X』を企画してみるのも面白いのではないか。

そしてあっという間に高崎爆音は終了。打ち上げも済まし、終電の新幹線で東京に戻ったわけだが、例によってわたしが適当な調べ方をして切符を買ったものだから、危うく丸ノ内線の終電を逃すところだった。自分をまったく信用していないせいで、新幹線の中で乗り換えの路線を再確認したおかげで助かった。というか、最初からどうしてちゃんとできないのだろうか。




10月22日(月)
事務所にて事務作業と発送など。そして夜は渋谷のSPBSという書店のセレクトショップのような場所で『ジョン・カーペンター読本』のトークイヴェント。黒沢さん、篠崎、そしてわたし。『恐怖の映画史』を作った時のような、リラックスした雰囲気でということでテーマなどは特に決めず、成り行き任せ。黒沢さんからは「カーペンターは蕎麦のようなものだと誰かが言っていた。つまり噛むのではなくのどごし」という問題発言も。もちろんそのために言葉は必要だが、その言葉ひとつで明瞭なイメージを結ぶのではなく、似たような言葉を繰り返し発し、繰り返し聞くことで少しずつイメージが固まってくるような、そんな存在ではないかと。つまり『遊星からの物体X』をリバイバルしたから終わりではまったくないということである。

深夜の帰宅。高円寺駅前の通りの街灯は、クリスマス時期には緑や赤になるはずだが、この時期はオレンジ。枯葉色ということなのか。




10月23日(火)
引き続く事務作業で試写を逃す。


10月24日(水)
やはり事務作業が終わらず、夕方、ようやく大阪へと向かう。なんばパークスシネマでの初爆音。会場に着くとセッティングはほぼ終わっていて、音のチェック。明日からの調整の方向を決める。




10月25日(木)
朝から『レ・ミゼラブル』『セッション』『ラ・ラ・ランド』『グレイテスト・ショーマン』『バーフバリ 伝説誕生』『バーフバリ 王の凱旋』の調整をやり、19時から『レ・ミゼラブル』の本番。やり慣れている作品ばかりだとはいえ、初めての場所での調整は時間がかかる。試行錯誤が続く。一度それぞれを完成させてようやく掴んだ感触で、再度それぞれをチェックして、ようやく本番へ。『バーフバリ 伝説誕生』は一度やった調整を全部ひっくり返した。そこにかけた時間は一体なんだったのか、ということなのだがまあそういうこともある。

外は満月だった。トニー・ジョー・ホワイトの死を知る。 




10月26日(金)
深夜の調整に備え、遅めの起床。昼は久々のなんばを散策した。海外からの観光客がすごい。とにかく平日の昼なのにどこもいっぱいである。この風景を見ると日本の中心はなんばではないかとさえ思えてくる。東京は世界のどこにでもあるその国の経済の中心地ではあるが、観光客はどこにでもあるものを見たいわけじゃないし、それなら本当に最先端のものを見たいわけだから、80年代ならP.I.L.のアルバム・ジャケットにもなった新宿の交差点も、今や単に時代遅れなだけである。もちろん、最先端かエキゾチシズムかという観光客を気にしていては生きていけないわけだから、こちらは勝手にやるだけである。

夜はなんばの数ある焼肉店のひとつにて夕食。なんばは高円寺や西荻のガード下の飲み屋街をでかくした場所、というわたしの個人的な見解なのだが、まあその勝手な思い込みのおかげでどこか地元感もあり、リラックスして食べすぎる。焼肉が普通にうまかったのだ。黒沢さんがカーペンターを語るときに使う「映画はこれくらいでいい」という言い方ではないが、「焼肉はこれくらいでいい」というベースがガッチリ固まっている感じ。特別感はなくてもいい。普通に当たり前のようにこれくらい。豊かさとはこういうものではないかとさえ思う。おかげで深夜の調整は朝まで不思議なくらいに元気だった。



『ミッション:インポッシブル フォールアウト』の音響と音楽に驚いた。『メッセージ』や『ダンケルク』『ブレードランナー2049』などでヨハン・ヨハンソンやハンス・ジマーがやってきたさまざまな実験がすでにこうやってハリウッド大作の中で普通に使われている。その音楽や音のベースの広がりと厚さに驚いたということである。何かがすぐに共有され、あらゆる人の財産になるスピード感はデジタルの恩恵、ということなのか。いやこういう音の群れの中から、ヨハン・ヨハンソンやハンス・ジマーが生まれた、その基盤の確かさと広がりと深さを再確認させられたということだ。とにかくこんなすごい事態が普通に起こっているのに、今回のなんばの爆音映画祭では最もチケットが売れていない。とにかく今後も上映し続けるしかない。


10月27日(土)
ひどい頭痛で目がさめる。わたしの場合通常なら子供分の頭痛薬で大体の頭痛が治るのだが、今回は目が覚めた瞬間から大人分飲まないとと思うほどのものだった。そして飲んでも少しは楽になったものの痛みが引くわけではなく、仕方がないので夕方まで寝続ける。しかしまだしっくりせず、とりあえず夜の『グレイテスト・ショーマン』の上映前に挨拶を済ませ、予定を早めて帰宅した。昨夜の異常な元気がこの頭痛の予兆だったのか。


10月28日(日)
昼はゆっくりと休み、まだ微妙に頭に違和感を感じつつ、夜はユーロスペースへ。『EM エンバーミング』を観て、上映後に青山とトーク。いきなり死体の汚れを流す水の溢れる音にやられる。なんだろう、特別な仕掛けがしてあるわけではない。他の音より少しだけボリュームが上げられているのかもしれない。死への過程が完全に終了していく音と言ったらいいのか。これでおしまい、もはやこれまでという音なのだが完全に終わりではない。その死体が抱えていた記憶やあったかもしれない未来への思いが、「もうおしまい」という現在の中に流れ込んで、ただの死体の血に染まった水をさらに濃厚なものにしている。トークの時にも言ったのだが、オリヴィエ・アサイヤスの『感傷的な運命』でのできたてのコニャックを注ぐ時の音に素早く青山が反応していたことを思い出した。あちらは19世紀から20世紀への転換点の物語で、まさに映画が始まった頃。こちらは20世紀の終わりの物語で、フィルムの時代が終わろうとしている映画の転換点の時代の物語。青山によればあの水はフィルムの現像液でもあるとのこと。しかし死体から血液を抜き取る巨大な装置はすごかった。映画が見る悪夢のような、悪夢ではあるが憧れでもあるような装置に見えた。あれは本物で、本当にある機械なのだそうだ。医学部出身の映画監督とか、いつの日か出てきてくれないだろうか。以前カナザワ映画祭で上映したあの映画の監督は医者だと言われたような気もするが、すでにタイトルさえ思い出せない。


10月29日(月)
パスポートの更新で都庁へ。爽やかな秋の日差し、という絵に描いたような天気だったが頭痛は続く。こんな状態でロシアへは本当に行けるのだろうか。 そして事務仕事と発送作業で1日終了。




10月30日(火)
昼は引き続き事務作業。そして夜は某映画の試写に。その帰り、夜の日比谷公会堂がなかなかいい感じだった。



その後、見損ねていた『ポルトの恋人たち』のサンプルを。冒頭の風の音が心に染みた。何だろう、単に風の音なのに。誰が何と言おうとポルトガルの大西洋岸を吹く風の音がした。ポルトには行ったことはないが、しかし行ったことさえない人の遠い記憶を掘り起こし、かつてもしかすると行ったかもしれないその場所の音を聞かせてしまう、そんな音だった。いくつもの歴史がそこに込められていた。それがこれから語られるのだという映画のスイッチの音だった。そしてふたつの時代の物語が語られることになるわけだが、同じ俳優たちが微妙に関係をずらしながら似たような物語が繰り返される。しかし繰り返しではなくそれぞれが最初で最後のかけがえのなさをも持つ現在形の映画だった。「風」というよりも「波」と言ったらいいか。浜辺にずっと佇んでいたい。海のそばに住みたい欲望が沸き上がる。海のない場所で育ったからだろうか。そしてこの映画の後半で現れる浜松の海はポルトとはまた違った音がした。いや、あれは浜名湖だったのか? もはや区別がつかない。こうやっていくつもの時代のいくつもの人の記憶が流れ込み混乱し、「わたし」が新しくなっていく。そんな記憶と現在とわたしと他人とこことよそとの運動とともにある映画だった。




10月31日(火)
昨日行った月末の振込仕事のミスがあれこれ発覚。その対応に追われる。ミスといっても単に口座番号や口座名義の入力ミスなので、まあ相変わらずといえば相変わらず。その度に追加手数料を取られるのが腹立たしい。

そして羽田へ向かい新千歳へ。いよいよ国際アニメーション映画祭が始まるわけだが、例年ならもっと寒くて「いよいよ」感が高まるのだが、今年は暖かいせいか、あるいは忙しさのためか例年のような感触がない。当たり前のように飛行機に乗る。担当者からは「今年はこれまでのようにぎっくり腰だのメニエールなどがなく元気で何より」というメールがやってきたので、そう言われるとやはり「ここも痛いあそこもダメだ、さらにここも調子悪い」と返信することになる。大人の挨拶とはこのようにするものだと、個人的には思っている。

新千歳に着くと予想以上に地震の影響がまだまだ残っていることを知らされる。そういえばいつもなら満員の飛行機も、空席が目立っていた。総合すると映画祭が開催されたのは奇跡。とりあえず来年の新千歳までには何度か北海道に来て賑やかせられたらと思う。そして初めて食べた筋子の握り寿司が、しょっぱいのではないかという予想を見事に覆す絶妙の味だった。







樋口泰人(ひぐち・やすひと)
映画批評家、boid主宰。『遊星からの物体X』全国ロードショー中。11/14(水)-18(日)「爆音映画祭 in 109シネマズ広島」、11/22(木)-25(日)「爆音映画祭 in MOVIXあまがさき」Vol.2、12/7(木)-9(日)「爆音映画祭2018 in 松本」、12/13(木)-17(月)「爆音映画祭 in MOVIX京都」

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