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2015年07月号 vol.4

毛利悠子のプラスチックフォレスト 第5回

2015年07月31日 22:58 by boid
2015年07月31日 22:58 by boid
NYの滞在も残り1ヶ月となったアーティスト毛利悠子さんによる「毛利悠子のプラスチックフォレスト」の第5回目です。アーティストが美術関係者と出会うためのシステムが整っていて、作品の発表の場のチャンスを得ることもできるNY。毛利さんもとある出会いからギャラリーでのグループ展に現在参加中です。外国人として滞在するなかで感じる他者との関係、それを切り開くアートの現場などリアルな状況とは…。今回の記事は特別に無料公開中ですので、多くの方に読んでいただきたいです。

オープニングパーティーの日、ギャラリーの目の前にホットドックの屋台を連れてきて、
サマーグループショーを盛り上げたギャラリストのKate Werbleと。



文=毛利悠子

 私の滞在も残すところ1か月となった。
 実は7月中旬から、ソーホーにある Kate Werble Gallery で開かれているグループ展に参加している。この展覧会は、今回の滞在の予定には入っていなかったのだが、先日、オープンスタジオをしたLMCC(Lower Manhattan Cultural Council)から、ニューヨークで活動するアーティスト、キュレーター、ファウンダー、ギャラリストなどを紹介されるなかで、不思議な縁から実現したものだ。
 アートが盛んなこの街には、チェルシー、ロウアーイーストサイド、アッパーイースト、ブルックリンのウィリアムズバーグ、ブシュウィックなど、いたるところにたくさんのギャラリーがある。だから仕事もたくさんあるかというとそうではない。アーティストがさらにたくさんいて、みんなが発表できるわけではないのだ。日本と同じように、同世代のアーティストのほとんどはなんらかの副業をしている。
 ただ、ここでは、アートが流通するシステムというか、発表の機会となる企画側のリサーチやアーティストとの対話の効率化はとても進んでいて、そのキモとなる「スタジオ・ヴィジット」が頻繁に行なわれている。スタジオ・ヴィジットとは、アーティストが作品制作の作業をしている場所にさまざまな人が訪れて、これまで制作してきた作品やこれからのアイディアなどの意見交換をし、次の展開へつなげる重要なプログラムだ。
 驚いたのは、ウォール街にあるLMCCのもうひとつのシェア・スタジオでは、毎週月曜日にサロンを設け、キュレーターが飲み物を片手に、制作途中のアーティストにコメントを残したり、制作の現場を見にきていることだった。ホイットニー・ミュージアムのキュレーターが、スタジオで制作している作家たちひとりひとりと対話をしている場に、私はたまたま居合わせたことがある。今年5月、ミートパッキング・ディストリクトに引っ越してリニューアル・オープンしたホイットニー・ミュージアムでは、最高のコレクション展「America Is Hard to See」に加えて、ほぼ毎日(!)イベント企画がおこなわれているのだが、わたしが居合わせたときにスタジオ・ヴィジットされていた作家がイベントに多数参加していて、「発表の機会」というものがどこに転がっているのかを目の当たりにしたような気がした。LMCCに入る倍率が高い理由も納得がゆく──ま、私は「外国から来た」という理由だけで特になんの試験もなく入れたので、ただのラッキーなのだけど(笑)。
 いずれにせよ、こういったプログラムで、アートにまつわる仕事をしている地元の人たちとコミュニケーションできたのは貴重な機会だった。LMCCのスタッフに紹介されるがままに、とにかくどんなジャンルの人でも直接会いに行って対話を続けたこと自体が刺激的だったし、それは幸運なことに、想像もしていなかった展覧会の参加というかたちで実を結んだのだ。

 「モウリさん、ニューヨークで読んでみて」という手紙とともに、四方田犬彦さんから『ニューヨークより不思議 Stranger than New York』(河出書房新社)という文庫をいただいた。これは1987年と2015年の2度にわたるニューヨーク滞在のエッセイで、ニューヨークに集まるよそ者=ストレンジャーの話が続く。四方田さんが出会った日本人、韓国人、中国人、キューバ人たちから見たアメリカについて書かれた本だ。
 ニューヨークに住んで5か月も経ちながら、どうしていまだに土地になじめないのだろうと思うのだが、その理由のひとつに、なにがローカルなのかがわからなくなるくらい、いろんな人種の人々が住んでいることが挙げられるかもしれない。この本を読んで深く共感したのは、ニューヨークにいる人々が、ほとんどみんなストレンジャーであるということだ。
 ある日、私は知人の自宅の食事会に呼んでもらった。そこには、とあるインスティトゥーションのディレクターやギャラリストも同席していた。彼らはニューヨーク以外の街出身のアメリカ人だった。彼らと一緒に、私もいろいろと話をしていたのだが、どうも様子がおかしい。話が盛り上がりそうになる……のだが、どうしても沈んでしまう。私の英語力が足りないのか? いや、決して完璧とは言えないが、理解はできている。会話の調子のつかめなさは、これが直接の原因ではなさそうだ。その時、私はハッとした。これはもしかしたら、差別されているのか……?
 子どもの頃から「お金がない人も身体が不自由な人も、誰とでも平等に付き合う」と教育を受けてきた。「差別はしてはいけない」という道徳のもと、いつのまにか、己はあくまで差別「する側」であって「される側」ではない、という意識になっていたことにもあきれるが、それにしても自分がこんなふうに差別されるとは、本当に思ってもみなかった(笑)。日本でどんだけヌクヌク育ってきたんや、とツッコミをいれたほどだ。
 ただ、「差別」というと、言葉は強い。もう少しニュアンスを正確に伝えるとすれば、グループ唯一のアジア人としての私は、「私たちとは違う」というような「区別」をされていたと言うべきか。
 観察していくうちに、どうやらこの人たちに悪気はなさそうだということがわかってきた。どちらかというと、この場におけるストレンジャー(=筆者)との接し方をどうしたらいいかわからないという、ある種の保守的な態度が滲み出ているようなのだ。
 自分のニューヨークでの生活を思い返してみると、私だって、これまで触れたことのない人種の人々に戸惑いもあった。そして、失礼でありたくないと思うことや、どのように話しかければよいのかわからないという気持ち、また習慣の違いなどから、人、あるいは人種を無意識的に区別していた。そしてもしかしたら、相手はそれを差別だと感じていたかもしれない。ここまで考えたとき、四方田さんの文章が響いた。

「すでに久しい昔から、わたしには自分の内側で敵なるものに廻りあうことがなくなっていた。敵の消滅の代わりに登場したのは〈他者〉であり、それはわたしの場合には抽象的な存在ではなく、つねに具体的な存在だった。わたしが読み込めない表情をもち、聴き取り難い言葉を喋り、わたしを当惑させると同時に自分をも当惑させている、具体的な他者であった。ニューヨークでは一歩、街角に飛び出し、地下鉄に乗ろうものなら、たちどころに他者に取り囲まれてしまう。それに比べて、東京や京都の路上では、いかなる意味でも他者の記号は抑圧され、隠蔽され、それについて言及することが滑稽で場違いなことと見なされてしまう。」(四方田犬彦『ニューヨークより不思議』河出書房新社)

 もしかしたら、他者がまわりに溢れているニューヨークの状況に、わたしは戸惑い、それを「差別」として捉えてしまっていたのかもしれない。まさに「America Is Hard to See」! この状況においてはみんながストレンジャーなのだから、自分と他人という構図が無限に広がっていき、最終的には誰がどこに帰属しようが関係ない、あるいは誰もどこにも帰属していないという状況であるとも言える。みんな他人。つまりみんなイーブンなのだ。

 こういった、差別/被差別といった既知の枠組みにがんじがらめになっていた私を横っ腹からぶった切ってくれたのは、やはりアートだった。Kate Werble Galleryでのグループ展のお誘いは、スタジオ・ヴィジットをしてからわずか1週間後だった。「ユーコ、こんなに早く一緒に仕事しようって言うなんてクレイジーだけど面白いと思うから、ぜひ参加してほしい!」というメッセージだった。ケイトは私と同い年のニューヨーカーのギャラリスト。実は彼女はスタジオ行きのフェリーを乗り過ごすという失敗をしでかし、展覧会まで私の作品の実物をみたことがなかったのだが、カフェで1時間くらい写真や動画をみせながら仕事を紹介したところ"ピピピッ"と感じてくれたのか、グループ展にお誘いしてくれたのだ。こんな感じが、なんだかとてもニューヨークなのかもしれない。

 突然だけど、私はもっと旅がしたい。根拠はないけれども、1年の半分くらいは旅の途上にいたい。国内でも、海外でもいい。そんな生活を送るためにも、一生懸命働きたい。日本国内を旅行していると、信じられないくらいたくさん与謝野晶子と鉄幹の句碑が建っていて「この人たち、こんなところにも来てるのか!」とあきれるくらいなのだけど、本当は彼女と同じくらい旅がしたい。そしてさまざまな景色をセンサリングする目や鼻や皮膚の精度を研ぎ澄ませたい。
 2011年の冬から2012年の春にかけて、私はバルセロナに滞在していた。地中海に面したこの地域は、ごはんも美味しく、気候もいい。私の棲まいは東側にある再開発地区に建てられたばかりのアーティストのための滞在施設で、その初めての住人として招かれたのだった。
 再開発地区といっても、リーマンショックの記憶も新しく、渋谷109ほどの大きな建物を2、3人の工事員で切り盛りしているような途方もない建設現場ばかり。再開発の終わりが見えず、経済的には決して豊かでないことがうかがえた。実際、その工事は私が過ごした3か月間、ひとつも景色を変えることがなかった。
 バルセロナのシティカウンシルが主なスポンサーだったその滞在施設は、そんな経済状況もあり、まったく未完成のままスタートしていた。住人はマドリードから来たふたりのチリ人、そして韓国人、ケベックに住むフランス人、そしてわたしの計5名。できあがったばかりの新築住宅にもかかわらず、5人がシャワーを連続で浴びるとタンクのお湯が底をついて冷たい水シャワーを浴びるはめになったり、インターネットやテレビといった通信施設が一切ないなど、欠陥だらけの施設だった。最初はカウンシルにクレームを申し立てたものだが、まあ私もテキトーな性格なので、仲間たちとシャワーを浴びる時間を調整しあったり、桶を買ってきて足湯を教えてあげたりして、なんだかんだと楽しく過ごしたことを思い出す。インターネットだって、家を出て3分ほど離れたところにスタジオにさえ行けば電波が転がっていたから、それほど問題はなかった。だいたいにして、海外の滞在生活というのは時間だけは充分にあるから、不便な生活もさまざまなアイデアや工夫の源泉としては悪くはないものなのだ。

 ──ということを思い出したのは、昨日、iPhoneを風呂に落としたからだ。
 水に浸って約1秒。お湯の中でiPhoneの液晶がゆらゆら~っとして、掬い上げると画面が少しバグって、何も言わずとさらっと電源が落ちていった。
 その後しばらく、明日からどうしようか……という絶望感があったのだけれど、10分ほどすると、その感情の波はすぐに消えていった。乾燥剤やお米と一緒に真空パックをしたり、冷蔵庫に入れたり、コンピュータの熱で暖めたりといった、インターネット上にいくらでも転がっている「水没したiPhoneの緊急対処」でできあがった米粒まみれの10センチ四方の物体はあまりに滑稽で、この物体を介して触れていたSNSやニュースなどのハンディなインターネットワールドとの決裂があまりにもあっけなく思えた。ニューヨークでのネット依存ぎみの生活、ほとんど自分の目、鼻、皮膚センサーを使わない状態だったので、これはちょうどいい機会だと開きなおった。
 ちょうど24時間後、米袋から出したiPhoneは見事に復活したのだった。そして、何も考えずにまたSNSにふけっていた……。自分の感覚をチューニングし、研ぎ澄ましていくことは、まだまだとても難しい。


毛利悠子(美術家)
1980年神奈川県生まれ。世界のさまざまな都市で見つけた日用品やジャンクをキネティックなオブジェとして再構成し、磁力や重力、光、温度といった目に見えない力を感じさせるインスタレーション作品を制作する美術家。 主な個展に「ソバージュ 都市の中の野生」(Art Center Ongoing/2013年)、「サーカス」(東京都現代美術館ブルームバーグ・パヴィリオン/2012年)、主なグループ展に「CAUSALITY: Kinetic expressions」(1335MABINI/マニラ/2014年)、「見過ごしてきたもの」(せんだいメディアテーク/2013年)など国内外多数。 また昨年は2つの国際展「札幌国際芸術祭2014」「ヨコハマトリエンナーレ2014」に参加。東京の駅構内の水漏れの対処現場のフィールドワーク「モレモレ東京」を主宰。 2015年春からは、ACCグランティとして半年間ニューヨークに滞在。ウェブサイトはこちら

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