ニール・ヤングが監督した映画『ヒューマン・ハイウェイ』のディレクターズ・カット版が9月12日(土)から公開されます。同作は82年に一度公開された映画ですが、今回上映されるのは2014年のトロント映画祭でお披露目された再編集版で、もちろん日本初公開。約30年の時を経てついに"完成”された『ヒューマン・ハイウェイ』の上映を記念して、ここにニール・ヤング監督のインタヴューを期間限定で無料公開します。
ディレクターズ・カット版の編集作業を担当されたトシ・オーヌキ(大貫敏之)さんのご協力のもと、今年の4月にカリフォルニアに住む監督を訪ねておこなった独占インタヴューです(その時の旅行記はこちら→その1その2)。短時間の取材だったものの、ニール・ヤングが『ヒューマン・ハイウェイ』について語った稀少かつ貴重な記事になっていると思いますので、映画とともにぜひご覧ください。





聞き手:樋口泰人、トシ・オーヌキ
写真:兼子裕代


――まず、『ヒューマン・ハイウェイ』を作るきっかけは何だったのでしょうか。 あなたは長年にわたって政治や環境問題、社会的な諸問題に多大な関心を持たれてきたと思いますが、この作品は特にスリーマイル島の(原子力発電所)事故(1979年)を想起させます。

ニール・ヤング(以下NY) 『ヒューマン・ハイウェイ』を作ったのは1978年だったと思う。いやもう少し遅いかもしれない……とにかく70年末だね。人々の無関心さを描く作品を作りたいと思ったんだ。日々の生活のなかで起こる危機に気づかず、知っていてもそれを無視し続ける人々。彼らは大変危険な結末に直面するだろう。待ち受けている現実を何も知らないのは愚かなことだ。

――今の日本もスリーマイル島の事故が起こった当時のアメリカと似たような状況にあります。現実的ではない質問ですが、今、もしあなたが日本に住んでいたら、どのような映画を撮ったと思いますか?

NY もし日本についての映画を作る、もしくは日本で映画を作るとしたら、そこで起こっている問題について語らなければならないと思う。例えば、人々が現状にどのように反応し、いかに強く生きているか、そして間違った政府の政策にどう耐えているのか。危機に対する正しい情報の欠如に関することがテーマになるだろう。僕の目には、政治が人々の生活を助ける本来の目的を忘れ、政府はただ体裁のいいイメージ作るだけになってしまっているように映っている。

――『ヒューマン・ハイウェイ』の製作はどのように始まったのでしょうか? 台本のようなものはありましたか? はじめに撮影したシーンは何ですか?

NY 『ヒューマン・ハイウェイ』の制作が始まったのは……16ミリフィルムを使ってアメリカ中部の荒野での撮影からだね。初めに撮影したのは、主人公のライオネル(ニール・ヤング)がガレージで車を修理している最中にうっかり頭を打って脳震盪を起こし、妄想的な夢を見るシーンだ。『ヒューマン・ハイウェイ』の物語は、ありふれた小さな田舎町での一日の出来事なんだ。でも、最後には世界が終末を迎え、すべてが吹っ飛んでしまう。その日が最後の日だとも知らずに、のんきに暮らしていたら、いきなり最後の日を迎えてしまうという筋書きだ。そもそも数日にわたる話を作り上げるのは到底無理だったよ(笑)。
最初に撮影した夢のシーンの素材は編集で短くして、『ヒューマン・ハイウェイ』本編の真ん中のあたりに入れた。両方(本編と夢)のストーリーには同じ人物が登場するけれど、夢なので全く違うキャラクターとして登場する。

――なぜ、夢のシーンから映画作りが始まることになったのか説明していただけますか?

NY 順番としては夢のシーンから撮影を始めたことになるが、正直なところ、はっきりとした撮影プランもなく闇雲にやっていたと思うね(笑)。夢のシーンの後は、小さな町のすべて、それから軍事基地、原子力発電所、核廃棄物処理場や事務所、(舞台となる町の遠方に見える)大都会の模型を撮影した。すべてのシーンは夢の場面の後で撮ったんだ。これが僕の頭の中にあった物語に沿ったシーンの順番だ。でも実際の映画はそうじゃない。物語はオットー(ディーン・ストックウェル)の自動車整備工場がある小さな町から始まる。周囲で起ころうとしている危機に無関心で何も感じない人々が生活している。何事も良しとして過ごす人間たちだ。やがて奇妙なことが起こり始めるが、それにも気づかない彼らに思わぬ事態が訪れるんだよ。

――完成までどのくらいかかりましたか?

NY スタジオに作ったセットでの撮影は30日ぐらいかかったと思う。このセットは、ちょっと普通じゃない非現実的な世界なんだ。妄想的な世界が現実になったようなね。すべてが作り物なのに、あらゆる物がリアルに見えたよ。

――完成した映画は構想していたものと、どのようなところが変わりましたか?

NY 当時、僕が思い描いていたことは、経験不足で表現しきれていなかったと長い間思っていた。経験豊富な監督なら簡単なことでも、僕にはわかっていないことがあった。年を重ねるごとに、コメディーの作り方やテクニックがだんだんわかってきて、最初に公開したヴァージョンではやれていなかったことがやっと見えてきた。自分の中では明らかなストーリーやコンセプトでも、観客に伝わらなければ意味がないと思う。それを理解させるにはどうしたらいいのか。例えばより雰囲気が伝わるシーンを作ったり、ラジオ放送の音を加える事によって背景の筋書きを明確にするなど、ヴォイスオーヴァーを使った説明的なやり方も試みた。


取材を行ったカリフォルニア州オックスナードのテアトロシアター。以前は映画館だった



――あなたの映画には、ハリウッド作品とは違う手作り感が感じられますが、その一方で、40年代や50年代のハリウッドのスタジオで作られた映画のようにも見えます。その頃の映画へのあこがれのようなものはありますか?

NY 僕には、現実的でない表現のほうが遥かに信憑性があるように思えてならない。最近のCGは超現実的すぎる。あまりにも見えすぎてしまって、想像の余地がない。それに比べて古い映画は僕らの想像力をかき立てるよね。背景が描かれた物だったり模型だったりするからね。昔の映画は背景が不自然ですべてが造られたものであっても中味がつまっていた。僕の映画は最近のテレビのリアリティショーや特撮に溢れたハリウッド映画とは全く違う作り方なんだ。あんな物に興味ないよ。

――『悲しみは空の彼方に Imitation Of Life』(59年)を撮ったダグラス・サークという監督をご存知ですか? 彼が現実と虚像について似たようなことを言っています。

NY 申し訳ない。僕は不勉強で映画の知識はあまりないんだよ。いつも自分の直感的なものに頼っているんだ。ただ、フランシス・フォード・コッポラの『ワン・フロム・ザ・ハート』(82年)はとても好きだし、僕の『ヒューマン・ハイウェイ』と似ていると思う。『うっかり博士の大発明 フラバァ』(ロバート・スティーブンソン監督、61年)や50年代のジェリー・ルイスのコメディーも大好きだよ。キャラクター作りが素晴らしいと思う。笑えるのに悲しくもあり、心を動かされる。

――出演者たちはどうやって集めましたか? デニス・ホッパーやディーン・ストックウェルのような、すでにハリウッドでも名を成していた人たちには、演出の上でどんな指示を出しましたか?

NY ただ一緒に楽しくやっただけさ。演出なんて大げさな事はしちゃいないよ。やったことといえば毎朝、決まってミーティングをしたことぐらいだね。シーンの中の会話について話し合ったり、大まかな段取りを決めたりした。本番ではある程度の即興を取り入れながら、決められた枠の中で自由に演技ができたと思う。

――DEVOの役に関しては、あらかじめ彼らを想定してシナリオを書いたのでしょうか?

NY そうだな…まずセットを作っていたんだが、その過程で彼らは原子力発電所で働いている役にすんなり決まったと思う。燃料廃棄物のドラム缶を運んだりするのが抜群に似合うと思ったからね。ブギー・ボーイのキャラもまるでミュータントみたいでイメージに合っていた。

――セットの撮影はどこのスタジオで行われたんですか?

NY メルローズアベニュー(ロサンゼルス)のプロデューサーズ・スタジオ(現ラレー・スタジオ)だ。

――撮影の際、絵コンテのようなものは描いたりしたのでしょうか?

NY マイケル・マイナーというアートディレクターと一緒に絵コンテ作りをした。イメージを伝えて、彼が僕のコンセプトを上手にまとめてくれたんだ。試行錯誤してデザインしたセットは、大きなスタジオで組み立て、全部そこで撮影した。

――画面の背景に映る列車は、あなたのミニチュアの模型ですか?

NY あれは僕のではなく借りたんだ。6フィートもあるバカでかい模型なんだよ。





――『ヒューマン・ハイウェイ』の編集、ポストプロダクションには、どれくらいの時間がかかりましたか? 当時も公開後に一度ディレクターズ・カット版を編集されたと聞いていますが、葛藤のようなものはありましたか?

NY 当時の編集期間は1年半ぐらいだった。本来あるべき姿になっていなかった。どこか抽象的でストーリーのテンポも遅く、わかりづらかったと思う。葛藤があるとしたら、それは自分自身に対してだったと思う。単純に自分が望むことをやろうとしただけだ。自分でやるしかなかったしね…映画の制作費だって自分で出していたんだよ。台本が無かったから、誰かに売り込むこともできなかったし、自分の考えを相手に伝えることも難しかった。だから当時は資金がまったくなかった。誰も助けてくれなかったよ(笑)。

――先ほど少しお話いただいたとは思いますが、『ヒューマン・ハイウェイ』を再編集しようとしたきっかけは?

NY 気に入らなかっただけだ。物語をうまく語れていなかった。『ヒューマン・ハイウェイ』という映画がずっと未完成だと感じて気になっていたんだ。いつでもやり直す機会はあったのに、どういうわけか手を付ける事ができなかった。やっと重い腰をあげたのさ。背景の音をいじったり、シーンの順番を入れ替えたり、繋がりがもっと滑らかになるようにした。ただ単に切り刻んだわけじゃなくね。

――編集をやり直していると足りないシーンが出てきたり、別テイクがほしくなったりはしませんでしたか?

NY そういうことはまったくなかった。必要なものはすでにあったからね。(最初にロケで撮影した)16ミリの素材が1時間半以上あったんだ。だからその素材を16~17分にカットして使えばよかった。

――ところで『ヒューマン・ハイウェイ』とはどのような意味ですか?

NY 『ヒューマン・ハイウェイ』の意味かい? ヒュー…(笑)。

エリオット・ロバーツ(マネージャー) 説明するのに3時間はかかるぞ。

NY 人生はどんどん進んでいってしまうものだが、僕らは常に自分が置かれている状況に注意を払わなければならないんだ。もし今起こっていることに目を瞑ってしまうのであれば、人生そのものに意味が無くなるのではないだろうか。結局のところ、物事は人々が意識しないうちに変化している。人はどれだけお金を稼ぐか、高い家をどうやって買うか、週末のデートをどうするか…いろいろな邪念の中で暮らしている。でも大事なのはそれらの背景にあるもの、僕らの周りにある見えにくい事実を見ることだと思うんだ。その事実を見ているごく少数の人だけが、わめき叫んで訴えているんだよ。『ヒューマン・ハイウェイ』の世界ではそんな人間がひとりもいないんだ。(了)


テアトロシアターのステージ。最新作『ザ・モンサント・イヤーズ』のレコーディングとPV撮影はここでおこなわれた


ニール・ヤング Neil Young
1945年カナダ・トロント生まれ。バッファロー・スプリングフィールドなどへの参加を経て、69年に1stソロアルバム『ニール・ヤング』を発表。これまでにリリースした、ソロおよびクレイジー・ホースやストレイ・ゲイターズ(ジャック・ニッチェ、ベン・キースetc.)など数多くのミュージシャンが参加したスタジオアルバム&ライヴ盤は50作品を超える。また、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングでの活動でも知られる。近年も年1枚のペースでアルバムを発表しており、6月末にプロミス・オブ・ザ・リアルとともに制作した最新作『ザ・モンサント・イヤーズ』が発売されたばかり。シェイキー・ピクチャーズで映画製作も手がけており、『ヒューマン・ハイウェイ』のほか『Journey Through the Past(過去への旅路)』(74年)、『ラスト・ネヴァー・スリープス』(79年)、『グリーンデイル』(03年)、『CSNY/デジャ・ヴ』(08年)を監督。





ヒューマン・ハイウェイ≪ディレクターズ・カット版≫ Human Highway
2014年(オリジナルは1982年)/ アメリカ / 80分 / 提供・配給:キングレコード / 監督・出演:バーナード・シェイキー(ニール・ヤング) / 出演: ディーン・ストックウェル、ラス・タンブリン、デニス・ホッパー、シャーロット・スチュワート、サリー・カークランド、DEVO
9月12日(土)より、新宿シネマカリテほかにてレイトショー