
『ダブル・ファンタジー』
文=湯浅学
ヨーコの大いなる母性宇宙 ヨーコ・オノ・ストーリー
ひとつずつ積み重ね構築されたというよりも、一気に花開き散り結実するその連続という印象をオノ・ヨーコの音楽作品は聴き手に抱かせる。しかしその想念は不変である。それは、ヨーコが発表してきた数々のアート作品、パフォーマンス、映像作品と音楽作品とが区別されていないからである。心の内奥にある創造的衝動を、人々のコミュニケーションの方法のいくつかとしてこの世に出現させる。芸術はそのことを手助けしているにすぎないのではないか。と、ヨーコの数々の多様な作品に触れるたびに思う。
「あなたがたが心のなかでかなでる音は、出てくる音とは違っています。音が出てくるまでに、それは声のコード、あるいは演奏している楽器、あるいは楽器の演奏の仕方で制約されてしまうからです。あなたの心の音楽、それは実世界のいかなる物理的限界もなしに存在します。それ故に、心の音楽には制約がないのです。私の静かなコンサートで、私は人々にこの心の音楽をひとりひとりの心のなかに創るよう求めます。こういったことを教えることによって、私はよりテレパシックな方法でコミュニケートすることが可能となったのです」(『ニューミュージック・マガジン』72年2月号所収、ヘンリー・エドワーズによるインタヴューから)
ここでヨーコが言う"私の静かなコンサート”とは彼女の著書『グレープフルーツ』に記されている「霊魂にだけ来て貰うコンサート」や62年に東京の草月会館で行った"会場を薄暗くしそこに座した観客が「気配」や「五次元との交信」を感じられるようになるのを待つ”というイヴェント(仏教の"半眼の構え”にヒントを得たもの)などを指している。
創造力あるいは想像力をいかに限定しないか、限定する思考自体を解体するあるいは行為によって想像力の中のワク組をいかに解消できるか。60年代にヨーコの創出した"作品”は、その実践あるいはその心がまえについての大量の草案だった。
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