boidマガジンhttps://boid-mag.publishers.fm/2019-02-06T07:46:26+00:00映画は心意気だと思うんです。 第5回 (冨田翔子)
2018-12-29T03:36:16+00:00boidhttp://boid-mag.publishers.fm/editor/356/http://boid-mag.publishers.fm/article/19586/<p><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">ホラー映画をこよなく愛する冨田翔子さんが“わが心意気映画”を紹介してくれる連載の第5回は、2019年1月に公開される『サスペリア』(ルカ・グァダニーノ監督)を取り上げます。そのタイトル通り1977年の映画『サスペリア』(ダリオ・アルジェント監督)をリメイクした本作を、自宅の引っ越しの直前に観た冨田さん。この映画が放つ魔術的な魅力は実生活にも影響を及ぼしたようで――<br /> <br /></span></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/4711f39463334ae58257c24e7276e4ff.jpg" /></div>
<p><br /> <br /> <br /> <span style="font-size: 13pt; font-weight: bold;">引っ越しと魔女と進まない原稿</span><br /><span style="font-size: 11pt; font-weight: bold;">『サスペリア』(2018年、ルカ・グァダニーノ監督)</span><br /> <br /> <br />文=冨田翔子<br /> <br /> <br />年末は忙しい。年末が忙しいのは珍しいことではないが、特に今年は忙しい師走を送っている。なぜなら、今年はクリスマスイブに引っ越しをしたからである!<br /> <br />引っ越しを控えた数週間前、私は試写室である1本の映画を観た。ルカ・グァダニーノ監督の『サスペリア』である。オリジナルはダリオ・アルジェントによる1977年の『サスペリア』。私はアルジェントの『サスペリア』を高校1年生のときに観た。ハリウッド・ホラーともJホラーとも違う映像美に大感激し、友人の横で「なんて素晴らしいホラー映画なんだ!」「今まで観たホラー映画の中で一番面白い!」と絶賛。当時はアルジェントの「ア」の字も知らず、無邪気に大喜びしたものである。そんなイタリアン・ホラーという新たな扉を開いてくれた作品を、同じくイタリア出身のグァダニーノがリメイクする。しかも、宣伝ではリメイクという言葉を使わず、「再構築」と謳っており、「S」というシックな文字が中央に描かれただけのティーザーポスターは、ホラー感を出しつつもなんだか小意気なデザイン。一体どんな映画になっているのだろう。<br /> <br />いざ観ると、確かにストーリーの流れは『サスペリア』と同じだが、流れが同じだということ以外、一体何の話が進んでいるのかよくわからなかった。だが、画のインパクトと、こだわりと、えも言われぬ高尚なムードが鋭利にこちらに刺さってきて、圧倒されてしまった。<br /> <br />グァダニーノ版は、ダンスがより重要なテーマとなっている。アルジェント版のバレエシーンでは、目を見開いた講師が威圧的で恐ろしかったが、グァダニーノ版ではダンスそのものが凶器のよう。恐ろしいことはダンスをしているときに起こるのだ。<br /> <br />翌日も、その翌日も、この『サスペリア』のことを考えてしまった。私は第5回連載を『サスペリア』で書くことに決めた。ところが、いざ書こうとすると、何を書いたらいいのかわからなくなってしまった。魔術にかけられたように、何かを書き始めると、マーブル模様になって消えてしまう。原稿はぱったりと進まなくなった。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/c79aeb3330c241b4906df0e729c98424.jpg" /></div>
<p><br /><br />一方、引っ越しの準備は忙しなくなってきた。新しい家は、二人暮らしの予定。私の荷物は多すぎて新居に入らないので、これを機に不要なものを捨てることにした。まず同居人Iと衣服の選別を行った結果、2リットルのゴミ袋8袋分も捨ててしまった。なんだかやりすぎた気がする。Iが、いるかいらないかの決断を秒速で迫ってくるので、つい勢いに任せてしまったのだ。まるで、ティルダ・スウィントン扮する振付師マダム・ブランのような厳しさである。<br /><br />そんな調子で、魔女の指示のもと、ベッドを捨て、家電を捨て、部屋はどんどん片付いていった。一方、原稿はどんどん散らかっていき、いよいよ収集がつかなくなってきた。そんな頃、新しい家の鍵をもらえる日が来たので、夜に様子を見に行くことにした。住宅街の少し急な坂を登っていると、頂上の暗がりに、丸い頭が2つくらい動くのが見えた。それは規則性のない怪しい動きで、思わず背筋が寒くなった。しかし、家に行くにはその頂上から階段を降りなくてはならない。恐る恐る近づいていくと、その正体は、猫であった。しかも5〜6匹の猫が集まり、集会を開いていたのだった。どうやらこれから毎晩そこを通るたび、この集会に遭遇するらしい。ちなみに私は無類の猫好きだが、猫アレルギーだ。仲良くできないことが残念でならない。何やら魔女の陰謀を感じる。<br /><br />街の賑わいと原稿そっちのけでクリスマスイブの引っ越しが終わり、荷物を解いていると、同居人Iが悲鳴を上げた。Iの42インチの液晶テレビが、見るも無残に割れていたのである。Iは家から自分で液晶テレビを運んだ。なによりも大切に慎重に扱ったはずなのに、電源がついた画面にはシマウマ柄の縦線が幾重にも刻まれていた。やはり、どこかに魔の力が巣食っているようだ。私は『サスペリア』の主人公スージー・バニヨンになったつもりで、この狂気に立ち向かわねばならない。<br /><br />しかし私はスージーと違い、怠惰だった。その頃、狂気は台所にも及んでいた。台所は私がセッティングすると、かねてより宣言していたのだが、「原稿を書きますから」と言って、しばらく放置していたら、原稿は白いままだが、まっさらなシンクには洗い物がどんどん溜まっていった。「もうすぐやるから!」という怠惰な言動を、きびきび星からやってきた魔女Iは許さなかった。ついに戦いとなり、あっけなく魔女に完敗した私は夜中半泣き状態で台所をセッティングしたのだった。<br /><br />そんなこんなで、結局私はスージー・バニヨンになれないまま、この原稿を書いている。実はアルジェント版を観たときも、よくわからない映画だと思っていた。もともと『サスペリア』は、映画全体が魔術のような効果のある作品だ。アルジェント版は、鮮やかな色使いや豪華な装飾の中で起こる過激なショックシーンという対比が、魅惑の世界を呼び起こしていた。グァダニーノ版は、魔女というテーマを152分に、ストイックに引き伸ばし、徐々に観ている方をトランス状態にさせていくような作品になっていると思う。それはアルジェント版とはまた違う作品の広がり方であり、もはやどっちがどうだなどとはあまり気にならない。グァダニーノは幼少期に観たアルジェントの『サスペリア』が忘れられず、自分なりのサスペリアを何十年も妄想し続けた結果、ついにそれを実現させてしまった。そんなグァダニーノの心意気は、見事結実しているのではないだろうか。</p>
<p> </p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/0aa61e2c4af04b0ebb05dfb3b5df13df.jpg" /></div>
<p><span style="font-size: 8pt;"><span style="font-weight: bold;">サスペリア Suspiria</span><br />2018年 / イタリア、アメリカ / 152分 / 監督:ルカ・グァダニーノ / 音楽:トム・ヨーク(レディオヘッド)/ 出演:ダコタ・ジョンソン、ティルダ・スウィントン、ミア・ゴス、ルッツ・エバースドルフ、ジェシカ・ハーパー、クロエ・グレース・モレッツ<br /><span style="font-weight: bold;">2019年1月25日(金)TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー<br /><a href="https://gaga.ne.jp/suspiria/" rel="nofollow">公式サイト</a></span> <br /> <br /><br /><br /> <br /> <span style="font-weight: bold;">冨田翔子(とみだ・しょうこ)<br /> エンタメWebサイト編集部勤め。好きなジャンルはホラー映画。心意気のある映画を愛する。</span></span></p>2018-12-29T03:36:16+00:00無言日記 第38回 (三宅唱)
2018-12-26T17:47:54+00:00boidhttp://boid-mag.publishers.fm/editor/356/http://boid-mag.publishers.fm/article/19558/<p><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">映画監督の三宅唱さんがiPhoneを使って日々撮影している「無言日記」第38回は、スカイツリーや東京タワーが見える風景から始まる2018年7月の映像日記です。同時期に撮影された写真や、ロックバンド「GEZAN」とレーベル「GHPD(Gami Holla Production Development)」がコラボレーションしたふたつの「BODY ODD」のPVとともにご覧ください。<br /> <br /></span></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/b84346f6b2e9404cbf95fb3378f23892.jpg" /></div>
<p><br /> <br /> <br /> 映像・文・写真=三宅唱</p>
<p> </p>
<div style="text-align: center;"><iframe src="https://www.youtube.com/embed/Oi3TFzQOx3s?rel=0" width="640" height="360" frameborder="0" allowfullscreen="allowfullscreen"></iframe></div>
<p><br /> <br /> <br /><br />2018年7月。<br />冒頭はたしかゴードン・マッタ=クラーク展を観に行った日。それから水上バスに乗ってみたり芝公園に行ったりした。芝公園に古墳があることをはじめて知った。<br /><br /><br />それから、GEZANとGHPDによる7inchスプリット盤のPV撮影に伊豆に行った。</p>
<div style="text-align: left;"><strong>GEZAN SIDE</strong></div>
<div style="text-align: center;"><iframe src="https://www.youtube.com/embed/7_n9DdSFrjE" width="640" height="360" frameborder="0" allowfullscreen="allowfullscreen"></iframe></div>
<p> </p>
<div style="text-align: left;"><strong>GHPD SIDE</strong></div>
<div style="text-align: center;"><iframe src="https://www.youtube.com/embed/QZCy3N7C0Fc" width="640" height="360" frameborder="0" allowfullscreen="allowfullscreen"></iframe></div>
<p> </p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/3daa54899c284d3b84e5918c2bcf5171.jpg" /></div>
<p> </p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/d7f6e26a99e440c19f416a7fd01c7571.jpg" /></div>
<p> </p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/761a2f5bddfe4e5c8d6c53986fb7b0c0.jpg" /></div>
<p> </p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/88612d39871548139b81e158779f0cbb.jpg" /></div>
<p><br /><br />撮影時のあれこれについて雑談した。<br /><a href="https://qetic.jp/interview/bodyodd-feature/294081/" rel="nofollow">https://qetic.jp/interview/bodyodd-feature/294081/</a><br /><br />マヒト(GEZAN)の連載。<br /><a href="http://www.gentosha.jp/category/mabushigariyagamitahikari" rel="nofollow">http://www.gentosha.jp/category/mabushigariyagamitahikari</a><br /><br /><br /><br />『きみの鳥はうたえる』の取材期間でもあった。先行試写で札幌に行った。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/ff848ee5bcdc483b9dec1f83c406d2a3.jpg" /></div>
<p> </p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/ae0bd31caf514200bff3ce2e2deb9401.jpg" /></div>
<p> </p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/9f1c5fad051440978ea6c26d963c9a02.jpg" /></div>
<p><br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">三宅唱(みやけ・しょう)<br /> 映画監督。2010年に初長編映画『やくたたず』を監督。長編第2作<a href="http://www.playback-movie.com/" target="_blank" rel="nofollow noopener">『Playback』</a>は2012年のロカルノ国際映画祭に正式出品された。2015年にはドキュメンタリー映画<a href="http://cockpit-movie.com/" target="_blank" rel="nofollow noopener">『THE COCKPIT』</a>、2017年には時代劇『密使と番人』が公開。雑誌『POPEYE』にて映画評「IN THE PLACE TO C」を連載。現在、監督最新作<a href="http://kiminotori.com/" rel="nofollow">『きみの鳥はうたえる』</a>が公開中。また、YCAM製作の映画『ワイルドツアー』の公開も控えている。</span></p>2018-12-26T17:47:54+00:00宝ヶ池の沈まぬ亀 第30回 (青山真治)
2018-12-26T04:27:39+00:00boidhttp://boid-mag.publishers.fm/editor/356/http://boid-mag.publishers.fm/article/19551/<p><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">青山真治さんによる日付のない日記「宝ヶ池の沈まぬ亀」第30回は、自宅のメンテナンスと映画館通いの年末の記録。『笠原和夫傑作選』(国書刊行会)を読み進めながらシネマヴェーラ渋谷の「滅びの美学 任侠映画の世界」特集に通い、その合間に『A GHOST STORY / ア・ゴースト・ストーリー』(デヴィッド・ロウリー監督)や『バルバラ セーヌの黒いバラ』(マチュー・アマルリック監督)といった新作映画も鑑賞。さらにアラン・ロブ=グリエの映画と2つの舞台、地点+空間現代『グッド・バイ』(太宰治原作)と風姿花伝プロデュース『女中たち』(ジャン・ジュネ脚本)を一気に鑑賞し、「生と死との往還」をまざまざと見た濃密な2日間のことなども綴られています。<br /><br /></span></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/f235f4e9544e41ffa6888cd4ffa5e32f.jpg" alt="" /></div>
<p><br /> <br /> <br /> 文・写真=青山真治<br /> <br /> <br /> <br /> <span style="font-size: 11pt; font-weight: bold;">30、走るカサハラ、走るロブグリエ</span></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/42f2f17dff4049a09529078e0063ba39.jpg" /></div>
<p><br />某日、ヴェーラ東映任侠特集、通称「カサハラ通い」始まる。脚本家・笠原和夫作品を中心に見ていくことになるが、中心に、というのはそれ以外のものも結果的に見てしまうことを指す。例えば『日本大侠客』という若松の話で近衛十四郎の顔を見ると直後の『悪坊主侠客伝』を見ずには済まない、といったように。天津敏の善玉というのは見た記憶がないので驚くが、悪くない。一方、汐路章のぬらりと闇に蠢く身のこなしはやはり極上。夜景が良くて、波止場で逢引する鶴田と藤純子にふと『阿波の踊子』の記憶が蘇るし、藤の末尾の引きはあっという間だがこれぞというベストショット。階段に一升瓶を転がす出戻りの芝居も見せた。しかし二本見て近衛がやや物足りなかったが、視覚への攻撃に異様に拘る『悪坊主~』の良きパゾリーニというか炭鉱で『春の劇』が突然始まったかのようなほとんどシュールなリアリズムにひたすら面食らった。この印象は田村孟『悪人志願』に通じるギリギリの低予算から発したものか、執念のにおいが全編に漂う。ラスト、少年は何を呟いたのか。笠原中心と云いつつ、同時にマキノ=負の中心を顕在化し、さらにその不在が現在を不自由に蝕んでいることさえ意識させる。図らずも異様な年の瀬の幕開け。(追記:なんと『悪坊主』も笠原が改訂したことが判明)<br /><br />某日、着席後トイレに出たら追って来てチケット拝見するル・シネマというへんな映画館で『バルバラ』。このシャンソン歌手について予備知識皆無だったが、知識はそれなりにあるはずのブリティッシュロックの映画を見るよりたぶん百倍くらい理解できたはず。というか正直、今年ベストワン。監督がマチューだからというわけでなく、すべてのショットが自分の好みに合っており、主演がジャンヌだからというわけでなく、身のこなしも台詞も何もかもシャンソンそのものと口走る体感。この手の映画にありがちな押しつけがましさ(私はそれが反吐の出るほど大嫌い)など微塵もなく、登場する誰もが慎ましく礼儀正しくそこに在る、その手触りがわかるということがここでいう理解であって、物語を説明せよと云われても一言も出ないだろうが、それでじゅうぶんである。終の棲家となる家の扉にある覗き穴から中を見る透明な緊張、帰宅直後ピアノへの愛を吐露しつつベッドに横たわる歌手の優雅きわまる肢体。あと十回は見たい。「カサハラ通い」二日目『人生劇場 新・飛車角』。脚本の速度と演出の粘着が妙に相反して対処に困るが、ここに笠原の初発を見て取るべきが妥当なのだろう。笠原的主題として「男」が描かれるが、対して立つのは「女」ではない。「男」に対してべつの「男」(YS連盟)が、さらにまたべつの「男」(西村晃)が重なるのが笠原の構造である。仮に「女」があるとしてそれは最初の「男」の分身、美しい立ち姿のその「男」の「腐臭をひきずる」側面として「女」がある。昨日の『日本大侠客』でも磯吉が忘れる「腐臭」をお竜がひきずってドラマは進み、お竜の「自決」によって磯吉は完成する。出会いにおいて「男みてえな名前だな」と揶揄されるマー坊ことまゆみと飛車角の関係も同様……といった仮説を以て今後も「カサハラ通い」を続けよう。それにしてもここでの、ぬめるような手指で現れる西村晃と佐久間良子の関係は当時すんなり理解されたのだろうか。途中「女は弱いから」とか「私は汚れてしまった」とかいう台詞を何度も聞くが、それが説得力を持ちえたのか。弱いのは女ではなくドラマではないか。イプセンに似て、いまや通用しない、ととりあえず言ってみる。<br /><br />某日、渋谷にて『ア・ゴースト・ストーリー』。デヴィッド・ロウリーのことはケイシー・アフレックの顔とセットで記憶していたが、前情報なしで臨み、いきなりそのケイシー登場で吃驚。過日「リリー、ローズマリーとハートのジャック」を聴いて『マンチェスター・バイ・ザ・シー』を思い出していた。で、これだが、アメリカの若手はみんな誰かに『2001年』を翻案するとしたらキミはどんなものにする?……みたいな宿題でも出されたか、と『マザー!』で考えたことを復唱する。あるいは、誰もが一度は考えつくけどさすがに本当にやるとなると笑ってごまかす、的な。家ぶっ壊すブルドーザー(去年似た場面見た記憶あるけど何だった?)や布の中が消えてバサッと落ちるところなど『マザー!』よりずっと好み(ジェニファー>ルーニーではあるが)だが、断固画面サイズなんかで褒めたりしたくない。あと、音楽のせいだろうか、もはやアメリカ映画はアメリカでなくてもかまわなくなった気がして寒々しい。是が非でもディランかニール・ヤングを、などと云う気はないが、プログレを聴きたいとも思わず。ここでも後半、ラ・デュッセルドルフか、とか、他所では「スターレス」がかかると聞いて行く気が失せた。先日『スリー・ビルボード』でダン・ペンが聴けて、あの映画でそこだけよかった。ちなみにピン送りしがちな日本の若手は本作を見て真剣に考え直すべき。帰りにニトリでホーローのポットを贖う。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/3bdda196fe724c7fb802103a1d100301.jpg" /></div>
<p><br /><br />某日、ぱるるの調子が頗る良くなり、日がな共に過ごす。飼い主の方は年が明けても一向に上向きになりそうもない気配をいまから感じながらだらだらしていると消えてしまいたくなる。玄関の鍵が調子悪く修理を呼んだり、スーパーで細々と散財したりしても何ら気晴らしにはならない。ともあれこの二日は自宅蟄居。春琴写本のみが快楽という退嬰。<br /><br />某日、義母の猫、逝去。享年十三歳。この家に越した年に産まれ、私が取り上げた。四時間睡眠のため昼寝。起きてから衣装部屋を断捨離。きれいさっぱり。夕餉(ボンゴレパスタ)後に十日ほど読みあぐねていた課題図書を読了、その副次的話題について珍しく夫婦で建設的な会話。それにしても「普通の小説」を読むのに時間がかかり過ぎるのは職業的にかなりハンデと痛感。要は細かいことにひっかかってちゃあダメということなのだが。夜半、TAMA NEW WAVEコンペで植木咲楽『カルチェ』がグランプリ、村上ゆきのが女優賞の報。非常にめでたい。『オーファン~』も『カルチェ』も編集をやり直させたくて仕方ないが、一生忘れないだろうショットをいくつか持っていてそれはやはり凄いことだ。咲楽は『榎本武揚』で演助をやってくれた。今年は京造快進撃であった。<br /><br />某日、ぱるるの滑り止めのためのパンチカーペット敷設という、家具移動不可避の作業命令がお上より下され、再びスケジュール変更を余儀なくされる。午後はこの作業に終始。途中で義母の猫、荼毘に付される。日暮れて夕餉は、巨匠から若手に引き継がれたと聞いた白金のとんかつ「すずき」。とんかつ自体は安泰なれど白飯の品質著しく低下。この店はすべてのバランスが絶妙なのが麗しかったのだが。帰りにスーパーでなにげなく贖った「くるみ餅」が超絶うまく夫婦で貪りつつその出自など検索。その後、頭の中がなぜかオリヴェイラだらけで、邦盤のないいくつかの作品を夢想し続ける。そう云えばウォルシュ特集が中断し伊藤大輔も『幕末』まであと数本残。半端でいけないので年内にどちらかは終わらせたい。夜半、ニコラス・ローグの訃報。享年九十歳。なんといってもEurekaの人だからな、合掌せんわけにはいかない。<br /><br />某日、午後に三田のホームセンターで買い物した後、ヴェーラ。小沢茂弘、多数撮っている六〇年代後半の二作品だが、出来があまりに違い過ぎて驚く。それが脚本家の差によるかどうか、たぶんそうなのだろう。出来の悪い方(それでも最低限のプログラムピクチャーの条件はクリアしている)は置くが、笠原脚本『博徒七人』はかなりいい。企画段階で監督と揉めたようだが、設定など出鱈目を極める一方、ロケーションが非常によかったり俳優陣が殊の外生き生きしていたりでじゅうぶん堪能した。五人まで出て来てあとの二人は?と見ていると不意に、しかも見事に現れ、それが速度によってごく自然に飲み込めるあたりの呼吸も作り手たちの手腕を評価すべきだろう。自然と云えば、大木実が白馬で疾走しても動じずに見ていけるのも、こちらがどうかしているのかと不安になるほど。帰宅して、もはや潰えていく理想に悲歎しか感じない『西郷どん』を見ていると、人斬り半次郎がライフルぶった切って「戦で生き残るには刀だ」などと叫ぶのだが、六〇年代後半の仁侠映画が飛び道具とともに色褪せていくのを日々見ている者としてはこれも辛い話。偶然にも『博徒七人』の鶴田も半次郎という名前だった。<br /><br />某日、家のメンテナンス工事始まる。ぱるるの病院は女優に任せて植木屋につきあう。午後、手違いで地底の塩ビ管が断裂、バルブを止め水道工事屋に連絡。待つこと数時間、現れた職人の手により20分で問題解決。久方ぶりに技を見た。日暮れて、今日も終わりかとネットを開くとベルナルド・ベルトルッチの訃報。呆然とさまざまな思いが去来する。数日前に書いた『人生劇場 新・飛車角』についての論考、あれを書きながらベルトルッチを思い出さなかった己の不明を恥じる。ベルトルッチにおいても「男」が葛藤する対立項はあくまで「男」であり「女」は「男」の分身としてその「腐臭をひきずる」形でファシストかジャンキーかその両方になる、これがベルトルッチ的世界だとして、では笠原に対してベルトルッチの現代性とは何かと考えると、まさにその「女」による欲望の実現が「男」の代行としてではなく不意に「男」と手を切って「女」自身の能動的な生として独自に歩き始める点ではなかったかと『シェルタリング・スカイ』(これが「大人の映画」であることと、この企画がそもそもアルドリッチのものであったことは決して無縁じゃない)のデブラ・ウィンガーの結末を想起しながらいまの自分を凡庸な納得へと落ち着かせる。そしてそうは云っても、空を飛ぶ夢と同義にあられもなく稚戯に耽る行為としての移動する視点の時間的持続に、たんに惚れていただけの自分を忘れたふりをする……何の為かは知らないが。こうしたことを書くと得てして精神分析的に受け取られがちだが、たんに物語の構造がそう、つまり詩学以上でも以下でもなく、父母だとか民族学的な影響を考える必要はまるでない話であることは強調しておくべきかと思う。<br /><br />某日、寝惚けた夫婦は休院日も犬を連れて行く。当然とんぼ返り。そのまま自分が病院へ。午後、ぱるる用のカートが届き、組み立てて買い物に出かける。籠から顔を出したままなので気が気でないがいつか慣れるだろう。テレビで溝口・小津・黒澤の4K修復話をやっていて、笠原/ベルトルッチの男女の話はそもそも『近松』から、という当然の事実に気づかされ我ながら呆れるが、間に笠原が挟まることで視野は変わる。夕餉はハウス選ばれし人気店シリーズ「旧ヤム邸・牛豚キーマカレー」。これは美味。中辛にしては辛いが問題ではない。ごぼうの食感や良し。<br /><br />某日、起床と同時に著しい眩暈。移動にいささか支障を来す。数日間いつもと違う導眠剤を服用した影響か。午後まで安静に努め、どうにかヴェーラへ。降旗康男『日本暴力団 殺しの盃』。インタヴュー本では(たぶん)触れられていないが『仁義なき~』直前で総会屋などかなり取材をしたらしい題材。作中「福原」と称される地方都市の開発利権をめぐる構造が台詞で詳細に語られるが、何しろ経年劣化でプリントがボロボロ、もう少しで筋がわからなくなる程というのも珍しい。降旗が決して活劇の巧い人でないことは確かだが、これだけ切れ切れでも筋の複雑な構造が掴めるように出来ているのは脚本のおかげだけではない気がする。一方、これまで追ってきた笠原的構造だが、終幕の工藤明子の「分身」ぶりに露骨な剥き出し感さえ覚えるのはいわゆる手がなくなってきたということか。加えて鶴田、丹波、山本麟一の「男」たちの愛憎関係もまた。同時に、構造は同じでも内実は『人生劇場 新・飛車角』からずいぶん遠くまで来た。佐久間の「女」が抱えた性差別的通俗性は、工藤においては妊娠を盾にした部分以外ほぼ解消している。本作でこの図式が試みた仁侠映画の作劇はここで完結、『仁義~』から始まる実録路線と『県警対組織暴力』を挟んで再度『やくざの墓場 くちなしの花』で返り咲きとなるか、見直してみないと正確には言えない。夕餉はステーキ。夜になってシナリオ改訂稿の催促。ハコを細かく見直し始めたばかりだがとりあえず送るしかない。逃避して、すでに三週見ている『獣になれない私たち』。ドラマ本筋には惹かれないものの松田龍平氏の演技、圧倒的にいい。<br /><br />某日、作業は深夜におよび、朝の病院は欠席して食事の支度。朝餉は鰤、蝦、餃子という和中折衷。すべて美味。午後、久しぶりにとっぷり湯船に浸かる。諸々待ちの体勢で永日『春琴』写本。佳境。鶯のくだり、凄すぎる。春琴の芸に伍しようという肚か。夕餉は豚汁。隠し味はヨーグルトとのこと。書評、着手。深夜、月蝕歌劇団・高取英氏の訃報。<br /><br />某日、伊豆へ。荷物が多すぎ、また食料を大量に買い込んだせいで到着時すっかりへとへとで眠りに落ちる。数時間で覚醒、まずチョン・ジェウン『蝶の眠り』。大学含め、ロケセットの空間設計が秀逸。たんにホッとするが、ホッとするだけでもいい。続いて伊藤『いとはん物語』。これといい同年『地獄花』といいこうした企画が通る当時の大映の豊饒っぷり。双方力作だが、同時に相当な異色作、というか珍品。東映の鶴田とこちらを交互、いろんな意味で腰が砕ける。翌日、編集者A氏来りてクルーゾー版『恐怖の報酬』、『やくざの墓場 くちなしの花』、増村『卍』、阿部豊版『細雪』など。半分近く眠りこんでいたがさらに翌日松本勝がレンタカーで来訪。どこかに遠出する訳でもなくなお島耕二版『細雪』、『羊たちの沈黙』など。二人が帰ってからデミ『ハート・オブ・ゴールド』でしみじみしたあと『壮烈第七騎兵隊』『大雷雨』という「41年のウォルシュ」を見てしまい、クレージーホースにロングヘアと呼ばれるエロール・フリンの騎馬姿があまりにも素晴らしくて史実とかなんとかふっ飛ばして外の事をすべて忘れてしまいそうになる。忘れると云えば市川版『細雪』の板倉はたしか一徳さんだったと思うが、入院の際ベッドから転げ落ちるアクションがあったか思い出せない。田崎潤も根上淳も痛がりっぷりが壮絶だった。どいつもこいつもとんでもねえやつだ(特に妙子)と悪態を吐きつつもしかすると高峰も叶順子も最高作ではなかったか。またあれこれ問題はあっても『大雷雨』のジョージ・ラフトは偉大だった。ラスト、台詞なしのカット三つで泣く。そしてディートリッヒの挙動が製作側のセクハラとしても本作の偉大さに瑕をつけるものではいささかもない。そんなわけでほぼ寝ていたかDVDを見たかだけの四日間はあっという間、すごすご帰京。<br /><br />某日、メンテナンス第二日。ガレージの補修。帰路の疲れもあり、ただぼんやりと過ごす。国書刊行会様より『笠原和夫傑作選』二巻恵投いただく。今月にはもう一巻出る模様で実に楽しみ。第二集には『沖縄進撃作戦』や『実録・共産党』も収録。第三集には『昭和の天皇』『226(第一稿)』。年末は読書だけは困らない模様。早速『やくざの墓場 くちなしの花』をおさらいするが、仁侠における「男女の相克」はやはり『仁義~』と共に終わっていた、というかここでの「男」=渡は任侠の外側にいる刑事であり、出会う「女」はすべて任侠世界から向う側へ行った「男」たちのかつての分身、というか生きながら葬られた「亡霊」であり、それは菅井きんの名演が光るチンピラの母親も例外ではない。本作はいわば「亡霊」のコレクションとしての番外篇と見做すべきか。梶芽衣子に対する渡のVサインは死後の世界への挨拶であり、背後から渡を撃つ室田にそれを向けたのは(『仁義の墓場』直後の)深作の倒錯なのかどうか。そして問題は、ベルトルッチのように「女」の存在を「男」から離れた能動的な生と呼べるか、それともデブラ・ウィンガーの場合も生きながら葬られた「亡霊」に他ならなかったのか。このときもしかするとボウルズ的なトランス・ジェンダーの視点が必要なのかもしれないし、実はそれこそが笠原的視点なのかもしれない。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/4ecc801588d04f3a85eaa5815a2dfb27.jpg" /></div>
<p><br /><br />深夜、大量の汗をかき、右の拳が驚くほど固く握られ左の指で解かねばならないほど、さらに全身に刺すような痛み、激しく疲れて着替えるべく風呂へ入り、もう一度寝る。このためロブグリエと『祇園の暗殺者』を無念にも見逃す。ロブグリエまだチャンスあり。一日寝て暮らす。それでも夜半に仕事の追加依頼あり、これまた払暁に及ぶ。<br /><br />某日、帰京三日目にしてようやく調子を取り戻し、朝の支度再開。しかし休み々々。来年の舞台用の戯曲に手を入れた後、渋谷『日本女侠伝 激斗ひめゆり岬』。爽快さと重苦しさが混然一体となった沖縄が仁侠映画にこれほど似合うとは。他の沖縄ものには感じたことはなかった。本作は「いま見られるべき」という側面含め、今回の「カサハラ通い」中の白眉だった。普段分り切ったこととして書く気もしないが、あらためて現在でもこの国家がせっせと続ける度し難い愚策と文化破壊の暴力への憤怒を本作と分かち合う。玉砕を強制する軍の凶行場面あたりから涙が滲んでしかたなかった。なお、ここでも「男」と「女」は因縁で結ばれた「分身」であり、女は男の腐臭をひきずることになるが、それが国の腐臭に巻かれる琉球の比喩かどうか断言したくはない。豪雨の下、金網を挟んで血を流す男と絶叫を上げる女との鮮烈さは簡単には記憶から消えない。下北沢で忘年会に出席。帰宅するとキネマ旬報。特集は「80年代外国映画ベストテン」だが、もはや何十年代が誰の時代かなど問う気も起らず、まるでここぞとばかりに欝憤を晴らすような怨念の渦中に『俺たちの明日』も『卒業白書』も巻き込まれていないことを確認し穏やかに酔いを醒ましているとなぜか『男の傷』の三文字が目に飛び込んでこのあまりの贅沢にまたぞろ酒が戻ってきた。パッサーを記憶しているかどうかはもちろん時代とは全く関係がない。<br /><br />某日、二日酔いで一日潰す。開戦の日に『笠原和夫傑作選』第三巻届く。テロ、特攻、帝国、天皇、226と並ぶ、本年度最重要課題図書。さっさと読み始めたいが、そういうわけにもいかず。NHK宮川一夫特番、特に感慨なし。鴛鴦のことに触れてくれないと、などとないものねだりしても始まらない。それはそうと右足が非常に痛む。もう四年ぐらいになるか、冬になると必ずやってくる痛み。今年は例年に輪をかけている。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/564607a0bdab46afbac0ec08461fa2a5.jpg" /></div>
<p><br /><br />某日、起き抜けから右足の異常が半端ない。跛行し続ける。朝餉は鶏腿酢煮込み。請われて送られた脚本を読み込む。午後、笠原『博奕打ち 殴り込み』。強烈な津島サウンドに乗った小沢の演出が山下(直前の『総長賭博』があまり買えない)を超えたかもしれない一本。津島ジャズから浪曲に乗り替わる転調(玉川良一といとしこいしの絶妙な呼吸)など実にいい。脂の落ちかけた加東大介がいい。『博徒七人』に続く松尾嘉代がまたいい。いいのだが、前回に続いて『けんかえれじい』を想起、コメディエンヌの陽気さの蔭に「亡霊」を垣間見る、がゆえに男女より親子の予感が先立つのか。つまりそれは二人の「男」が自分の「分身」として死なせてきた「女」たちを統合した形の「亡霊」であり、松尾は鶴田と加東それぞれの「女」の仮託された存在となり、そこだけは留保。ふと、見てきた作品群の「男の傷」の系譜に気づく。そして可視的な傷の多くは視力に影響を与える。あるいは大木実のように歩行困難を抱えることもあって、どちらも性的不能に関与するかもしれない。ここでの鶴田は徹底して渡世人の仁義というか哲学をルールブック的に語り続ける。こういうときはこうするのがスジだ、と。こうした内容もおそらく取材の賜物だろうが、筋金入りとはいえ一匹の「野良犬」を浅草の大親分を諫めるほどのその道の大家として置く説得材料があるだろうか。その結果それがこのホモソーシャルの脆弱さを暴いているとも云える。同じ建物で塚本さんの『斬、』。跛引き引きイメフォはつらい、というわけでもないが、毎度敬して遠ざけ続ける先輩を今回だけ駆けつけたのは池松君と時代劇による。さすがにキャメラの置き所からして貫禄がちがう、紛うことなき時代劇。どうしてもどこかで映画に向かう欲望がすれ違う塚本さんと私なのだがそれはそれ。ぶら下がった腕が落ちるタイミングなど喝采ものだし、池松君は想像を超えて秀逸だった。笠原のシステマティックな機能美としての構成とそれを半ば破壊する塚本さんの冷静な狂気との対面にはどこか薄氷を踏むスリルを覚えた。帰宅し残り物で夕餉の後『西郷どん』。まあ泣くのだが、しかし糸が退却の場に現れるというのは史実なのだろうか、信じ難い。フィクションとしたら許し難い。周作君、お疲れさま。<br /><br />某日、あまり日記をサボると頭が悪くなる、というか鬱的な要素がどんどん濃くなっていくのでよくない。月曜にロブグリエを見て、いまは水曜の夜。矢作さんの忘年会があり、甫木元のPVの打合せに行き、ワタリウム美術館の浅野君の絵画展を見て、豊原君のライヴを聴き、それからさらに一日経った。いろんなことがどんどん雲行きが怪しくなっていき、考えるべきことは山積だがなす術なくただぼんやり。「新潮」に依頼された書評(寺尾紗穂氏の『彗星の孤独』)を書くうち、徐々に頭ははっきりしていく。ロブグリエがあまりに衝撃過ぎて、他のことがどうでもよくなりかけたが、オトナなのだからとなるべく感情穏やかに生きた。結果、一度だけ徹夜して上梓。それなりのものを書けたと思う。さらに木曜、上京した甫木元と新曲の構成を練る。そうやって目の前のことは考えられるが、あるいは遠い未来のことも無責任に考えられるが、ほんの少し先に待っているか待っていないかわからないことについてどうしようもない状況にあり、それゆえにぼんやりしてしまう。今年はそろそろ店じまいにすべきか。そんな朝、ソンドラ・ロックの訃報。傷だらけの人生は最後に報われただろうか。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/e09fdade7cfd402da1419fd19ae1e6f8.jpg" /></div>
<p><br /><br />某日、編曲作業に甲府へ。東名海老名から相模湖に抜けて中央というルートを初体験。なるほど、と目から鱗の三十分弱。しかし遅刻も災いし演奏にもうひとつ乗り切れず、記憶が薄い状態。翌日は疲労もあり終日茫洋。あっという間の一週間で『西郷どん』最終回。平成も終わることだし、もう大河は見ないことにするか。まあ、もう見ないと宣言した朝ドラもちょこちょこと見ているのであてにはならない。個人的には一蔵の訃報を聞いた糸に泣き崩れてほしかったのだが、そういうシーンはなかったのでおれが泣き崩れなければならなかった。そのままだと精神が持たないので酒呑んで安定するが、もちろん妻に叱られた。だがこの行き場のなさを何で解消できるだろうか。アマゾンの少数部族の生き残りのドキュメンタリーを見て、さらにどん底に近い悲しみを味わう。<br /><br />某日、アトリエファンファーレ高円寺で『喜劇新オセロ』。戦前の戯曲をそれ以来の再演。若手俳優の熱演が好もしい。特別でないこのような小サイズの作品をちらりと見て歩くのがごく当たり前になれば面白い状況が生れる……という話をかつて梅本洋一とした。それにしても高円寺、ぶらぶらしてみたら面白い。先月だったか久しぶりに訪れた阿佐ヶ谷もそうだったが、のんびりしたなかにも新しい風を感じた。<br /><br />某日、昼から『モスクワへの密使』。マイケル・カーティスがキワモノ好きのへんなひとであったことを改めて認識。これなどは『父親たちの星条旗』を連想する「国債宣伝映画」だが、登場はないと高をくくっていたスターリンに驚愕しつつ、一方ルーズヴェルトにはこれが噂の『ツイン・ピークス』のリンチの原型かと確認する。山本均氏と久方ぶりに再会。その後、中目黒で打合せ。年明け以後を総合的に考え直さなければならなくなる。<br /><br />某日、終日外壁塗装のための足場立ち上げ作業の翌日は、なんとなく見るのが怖くなっていたロブグリエに戻り『不滅の女』。やはり圧倒的に面白い。最近のホン・サンスもなかなか頑張っているが、ちょっとレベルが違う。その意味でドライヤーとかブニュエルなどと連ねて論じられるべき作家と云って当然であり、遅ればせとはいえ当然のように見られる環境になったことを祝福、というか安堵せずにいられない。しかしこの偉大な小説家が自分より先に監督デビューしなかったことを誰より安堵したのはレネではなく「ショット」と「サウンドトラック」のフラグメントとしての意識をほぼ同じくするJLGだろう。主役もエキストラも同じ資格でスタンドインとして本番画面に映りつつ何度も「リテイク」する映画を撮ったのはJLGを除けばロブグリエだけ(まあタチか)ではないか。ちなみにドーベルマンを連れたアルドリッチのせいでアパートの玄関ホールの俯瞰は南部の豪邸と見紛うし事故後の白い車のガレージはババブーンにしか見えなくなるという珍事により本作は『アメリカの友人』と並んで最も『キッスで殺せ』に似た映画になる。素晴らしいジャック・ドニオル・ヴァルクローズのクローズアップだって『甘い抱擁』しか思い出さない。足の調子がいいのでイメフォからユーロまで徒歩移動。クレール・ドゥニ『レット・ザ・サンシャイン・イン』。最初、ちょっとしんどそうな話かと引く気もしたが、ビノシュの家の壁にどうやらエタ・ジェイムスらしきジャケットが飾ってあるのが見えるとやおら姿勢を変えて、だんだん音楽も本格的になってきては男運の悪すぎるビノシュはいつもより見てられるなどという甘い気持ちにつけこむようにお約束のエタのバラードによるダンスシーンが始まり、ついに武装解除。文字通り筋金入りの大人の恋愛映画なのだが、そこからの怒涛の展開にそんな悠長な表現で満足している場合ではなくなり、エンドロールに至ってタイポグラフィーも含めて声を上げそうになるほど。これからご覧になる方のためにあえてすべてを秘密にしておくが、帰宅してなおニヤニヤ笑いが止まらなかった。ようやく落ち着いてから食パンにS&Bスリランカ風キーマカレー。なかなかの美味で、さらに新潟産の洋梨も加え、ここ数日で最も幸福な一日を終える。<br /><br />某日、足場立ち上げ~板金工事。その間、朝餉(鮭)・スケジュール整理・写真含む本稿まとめなど。女優も義母が床に領収書を拡げて整理などバタバタ。家の中が急に年末くさくなる。なんとかいろいろ終わらせ、吉祥寺シアターへ。地点+空間現代『グッド・バイ』。ここから二日間、演技とは生と死との往還であるということを、ロブグリエ『嘘をつく男』ジュネ『女中たち』・・・と繰り返し確認することになる。最大の発見は、太宰が台詞の巧い作家であったということ。三浦基によれば、幼少期に老人たちの語りを聞いて成長した太宰は口語のセンスが磨かれている、と。三島しかり。自分に語るべき物語はなく、借り物の物語を卓抜な口語で語る術に長けた作家たち。もちろん地点の口語=演劇センスがなければ簡単に実現されはしなかっただろう。そして空間現代の演奏も。終演後、三浦や姉上、安部さんらと長く語らって帰路に着くと電車が遅延。なんとか中野まで戻るが、そこからは車に頼らざるをえず、ところが運転手が道を間違え、さらに家の閂がかかっていて締め出しを食う。撮影中の妻を起こせないので、明け方ようやく気づかれるまで数時間、家とコンビニを往復した。仮眠してイメフォに向かうつもりがさすがに体動かず。午前を諦めて『嘘をつく男』。太宰のように、生に耐えるために死んだふりという演技を繰り返すという形でのシェイクスピア(三人の魔女・妻(カトリーヌ)=首謀という『マクベス』構造、オフェリア)を交えたボルヘスの変奏。しかしここへ来て、ARGの唯一の弱点は凝りに凝った編集にあり、という疑惑に至った。ベストショットだらけで切るに切れないというのは演出に漲るB級精神に悖るではないか。ミスのない顔(俳優・トランティニアン/探偵の廃棄≒道化、という最良の使い方)の選択もその瑕疵に拍車をかける。もちろん『M』のようにエンドレスで見ていられる面白さだがそれはそれ、ここでエンディングでもいいのではないか、と考案する箇所多数。実は本作のみならずどの作品にも言えることで、あと10分短くていいはずだ。齊藤Pとの打合せを挟んで目白へ。鵜山仁演出・ジュネ『女中たち』。劇場として吉祥寺シアターも公的施設のわりに悪くないが、このシアター風姿花伝は素晴らしい。そして主従関係という地獄を生き延びるための死んだふり、または生きているかすでに死んでいるのか不明の世界からの叫びを、三本連続で耳目から体に沁み込ませる。中嶋朋子、圧倒的。これほど強い演技をいまの日本で見ることはなかなか難しいのではないか。しかしそれゆえにか、設えのシンプルさを求めてしまう。殊に中央に陣取る鏡のない鏡。重要な装置だが、それだけに主張が強すぎた感が否めず。ともあれ目白駅までの長い帰り道を心地よい疲労とともに歩いた。夜半、銀座千疋屋ビーフカレー。スジ肉がやや固いのが難。<br /><br />某朝、親と同世代の天皇の、天皇として最後の誕生日会見。天皇という旅なる比喩、皇后を讃える言葉にもらい泣き。そんなわけで『ヨーロッパ横断特急』を見逃したまま本年最後の日記を終える。爆発的につらいことの多い一年だったが、夏の高知旅行と秋のユーロスペースでの特集上映には重ね重ね救われる思いがした。皆様に心からの感謝を。来年はいろいろ何とか報いていきたいものである。</p>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/43b742f94c124c7b95641a4d202903cb.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: right;">(つづく)</div>
<p><br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">青山真治(あおやま・しんじ)<br /> 映画監督、舞台演出。1996年に『Helpless』で長編デビュー。2000年、『EUREKA』がカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞&エキュメニック賞をW受賞。また、同作品の小説版で三島由紀夫賞を受賞。主な監督作品に『月の砂漠』(01)『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(05)『サッド ヴァケイション』(07)『東京公園』(11)『共喰い』(13)、舞台演出作に『ワーニャおじさん』(チェーホフ)『フェードル』(ラシーヌ)など。<br />近況としては、「新潮」2月号に久しぶりの登場は、寺尾紗穂『彗星の孤独』書評。2月9日(土)に中野<a href="http://i10x.com/planb/" rel="nofollow">plan-B</a>にて『はるねこ』上映と甫木元空バンドのライヴ。</span></p>2018-12-26T04:27:39+00:00映画音楽急性増悪 第1回(虹釜太郎)
2018-12-21T00:56:20+00:00boidhttp://boid-mag.publishers.fm/editor/356/http://boid-mag.publishers.fm/article/19481/<p><span style="font-size: 8px;"><strong>1993年からのパリペキンレコーズ、1996年からの360records(音楽レーベル)、録音について考えるイベント、スパイス食イベント、ハーブについて考えるワークショップ、食史『カレー野獣館』、出張薬草酒バーテンなどで活動されてきた虹釜太郎さん。堀禎一監督作品他で映画音楽・音響・環境音も担当されています。新連載「映画音楽急性増悪」は昨年に急逝された堀監督との映画音楽制作以前から書き留めた映画「音ノート」や連日の議論が元となるものです。第1回は堀作品とのいままでの関わりと60項目の「きき方」(「聞く」と「聴く」に限定しない)について書いてくれています。</strong></span></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/ecf56d89e72d41ee9e340f6d5495cbcd.jpg" /></div>
<p><span style="font-size: 14px;"><strong>第一回 娘たち</strong></span><br /><br /><br /> 文=虹釜太郎<br /><br /> その職業があるからそれは存在するのか。<br /> その職業があるからそれは存在し続けるのか。<br /> その職業があるからそれは存在するべきなのか。<br /> この三つの疑問はそれに何らかのかたちで関わるものは答えなければならないはずのものだが、三つめの疑問にそうでないとあまりにも簡単に答えるなら、三つめをそうであるべきだとする全く揺るがない存在について、もっとも残酷で人間ひとりの命などなんともとらえもしないその存在の「そうであるべき」に予想外の時でも対処できなければならない。やつらはただ残酷に、いやそうとすら自認せず命は存在するべきだなどと言うようなやつらである。<br /><br /> 映画を急性増悪するもの、映画にいまだまとわりついたまま、もはやなんでまとわりついてるか自身もわからないままの「きっと」と「たぶん」、それらはいまだぴんぴんし消え去る気配なく、映画における「そうかもね」はいまだ沈んだり沈まなかったりしなんとか死なずにいて、「きっと」も「たぶん」も己の役割とされているものに疲弊しつくしているのすらわからないまま、いまだ「きっと」も「たぶん」も今日もあらゆる場所でドーピングされ続け死ぬことは許されない。そして「きっと」のただ中から、「きっと」を育て続けてきた作り手が折り込み済みのはずだった「そうじゃない」はしかし時に作り手の予想以上の強さで「そうじゃない」と運命を拒否しはじめ、しかしすぐさまそれを作り手はあらゆる手段で疲れさせすぐ力を弱めようとし、その無力化の成果であるところの疲れに浸りきることの快楽を「きっと」と談合させる。そして「きっと」のただ中にあるものが「そうじゃない」と強く否定する前から「そうかもね」は常に存在し、しかしそれは執拗に過酷な経験をかせられ、時にそれは孤児であり、その孤児の出力は「きっと」ばかりで世界を埋め尽くす作り手の監視をある時はかいくぐり、「そうじゃない」と逃走することもあれば、だらだらといちゃつくこともあるが、「そうかもね」と言うか言い終わらないうちに監視するものに消されたり、監視するものに気に入られようとする無数の一味によって下降気流に流されたり、無惨に支柱の下に生き埋めにされたりしてしまう。無力化され飛ばされる「そうかもね」に「疲れた…」と一見「そうじゃない」の味方のように現れる数々の遅延させる存在たち、やれやれやれやれと浸ることに馴致されきった存在が、その多層の遅延や辺境の延長の覚醒しないつけ足される約束たちのなかで今日も泣けるわぎこちないわ泣けたっと体液を撒き散らすだけならまだしも「そうかもね」にそっと寄り添ってくる。善意に生成の内側でとつけ足される約束たちがいまこの瞬間も「そうかもね」の無力化に忙しい。<br /> この「きっと」と「たぶん」と「そうじゃない」と「そうかもね」はたまたま映画『夏の娘たち ひめごと』(2017年/堀禎一)で人間たちが口にした言葉に過ぎないが、それらはすべて映画の「音」の取り扱いについてあまりに古くからある方法のうちの代表的なものだ。その詳細と変遷については連載のなかで部分的にあきらかにしていければと思う。<br /><br /> 遺作となった『夏の娘たち ひめごと』に至るまでの堀禎一の作品は、『宙ぶらりん』(2003年)、『草叢』(2005年)、『笑い虫』(2007年)、『妄想少女オタク系』(2007年)、『東京のバスガール』(2008年)、『憐 Ren』(2008年)、『魔法少女を忘れない』(2011年)、『Making of Spinning BOX 34DAYS』(2012年)、『天竜区奥領家大沢 別所製茶工場』(2014年)、『天竜区旧水窪町 祇園の日、大沢釜下ノ滝』(2014年)、『天竜区奥領家大沢 夏』(2014年)、『天竜区奥領家大沢 冬』(2015年)、『天竜区旧水窪町 山道商店前』(2017年)らがあり、『妄想少女オタク系』の後に再び仕事した『憐 Ren』(2008年)において半ば堀と喧嘩別れのようになっていた自分はもう堀と仕事するつもりはなく(だからこそポレポレ東中野「堀禎一特集」での堀とのトークは、もっとも公開処刑となる『憐 Ren』の上映後を指定したのだし、その日までのゲストとのトークであまりにもはぐらかしばかりの堀に、全作品の音監修について実際どうなのかを堀得意のはぐらかしを禁じ詰問するつもりでいた、いままでさんざん堀は自分に詰問してきたので)、またさまざまな理由でパッケージされた録音を延々と聴くことにもさらに懐疑的になっていて、音楽と音を膨大に聴いてるはずの同業者たちにも激しい違和感を感じていた自分は、以下の「きき方」について極私的に整理していた。<br /> それは…<br /><br /><br /> 1 音を加工したくないという欲望と加工された音をより聴きたくないということ<br /><br /> 2 フィールドレコーディングされた場所自体への関心と無関心への予測しない警告<br /><br />3 フィールドレコーディングされた場所が過去どうだったか未来においてどうなるかの関心と忘却への時限爆弾の設置<br /><br /> 4 なぞり書きする欲望(音のなぞり)(なぞり書きとなぞり映しとなぞり鳴らし)<br /><br /> 5 聴き直す時間の限界<br /><br /> 6 フィールドレコーディングで治癒される何かの各段階/そしてその逆とはどういう事態か<br /><br /> 7 録音物に依存したくないということと録音物で強度を操作されるということへの無知<br /><br /> 8 世界が内破する音についての予期せぬ対話の設定(世界の再生速度を変えたい/変えることについての思いがけない対話/変わる契機を設定する)<br /><br /> 9 アーカイヴ「ヒューマン」(ばかばかし過ぎる響き)<br /><br /> 10 フィールドレコーディング音源を通しての環世界間の行き来のおままごと<br /><br /> 11 録音するという痛み(強)<br /> <br />12 録音するという痛み(弱)<br /><br /> 13 録音することであぶりだされる”かゆみ”(痛み<中>、潜在)<br /><br /> 14 特殊マイクで更新される世界で発見されることを聴きたい/知りたいということとそこでの退屈さの理由<br /><br /> 15 架空の世界で鳴る音をなんらかのかたちで聴くことを強いられた際にそこで除去されていること、除去されることを推奨されているものを聴いてしまうということ(違和感を持って聴き続ける時間の先)<br /><br /> 16 自分がそこで鳴る音をよく知っている(はずの)場所の音を聴いて、(いま)録音できないことがわかっていることが確認できながらもその録音世界を一気に聴きたいという事態<br /><br /> 17 フィールドレコーディングにおける人間の限界と委ね先の決定についての議論<br /><br /> 18 人間における感情の残骸たちにさまざまな距離をとっていくことを聴きなおすことで体感し直す(距離をとり直す)こと(それらを後にある種の逸話的音楽/叙述的音楽に組み換えたり、組み立てたりするのは、この聴き方からもはじまる)<br /><br /> 19 音自身の立場になる、鳴らされたくない当の音自身の立場にもなる<br /> (映画『AA』(2006年/青山真治)の灰野発言参照必須、この灰野発言を受けての聞き手の大里発言のオリジナルがカットされているなら、また灰野発言に対しての『AA』以外の大里の文章があるなら、新版刊行が既に準備されている『マイナー音楽のために』に該当箇所を聞き書きでもいいのでぜひ収録してもらいたい)(大里俊春『マイナー音楽のために』で宙吊りになってる箇所をみなで討議するイベント「『マイナー音楽のために』を巡って」は2018年4月に京都「外」で開催された)<br /><br /> 20 音を捨てたい欲望、ある種の音を聴くことで音が捨てさられる世界に侵入したい<br /><br /> 21 受け身では決して学習できない、録音する行為を通じてあきらかになる世界、その想像の段階、期待の段階ではあらかじめ把握できない日常のメモとそこでの変化<br /><br />22 事故への欲望<br /><br /> 23 録音=リハビリのグラデーションとその逆<br /><br /> 24 録音するという行為でしかとりもどせない感覚<br /><br /> 25 音を隔離したい/孤立化させたい(死後も)<br /><br /> 26 偶然の色彩家を録音家に翻訳したときのポテンシャル<br /><br /> 27 録音できない領域を知りたい/それをみきわめるために録音する<br /><br /> 28 音を(いままでと違う方法でもっと)視覚化したい<br /><br /> 29 音を(いままでと違う方法でもっと)分割したい<br /><br /> 30 音に(いままでと違う方法でもっと)触れたい<br /><br /> 31 音にまつわる記憶を隔離したい/しがちな/したくない場所とは(音と建築、音とシェルター)<br /><br /> 32 直接触れられないものの領域を知りたいことについて、音を聴くなかでそこに抵触すること(宿命強迫と音)<br /><br /> 33 音をランダムに扱うことで可能になるものと(もっと)つきあう<br /><br /> 34 ランダムがもたらす限定的な開放感をさまざまな日常触れるものに次々とリンクさせていくなかで変化するきき方<br /><br /> 35 モーターサイクルと一体化して聴くこと、または(自身も)鳴ること、または改造されてしまうこと<br /><br /> 36 負傷しながら録音すること、「負傷」のさまざまな程度について体験しながら記録していくこと (負傷している/してしまった/していく/していないがそのイメージだけがある/負傷によるさまざまな強度獲得について)<br /><br /> 37 残響の領域で浮かんでくるもの、その時に感じるものの変化、そして自分自身の変化を聴く/聞いてしまう<br /><br /> 38 残響とされるもののなかのひとつにフォーカスして聴き、ある音の持続する長さを一時期のヘレン・フランケンサーラーのように、重力を可変にする聴き方である一点または複数の点でいったんとどまる(そこから先は聴かずにとどまる)<br /><br /> 39 機械がもつ感覚に近づくための録音リスト、その実践<br /><br /> 40 希少音発生地または希少音発生体の保全・研究で発見されること/聞いてしまうこと/そもそも希少音とは<br /><br /> 41 録音機械に人がひそひそ声を話すときの録音について人間中心の設定でない方法でいくつか録音してもらい、後の機械との対話のなかでそれらを設定しなおしていくこと<br /><br /> 42 録音機のもつ事故遭遇誘発性の蓄積と表現とポテンシャルとその批判<br /><br /> 43 録音機のもつ突き刺すような感覚の細分化をめぐる対話がある程度即録音機にフィードバックされる設計/テストと聴くことの変化と聞いてしまいがちな場所の発生の記録と排除<br /><br /> 44 録音することのリモートの問題と、聴くことのリモートの問題と、聞いてしまうことのリモートの難度<br /><br /> 45 「全部入り」から少しずつレイヤーを剥がす過程での聞いてしまうことの変化(音の復興と復活のいままで気づかなかった層)<br /><br /> 46 人主体のデザインだけでないバイオロギングからのフィードバック(パイオニア社、ラーゴ社、フィクションの会社他)<br /><br /> 47 ナノリスニングの起こす問題、問題を起こすためのプログラミング<br /><br /> 48 自然環境復元への疑問としてのリスニング<br /><br /> 49 無人機からのフィードバック<br /><br /> 50 こどもたちによる音響感覚からの発見(肯定的なものに限定しない)(録音機がなかった世代のこどもたちの音響感と録音機がポータブルになった以降と、それが違う玩具/疎外具となっている世代のこどもたちの音響感の違い)<br /><br /> 51 共同(作業)者を人間に限りたくないことからはじまる録音(作業がどう○○に変化していくか、その○○を増やす方法)<br /><br /> 52 点景の常態化、ある乱暴な一定時間経過ごとの録音を聴き直すことで生じるリスニングから生まれる省略と選別の習慣とそこからこぼれるものの規則性<br /><br /> 53 音と音楽の境界線、図と地の境界というリスニングでなく、音の過保護と音の過干渉のエフェクトとエゴとその薄くなるところを聞く(聴くのではなく)、対話していくなかで変化する過保護と過干渉、音における「介入」の諸像<br /><br /> 54 感覚を生物固有のものとして考えないところから生まれる「きくこと」への疑問を非人間と一緒に時間を過ごしながらきいていく/ききなおしていく/時にききたどりなおしていく<br /><br /> 55 感覚を生物固有のものとして考えないところから生まれる「きくこと」への疑問を非人間と一緒に時間を過ごしながらきいていくが、そこで先に死ぬ人間たちを看取った(看取らなくてぜんぜんいいが)後に彼らがきくだろうもの<br /><br /> 56 「クラップの最後のテープ」におけるきくこと、鳴ること<br /><br /> 57 何かが消失する瞬間を「聴いている」「仲間」への信頼、今後聴かれる複数の過去を日常的に想定すること、それらを今後きくかどうかの決定の瞬間は非人間ではどうなっていくか<br /><br /> 58 すべて想い出の地位に昇進する音の記憶についてある距離をとるきき方の細かすぎるグラデーション(聴くことの自動症から離れること、聴くことの水平運動にかまけていることから離れること、そこから戻るきっかけについての細部)<br /><br /> 59 録音するということ自体が弱さをみつけることのできる「存在」への「信頼」であるということ(最適化された「強過ぎる」存在(パフォーマンス)ばかりが弱さを偽装し続けている世界で発見しにくいことたち)<br /><br /> 60 録音するということがものとものとの関係を取り戻すということ (人と人との関係を取り戻し過ぎる音楽や非音楽たちがあまりにも多過ぎる世界で…)<br /><br /><br /> これらの「きき方」は映画の音楽や音響デザインとはなんの関係もない。ここで「きき方」はなぜひらがなの「きき」に「方」で「きき方」なのかは最低限触れておく必要がある。一般的に「聞く」と「聴く」は、その行為の主体の意識の違いによって使い分けられているとされている。「なにかのモノオトを聞く」「誰かの話し声が聞こえる」のように、音や声が自然に耳に入ってくることが「聞く」で、「聴く」はもっと能動的な行為で「ある音楽を聴く」「○○先生の講義を聴く」というのが具体例とされているが、既に日本語の「聞く」と「聴く」だけでもその実態の詳細はそれらの言葉を定義している者の想定や想像を大きく超えて、お互いに染みだしあったり侵入しあったりしているがそれだけではない。そもそも「○○先生の講義を聴く」よりは「○○先生の講義を聞く」者たちが大半のようだし、「なにかのモノオトを聴く」のも一般的だし、「誰かの話し声が聞こえる」は「誰かの話し声が聞こえてくる」がよりしっくりくるとして、「話し声」が誰かわからない時は「話し声を聴く」だろうし、聴きたい声質の持ち主の話し声は「聞こ」えてきたとしてもすぐに「聴く」ことになりがちだ。そしてあまりにその声の主が好き過ぎてつらすぎるのなら、人はそれが全く同じ声であろうとそれを「聴く」から「聞く」に戻したり、「聞く」より強めにマイナスする。そして「聞かない」「聞こえない」にもすぐに到達する。これは映画においてどう意図的に処理されているか。「聞き惚れる」といい、なぜ「聴き惚れる」ではないのか。「聴き惚れる」とは一般的に言わない。しかし言語学者や辞書をつくる者がいくら否定しようと認めずとも無視し続けても、実態としては「聴き惚れる」段階は不安定だがある。「聞き惚れる」がなぜ「聞き」なのかを乱暴に言えば…それは飽きないためである。そして「聴き惚れる」はそれに耳を傾ける(また違う「きく」を使ってしまった!)のが好きでなくなる前の段階の「揺らぎ」に位置している場合を含む。好きでなくなる前には、あまりに聴くことに耽溺している状態が当然ある。この揺らぎについては映画製作において現場ではもっともっと試行錯誤されるべきである。「聞き耳を立てる」はあり、「聴き耳を立てる」がないように感じられる地点においてはしかし「聞く」ことの原始性と「聴く」ことのまだ人間においては比較的新しい事態だということの再考の必要が促される。このことの促しが新たな映画を生むことも当然ある。そしてフィクションや映画における「聴き耳を立てる」は、その聴きとるべき音を獲得できないだろう脆弱さや聴くことが完遂できない事故の予兆をはらむようにも感じないだろうか。また「音を聞いていると何を聞いているかわからなくなる」と「音を聴いていると何を聴いているかわからなくなる」の違いは何か。「音を聞いていると何を聞いているかわからなくなる」のは自分がどこにいるかわからなくなることに近く、「音を聴いていると何を聴いているかわからなくなる」は自分が何者かわからなくなることを強く呼び寄せるだろうか。これを「聞く」と「聴く」の往還には、自分の消滅をはらむとか自分の行く先の不明化を誘発すると早急に言ったところでどうにもならない。上記で「きく」「きき方」と書いている箇所は、「聞く」と「聴く」や、「聞く」と「聴く」のそれぞれの複合語の意味する/予兆をはらむことや、それ以外の第Xの「きく」に限定しない暫定的なものとしての「きく」であり「きき方」である。この「きく」や「きき方」と、フィリップ・ブロフィがかつてとりあげた音響映画やそれらに強く関連する「録音された”音の本性”」「音響効果の過剰な適応」「空気感、雰囲気、環境の”人工性”」「オーケストラ的なものの解体と内包」「電気的/電子的なものへの偏愛」「”紡ぎ上げる糸”としての歌」「声のもつ”耳触り”の加工」(…それにしてもブロフィの音響映画をめぐる思考はざっくりしている…まるで映画『プレデター』(1987年/ジョン・マクティアナン)の監督自身によるオーディオコメンタリーのように…)の関係について映画批評家や映画教育者は自身の感じかたの他者との違い(と教育の不可能性)を考え抜いていなければならないはずだが、では映画製作の現場にいる者はどういう答えを日々出しているか。映画『BLUE ブルー』(1993年/デレク・ジャーマン)をあなたは「鑑賞した」「聞いた」「聴いた」「ながら聞き」した「ながら聴き」したのいずれか。あなたは『消えた画 クメール・ルージュの真実』(2013年/リティー・パニュ)と『アクト・オブ・キリング』(2012年/ジョシュア・オッペンハイマー)を「ながら聴き」していたらいつしか「ながら聞き」してしまっていたか。あなたは「ながら聴き」が続けられない段階で「理解できないままに耳を傾けた」のか「耳を塞いだ」のかそれとも「寝た」のか、そしてそれ以外の状態にいたならそれは何か。もう話を戻すが上記の60の「きき方」は映画の音楽や音響デザインとはなんの関係もない。全く映画とは関係ない話だ。<br /><br /> しかし例えば21の資質があまりにない映画監督はあきらかに無能である。そういう監督は映画を「きっと」と「たぶん」で埋め尽くすだけで終わる。そしてすべてのタイミングはジャストだ。いったい映画の何を観察してきたのだろう。ここで言う「きっと」と「たぶん」をわかりやすくするなら、それは例えばデイヴィッド・ゾンネンシャインが言うところの「コンティニュイティ」「ストーリーに関するヒント」「統一感」「感情表現」「非共感的音楽」「プログラマティックミュージック」のうち「たぶん」が「感情表現」、「きっと」が「ストーリーに関するヒント」に近似するが、そもそもがゾンネンシャインの考える映画を響かせる「音」の作り方が「きっと」と「たぶん」をあまりに志向し過ぎている。しかしこの志向の精度をあげることこそがプロフェッショナルと考えている関係者は多数いる。そういうプロたちにより今日も作品は量産される。22はどの映画監督もインタビューでは決して答えることはないにせよそれは監督たちの多くが常に必要とするものかもしれないが、それをすんなり諦めたものはその代償として「きっと」と「たぶん」のプロフェッショナルらとのより強固な共闘による圧倒的なわかりやすさのなかで安全な支持を常に獲得するのかもしれないが他ならぬそのことに耐えられなくなる事態がまともな監督なら起きるはずで、でどうするか、倫理を問題とするものとどう対するか、ごまかすか、説得するか、対峙からは予想外の点にジャンプするか。60とその周辺から起草される無残な映画や映像作品、人間を非人間に解放していく「新たな」表現や人間として生きていながら非人間として扱われてきたものに人間性を回復する「新たな」表現での45の杜撰な取り組みは今後あまりにも多数ありうる(45の問題はアーカイヴの範囲と倫理の問題、デジタルリマスタリングの際の複数バージョンの存在とそこでのチャレンジしない監督どもの洗いだしにも関係する)。批評家には18の基礎訓練もできていないままのゆうた(キャンプ寄生)もいる。18をなんら疑うことすらないので泣ける!と平気で連呼し続けられるが、どうしても泣ける!と本気で書きたいのならば少なくともいままで泣けたものが泣けなくなった!(それでも?だが本人にとっては深刻極まりないはずだ)事態について書けばよいはずだが…そんなことよりも自分が泣けた泣けるより例えばどうして『ファントム・スレッド』(2017年/ポール・トーマス・アンダーソン)において主演俳優が製作期間中に激しい悲しみに襲われ、そこからどうしても逃れられず俳優の引退を決意したかをライターの総力をあげてその逃れられなさの原因について書いたほうが、それがいくら失敗してようが見当外れだろうがそのほうがよいのではないだろうか。36での戦場映画論と戦場映画コメンタリー論と実況論とメイキング論。38はいくつかのヴァンパイア映画と恋愛映画の狭間に現れては消えるものかもしれないが、ヴァンパイア映画ではない塩田明彦監督の8ミリ映画での処女作がそうであったかどうか定かでない。たまには映画批評家たちは34をより彼らなりの賢いやり方でとあるゴルファー映画に回転寿司論をでっちあげ骨法十箇条のそのいち「コロガリ」を新たに組み直してほしいとなんの必要もないのに全く痒くもないのに穴をほじりたくなる。『エリ・エリ・レマ・サバク・タニ』(2005年/青山真治)は、4の「なぞり書き~なぞり映し~なぞり鳴らし」を強く観る者に傷つける稀有な映画だが、映画批評家には『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』と吉増剛造映画(貝チップハンガー千円)はともかく、『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』とあらゆる口笛映画を論じてほしい。『狩人の夜』(1955年/チャールズ・ロートン)で口笛をふくニセ牧師の口笛は、鳴らされている。しかし『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』でのミズイはなぞり鳴らしている。鳴らされているのとなぞり鳴らしてるのではあまりに違い過ぎる。そもそも口笛を吹くというが、口笛はあまりにも吹かされている、鳴らされている。しかし口笛を吹くより鳴らされているほうが常態なのではないか。映画批評家たちに他の者たちとは違う能力があるなら何も新しいことは書けはしないといまだお墨付きに開き直り続けるのでなく、例えばここでは呼気でなく吸気と映画について大部で論じてほしい。そもそも「口笛を吹く」という日本語に違和感がある。口笛には吸気で鳴る音もある。『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』と『狩人の夜』は対となる映画であり、『狩人の夜』のニセ牧師は鳴らされているが、『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』のミズイは鳴らされているのでなく自らなぞり鳴らしている。鳴らせないミヤギは委ねるのみであり、委ね続けるだけでは死者は増えるばかりで、『狩人の夜』のニセ牧師は委ねた結果として鳴らされているように映る。しかし軽快に鳴らされている当の本人は自ら吹いているつもりだ。『狩人の夜』の幾人もの映画作家たちへの強迫的伝染の原因はこの鳴らされの不気味な強度かもしれず、映画『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』はその伝染の源までたどって映画の違う時間線を紡いだことに挑んだようにも映る。『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』爆音上映はまた違ったことを発見してきたはずだが、その成果も改めてまとめてほしい。また例えば呼気でなく吸気で吹いている、ではおかしいので吸気で鳴っている口笛について、鳴らされているのか鳴らしているのかを複数の映画で考えたりできるのが映画批評家の仕事のひとつだとも思っていたが、どうやらこの世界での映画批評というのはそういうのを考える習慣とは違う潔癖さや整然さのなかにあるようである。しかし時に彼らの誠実さ理路整然と現場の運動神経がかなりずれていると感じる時も多い。吸気で音を鳴らすのはわかりやすく呪いの第一段階かもしれないが、それが鳴らされているのか鳴らしているのかを論じるのは、ホラー映画の演技の数々を延々と失笑し続けたりトホホるよりはよほど重要なことに思えるがみな今日もトホホり笑顔でなにやらコレクトにいそしみ健康極まりない。しかし吸気映画論をやるならば当然『ルシア』(1968年/ウンベルト・ソラス)は参照されるべきだ。<br /><br /> 改めて繰り返すが上記の60の「きき方」は映画とは基本的になんの関係もない。<br /><br /> 堀は『憐 Ren』での自分との喧嘩別れなど全くなかったかのようにある日『天竜区奥領家大沢 別所製茶工場』と『天竜区旧水窪町 祇園の日、大沢釜下ノ滝』を送ってきた。それに対して自分はいくつかのフィールドレコーディング作品(自分の録音ではない複数のアルバム)(以下フィーレコ)を送ると、堀はまた『天竜区奥領家大沢 夏』を送ってきたので、今度は通常フィーレコではタブーとされる録音者の足音もあわせて録音されているフィーレコ作品を送ると堀はあれおもしろいねと連絡してきて『天竜区奥領家大沢 冬』を送ってきた。天竜区を撮りはじめた時期に堀は『遊動論 柳田国男と山人』(柄谷行人著)を読み込んでいたらしいが、堀自身の言葉によれば「『別所製茶工場』はそれまで自分が撮ってきた映画を全否定した上で撮り始めたものです。もちろん今ではそこまでの自己否定感は薄らぎましたが、デビュー作である『宙ぶらりん』より必死に撮っていたのではないかと思います。終わってしばらくすれば、結局、いつもどおりだなと思いましたし、それまでの自作に対する見方も大きく変わりましたけど…」とのことだが、『憐 Ren』の(失敗と)教訓をもとに作られたはずの『魔法少女を忘れない』で堀はあきらかに一区切りをつけた。『魔法少女を忘れない』での音楽、音響のサウンド全体の堀の監修は見事だった。これを普通に提示したうえで先に行きたかったのはあきらかだった。しかし『魔法少女を忘れない』でのサウンド全体の監修には裏話があり、堀はダビング日程が終わっても到底満足できず、関係スタッフに無理を言ってスタジオのわずかな空いてる時間にしつこくしつこくダビングの延長作業を延々していた。この延々と延長する経験と『天竜区奥領家大沢 別所製茶工場』『天竜区旧水窪町 祇園の日、大沢釜下ノ滝』『天竜区奥領家大沢 夏』『天竜区奥領家大沢 冬』の運動神経と、『魔法少女を忘れない』製作終盤での気づき、そもそも『魔法少女を忘れない』の「忘れない」の主体が何なのかに気づいてのガクブルが、『夏の娘たち』での再出発にはっきりつながっている。『夏の娘たち』のダビング現場(約一ヶ月と一週間)で起きた数々についてはここではその詳細について何も言うつもりはないが、作業の冒頭においてはまだ堀は「映画音楽」を要求していた。しかし自分は映画「音楽」をつけるつもりは全くなかった。絶対につけたくない音楽をしかし複数用意し作業初日に複数箇所聞かせると堀は「これは直美の映画なんだよッ」と声を荒げた。「この映画のタイトルだって『直美の場合』でぜんぜんいいんだ」とも言ったので(実際に映画のタイトルは一ヶ月以上にわたるダビング期間の最終日前日まで決まらなかった)スタートは最悪だったが自分は音楽は今回一つも入れるつもりはなかったし、堀の毎度のいらつきも慣れていたので「タイトル、『乃梨子の場合』じゃないんだから、それないでしょ」と言うことで、映画音楽ではない「音」の作業はその先一ヶ月はじまることになった。この日々はスタジオに入ってないからこそ可能になったものだが、スタジオのベテランたちを軽視しているわけではもちろんない。その一ヶ月では必要な「声」がないからダビング作業は中断し、二人で録音しに出かけたりという日が何日もあった。だんだん堀がフィーレコ行為にはまっていく過程が得難い経験だった。堀はいちいちどうしてこの音なのかの理屈を当の本人の欲求以上に問い質すのを堀自身に課していたので(時たま俺理屈を君に求め過ぎだよねでもそれは勘弁してと何度か繰り返すので、もうそんなこと今後は言わなくていいと伝えた、堀は自分のアイデアをいちいち気違い扱いせず一晩二晩考えて答えてくれるほとんど唯一の人間だったので堀のあまりにもしつこい質しの連続はお互いさまだった)、自分もその理屈を堀の執拗過ぎる質問を跳ね返せるよう作り延々試していたが、このような作業工程というより議論工程は通常のスタジオでのダビング作業ではあり得ないものだった。と同時にでは理想的なプロのダビング作業はそもそも何なんだよについても作業後の飯や朝飯前に話しあった。<br /> 結局映画音楽はエンドクレジットとオープニングだけに限定されて入り、すべては環境音の作業だったが、この時に堀に問い質され続けるなかで作った方法はわたしのその後の映画の観方を変えてしまった(正確には観方というのはなくなり体験の仕方だけに)。その時に改めてつけ直した映画の音ノートが本連載の元になるものだが、そのノートはM数メモももちろん毎作品あるが、基本的には引き延ばされ過ぎたあのダビング合宿の膨張とありうるはずない収束として伸び縮みするXとして何かの難病のように消えない。堀はいなくなり自分にはこの毎日の習慣(ダビング合宿の延長、ひとり質問に自分で答えること)が残った。答えが出る日は稀だが、堀がいなくても対話する習慣は今も続いている。<br /><br /> ちなみに『夏の娘たち』のエンドクレジットにはほんとはナンカロウのピアノを使いたかった。しかしそれはあらゆる理由でかなうはずもなかった。コンロン・ナンカロウがもし何者か知らない人がいたら調べてほしい。<br /> 映画音楽の増悪とは何か。少なくとも映画のサウンドデザインの教科書の「音楽の認知」に付されるのが「音楽は混沌から秩序を作り出す。リズムが不一致を課し、メロディーが断片に連続を課し、ハーモニーが不調和に調和を課すからである」というメニューインの言葉だけである現状はいくらなんでもおかしいだろう。映画のサウンドデザインでこの言葉の引用では現状追認の未来しかない。それにあまりにも人間を高く見積り過ぎている。<br /> 映画のサウンドデザインの教科書の「音楽の認知」には以下の定義も付してもらいたい。しかしこれは定義でなく難題だが。<br /><br /> <span style="font-size: 12px;"><em>「1: 音楽は音のパターンによって限定される作業領域の一形態で、人間の言葉や書かれた記号という視覚に基づくメタファーに類似した思考方法である。音楽はいくつかの伝達方法を保存するための一種の戦略であって、その伝達方法は他の生命形態がコミュニケーションを行うやり方により近く、人間の言語構造にはわずかに関係があるに過ぎない。したがって、音楽は人間以外の生命系統と構造的に関わるための伝統的な手段であるかもしれない。」</em></span><br /><span style="font-size: 12px;"><em><br /> 「2: 音楽の作者や伝達意図、感情表現、音楽の天才という諸価値について私たちが当然と思っていることは、進化の過程から見ると、短期間の逸脱であるかもしれない。この当然だとされていることは私たちに美や娯楽上の価値をもたらしてくれはするが、それらは音楽にとってより深い意味から外れるものであるかもしれない。環境という点から見ると、音楽は自然と社会の関係を含むより大きな精神のシステムに人間が構造的に関わるための手段であった。」</em></span><br /><span style="font-size: 12px;"><em><br /> 「3: 音楽の意味は、記号の指示対象としての音符の構造の中にはない。伝達の意図と需要は、単純に点対点の対応関係にはない。</em></span><br /><span style="font-size: 12px;"><em> 音楽は意味作用を分散するネットワークであって、そこではおびただしい関係と使用の無限の組み合わせから意味が生まれてくる。残念なことに、音楽に関して私たちが当然だと思っていることは、自己表現、感情内容、意図、作者という理念にたいする、文化的に尊重された信念によって規定されている。私たちはまた、私たちの経験とこの同じ信念を同一視することによって、音楽に文化的価値を与えている。このように当然と考えられていることがないところでは、音楽には何が残されているか」</em></span><br /><br /><span style="font-size: 12px;"> (デヴィッド・ダン「サイレント・ダイアローグ──見えないコミュニケーション」より)</span><br /><br /> 映画のサウンドデザインの教科書の「音楽の認知」冒頭引用には上記のダン(特殊マイク群の発明者でもある)の論題とは別にハンス・プリンツホルンのリズムと規則についての抜粋も付してほしい。メニューインにダンとプリンツホルンが併記されるだけでもだいぶ健全になるはずだ。<br /><br /> 音楽の難題と再定義。映画のサウンドデザインとはなんの関係もないが。無駄なカットはひとつもないはずなのにひどくぎこちなく人工的な夏の娘たちの映画は、映画自らが手近な「きっと」と「たぶん」と「そうじゃない」を何度でも復習し続けこの映画は運命じゃないと思う地たちを巡るひどくシンプルな旅に突然出立する。そこに気を散らす虫たちも鳥たちもいない。次の四次ロケで蝉が大敵だなどということが未来永劫行われる一方で。映画音楽が急性増悪するとかいう以前に、音楽が映画に必ず必要ではないというのは、ある映像には「どの音もうまくいく」実験のあまりにもなどうでもよさと呑気さとは全く関係がない。観賞すれば「きっと」生かされる無数の映画には音楽は必ず必要だが。そもそも音楽が必要か否かという問いが間違っているし、映画のサウンドデザインという言い方自体が間違っている。二つの感覚が連動しずれていき苦しみ疲れまた動き出しまた止むのに音楽も音も関係はないが、またしてもそこで気を散らす虫たちも鳥たちもいない。先回りし続ける賢いものたちに彼らは常に鳴っていない。しかし鈍重な彼らにも響くそれは。休眠状態のものがいくつも転がっている。<br /><br /><br /><br /> <span style="font-size: 8px;"><strong>虹釜太郎(にじかま・たろう)</strong></span><br /><span style="font-size: 8px;"><strong><a href="http://d.hatena.ne.jp/nijikamataro/archive" target="_blank" rel="noopener nofollow">http://d.hatena.ne.jp/nijikamataro/archive</a><br />音楽・音響を担当した映画(『夏の娘たち』他)<br /><a href="http://www3.cinematopics.com/archives/71075" target="_blank" rel="noopener nofollow">http://www3.cinematopics.com/archives/71075</a><br /> <a href="http://www.nobodymag.com/journal/archives/2017/0803_1939.php" target="_blank" rel="noopener nofollow">http://www.nobodymag.com/journal/archives/2017/0803_1939.php</a><br /> 『カレー野獣館』<br /><a href="http://taco.shop-pro.jp/?mode=cate&cbid=89112&csid=5&sort=n" target="_blank" rel="noopener nofollow">http://taco.shop-pro.jp/?mode=cate&cbid=89112&csid=5&sort=n</a><br /> ソロ音源<br /><a href="http://losapson.shop-pro.jp/?mode=cate&cbid=460298&csid=0&sort=n" target="_blank" rel="noopener nofollow">http://losapson.shop-pro.jp/?mode=cate&cbid=460298&csid=0&sort=n</a><br /> 復刻音源アーカイヴ<br /><a href="https://newmasterpiece.bandcamp.com/album/weekly" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://newmasterpiece.bandcamp.com/album/weekly</a><br /> 録音とは何だったのか<br /><a href="http://soto-kyoto.jp/event/180421-22/" target="_blank" rel="noopener nofollow">http://soto-kyoto.jp/event/180421-22/</a><br /> </strong></span></p>2018-12-21T00:56:20+00:00YCAM繁盛記 第50回 (杉原永純)
2019-02-06T07:46:26+00:00boidhttp://boid-mag.publishers.fm/editor/356/http://boid-mag.publishers.fm/article/19482/<p><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">山口情報芸術センター=YCAMのシネマ担当の杉原永純さんによる連載「YCAM繁盛記」。杉原さんが現職について5年目の秋、本連載も第50回となりました。今回は先週末から始まったYCAMの新企画展や今秋に東海テレビで放送されたドキュメンタリー番組『さよならテレビ』などについて記されています。<br /> <br /></span></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/d492f2d069e4414c8332b3e3b1e3e5aa.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">「呼吸する地図たち」オープン</span></div>
<p><br /> <br /> <br /> <span style="font-size: 13pt; font-weight: bold;">5年目の秋。</span><br /> <br /> <br /> 文=杉原永純<br /> <br /> <br />連載50回目。5回目の山口の冬は暖冬。秋からやっと冬に以降しつつある。YCAMに来てすぐにやるはずだった充電を今更ながらしている。映画を見るための旅が続いていて、いつの間にか今年度後半の企画展がスタートした。<br />12/15(土)から新展示&レクチャー・パフォーマンスの連続企画<a href="https://www.ycam.jp/events/2018/the-breathing-of-maps/" rel="nofollow">「呼吸する地図たち」</a>がスタートしている。この展示の概要を一言で伝えるのはすごく厳しい。boidマガジンで別個連載中の今野恵菜が、今回のラボの担当なのでそこで何か書くかもしれない。この展示の仕込み期間のおおよそ半分は山口を離れていて、制作過程も丁寧に見れていない。通常のアートの展示と異なるのは、展示作品も複数あるが、会期中多くのアーティストやリサーチャーと呼ばれる人たちが来館すること。レクチャーや、レクチャー・パフォーマンスと呼ばれる形式のプレゼンテーションが毎週末行われる。レクチャー・パフォーマンスとは、アーティストが彼/彼女の言葉で直接鑑賞者に語りかけるやり方の表現形式のこと。12/15(土)初日にシンガポールのホー・ルイアンの<a href="https://www.ycam.jp/events/2018/asia-the-unmiraculous/" rel="nofollow">「アジア・ザ・アンミラキュラス」</a>を見た。<br />約80分間のパフォーマンス。ハードカバーの文芸書をアーティストの言葉(かつ独自の筋道)と身振りで噛み砕いて伝えてくれるような感覚。言語以外の要素からかなりの情報を得ているのだと見終わって思う。映像あり舞台上の仕掛けありで飽きさせない。応用可能な感じもするし、でも、かなりアーティスト本人の興味関心能力全てに関係するプレゼンテーションの仕方なので結構難しい気もする。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/8ebe603217b74865a3d185ab3704843c.jpg" /></div>
<p><br /> <br />YCAMでは映画担当他、15周年の区切りで新スタッフを募集している(12/12で映画担当、アート担当、デザイン担当は締め切っている)。いよいよ一区切りが迫る。最初自分はペースを落として仕事をしようとしていて、でも爆音が面白くなって、映画制作をゼロベースでやり始めてしまったせいで、制作業務、完成したらぼんやりではあるものの配給的業務も発生したり、一方ルーティーンの山口唯一のミニシアターとしての上映もやっぱり面白く(地方都市のお客さんの実情を知るのは大変良い経験になった、本当に)、その間に色々お誘いを受け、東南アジアの映画プログラマーとワークショップして東京とタイで上映を企画し、愛知での国際現代美術展の映像プログラムをやったり、渋谷に篭っていた時に比べれば仕事の幅は広がり充実したのかもしれない。<br />映画は結局映画であるということを最近常々思い知らされることが多く、他ジャンルから求められる映画像みたいなものに窮屈さを感じることも以前より多くなったことも事実。映画はつくづく不思議なものである。ほぼどんな人にもその人にとっての「映画」がある。本人はそう思っていないかもしれないけども確固たる意見を投げてきたりする。これは、文学にしても美術にしても音楽にしても他の芸術ではあまりないことではないかと思う。映画のフォーマットが多くの人に共有されているからかもなどと思う。参入障壁の低さ、批評することへの余談のなさ、このことについてはどこかで改めて考えてみたい。<br />10-11月の移動は激しすぎてあまり覚えられていないが写真フォルダを掘り返して、撮った写真など少し。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/77ef602508b243b7ba69f901f02d47bb.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/a5b61a790b25456699c826c83b8a1d75.jpg" /></div>
<div style="text-align: left;"><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">フィルメックスの時TOHO日比谷(宝塚劇場地下の方)から出てきた時に出くわしたヅカ出待ち。白い人たちの後に黒い人たちが並んでた</span></div>
<p><br /> <br />11月1日、名古屋へ。2016年のPFF以来久方ぶりの『ギ・あいうえおス -ずばぬけたかえうた-』『ギ・あいうえおス 他山の石を以って己の玉を磨くべし』連続上映を、ギ・あいうえおスの生みの親、越後谷さんが上映を企画してくれたので、完成して2年経って、今更ながらギ・山口でやらせていただきました、と、柴田監督とご挨拶に。越後谷さん、本当に柔らかい。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/183274bbb1b945da8e19428472b51fde.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/3b7b623a9136464db509b6e9b9e1539c.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">この会場があいちトリエンナーレ2019映像プログラムの会場になる</span></div>
<p><br /> <br />東京国際映画祭で真面目にアジア映画をたくさん見つつ、いくつかミーティングをこなす。実際に会場に行くと180度思いつきが変わったりする訳で。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/c184e00edbb44e21aa38d593a8d8896c.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">某会場で某企画のミーティング。間も無く情報リリースします</span></div>
<p><br /><br /><br />テレビ業界で話題の<a href="http://tokai-tv.com/sayonara/" rel="nofollow">『さよならテレビ』</a>を見た。名古屋で、先に見ていた某映画監督から「いやほんと良いよ!」と聞いていたし、ネットでの評判は凄まじい。見て納得。『さよならテレビ』は、TVマンの間で裏ビデオのように流通していると耳にした。テレビの放送をレコーダーで焼いたDVDの複製はかなりのプロでも難しいらしい。平成最後の年、実体を持ったブツ=DVDの裏の流通。きっとこのことも、この番組のアウラを高めるだろう。<br />『ヤクザと憲法』の圡方宏史が演出、東海テレビのドキュメンタリーシリーズの阿武野プロデューサーで、タイトルが『さよならテレビ』とくれば、その筋の人間であれば一目でこれはヤバいと気づく代物だが、なんせ1回のみ東海テレビで放送されただけである。たまたま放送の数日前に知って、あいちのスタッフにお願いして録っておいてもらった。<br />舞台は報道局。今のテレビ界の矛盾を突く、といいつつ、到底紋切り型ではない目線。複雑なものを、テレビ的といっていい編集・撮影でシンプルに見せていつつも、それをもう一度かき回す演出と構成の力量。これを開局60周年記念として世に出してしまった東海テレビの野心というか意気込みは堪らない。テレビでしかできないことを、地方局だからこそできるギリギリのラインで攻めている。東京のテレビマンは悔しく思うだろう。日曜の16:00に放送されたのだが、これ、何も知らずたまたま見ちゃった人はどう思ったのか気になる。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/1de2231e61cc4d2ab39abb5f1bbe80e1.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">名古屋の地下鉄に貼ってある広告。これが「さよならテレビ」を見た後だと全く違うものに見える</span></div>
<p><br /><br />『さよならテレビ』を見て、主にカメラを向けていたトリエンナーレ事務局のある栄周辺の街並みを歩くと全く異なって風景が立ち上がってくるから面白い。市内が劇場と化す。自社の報道局と報道のあり方を問いつつ、テレビがテレビへし得る最上級の批評になっている。東海テレビのみならず、フェイクニュースが蔓延する現代社会全体へその射程がある。広く見せることがきっと難しい作品だからこそ、見せる側の人間としてはもっと見てもらいたいと願う。</p>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/1c1a7330c008404b88ad62d988dc84d9.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/cd2fd6da51fa4bbd8638feea92e4dcec.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">三宅監督&濱口監督。山口から帰りの機内</span></div>
<p><br />そんなことをぼんやり考えていた11月末に、『きみの鳥はうたえる』『寝ても覚めても』のYCAMでの上映最終日の締めとして、三宅唱、濱口竜介両監督によるトーク。監督二人の話題は自然と映画演出に至る。この内容も、普段考えていることの手の内を明かすような内容で、二人への友情からあまり詳細は書かないことにしたい。東京ではきっとできない、貴重な内容だったことは確信している。たった40分しか時間が取れなかったが、大げさじゃなく、自分がYCAMに来てからいちばんよかったトークになった。今回たまたま同時にそれぞれの二作品が劇場公開することになったため、両作品を提げたベストなタイミングでこういうことができたことが演出について突っ込んで議論する素地になった。次いつそんなグランドクロスが発生するのか、誰にもわからない。もう永遠にないかもしれない。<br />映画とテレビ、それぞれの方向からたまたま演出について多くを聞いた。映画は、場が整えば、きっと話ができる。でもテレビ=報道についてはそれはまだまだ外に出せないのかもしれないと思うと、自分なんかはそのブラックボックスの中に手を伸ばしてみたくなる、が、それは来年に持ち越す。みなさま良いお年を。<br /> <br /> <br /> <br /><br /><br /><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">杉原永純(すぎはら・えいじゅん)<br />山口情報芸術センター[YCAM]シネマ担当。2014年3月までオーディトリウム渋谷番組編成。YCAMでは「YCAMシネマ」や「YCAM爆音映画祭」など映画上映プログラムを担当する他、映画製作プロジェクト「YCAM Film Factory」を手掛け、『ギ・あいうえおス 他山の石を以って己の玉を磨くべし』(柴田剛監督)、『映画 潜行一千里』(向山正洋監督)、『ブランク』(染谷将太監督)、『ワイルドツアー』(三宅唱監督)をプロデュース。空族の「潜行一千里」、三宅監督の「ワールドツアー」といったインスタレーション展も企画・制作。また、「あいちトリエンナーレ2019」の映像プログラム・キュレーターを務める。<br />近況:渋谷で大変お世話になり、いまだに渋谷に寄るとほぼ必ず行ってしまう横浜家系の「侍」を、なんと名古屋・伏見駅近くに見つける。渋谷では人手が足りておらず深夜の営業がなくなってしまっていたが、名古屋では飲み屋帰りのサラリーマン相手に商売していた。ほぼ同じ味で安心する。</span></p>2019-02-06T07:46:26+00:00Television Freak 第34回 (風元正)
2018-12-12T16:59:41+00:00boidhttp://boid-mag.publishers.fm/editor/356/http://boid-mag.publishers.fm/article/19473/<p><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">家では常にテレビつけっぱなしの生活を送る編集者・風元正さんが、ドラマを中心としたさまざまな番組について縦横無尽に論じるTV時評「Television Freak」。今回は現在放送中の連続ドラマから『今日から俺は!!』(日本テレビ系・日曜ドラマ)、『大恋愛~僕を忘れる君と』(TBS系・金曜ドラマ)、『昭和元禄落語心中』(NHK・ドラマ10)の3作品を取り上げます。 </span></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/f59009e2d0734031ac9e13eef17bee3a.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">(撮影:風元正)</span></div>
<p><br /> <br /> <br /> <span style="font-size: 13pt; font-weight: bold;">ツッパリと記憶喪失と昭和落語と</span><br /> <br /> <br /> 文=風元正<br /> <br /> <br />神奈川近代文学館の寺山修司展を見てきた。少年の頃、『書を捨てよ町へ出よう』や『われに五月を』を何度読み返したことか。しかし、天井桟敷の芝居には間に合わなかった。映画はけっこう観たけれど、これはどうにも「前衛」で……。受けとり方にさまざまな遍歴があったが、今は最高の扇動者という評価に落ちついている。<br /> <br /> マッチ擦るつかの間海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや<br /> <br />すばらしい。俳句、短歌という定型から演劇、映画、そして競馬まで、領域を侵犯してゆく行為そのものが作品になってゆく。展示では投稿少年だった頃の貴重なノートが公開されていたが、几帳面な書き文字に美意識を感じた。寺山には「作品」という概念は似合わない。かといって「編集」とも違う。定型の富を盗みつつ世界の余白を遁走してゆく寺山は、のぞきの罪を犯してから、あの世へ旅をした。あんな風に、ユーモアと悪意と病が同居した奇妙な凄味を備えた人は、もういない。偏愛していた騎手・吉永正人が勝ったミスターシービーのダービーを見れなかったのも寺山らしい。人生、おおむね、後方一気は間に合わない。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/b24fbba04ec6430aa499248664c6bba2.jpg" /></div>
<div style="text-align: right;"><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">(撮影:風元正)</span></div>
<p> </p>
<div style="text-align: center;">*</div>
<p><br /><br />『今日から俺は‼』は抱腹絶倒。福田雄一の「ツッパリ」という定型に対する深い愛情が爆発している。オープニングの「今日俺バンド」が演奏する「男の勲章」を見ているだけで愉しい。個人的には、赤坂理子役の清野菜名の、ただ登場するだけでキラキラの青春ドラマというセーラー服姿が圧巻である。道場主の父親役が佐藤二朗、清野が体術で示すバリバリの運動神経も痛快だ。登場人物がみなガッコの秩序を超越しているのが素晴らしい。転校をきっかけに、同じ日にツッパリになること思い立った超卑怯者で逃げ足だけは早いけれど滅法強い金髪の三橋貴志(賀来賢人)とツンツンのリーゼント頭で真っ直ぐな伊藤真司(伊藤健太郎)の軟高コンビは愉快すぎるが、椋木先生(ムロツヨシ)がずっと金八先生をやっているのも堪らない。三橋の父親役の吉田鋼太郎も、豊富なキャリアを自分でパロディ化するような芸を自然に出して、もう、みんな余裕で楽しんでいる。<br />紅羽高校の番長で、強さは中途半端でどバカだけれど、愛すべき熱い心を持っている今井勝俊を太賀が好演している。常に三橋を陥れようと試みても倍の反撃を喰って貧乏クジを引く情けない役柄だが、強い者にも屈しない正義感あるいい奴というキャラクターは本人と重なる。ドラムを叩く姿もサマになっている。開久高校の頭の片桐智司(鈴木伸之)の圧倒的なガタイと強さも圧巻で、三橋と伊藤コンビとの立ち回りはカブキのように洗練されている。喧嘩は映像の華。目覚ましい身体能力も役者さんの大きな才能である。走って、飛んで、殴って、若さの眩しさが前面に押し出されているのが喜ばしい。<br />マンガ原作のストーリーは、ヤクザやら極悪の不良高校やらが登場しても、基本、人の道を踏み外さずハッピーである。社会が閉塞に向かう中、これだけ人間の本性にある向日性を信頼しているドラマも珍しい。ニヒルで現代的な悪党を演じている開久高校のナンバー2相良猛役の磯村勇斗や東京のワル役の中村倫也など、生徒役にも好素材が揃っており、このドラマは後にブレイクする人が多出する伝説のドラマになるだろう。冒頭、元はかなりのツッパリだったと思しい床屋に小栗旬を起用して、三橋を金髪に染めるだけで物語を走らせた福田雄一の手腕はいくら称賛しても足らない。鞄や靴やベルトなど細部への徹底的なこだわりがツッパリたちのユートピアを支えている。</p>
<div style="text-align: center; position: relative;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/a95b35c188ac46d88bffadf7c4241deb.jpg" /><br /><img style="height: 400px; width: 600px; position: absolute; top: 0; left: 0; margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/2e2f9c90e0504190b65b0968a8ef612c.gif" alt="" />
<div>
<div style="text-align: center;"><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">『今日から俺は!!』 日本テレビ系 日曜よる10時30分放送</span></div>
</div>
</div>
<p> </p>
<div style="text-align: center;">*</div>
<p><br /><br />『大恋愛~僕を忘れる君と』もムロツヨシ・ワールド。21歳の時に書いた小説『砂にまみれたアンジェリカ』が玲瓏文藝賞を最年少受賞したが第2作目で失敗し、アート引越センターで働く売れない40歳前の元作家・間宮真司を演じている。「空に向かって突っ立っている煙突みたいに、図太く、真っ直ぐに、この男が好きだとアンジェリカは思った」という、自分の書いた小説の一行を暗記する女医・北澤尚(戸田恵梨香)の引っ越しを担当して知り合う。尚は同業者の精神科医・井原侑市(松岡昌宏)と結婚直前。しかし、尚の若年性アルツハイマーを侑一が発見し、エリート医師の輝かしい未来が一変する。<br />脚本は練達の大石静。不幸の連鎖を健気に生きる戸田恵梨香が絶品だ。病状が少しずつ進み、記憶を保持できなくなる日々の中、ジェットコースターのように揺れ動いてゆく感情を体当たりで表現している。テレビというメディアは生半可な「演技」は通じない。貧乏アパートでの「神田川」のような同棲生活の美しさといったら。結婚をビジネスと考える冷静な侑市が生きるリッチな空間の対比が効いている。<br />もちろん、事が終わった時点から俯瞰する視点でナレーションも担当する作家=記録係のムロツヨシも流石と讃嘆するほかない。いったん身を退き、尚との出会いと別れを『脳みそとアップルパイ』という新作に書き、ベストセラー作家として復活して再び結ばれる。ムロはシリアスな演技の方が本領だったのかもしれない。捨て子が少しずつ自らの居場所を獲得しながら結局は確実に失われる、という難しい時の流れをしっかり形にしている。<br />引っ越し屋の先輩の富澤たけしが懐の深いいい人だったり、木南晴夏演じる真司の担当のはじめてベストセラーを出した編集者がいかにもだったり、2人の仲を育んだ居酒屋の女店員の背中にいつの間にか赤ん坊がいたり、結婚式の集合写真がびしっと決まっていたり、脚本と細部の演出が行き届いている。ただの恋愛ドラマでなく、尚と同じ病のせいで妻に去られた松尾公平(小池徹平)のストーカー行為のような狂気にも晒され、作中で示唆されるごとく「韓流ドラマ」的な展開で引っ張って行く。生活水準が向上すれば別種の悩みが発生する。「月光荘」のあの懐かしい日々は再び帰ってこない。大ベテランの大石の時代の読みには学ぶところが多い。私たちは、「記憶喪失」という荒唐無稽になりがちな物語装置を通俗的で古臭いと捉えがちだが、まだまだ可能性は汲み尽くされていないのかもしれない。</p>
<div style="text-align: center; position: relative;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/c3532bcfe60c476fbe4b8c42cd81af17.jpg" /><br /><img style="height: 400px; width: 600px; position: absolute; top: 0; left: 0; margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/2e2f9c90e0504190b65b0968a8ef612c.gif" alt="" />
<div>
<div style="text-align: center;"><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">『大恋愛~僕を忘れる君と』 TBS系 金曜よる10時放送</span></div>
</div>
</div>
<p> </p>
<div style="text-align: center;">*</div>
<p><br /><br />『昭和元禄落語心中』は近来稀に見る格調の高いドラマである。一にも二にも、主演の大名跡・八代目有楽亭八雲を演じる岡田将生の力による。押しも押されぬ主役の演技、ほんとうに成長した。最初、老けメイクで登場した時はちょっとびっくりしたけれど、子供の頃や修行時代に入ってほっとした。八代目は小さい頃足を怪我して踊りを諦めて落語に転じる。杖をついて歩く足元の覚束なさが、端正な岡田の凄味ある色気を引き出している。<br />ほぼ同じ日に入門した二代目有楽亭助六(山崎育三郎)も負けず劣らずいい。明るく天才肌の前座名・初太郎(山崎)と地味な菊比古(岡田)。お互いを知り尽くし、心底仲がいいからこそ嫉妬も深い。初太郎は八雲の名を継ぎたいからこそ弟子入りしたわけだが、師匠の七代目(平田満)は死んだ後も名を譲らないくらいの執着心の持ち主。大器量人ではないから、簡単には運ばない。<br />業の深い物語は、あえて細かく紹介しない。ともかく、劇中の落語が泣ける。戦時中の不如意を耐えて、テレビ、ラジオ時代の売れっ子になり、せっかく真打ちになったのに、助六は大きな揉め事を起こして四国に流れる。そして、温泉場の大広間で演じるのが「芝浜」。もちろん、全編ではないが、これが真に迫っており、「よそう、また夢になるといけねえ」というオチをついこちらも唱和し、眼が潤む。伸び伸びして、茶目っ気たっぷりだが、蕩児の屈託もあり、山崎の劇中落語は才気走っている。<br />菊比古/八雲の演じる劇中落語も味わい深い。内気で、間違えずに演じるのが精一杯、師匠の奥さんも「向かない」と見る少年が、一心に落語に打ち込んでじわじわ成長してゆく。真打になるには廓噺だけでは足りないと悩む菊比古の前に現れたのが、酒で落語協会をしくじり、あばら屋に住んで酒場で落語を演じ投げ銭をもらう暮らしの木村家彦兵衛。演じるは落語監修も担当した柳家喬太郎で、伝授する「死神」は当然ながら本物。稽古の厳しさに背筋が伸び、菊比古の芸の方も鬼気迫って、ぱたっと倒れるオチにぞっとする。考えてみると、岡田のような二枚目の落語家はいない。<br />2人の運命を狂わしてこの世を去る芸妓・みよ吉役の大政絢の昏く大きな目が艶っぽい。一緒に地獄まで行きたくなる女優さんである。菊比古に「やっと来てくれた」という瞬間、全身が女だった。その娘である小夏(成海璃子)が、親の仇と八雲を恨む強い眼もまたいい。八雲の唯一の弟子となる元ヤクザの与太郎(竜星涼)の底抜けの明るさが絡み合う因縁の束をほどいてゆく。「与太郎!」とさんざん呼ばれるマヌケさが愉快だが、実は「助六」そっくりで、やがてその名を継いで三代目となる。守り神の背中のもんもんが、八代目八雲の孤独を救うのか。しっとりとした昭和の街並みが全篇を彩っている。いいものを見せてもらった。</p>
<div style="text-align: center; position: relative;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/3d0cdafbaf42419da8245563afc53a5b.jpg" /><br /><img style="height: 400px; width: 600px; position: absolute; top: 0; left: 0; margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/2e2f9c90e0504190b65b0968a8ef612c.gif" alt="" />
<div>
<div style="text-align: center;"><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">ドラマ10『昭和元禄落語心中』 NHK総合 金曜よる10時放送</span></div>
</div>
</div>
<p> </p>
<div style="text-align: center;">*</div>
<p><br /> <br />前回取り上げた3作も含めて、今クールのドラマは極めて良質だった。『獣なれ』の、女たちが自由を求めて立ち上がる物語と龍平くんの孤独には何度も涙してしまったし、純文学作家と金八先生という対照的な2つの顔を見せるムロツヨシ・ワールドには嫉妬すら覚える。ドラマの王道を歩みつつ、新たな領域を垣間見せたいという制作者たちの努力には、どこか定型から逸脱してゆくいかがわしさを持ち味にしたテラヤマの軌跡も重なってゆく。ここでもう一度、「書を捨てよ町へ出よう」と嘯いてみますか。<br /> <br /> とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ虐げられし少年の詩を</p>
<p> </p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/fd02e7d279ff4cc6a2b56d5c2c3817a2.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">(撮影:風元正)</span></div>
<p><br /> <br /> <br /> <br /> <span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">風元正(かぜもと・ただし)<br /> 1961年川西市生まれ。早稲田大学文学部日本史学科卒。週刊、月刊、単行本など、 活字仕事全般の周辺に携わり現在に至る。ありがちな中央線沿線居住者。吉本隆明の流儀に従い、家ではTVつけっぱなし生活を30年間続けている。土日はグリーンチャンネル視聴。</span></p>2018-12-12T16:59:41+00:00boidマガジン移転のお知らせ
2018-12-12T16:58:09+00:00boidhttp://boid-mag.publishers.fm/editor/356/http://boid-mag.publishers.fm/article/19472/<p>いつもご愛読いただきありがとうございます。<br />boidマガジンは7月にプレオープンした新サイトに2018年12月から本格的に移転させていただきます。<br /> <br />【新サイトURL】<br /> <a href="https://magazine.boid-s.com/" rel="nofollow">https://magazine.boid-s.com/</a><br /><br />つきましては本サイト(旧サイト <a href="https://boid-mag.publishers.fm/" rel="nofollow">https://boid-mag.publishers.fm/</a>)に読者登録している方にお送りしている<strong>発行・更新通知のメール配信は2018年11月末で終了</strong>させていただきます。<br /> <strong>12月以降に更新通知メールを受け取るには、新サイトでの会員登録(無料)が必要</strong>になります。受信をご希望の方でまだ新サイトの会員登録を行われていない場合は、お手数ですがご登録をお願いいたします。<br /><br />また、この<strong>旧サイトでの新規記事の公開は2018年12月末まで</strong>行います。2019年1月以降に掲載される記事に関しては、新サイトのみでの公開となりますのでご注意ください。<br />2018年までに公開された記事に関しては、2019年3月までは本サイトでもご覧いただけます。本サイトを閉鎖する日程が決まりましたら、改めて告知させていただきます。<br /> <br /><br /><br /><strong> ◎新サイトの会員登録について</strong><br /> <br />新サイトでは、掲載から3ヶ月が過ぎた<span style="text-decoration: underline;">過去記事を閲覧するためには簡単な会員登録が必要</span>になります。また、<span style="text-decoration: underline;">更新通知のメールを受け取るためにも登録が必要</span>です。 会員登録はメールアドレスを登録、パスワードを設定するだけの簡単なものですので、ぜひご利用ください。<br /> <span style="text-decoration: underline;">登録は新サイトの上部メニューバーの右上の「会員登録」ボタンから行ってください</span>。 会員登録後は、登録したメールアドレスと設定したパスワードを入力してログインすれば、全ての記事の閲覧が可能になります。<br /> <br /> ※新サイトは、旧サイトで利用していたプラットフォーム「Publishers」とは独立したサイトになりますので、「Publishers」のアカウントでログインすることはできません。お手数をおかけしますが、旧サイトで登録していただいた方も改めて新サイトでのご登録をお願いいたします。<br /> <br /> <br />ご不明な点がありましたら、以下のメールアドレスまでご連絡ください。<br /> <br />magazine(アットマーク)boid-s.com<br /> ※(アットマーク)の部分を「@」に変えて送信してください。<br /> <br />もろもろお手数おかけしますが、ご対応のほどよろしくお願いいたします。<br /> <br /><br /> boidマガジン編集部</p>2018-12-12T16:58:09+00:00無言日記 第37回 (三宅唱)
2018-11-25T09:43:18+00:00boidhttp://boid-mag.publishers.fm/editor/356/http://boid-mag.publishers.fm/article/19329/<p><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">映画監督の三宅唱さんがiPhoneを使って日々撮り続けている映像日記です。解体工事中の渋谷・宮下公園から始まる今回の「無言日記」は2018年6月に撮影されたもの。移動が続いた日々だったようです。また、映画『ワイルドツアー』にHi’Specさんが音楽をつける様子も記録されています。同時期に撮られた写真と併せてお楽しみください。 <br /> <br /></span></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/0a7d5463f39846b99a9d93315fba2520.jpg" /></div>
<p><br /> <br /> <br /> 映像・文・写真=三宅唱</p>
<p> </p>
<div style="text-align: center;"><iframe src="https://www.youtube.com/embed/spDyhwzlQWA" width="640" height="360" frameborder="0" allowfullscreen="allowfullscreen"></iframe></div>
<p><br /> <br /> <br /><br />2018年6月。山口に行ったり函館に行ったりした。『ワイルドツアー』の仕上げと『きみの鳥はうたえる』の宣伝。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/8e780fca8a934629bea4bc2c73f2b6f5.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"><span style="font-size: 9pt; font-weight: bold;">山口宇部空港</span></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/309995e0d1e64db29fcdcf97f8e7c28e.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"><span style="font-size: 9pt; font-weight: bold;">窮屈そう。山口の路上</span></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/36e91530991845aca45cd80914c290c8.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"><span style="font-size: 9pt; font-weight: bold;">朝一の羽田。新宿からの空港バスが満席で、タクシーに乗った。凹んでいる松井宏</span></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/56abcef71a334bfc96838c92a2528ebb.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"><span style="font-size: 9pt; font-weight: bold;">神泉の松井</span></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/c8a8e62f00344ebda2a15ce9571cfaa4.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"><span style="font-size: 9pt; font-weight: bold;">柄本佑が描いた三宅</span></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/064aecc4942b49a490e7038726256472.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"><span style="font-size: 9pt; font-weight: bold;">石橋静河が描いた三宅</span></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/f377c2df4fcd4d5fa375f283b3524487.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/ef0de4ddfe6542cb909e8fcbf223f72e.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"><span style="font-size: 9pt; font-weight: bold;">朝顔の成長を観察していた</span></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/a28d2e22b30a457391567b1cd60233e6.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"><span style="font-size: 9pt; font-weight: bold;">カリンバ。『ワイルドツアー』の音楽用にHi’Specと町田の楽器屋で買った。<br />小さい木琴も買ったけど使い忘れた</span></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/95d77305823f4819825702c1ed07405c.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"><span style="font-size: 9pt; font-weight: bold;">『ワイルドツアー』。YCAMのスタジオCで整音。サンフランシスコロケの場面である</span></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/322b26432d8c42b6a362abafb87316cb.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"><span style="font-size: 9pt; font-weight: bold;">「スワン666」(飴屋法水たち)を北千住BUoYにて。すぐ隣にあった家屋</span></div>
<p><br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">三宅唱(みやけ・しょう)<br /> 映画監督。2010年に初長編映画『やくたたず』を監督。長編第2作<a href="http://www.playback-movie.com/" target="_blank" rel="nofollow noopener">『Playback』</a>は2012年のロカルノ国際映画祭に正式出品された。2015年にはドキュメンタリー映画<a href="http://cockpit-movie.com/" target="_blank" rel="nofollow noopener">『THE COCKPIT』</a>、2017年には時代劇『密使と番人』が公開。雑誌『POPEYE』にて映画評「IN THE PLACE TO C」を連載。現在、監督最新作<a href="http://kiminotori.com/" rel="nofollow">『きみの鳥はうたえる』</a>が公開中。また、YCAM製作の映画『ワイルドツアー』の公開も控えている。</span></p>2018-11-25T09:43:18+00:00宝ヶ池の沈まぬ亀 第29回 (青山真治)
2018-11-23T01:37:54+00:00boidhttp://boid-mag.publishers.fm/editor/356/http://boid-mag.publishers.fm/article/19303/<p><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">青山真治さんによる日付のない日記「宝ヶ池の沈まぬ亀」第29回です。前半は渋谷・ユーロスペースで開催された特集上映のトークイベントに登壇しながら、ブルーレイを見て“落穂拾い”を行う日々。名古屋でのVR「ダムドタワー」体験とシナハンを挟み、後半は自宅の“地下帝国”で連日繙かれていった伊藤大輔監督の諸作品のことなどが記されています。<br /><br /></span></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/f235f4e9544e41ffa6888cd4ffa5e32f.jpg" alt="" /></div>
<p><br /> <br /> <br /> 文=青山真治<br /> <br /> <br /> <br /> <span style="font-size: 11pt; font-weight: bold;">29、VR「ダムドの関の勧進帳・シブヤ篇」</span><br /> <br />某日、朝餉は鰤カマ焼き。美味。ここ数日、次回録音のスタジオ予約のための各メンバースケジュール調整に追われていたが、この午前中にようやく確定。午後は某MV、というのはすでにリリースされているカーネーション「サンセット・モンスターズ」のことだが、さらなる要望に応えるべく編集室へ。かなり細かい作業含め、詰めていく。夕方の散歩は短縮版なるも、近所の犬が大集合する瞬間など濃厚。バスで三茶へ。ブラジリアン食堂で高橋洋さんと会食。さらに某社編集Aも加わる。のんびりとした良き時間。店のテレビで流れるドラフト会議だけが殺伐としている。さらにAの上司Dさんも加わり、ディープ三茶を味わう。ところで前日スクリーンで見たことを書くと、どう見ても特別なショットなど皆無の普通の映画だが、一方でこの普通さを享受する歓びに打ち震えるようなところが垣間見えつつ、他方で薄氷を踏むがごとき油断ない真理の探究がこちらの寝首を掻こうと潜んでいる……『遊星からの物体X』とはそういう稀有な映画だった。かつて、後半にある無人の移動ショットから受けたものを、いまこんな言葉で反芻する。<br /> <br />某日、ついリードが手から離れ、ぱるるが車道に遁走……というアクシデントで肝を冷やした散歩から戻って朝餉はホッケ。午前、特集上映のトークについてあれこれ思索。残念ながらトニー・ジョー・ホワイトが亡くなった。今日から一日一枚ブルーレイで落穂拾いをすることにする。本日は『ベイビー・ドライバー』。偶然だがピーナツバターをパンのへりまで塗りながら。次世代の『トゥルー・ロマンス』といったところか。だがトニスコばりに、ああもうこれぞという「ショット」なしでもいいや、と笑っちゃう瞬間というのはさすがになし。ポール・ウィリアムズには驚いたけど。あと「里親」がいいのだが機転の利いた見せ場なく残念。夕餉は無印の海老カレー。夜半、降雨あり。<br /> <br />某日、前夜からの雨で散歩は様子見。午前中は安定せず。やがて晴れ、出かけたが飼い主も犬も眠気に襲われ、中断。午後、落穂拾いに『ジャッキー』。外国人に撮らせたことは正解だと思うが、誰が撮ってもナタリー・ポートマンはこうなるだろうと予想される芝居だし、正面の切り返しはどう見ても意味なかった。途中で不意にジョン・ハートが登場し、何やら毎日脇で驚かされる。ジョンソンを『ゾディアック』の人がやっていて悪意を感じた。MV編集最後の直し。これで完パケのはず。駅ビルで来年の手帳を購入。金運を祈願して黄色に。渋谷シャルマンで月刊シナリオの橋本忍追悼号を読んでからユーロへ。蓮實先生と瀬川氏のヴェーラトークをすっかり失念、お帰り間際に慌ててご挨拶。こちらは特集上映の舞台挨拶からの『SHADY GROVE』。物凄く久しぶりに見たが、HVの軽さとのバランスも相俟って35ミリ部分の豊かな質感についほだされる。やはりデジタルでは感じないものはある。余裕のあった部分はまあまあだが、慌てて撮ったところはダメ。それにしても役者さんに恵まれてきた、とつくづく。皆さん、本当にいい。<br /> <br />某日、起き抜けに角替和枝さんの訃報に驚き、落胆。スズナリに柄本さんの『ゴドー』に行ったとき窓口でお会いして、ああこの人と仕事をしなければ、と考えていた。間に合わなかった。間に合わないことだらけだ。本日の落穂拾いは『マザー!』。アロノフスキーは好みではないが、ジェニファーということで。始まってすぐヨハン・ヨハンソンの音響だと感じ、最終的にそれを確認して全体像がすんなり掴めた。キュアロン『トゥモロー・ワールド』への対抗意識があったか、それよりは『ソドムの市』か『ベルリン・アレクサンダー広場』最終章か。要は勝負作だが、そんな方向に血道を上げる気のない者には空騒ぎに過ぎず。最後にパティ・スミスが「エンド・オブ・ザ・ワールド」を歌っても、そうか、きみもか、という程度。公開中止と聞けばさすがにジェニファーにもハピエルにもエド・ハリスにも気の毒な話。ミシェル・ファイファーのイヴも悪くないが、世界の頭はどんどん固くなっていくばかりか。夕方、渋谷へ。本日は『エンバーミング』後に樋口さんとのトーク。前作の比でない時間と金のなさばかり痛感。現場のみならず編集やダビングをどこでやったか思い出せず。ここまで取り返しつかないと却って他人事のよう。樋口さんが水の音に言及してくださったことがせめてもの救いか。そしてここでも役者さんに恵まれていた。渋谷はハロウィンの殺伐さが充満し、駅方向へは足が向かず。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/b3a5bc974ed046c5936dbb400474387f.jpg" /></div>
<p><br /> <br />某日、現前する過去に教えられるのは、人生はどんな局面も取り返しはつかないという現実で、この齢になるとこれらの作品はたしかに自分のしでかしたことだが、そろそろそれらから解放されてもいいのでは、という逃避願望とも正直に向き合える。二度と見ることもなかろうし。特集上映とは未来へ赴くための税関である。「申告すべきものはありますか?」「いえ、ありません」疚しいことなどないのに緊張……。過去から未来へ運び込む価値のあるものを有する人も少なからずいるだろうが、私は違う。この特集上映という税関でそれを確認できたことは案外幸運なことか。未来に温存するのは無形の友情だけで御の字。落穂拾いは『クリード』。このネタなら落涙必至だが何がよいというわけでもない。流行の正面性など不要、ナメでドラマを築き上げる普通さがよいといえばよい。バイクのウィリーでランニング、が撮り方はダメだが、よい。チャートフ=ウィンクラー最後の作品としてご苦労様と声をかける。昼にS&B噂の名店シリーズ「珊瑚礁・湘南ドライカレー」を。グリンピースの食感含め、これはかなりいいのではないか。夜は甲斐真樹と荒木町の焼鳥屋で密談。久しぶりにアルコールを摂取。<br /><br />某日、するとどういうわけか、とにかく具合が悪い。呑みすぎたわけではなく、むしろ抑えたはずが。例によって何もする気が起きず、ただぼんやりと、純との話で話題に出そうと考えた『夜はやさし』の一節(これは『エンバーミング』の統合失調症に関して考える際に役立った)を探し、なぜか『ハロウィン』『ゴースト・オブ・マーズ』を連続鑑賞。落穂拾いは中止、渋谷へ。今宵は『冷たい血』で純とのトーク。さすがに自分でポジを切り張りした最後の作品なので編集の感触に違和感皆無。大人たちの芝居、落ち着いて見ていられるが、いまやほぼ全員年下(当時)と知って、愕然。純からの質問は「あるものはない、ないものはある」について。これは演技論にも通じる。俳優の演技とは……これは人間存在の行動と同義だが、言葉(台詞)を音響として聞かせることに重きを置かれ、そのときそこに言葉が指し示す抽象は「ない」ということに、映画はどう向き合ったからいいかを答えた。本作の後に膨らんでいった部分は大きい。例えばそこには、ここに影響を及ぼした『キッスで殺せ』における核の表象不可能性や『ゼイリブ』のサングラス越しの透視画にいかに映画として近づくか、という目的があり、ここでは防護服の兵士たちの存在(非在)がそういうものだった。夕餉は「ひもの屋」にて。鈍い腹痛で食欲出ず。早くも酒を呑めない体になったのか。深夜、腸の不調を抱えつつ、京都でやっている伊藤大輔がなぜか気になる。考えてみるとこれまでまともに見た記憶がない。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/86bb0e04447049f8a22e3749edeb85b0.jpg" /></div>
<p><br /> <br />某日、普段より一時間遅く起床、ということはぱるるも寝坊である。すべて一時間ずれという奇妙な感覚のまま午前を過ごす。朝餉は秋刀魚。危うくなったスケジュールを立て直すのに時間をかけ、プラス伊藤大輔を見る方法を考える。今日も落穂拾いは休み。そしてぱるる、夕方の散歩もサボる。ならば、と新宿バルト9にてデイヴィッド・ロバート・ミッチェル『アンダー・ザ・シルバーレイク』。前作はどうも薄さに感心しなかったが今回はPTA『マグノリア』ばりに満を持した感。やりすぎという気もしないでもないが、こういうことは過ぎるくらいでいい。特に風船娘がよい。アンドリュー君は相変わらず地味だが、へんな歩き方したりして結局娘たちを引き立てて好印象。しかしこれは文句を言っても始まらないが、かつては住みたくなるほどロスのアパートは蠱惑的で、あの部屋内の段差とか(言うまでもなく『孤独な場所で』のことだが)たまらない魅力だったが、いまはフラットでつまらない。あの『マルホランド・ドライブ』もそこが欠点だった。外階段はまあいいし、中庭のプールも漫画家の隠し部屋も悪くはなかったが。あと、ご都合主義で結構、と応援もするのだが、さすがにそれはどうなの、と思われる箇所も。雑誌とコーンフレークか何かのおまけの地図の重ね合わせとか。そういう部分はヘタにリアリズム踏むと寒々しい失敗をするんで難しいところ。その意味ではバブル期の日本のサブカル的センスをロスに持ち込むとこうなる的な側面もなくはない。妙に『海辺のカフカ』などを想起したりもした。<br /> <br />某日、朝餉は鯵刺身丼。落穂拾いは『ジョン・ウィック』。冒頭から犬が殺され、エリートマフィアとエリート殺し屋の抗争にまるで心動かされず。アメリカには冥府魔道の地獄などという概念はないのだろう。とりあえず全員さっさと死ねとしか思わない。こちらのかすかすの慈愛を思い切り吸い取るぱるるへの愛が急騰するばかり。夕方渋谷へ。とうとう蓮實先生とのトーク。我々の屈折した関係についてのあれこれ。殊に女優の『相棒』出演をめぐって、当方も偏愛する中川『毒婦高橋お伝』に触れられたのにはお手上げであった。終わって『寝ても覚めても』の感想などじっくりと。「へぎそば匠」で一同和気藹々の打ち上げ。大橋が褒められて素直に嬉しい。この夜、カーネーションMV配信開始。</p>
<div style="text-align: center;"><iframe src="https://www.youtube.com/embed/Job6iApKM90" width="640" height="360" frameborder="0" allowfullscreen="allowfullscreen"></iframe></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/a5755986db6b43e1b9691518e2cc6737.jpg" /></div>
<p><br /> <br />某日、病院で薬を贖い、朝餉は焼売。疲労と睡眠不足でどんより。午後に灯油の配達を受けた後、江波杏子さんの訃報。さらにどんよりしつつ六本木へ。開催中というかもう終幕のTIFF(ヒルズ内で篠崎誠監督とばったり、は恒例)でオリヴィエ『ノン・フィクション』。アコースティック系ということになるのか。前半展開が速すぎて乗り遅れるものの、ふとゆったりした後半に至って落ち着く。徹底した切り返しによる会話劇のシンプルさが頼もしい。だがこの作品の出来とも、またここ数日の充実感とも一切無縁に、とある事情で深く落胆、暗澹たる先行きにうんざりモード。とぼとぼと乗換の恵比寿でSHAKE SHACKのハンバーガーを贖い、自宅で食す。伊藤大輔のことを考えていると京都の街が頭に広がり、なぜかドワイヨン『頭の中に指』に字幕を付けて出町座で上映という暴挙に思いを巡らしながら夜をふかす。<br /> <br />某日、朝の散歩でぱるるが腹を下したので急遽帰宅し、お尻を洗うとはしゃいだぱるるは全力疾走で家じゅうを駆け回り、挙句転倒、足を引きずるようになる。病院を女優に任せて渋谷ヒカリエ11階にて北九州市民映画祭スタッフと打合せ。終わってユーロ。本日は黒沢師匠とのトーク。もっぱら「アメリカ映画」という幻との苦闘の歴史について語る。黒沢さんとはつまりこういう話をしてきたのだ、出会ったころからずっと。延々と続きそうな打ち上げの後、帰宅するとぱるるの跛行はまだ続いている。心配なり。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/115601cc7eaf4f62822c4c8d47d6616b.jpg" /></div>
<p><br /> <br />某日、散歩は休止、朝餉は秋刀魚と鯵。明日からの名古屋行に備える。昼、渋谷へ。特集上映も最終日。本日は中原昌也氏と『月の砂漠』『SHADY GROVE』の二本について、上映中に副音声として語る、という未体験の試み。観客はすでに一度は見ている、という前提でなければこんなことはやれないが、そのうち退場する人や文句を言う人が出るのではないかと戦々兢々。結果はまずまず。私自身、中原との対話からいくつか重要なヒントを得たし、勝手に成功だったつもりでいるが、実際どうだったのか。私見として、二本ともいいところはなかなかいいのだが、ダメなところはダメ、結局時間のかけ方の問題が体感として残っていて、ダメなシーンの始まりが少し前に予感のようにわかった。上映には某元南軍将校(あえて名は秘す)も来館くださった。ともあれこれで個人的に今年最大のイベントは無事盛況のうちに終えた。あとは来年以降のことを練るばかり。今年の残り、ヴェーラでハリウッド五〇年代と笠原和夫中軸の東映特集、さらにイメフォのロブグリエ。年越すと次いつ映画に行けるかわからないので、できるだけ通いたい。<br /> <br />某日、相変わらずぱるるの足の調子はよくない。回復を待つよりないだろう。朝餉に金目鯛の干物。こちらも風邪気味の上にどっと疲れが出て、出発前に眠り込んだが、午後になって名古屋へ。ホテルのある栄の繁華街に入ると、夏の記憶が蘇り、すでに懐かしい感じさえする。夕方、仙頭夫妻、制作・梅村と合流、近所の魚系居酒屋へ。ノンアルでも淋しくならないほどまことに美味であった。<br /> <br />某日、熟睡ののちバイキングで朝餉。いつもどおりしっかり食す。午前9時集合出発。仙頭・梅村、いつものアルファロメオ。少量の雨。最初は渥美線の終点・三河田原駅へ。散策ののち近くの中華屋でランチ。麻婆飯。空は晴れる。道の駅に寄った後、赤羽根ロングビーチ。宿は伊良湖岬。荷物を置いて、福江の旧赤線を見る。この前後からクシャミが出始める。夕餉は宿にて。食後どうにも鼻水が止まらなくなり、さっさと床に就き、ここしばらく繙いていた小説を何度目かの読了。この終幕10ページほどの主人公のかき消えていくそっけなさにはいつも新鮮さを覚えて、このように書きたい欲望が湧く。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/721384afe7ed4c0ab43d24db722625d8.jpg" /></div>
<p><br /> <br />某日、窓外の三河湾は広くてまるで水平線のようで、かすかに向う岸が陰をなして見えるのに緩い安堵を感じる。午前9時半出発。風邪はほぼ抜けた。神社周辺を散策。この周辺に特有の家の構造を知る。使いようによっては象徴的にもなりうる。ついでに近所の廃校も見学。そうしてこの近辺を俯瞰で見るべく、再度山の上のホテルの駐車場へ。改めてその面白さを確認。道の駅に寄った後、とんかつ屋でランチ。コーン・ドレッシングなるものを贖い、名古屋へ。テレビ塔にて仙頭武則総合演出のVR「ダムドタワー」を体験。VRというのはメディアとしては娯楽の最終兵器のようだと思われた。もちろん映画とは違う。たとえばショットに切れ目がないが、映画館ではほとんど行わない、見る側が首を振った瞬間に意識が小さな断絶を起こし、それはカット割りと同等になるはずだ。連続ものの第1話としてよくできていて、物語を語るメディアには変わるところがない。特に第2話以降は初期設定の説明が不要なのでどんどん語れるし、どんどんギミックを持ち込める。結末をグッドエンド/バッドエンドとしたことは慧眼。それだけでじゅうぶんゲーム性を味わえる。夕餉は串カツ「ラブリー」。いろいろ話をまとめる。これで今回の業務は終了。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/aa0a38b496244365bb5a566edbd3336c.jpg" /></div>
<p><br /> <br />某日、午前5時半起床、ふと思い立ってシナリオを直す。10時チェックアウト、そのまま地下鉄~新幹線で東京へ。14時には自宅で飯の炊けるのを待っていた。無印良品フォン・ド・ボー・カレー、残念だが好みではない。いくら名古屋は近いといえど結局蓄積した疲労によって眠気が拭えず、予定を明日に延期、惰眠を貪る。<br /> <br />某日、ぱるるの調子依然すぐれず、散歩は当面中止。女優の苦悩いかばかりか。本日はレーザー治療に訪う由。朝餉は点心。香港飲茶気分。午前、駅前の喫茶店で某打合せ。とりあえず前向きに検討。帰りに食材を贖うと金欠が限界に達し、映画に向かう余地なし。仕方なく自宅蟄居、伊藤大輔を繙く。揃えたDVDを年代順に。まずは既見の『王将』だが記憶は遙か彼方。助監督加藤泰による演出らしき箇所、冒頭のチンドン屋行列や崖下のSLの煙、また線路沿いの母子の危機感(水戸光子のローアングル)などどうか。一方、伊藤演出はたとえばマキノや山中なら重視するだろう芝居とはべつの芝居(呼吸)を用いる。情動を立体的に描写するマキノ・山中のアクションに慣れた身としては違和感、または独特のものを感じるが、当時の観客あるいは俳優陣にはこの方が当たり前だったのかもしれない。単数的な伊藤の方が丁寧という考え方もでき、古いと断じることはできない。あえて伊藤の演出は非アメリカ的、純和風というべきか。続く『大江戸五人男』でも、その印象は変わらず。たとえばかなり情動を揺るがす場面を転換する際に俯瞰の全景を長めに用いる呼吸は濱口竜介に似ていないわけではないし、逆に濱口における転換間際の移動ショットの非アメリカ性も伊藤的と言うべきか。もちろん伊藤の場合、阪妻や右太衛門の芝居が要求するものとの関係が多分にある気もして、それらは小津や山中、マキノ、さらに増村や大島では決して見ることのない、俳優(スター)の呼吸を待つ時間の生かされ方であり、溝口や黒澤、加藤の場合ですら少ない。撮影所時代のスターシステムにおけるいわば権力闘争の方法として、西欧的リズム、西欧的知性、西欧的生理による語りの経済原則統御を志向する以前の日本映画のありようとしてのこうした例は、それが伊藤大輔を擁護するキーとなるかどうかはべつの話としても、少なくとも少し尺度を変える必要のあることはたしかで、それは濱口や三宅の『Playback』に覚えた違和感に似ていなくもない。もちろん彼らは大スターの呼吸を待つ必要などないので、むしろそれぞれの俳優への対応の違いだと考えるべきだろうが、だから『大江戸~』の高橋貞二・三井弘次コンビが他との整合性より違和感を残す形であるのは実は現代的かもしれない。それは、ひとが口にする唐田えりかへの違和感ともそう遠くない。こうして『寝ても覚めても』を見た直後に伊藤を見たいと思い立ったのにも存外理由がないわけではなかったか。<br /> <br />某日、朝餉は鯖。伊藤大輔、本日は『番町皿屋敷 お菊と播磨』だが、内田吐夢の『妖刀物語 花の吉原百人斬り』など巨匠の後期にはあまり目立たないが見ると驚くような傑作があり、これもそういうもの。後期というには早いか。しかも杉山公平・水谷浩・伊福部昭なのでダメなわけがないし、考証には甲斐荘楠音がついているので贅沢の極みといえば極み。昨日の『大江戸五人男』でもこのエピソードは使われており、構成・川口松太郎というのは眉唾としても優れた換骨奪胎である。ちなみに一般的に知られる怪談ではなく、見事に「身分違いの恋」で語るメロドラマ。絶対的悪人が一人も出てこず、旗本たちもガラは悪いが、なんとなく遠浅を馬で遠乗りするフワッとした場面など、実に秀逸だった。旗本屋敷に対する町人の家のセット(坂の途中で隣の屋根が地面の高さ)がこれまた良い。で、かねてから思ってはいたが、この時期の津島恵子は長澤まさみそっくりで、見ながら可能性を伺っていたが、このクライマックスの凄艶な表情は長澤氏でなくても簡単にまねのできるものではなかった。検索すると、津島様28歳、『七人の侍』と同年である。耳のいい人はやはり芝居が違う。終わり間際に鳴り始める伊福部のピアノ曲が出色であった。合間にディランのブートレッグ・シリーズ『モア・ブラッド、モア・トラックス』を。ひたすらディランの歌がいい。ディランの歌の様々な表情を好んでいるが、とりわけというわけではないにしろ『血の轍』の声はかなり上位に位置する。そしてこのバンド、実は非常に芸達者だが、完成版ではかなり抑え気味ということがわかる。その抑制が『血の轍』を特別な作品にした気がする。夕餉は斉藤陽一郎氏から譲り受けたデッドストックのS&B噂の名店シリーズ「原宿みのりんごチーズキーマカレー」。残念だが、チーズの味が難解過ぎ。続いて『春琴物語』。これぞ真性の大傑作。触覚のイメージの奔流は、雪から煮え湯、春琴の指に握られた針の鋭い光を経て、ついに手と手の真の邂逅に至るまで、映画そのものを超えてしまう勢いで荒れ狂う。伊藤熹朔の美術は冴え渡り、伊福部が宮城道雄の邦楽と綾を成してここでもまたピアノの名曲を聴かせる。江州日野が佐助の故郷だが、あの湖北か丹後のようにも思われる水の広がる風景、終幕のトンネルも美しい。また主役二人だけではなく脇も充実しており、あまり濃く葛藤を焚きつけない(ここでも現代作家たちと一線を画す)人々、悪役の杉村と船越も大映ならでは。この際『春琴抄』を写本しようと考えるようにさえなり、初めてこの小説に手を触れたような親近感を覚えた。<br /> <br />某日、ぱるるの足のレーザー治療に環七の向うにあるパンダ病院へ。帰宅後、朝餉は鯵干物。午後、伊藤『下郎の首』。川島『幕末太陽傳』に先駆けること数年、疾走する電車から過去へと地蔵が回想する、拙作『雨月物語』(小説)の終幕で逆のことをしていて、初見と思っていたが忘れているだけですでに見ていたかもしれない。内容はとにかく「異色作」。乞食社会の描写などマキノ以外で見たことない。仇討ちなど行動描写やや冗長だが、まるで面白くあることに背を向けるように冗長なのだ。小ぶりながら嵯峨三智子がいい。特に横たわり方が絶妙。伊藤は「叩く」または「殴る」描写を多用するが、その結果として傷あるいは出血をもたらす。これはいわゆるスティグマとなり作劇に影響を及ぼすが、目に見える形で残る傷というより狙いは観客の記憶への残存か。そしてこの傷を覆う手の重なりが重要な役割を担うだろう。夕方とつぜん女優が叫ぶので慌てて駆け上がると、ぱるるが悲鳴を上げてソファの下に隠れてしまった由。慌てて病院へ。処置のしようもなく靭帯を痛めたわけでないことだけ確認。安静あるのみ。夕餉は新宿中村屋インドカリー「香りとコクのキーマ」。レンズ豆使用など特筆すべき一品だが、いかんせん160gなのだ。<br /> <br />某日、再度パンダ病院へ。レントゲン検査の結果、股関節がほとんど脱臼状態であることが判明。つらいが原因がわかって安堵。地道に養生させるしかないので本腰でつきあうことを決意。午後、某社との打合せ。理解は得られず泣き別れに終わる。それでも結局自分を信じるしかない。夜、ぱるるのことで(女優の心痛を慮って)アナばかを諦め、地下で伊藤『明治一代女』。初見にして大驚愕。九割ド傑作。ほんの一割、惜しい部分あり。もちろん伊藤は溝口ではないが、にしてもこれなら『花様年華』に軽く勝利している。叶屋の勝手を捉える俯瞰を含めた「予告された運命の構図」と呼びたい数々のナイスショットに全カットチェックの必要を感じる。昨日に続いて「木賃宿」の描写に心揺れる。包丁の一部始終といい、ここまで細かい描写を実現できた時代が羨ましい。お梅の弟が良い。解説では脚本・成澤昌茂は伊藤に批判的だが、この辺はどちらの筆によるのか。また「見栄や外連」をクサいと切り捨てるのが現代映画だとして、果たしてそれが正解か。結果痩せたものになってはいないか。リアルということをその都度再検証する必要がある。深夜、もそもそと『春琴抄』写本開始。<br /> <br />某日、足が悪くても腹は減るとばかりいつもどおり五時ごろ起こされ、意識朦朧の中で朝の支度と滑り止めカーペットの切り張り。さいたま芸術劇場へネクストシアター『第三世代』。伊藤を引きずる頭には、古典から現代映画への門を開いた人々はその門の中に何があるか知らず、しかしそこにあるものは彼らが捨てたはずの見栄や外連の本体であり、つまりここで目に見えるものこそが秘仏であった、という奥の院がここへ来て開陳されていく気がするのだが、この若い芝居でも前半硬直していたものがユダヤ少女の演劇的暴走によって舞台じたい大きく広がり、俳優たちのグルーヴも変わっていったのを見て、同じことを考えた。同行した甲斐Pと上原の中華。二度目。美味。帰宅すると、高橋ジュニアが女優の歌のリハーサルで家にいた。歓談。春琴写本、二日目にして中断。<br /> <br />某日、パンダ病院へ一家総出で。義母の猫はかなり悪いらしい。帰宅し、昨日女優がコストコで贖った食材からサラダ、鰤カマ焼など。ぱるる、調子の悪さを機嫌の悪さとして表す。午後、某Pとの打合せで渋谷。懐かしの桜丘に舞い戻った感、心地よし。帰宅して春琴写本の続き。夜更けて不意に、製作するかどうか不詳のシナリオの抜本的見直しを始め、深夜に及ぶ。<br /> <br />某日、ぱるるの通院、帰宅後の朝餉が日課と化し、本日も鰤。午後から芝居に出向くはずが、食卓で朦朧とする間に壁の時計の電池切れに気づけず、予定を一時間オーバー、劇場が横浜ゆえに断念。実に無念。しかしこれによりここ数日の右往左往による疲労蓄積を思い知り、休息を取ることにする。でなくても朝から焼いた魚を取り落とすわ、味噌汁をぶちまけかけるわ、散々だった。結果的にこの休息は天の恵みとなる。<br /> <br />某日、『血の轍』デモ購入の余波で手元不如意につき「レコード・コレクターズ」だけで満足せんと考えるが、読めば欲しくなるのが『ホワイト・アルバム』であり、好き嫌いはとにかくやはり「ロックじゃないかもしれない」旅に出たあのバンドの最大の成果なのだから真剣に向き合うべきと思い直し、だからというわけではないがその旅の始まりである『リボルバー』に収められた楽曲から題名を借りた三宅唱『きみの鳥はうたえる』を見るべく十年近くぶりに向かった阿佐ヶ谷への行程は、夕刻のラッシュ含め日頃遠出しない者にとってかなりの非日常であった。で、その『きみ鳥』だが、これはやはり濱口『寝ても覚めても』と並べて今年の二大問題作と確信された。見るからに対照的であり、かつ共通点も多く見いだせる二作だが、最大の問題はどちらもラストに集約されると言ってみたい。先月すでに書いた『寝て覚め』はさておき『きみ鳥』のラストはあのとおりオーソドックスな切り返しだがその何が問題かというと、そこに至るまでまるでこれは「映画じゃないかもしれない」ですよと呟くような旅に出ていたはずの作り手がなぜかふと出発地点に立ち戻ったかの印象を与えることだ。旅に出ていればいいというものでもないが、この帰還が映画への安住のように見られるのは御本人にとって本意か否か、気になるのはそのへんだ。いや、私がたんにあの佑氏と静河嬢のカットバックでそのように躓いてしまったに過ぎない。ちなみに私は『寝て覚め』のラストカットでも躓いた。え、それでいくか、旅はどうなるんだ、と。もちろんおっさんが躓いたところで御本人ら痛くも痒くもなく、おっさんが孤独に身を捩るだけで大勢に影響はないが、ただそう簡単に旅に出ることに成功するわけもない、と小言にもならぬそれだけは言っておく。まあ若手がぶっ壊れて撃沈する様をニヤニヤ眺めたかっただけ、というごく厭味な話でもあるが。ちなみに『寝て覚め』同様ここでも今年やる予定だったある手法が採用されているので、ああこれもきっとやめておけということだったのね、と自分を慰める結果にもなった。とにかく刺激的な二本であることは確かで、そして主役三人は素晴らしかった。<br /> <br />某日、ちなみにtwitterでの葛生賢の声明について考えると、ジャーナリズムと批評が、これは流通とアカデミズムと言っても同じだが、いまこの国の文化的頽廃のせいで離反しているのは確かで、その問題についてたとえば映画祭のような場で二つの方法(立場)が年に一回とかのペースで合流する必要はあるのも間違いない。互いの間の海流を測り、孤島化を避け、相互批判も入れつつ情報を交換し、より高度な領域を刷新し続けるべきだと、濱口や三宅のためにそういう議論の場が用意されるべきだと強く感じる。堀くんはそれがないから一人でやっていた、作家を孤独に置き去りにすべきじゃない、と群れてナンボのおっさんは考える。作家のために、ではなくこの正視に耐え難い文化的頽廃に抵抗するために。こんな広告代理店主体を許しておいていいわけがない。夕方卓上に小便をしたぺトと喧嘩して調子を落とす。物言わぬ猫と喧嘩した後は本当につらいが、どうしてもカッとなる。その後は欝々と「レココレ」を読み耽り、結局3CDセットを贖う。<br /> <br />某日、女優が鶏手羽を野菜と一緒に酢で煮たやつを作り、これが大層美味くて、というのを皮切りに次々と感覚を刺激されまくる日曜日。そんなわけで届いた『ホワイト・アルバム』3CDセットをかけ、Dear Prudenceのイントロで早くも感情が崩壊しかける。そうはいっても再び遅刻しかけて慌てて横浜へ。長塚圭史演出『セールスマンの死』@KAAT。世にいう名作の条件とは、演劇の場合なら名優による名演が必須ということになるだろう。どんなに戯曲が良くてもそれを演じ切る俳優なしでは意味をなさない。その点縦横無尽の多孔性を見事に操る長塚演出に乗った風間杜夫に敵はなかった。爽快なまでにただただ凄い。甘美な脱力にそれ以上の感想が出てこない。大ホールの二階の奥から見たのだが、時折クローズアップを見たような錯覚に陥った。帰宅しても脱力したままWOWOW『スリー・ビルボード』を漫然と見て、相変わらずのウディ・ハレルソンには感服しても、それ以外特筆すべきことはなく(主演女優はどうしてあんなにマッチョなのか)結局寝るまで風間さんに与えられた脱力をおごそかに味わい続けたのだった。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/d15d5a0a5712483ca15d48ec466257be.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: right;">(つづく)</div>
<p><br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">青山真治(あおやま・しんじ)<br /> 映画監督、舞台演出。1996年に『Helpless』で長編デビュー。2000年、『EUREKA』がカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞&エキュメニック賞をW受賞。また、同作品の小説版で三島由紀夫賞を受賞。主な監督作品に『月の砂漠』(01)『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(05)『サッド ヴァケイション』(07)『東京公園』(11)『共喰い』(13)、舞台演出作に『ワーニャおじさん』(チェーホフ)『フェードル』(ラシーヌ)など。<br />近況:もろもろの努力虚しく、年内業務はほぼ終了しました。下駄は来年に預けて、どうか引き続き期待していただきたい。ヴェーラかイメフォで見かけても、そっとしておいてください。</span></p>2018-11-23T01:37:54+00:00映画は心意気だと思うんです。 第4回 (冨田翔子)
2018-11-22T06:28:18+00:00boidhttp://boid-mag.publishers.fm/editor/356/http://boid-mag.publishers.fm/article/19295/<p><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">ホラー映画をこよなく愛する冨田翔子さんが“わが心意気映画”を紹介してくれる連載の第4回。今回取り上げる作品は『ダーク・ウォーター』(ウォルター・サレス監督)です。『仄暗い水の底から』(中田秀夫監督)のリメイク作品として知られる本作は、なんと冨田さんが人生初デートで観た映画だそう。しかしこの作品が冨田さんにとって大切な映画になったのは、数年後に再見してあることに気づいてからだといいます。<br /> <br /></span></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/048998bdd2104ccf95bd9dd356042f47.jpg" /></div>
<p><br /> <br /> <br /> <span style="font-size: 13pt; font-weight: bold;">私をおとなにしてくれたホラー映画</span><br /><span style="font-size: 11pt; font-weight: bold;">『ダーク・ウォーター』(2005年、ウォルター・サレス監督)</span><br /> <br /> <br />昔から人生の節目の日には、何か映画を観ようと思っている。こういう日に観た映画は自然と記憶にも残りやすい。その中でも、とりわけ強い思い出として残っているのは高校2年生の17歳の誕生日。当時初めて付き合った同じクラスの男子と約束をして、記念すべき人生初デートをした日だ。<br /> <br />そんな私にとっての、まさに節目の日に観た映画が『ダーク・ウォーター』だった。もちろん、作品をチョイスしたのは私。今となっては、“なんで初デートにホラー!? 彼氏かわいそう”と周囲から散々な評価を得ているこの選択。しかし当時の自分は、初デートで、しかも大好きなホラー映画を彼と観に行けるということで有頂天。空気が読めていないことだとも思わず、むしろとっておきの1本をチョイスしたつもりだった。<br /> <br />ジェニファー・コネリーが主演する『ダーク・ウォーター』は、鈴木光司原作、中田秀夫監督による2001年の邦画ホラー『仄暗い水の底から』のハリウッド・リメイク作品である。離婚調停中のダリアが娘と越してきたのは、ニューヨークのマンハッタン島の東に位置する、ルーズベルト島にある古いマンション。ある日、天井の隅に黒いシミを見つけると、やがてそこから黒い水がしたたり落ちてくるようになる。シミは日々悪化するが修理はたらい回しにされ、降りかかる汚水と親権を争うプレッシャーが重なり、ダリアは徐々に追い詰められていく。実は母子が住む部屋の上階では、家族が謎の失踪を遂げていた。やがて、母子を苦しめる元凶は、母親に捨てられ、マンション屋上の給水塔で事故死した少女だとわかる。<br /> <br />こうやってあらすじを振り返ると、誕生日&初デートにふさわしくないことこの上ない映画である。本作は当然、ポップコーンムービータイプのホラーではなかった。映画を観終わった帰り道は、2人の間にしんみりとした空気が流れ、秋の木枯らしが寒かったことを覚えている。そんな中、並んで歩きながら、「母親が給水塔をのぞくシーンで、ビクッとしたでしょ?」と彼をからかってみた。すると彼は「そんなことないよ」と言った後、おもむろに「俺、手が乾燥してガサガサなんだよね」と言ってきた。今考えると、それは手をつなぎたいというサインだったに違いない。しかし当時から鈍感だった私は「そうなんだ」とそっけない一言を発し、そのままお茶もせずに駅で解散。結局、初めての交際は手もつながないまま2か月で終わってしまったのだった。せめてラブストーリーにしておけば…。<br /> <br />それから長らく『ダーク・ウォーター』を観返せていなかったのだが、ある日、思わぬ再会を果たす。それは、地元を出て東京でさえない会社員の日々を送っていたときのこと。深夜に何となくテレビを観ていたら、不意に『ダーク・ウォーター』が流れ始めたのだ。懐かしさと切ない思い出がよみがえり、そのまま観続けることにした。<br /> <br />しばらく観ていると、ティム・ロス演じる弁護士のプラッツァーが登場した。初デートで観た時にはほとんど印象に残っておらず、記憶からも消えていた人物である。映画が始まってから45分ほど経たないと出てこないプラッツァーは、やや型破りだが優秀な弁護士で、ダリアの離婚調停の弁護を引き受ける人物だ。<br /> <br />本作には、映画館にいるプラッツァーがダリアから電話を受け、その切羽詰まった様子に外に出てかけ直すというシーンがある。しかし、ダリアの話が長くなりそうなので、プラッツァーは「家族と映画を観ているんです。席に戻らないと私まで離婚だ。明日話しましょう」と言って電話を切るのだが、実は彼には家族などおらず、一人で席に戻る姿が映し出される。<br /> <br />多忙なプラッツァーにも休みは必要であり、社会人がよく使うウソを描いただけのようなこのシーン。しかし改めてこのシーンを観た私は愕然とした。17歳の私は、要領のいいプラッツァーがウソをつき、プライベートを優先しているだけだと思っていた。しかし、社会人になった私には、彼が馬車馬のように働き、家族もおらず、たまの休みに映画を観ているのを邪魔されたくない孤独な人物に映ったのだ。<br /> <br />この発見は、自分が大人になってしまったことに気づいた出来事だった。実にショッキングである。大人になるということは、こんなにも孤独なことだったのか! 17歳の私にとって陰の薄かったプラッツァーに、いつの間にか自分自身が近づいていたのだという衝撃。<br /> <br />すっかり打ちひしがれていると、またしても記憶から消えていたプラッツァーのユニークな行動が映し出された。それは、彼が出会った人たちの顔を携帯電話のカメラで撮影するというものだ。といってもそれが登場するのは2回だけ。一度目は、マンションの管理人がウソをついていたことが判明し、問い詰めたあとに1枚。仕事に使うために撮っているのかな、と思わせる1枚だ。そして二度目は、マンションでの不可解な出来事がいったん解決し、安心したダリアを見送るときの1枚。先ほどとは違い、こちらは仕事に使うとは思えない。このプラッツァーの行為は、ハリウッド版のオリジナルであり、実のところその真意は最後まで描かれない。17歳のときは、少し変わった人だな、程度にしか思わなかったが、改めて観てみると、この行為がプラッツァーに感じた孤独と同様、何か特別な意味を持つように思えてくる。この映画に出てくるのは、心に深い闇を抱えるダリアや彼女を理解しない夫をはじめ、空しい人間関係しか持たない登場人物ばかり。しかし、この写真を撮るという行為を描くことで、唯一プラッツァーだけが人間らしさや温かみを失っていない存在ではないかと思える。そして主人公であるダリアの哀しい人生も、彼が写真を撮ったことで報われるような気がするのである。<br /> <br />そんなわけで、『ダーク・ウォーター』は単なる初デートの思い出ムービーとなるはずだったが、思わぬ再会を経て、今でもたまに観返す“とっておきの”1本となった。あのときホラー好きでもないのに「いいよ」と快諾してくれた彼に、感謝である。</p>
<p> </p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/370148d69d854ab39395a241fb484428.jpg" /></div>
<p><span style="font-size: 8pt;"><span style="font-weight: bold;">ダーク・ウォーター Dark Water</span><br />2005年 / アメリカ / 105分 / 監督:ウォルター・サレス / 脚本:ラファエル・イグレシアス / 原作:鈴木光司 / 出演:ジェニファー・コネリー、アリエル・ゲイド、ジョン・C・ライリー、ティム・ロス、ピート・ポスルスウェイトほか</span> <br /> <br /><br /><br /> <br /> <br /> <span style="font-size: 8pt;"><span style="font-weight: bold;">冨田翔子(とみだ・しょうこ)<br /> エンタメWebサイト編集部勤め。好きなジャンルはホラー映画。心意気のある映画を愛する。</span></span></p>2018-11-22T06:28:18+00:00樋口泰人の妄想映画日記 その83
2018-11-16T07:42:38+00:00boidhttp://boid-mag.publishers.fm/editor/356/http://boid-mag.publishers.fm/article/19271/<p><span style="font-size: 11px;"><strong>boid社長・樋口泰人による10月後半の妄想映画日記。爆音行脚は丸ノ内ピカデリーから高崎と大阪、そして新千歳へ、各会場での爆音調整が続きます。『アリー スター誕生』(監督:ブラッドリー・クーパー)、『ポルトの恋人たち』(監督:舩橋淳)の新作映画について。そんななかレジデンツのハーディ・フォックスの訃報も。今後のレジデンツにも思いを馳せて。</strong></span></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/f4cdbdd90ca14e629bf340f1893cb4b1.jpg" /></div>
<p><br /><br />文・写真=樋口泰人<br /><br /><br /><strong>10月16日(火)</strong><br /> 1週間分の事務作業と発送作業。夜は丸の内ピカデリーの爆音映画祭、残った3本の音調整。何度聴いても丸ピカの音は身体に馴染む。爆音の原点。いつまでもこの音を聞いていたいと思う。ゆったりとふわっと広がる低音、まろやかな高音が優しく、そして時に激しく会場全体を揺らす。ここの音だけは特別だ。 <br /><br /><br /><strong>10月17日(水)</strong><br /> 吉祥寺で打ち合わせがあったついでに、HMVとユニオンでレコードを何枚か。レジデンツのものは昨年発売されたのだが、スネイクフィンガーが亡くなる前、1987年のライヴとスタジオ録音。懐かしくも心踊る音。この音のおかげでわたしの音楽の世界が限りなく広がった。なんて妙な感慨に耽っていたのだが、月末になってレジデンツの広報担当ハーディ・フォックスの訃報を聞くことになるとはもちろんこのときは思いもしない。音、アート、広報が一体となった「ザ・レジデンツ」という集団の、ひとつのエンジンが消えということのなるのだが、しかし誰かが消えれば消えるほど消えた何かとして、レジデンツをレジデンツし始める。そしていつの日かホーマー・フリン氏が亡くなったとき、真の「ザ・レジデンツ」が誕生するという妄想に身体がほころぶ。 <br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/e5ec03efe61f4bafa85845a24b9bca18.jpg" /></div>
<p><br /><br /> しかし吉祥寺での打ち合わせはなぜか水曜日が多い。ピワンだけではなく、わたしの吉祥寺中華のお気に入り翠蘭も定休日なのである。わたしのように常に体調が良くない者にとって翠蘭のおかゆ定食は本当にありがたいのだが。<br /><br /> 夕方は内幸町のワーナー試写室にて『アリー スター誕生』。レディ・ガガ主演、ブラッドリー・クーパーが初監督で主演、という情報以外にまったく予備知識ないまま、もちろんバーブラ・ストライザンド版などは観てはいるものの、とにかくいきなりのライヴシーンの音がアンプからそのまま出ているようなゴツゴツした音で、しかもブラッドリー・クーパーのバックバンドをプロミス・オブ・ザ・リアルがやっているのであった。クーパーも自身の演技などについてニール・ヤングやエディ・ヴェダーを参考にしたとも語っているのだが、つまり、パール・ジャムをバックにした『ミラーボール』の頃のニール・ヤングを参考にした演奏、みたいなことになるのだろうか。だがそのこと以上に、レディ・ガガの歌声に驚いた。当たり前のようにさらりと、微妙な変化を散りばめている。物語の前半だったか、初レコーディングの時に緊張で上手く歌えなくなってしまった彼女に、クーパーがいつものようにピアノを弾きながら歌ったらいいということでレコーディングスタジオにピアノを運ばせるというエピソードが描かれていたのだが、この映画のレディ・ガガもこの歌声とともにあるからこそ俳優としての表情がするりと出てきているのではないか、そんなことも思った。 <br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><iframe src="https://www.youtube.com/embed/1KMIqxZcpIE" width="560" height="315" frameborder="0" allowfullscreen="allowfullscreen"></iframe></div>
<p><br /><br /><br /><strong>10月18日(木)</strong><br /> 高崎へ。駅前は来るたびに綺麗になって、今年はなんと駅前だけではなく、雪で落ちてしまっていた電気館そばのアーケードの屋根も修復され、新しい店もできてアーケード全体が少し活気付いてきた気もした。しかし廃墟感が増すばかりのオリオン座と、夜の歓楽感は相変わらずだった。<br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/294b0e28ab5d484380853f89dd5c3a45.jpg" /></div>
<p><br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/d54ac361a8484bbd82d08357b1e529b9.jpg" /></div>
<p><br /><br /> そして爆音の方も今年から機材が少し変わり、電圧も200Vのフルデジタルのシステムになった。これまでに無い音圧感。太い中音域もしっかり出て嬉しい。 <br /><br /><br /><strong>10月19日(金)</strong><br /> 夜から本番。『ミッシェル・ガン・エレファント』。久々の爆音上映。バウスの頃に戻ったような感覚。高崎爆音の年齢層は全国の爆音映画祭の中で一番高いはずなのだが、さすがにこの映画だけは見かけ上20代から40代にぎゅっと圧縮されている。調整をやりながら、わたしも少し若返った気分になった。調子付いて音量を上げたりするわけだが、現実のわたしの身体が、その音量を受け付けなくなっていることもわかる。 <br /><br /> しかしネオンのついた電気館はまだまだ十分に華やかである。 <br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/5db5237d50cb4cdd8d8a9b0468f25c71.jpg" /></div>
<p><br /><br /><br /><strong>10月20日(土)</strong><br /> 朝、散歩の途中で地回りの猫様に出会う。 <br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/aed26be8d89847cc85cdaa2a0666465a.jpg" /></div>
<p><br /><br /> 本番2日目は『名探偵コナン ゼロの執行人』『グレイテスト・ショーマン』『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』『ラスト・ワルツ』。<br /> 冒頭、『コナン』の音が出ない。いきなりである。バウスの頃、スイッチの切り替え忘れみたいなことで出なかったことはあったが、原因不明のトラブルは初。怪しいケーブルがあってそれを取り替えたら突然出るようになって、上映再開したもののやはりすぐに出なくなる。さまざまな原因を確かめつつ、3回目に音が出なくなった時に原因がはっきりした。要するに電力量の不足。計算上はまったく問題なかったのだが、やはり古いビルなのでこちらの計算通りにはいかない。『エリ・エリ』のためのフィルム巻き取り機を使用すると急に電圧が落ちて、その落ちた電圧に対してデジタルアンプが安全対策として反応して音を出すのをやめた、というような流れ。とりあえず最初の方だけだったので、上映はその部分をやり直して再開。終了後に招待券配布、という対策をとった。いろんなことが起こる。こういう時、シネコンだと本当に大ごとになってしまうのだが、電気館のような劇場だと劇場がそれを許してくれるというか、来場者の方たちもおおらかにそれを受け入れてくれ、こちらとしては本当に助かった。常にこういうことが起こるということが想定されているわけでは無いのだが、何かがあった時にそれをおおらかに受け入れ対応できる抜け穴のような場所があるのはいい。それに甘えるわけでは無いが、それがあることによってギリギリのところで何かがうまくいく。そんな場所とともにありたいと思う。<br /><br /> 『グレイテスト・ショーマン』は安定の音、すでに映画館としては通常の使命を終えた電気館という場所にふさわしい上映になったのではないか。<br /> フィルム上映の『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』は冒頭からこれまで以上に不吉なというか、暗鬱な空気が流れ、久々の爆音だったのだがあらためて驚いた。いったい自分はこの映画の何を観てきたのだろう、という気分にもなった。20世紀が終わりフィルムの終わりが確実に明らかになった21世紀のはじめ。21世紀になって大きく変わるはずの世界を20世紀の終わりに描いた黒沢さんの『大いなる幻影』の時代設定である2003年をも超えてしまった2005年の製作。少なくとも映画は何かが確実に変わった。それを弔うことより、それが亡くなった中でいったい我々には何ができるのかをまず今ここで考えざるをえないくらいには十分追い詰められていたし、それは今も同じである。その前向きな翳りの深さ。ナンシー・シナトラの「The end of the world」がモノラルからステレオになる瞬間の喪失感と同時に現れる世界の広がり。われわれは常に何かをなくし同時にその失われた何かによって世界を広げてきた。ただそれだけのことだ。だがそのただそれだけのことが途方もなく悲しい。そして後戻りはできない。<br /><br /> そんな翳りの中で観る『ラスト・ワルツ』も格別であった。そこに映る全員が、存命の人も含めて、すでにこの世にいない人々に見えた。 <br /><br /><br /><strong>10月21日(日)</strong><br /> 昨日の猫様はそれなりに人馴れしていたが、本日の2名はあからさまな警戒感まるだし。挨拶だけした。<br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/707b42ac626344899f68a472ff214be8.jpg" /></div>
<p><br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/2d0f3265f2244ab1a2d6fc50c0246457.jpg" /></div>
<p><br /><br /> 『「幻想」&「巨人」小澤征爾+サイトウ・キネン・オーケストラ』は果たして普段クラシックの音響に慣れている方たちにどのように聴いていただけるか? 以前ベルリン・フィルの映画をやった時はその録音の良さ、精密さに助けられたのだが、今回の場合はブルーレイの音で、ベルリン・フィルほどのマイクの数は無いはずだ。したがって楽器の音の再現性、ということよりも会場全体の音の響きや大胆な音の動きがどんな風に聞こえてくるかに気を使った。というかこの映画は指揮する小澤征爾を真正面から捉えたショットなどがあって、指揮者の表情や身体の動きがそのまま音楽になっていることが見て取れる。あるいは指揮者がその場で聞いていた音楽が今ここで鳴っているように。その意味では『ベイビー・ドライバー』的作品とも言える。<br /><br /> 『キングコング対ゴジラ』は予想通りの男性率だった。8割以上か。3月にみなみ会館でやった時はデジタルリマスターされた音の振り分けのバランスに苦労したのだが、今回はまったく普通に聴こえてくる。あの時の苦労が嘘のようだ。何れにしても結果は同様。キングコングを讃える音楽が鳴り始めた瞬間から心は少年に戻ってしまう。そして『遊星からの物体X』ではさらに男性率が上がった。女性は3名ほどではなかったか。こちらとしては誰が観ても全然大丈夫とは言わないまでも普通に面白く観ることができますと訴えてきたつもりでも、やはり観る前に「わたしには無理」と思わせる何かが出てしまっているのだろう。まあ確かに、「物体X」が暴れ始めるとわたしは笑ってしまうが、そうでない人もいるのはよくわかる。しかし、『ロード・オブ・ザ・リング』ではもっとグロくて残酷なものが映っていたようにも思うのだが。主人公が少年で、とりあえず少年に感情移入さえしてしまえば、そのグロさも乗り越えられる、ということなのか。だとすると物体X自体に問題があるのではなく、カート・ラッセルと隊員たちに問題があるということになる。たとえば『オーシャンズ8』みたいな感じで女性版というか現代版の『遊星からの物体X』を企画してみるのも面白いのではないか。<br /><br /> そしてあっという間に高崎爆音は終了。打ち上げも済まし、終電の新幹線で東京に戻ったわけだが、例によってわたしが適当な調べ方をして切符を買ったものだから、危うく丸ノ内線の終電を逃すところだった。自分をまったく信用していないせいで、新幹線の中で乗り換えの路線を再確認したおかげで助かった。というか、最初からどうしてちゃんとできないのだろうか。 <br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/2be837663aa94164afb9db566faabf6f.jpg" /></div>
<p><br /><br /><br /><strong>10月22日(月)</strong><br /> 事務所にて事務作業と発送など。そして夜は渋谷のSPBSという書店のセレクトショップのような場所で『ジョン・カーペンター読本』のトークイヴェント。黒沢さん、篠崎、そしてわたし。『恐怖の映画史』を作った時のような、リラックスした雰囲気でということでテーマなどは特に決めず、成り行き任せ。黒沢さんからは「カーペンターは蕎麦のようなものだと誰かが言っていた。つまり噛むのではなくのどごし」という問題発言も。もちろんそのために言葉は必要だが、その言葉ひとつで明瞭なイメージを結ぶのではなく、似たような言葉を繰り返し発し、繰り返し聞くことで少しずつイメージが固まってくるような、そんな存在ではないかと。つまり『遊星からの物体X』をリバイバルしたから終わりではまったくないということである。<br /><br /> 深夜の帰宅。高円寺駅前の通りの街灯は、クリスマス時期には緑や赤になるはずだが、この時期はオレンジ。枯葉色ということなのか。 <br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/1872d4bcad2744729540f7dc071dfda2.jpg" /></div>
<p><br /><br /><br /><strong>10月23日(火)</strong><br /> 引き続く事務作業で試写を逃す。 <br /><br /><br /><strong>10月24日(水)</strong><br /> やはり事務作業が終わらず、夕方、ようやく大阪へと向かう。なんばパークスシネマでの初爆音。会場に着くとセッティングはほぼ終わっていて、音のチェック。明日からの調整の方向を決める。 <br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/6290e32ac07843f5b9cccee24ec72cde.jpg" /></div>
<p><br /><br /><br /><strong>10月25日(木)</strong><br /> 朝から『レ・ミゼラブル』『セッション』『ラ・ラ・ランド』『グレイテスト・ショーマン』『バーフバリ 伝説誕生』『バーフバリ 王の凱旋』の調整をやり、19時から『レ・ミゼラブル』の本番。やり慣れている作品ばかりだとはいえ、初めての場所での調整は時間がかかる。試行錯誤が続く。一度それぞれを完成させてようやく掴んだ感触で、再度それぞれをチェックして、ようやく本番へ。『バーフバリ 伝説誕生』は一度やった調整を全部ひっくり返した。そこにかけた時間は一体なんだったのか、ということなのだがまあそういうこともある。<br /><br /> 外は満月だった。トニー・ジョー・ホワイトの死を知る。 </p>
<div style="text-align: center;"><iframe src="https://www.youtube.com/embed/PQCPxckT6iM" width="560" height="315" frameborder="0" allowfullscreen="allowfullscreen"></iframe></div>
<p><br /><br /><br /><strong>10月26日(金)</strong><br /> 深夜の調整に備え、遅めの起床。昼は久々のなんばを散策した。海外からの観光客がすごい。とにかく平日の昼なのにどこもいっぱいである。この風景を見ると日本の中心はなんばではないかとさえ思えてくる。東京は世界のどこにでもあるその国の経済の中心地ではあるが、観光客はどこにでもあるものを見たいわけじゃないし、それなら本当に最先端のものを見たいわけだから、80年代ならP.I.L.のアルバム・ジャケットにもなった新宿の交差点も、今や単に時代遅れなだけである。もちろん、最先端かエキゾチシズムかという観光客を気にしていては生きていけないわけだから、こちらは勝手にやるだけである。<br /><br /> 夜はなんばの数ある焼肉店のひとつにて夕食。なんばは高円寺や西荻のガード下の飲み屋街をでかくした場所、というわたしの個人的な見解なのだが、まあその勝手な思い込みのおかげでどこか地元感もあり、リラックスして食べすぎる。焼肉が普通にうまかったのだ。黒沢さんがカーペンターを語るときに使う「映画はこれくらいでいい」という言い方ではないが、「焼肉はこれくらいでいい」というベースがガッチリ固まっている感じ。特別感はなくてもいい。普通に当たり前のようにこれくらい。豊かさとはこういうものではないかとさえ思う。おかげで深夜の調整は朝まで不思議なくらいに元気だった。 <br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/27d24e5bd47c4f2caac2eaff025fb0cc.jpg" /></div>
<p><br /><br /> 『ミッション:インポッシブル フォールアウト』の音響と音楽に驚いた。『メッセージ』や『ダンケルク』『ブレードランナー2049』などでヨハン・ヨハンソンやハンス・ジマーがやってきたさまざまな実験がすでにこうやってハリウッド大作の中で普通に使われている。その音楽や音のベースの広がりと厚さに驚いたということである。何かがすぐに共有され、あらゆる人の財産になるスピード感はデジタルの恩恵、ということなのか。いやこういう音の群れの中から、ヨハン・ヨハンソンやハンス・ジマーが生まれた、その基盤の確かさと広がりと深さを再確認させられたということだ。とにかくこんなすごい事態が普通に起こっているのに、今回のなんばの爆音映画祭では最もチケットが売れていない。とにかく今後も上映し続けるしかない。 <br /><br /><br /><strong>10月27日(土)</strong><br /> ひどい頭痛で目がさめる。わたしの場合通常なら子供分の頭痛薬で大体の頭痛が治るのだが、今回は目が覚めた瞬間から大人分飲まないとと思うほどのものだった。そして飲んでも少しは楽になったものの痛みが引くわけではなく、仕方がないので夕方まで寝続ける。しかしまだしっくりせず、とりあえず夜の『グレイテスト・ショーマン』の上映前に挨拶を済ませ、予定を早めて帰宅した。昨夜の異常な元気がこの頭痛の予兆だったのか。 <br /><br /><br /><strong>10月28日(日)</strong><br /> 昼はゆっくりと休み、まだ微妙に頭に違和感を感じつつ、夜はユーロスペースへ。『EM エンバーミング』を観て、上映後に青山とトーク。いきなり死体の汚れを流す水の溢れる音にやられる。なんだろう、特別な仕掛けがしてあるわけではない。他の音より少しだけボリュームが上げられているのかもしれない。死への過程が完全に終了していく音と言ったらいいのか。これでおしまい、もはやこれまでという音なのだが完全に終わりではない。その死体が抱えていた記憶やあったかもしれない未来への思いが、「もうおしまい」という現在の中に流れ込んで、ただの死体の血に染まった水をさらに濃厚なものにしている。トークの時にも言ったのだが、オリヴィエ・アサイヤスの『感傷的な運命』でのできたてのコニャックを注ぐ時の音に素早く青山が反応していたことを思い出した。あちらは19世紀から20世紀への転換点の物語で、まさに映画が始まった頃。こちらは20世紀の終わりの物語で、フィルムの時代が終わろうとしている映画の転換点の時代の物語。青山によればあの水はフィルムの現像液でもあるとのこと。しかし死体から血液を抜き取る巨大な装置はすごかった。映画が見る悪夢のような、悪夢ではあるが憧れでもあるような装置に見えた。あれは本物で、本当にある機械なのだそうだ。医学部出身の映画監督とか、いつの日か出てきてくれないだろうか。以前カナザワ映画祭で上映したあの映画の監督は医者だと言われたような気もするが、すでにタイトルさえ思い出せない。 <br /><br /><br /><strong>10月29日(月)</strong><br /> パスポートの更新で都庁へ。爽やかな秋の日差し、という絵に描いたような天気だったが頭痛は続く。こんな状態でロシアへは本当に行けるのだろうか。 そして事務仕事と発送作業で1日終了。 <br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/2aa3d6821acc4161b0bc53bb69b45af9.jpg" /></div>
<p><br /><br /> <br /><strong>10月30日(火)</strong><br /> 昼は引き続き事務作業。そして夜は某映画の試写に。その帰り、夜の日比谷公会堂がなかなかいい感じだった。 <br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/b8a7ad5988ca457aa253a7d319803d2f.jpg" /></div>
<p><br /><br /> その後、見損ねていた『ポルトの恋人たち』のサンプルを。冒頭の風の音が心に染みた。何だろう、単に風の音なのに。誰が何と言おうとポルトガルの大西洋岸を吹く風の音がした。ポルトには行ったことはないが、しかし行ったことさえない人の遠い記憶を掘り起こし、かつてもしかすると行ったかもしれないその場所の音を聞かせてしまう、そんな音だった。いくつもの歴史がそこに込められていた。それがこれから語られるのだという映画のスイッチの音だった。そしてふたつの時代の物語が語られることになるわけだが、同じ俳優たちが微妙に関係をずらしながら似たような物語が繰り返される。しかし繰り返しではなくそれぞれが最初で最後のかけがえのなさをも持つ現在形の映画だった。「風」というよりも「波」と言ったらいいか。浜辺にずっと佇んでいたい。海のそばに住みたい欲望が沸き上がる。海のない場所で育ったからだろうか。そしてこの映画の後半で現れる浜松の海はポルトとはまた違った音がした。いや、あれは浜名湖だったのか? もはや区別がつかない。こうやっていくつもの時代のいくつもの人の記憶が流れ込み混乱し、「わたし」が新しくなっていく。そんな記憶と現在とわたしと他人とこことよそとの運動とともにある映画だった。 <br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><iframe src="https://www.youtube.com/embed/FAEAXYDTU68" width="560" height="315" frameborder="0" allowfullscreen="allowfullscreen"></iframe></div>
<p><br /><br /><br /><strong>10月31日(火)</strong><br /> 昨日行った月末の振込仕事のミスがあれこれ発覚。その対応に追われる。ミスといっても単に口座番号や口座名義の入力ミスなので、まあ相変わらずといえば相変わらず。その度に追加手数料を取られるのが腹立たしい。<br /><br /> そして羽田へ向かい新千歳へ。いよいよ国際アニメーション映画祭が始まるわけだが、例年ならもっと寒くて「いよいよ」感が高まるのだが、今年は暖かいせいか、あるいは忙しさのためか例年のような感触がない。当たり前のように飛行機に乗る。担当者からは「今年はこれまでのようにぎっくり腰だのメニエールなどがなく元気で何より」というメールがやってきたので、そう言われるとやはり「ここも痛いあそこもダメだ、さらにここも調子悪い」と返信することになる。大人の挨拶とはこのようにするものだと、個人的には思っている。 <br /><br /> 新千歳に着くと予想以上に地震の影響がまだまだ残っていることを知らされる。そういえばいつもなら満員の飛行機も、空席が目立っていた。総合すると映画祭が開催されたのは奇跡。とりあえず来年の新千歳までには何度か北海道に来て賑やかせられたらと思う。そして初めて食べた筋子の握り寿司が、しょっぱいのではないかという予想を見事に覆す絶妙の味だった。<br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/21fbacca1f404c6bb92541e374db9ced.jpg" /></div>
<p><br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/837f856f8eb2436c979684db1d87ed1c.jpg" /></div>
<p><br /><br /><br /><br /> <span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">樋口泰人(ひぐち・やすひと)<br />映画批評家、boid主宰。<a href="http://thething2018.jp/" target="_blank" rel="noopener nofollow">『遊星からの物体X』</a>全国ロードショー中。11/14(水)-18(日)<a href="https://109cinemas.net/events/hiroshima-bakuon/" target="_blank" rel="noopener nofollow">「爆音映画祭 in 109シネマズ広島」</a>、11/22(木)-25(日)<a href="https://www.smt-cinema.com/campaign/bakuon_amagasaki_201811/" target="_blank" rel="noopener nofollow">「爆音映画祭 in MOVIXあまがさき」Vol.2</a>、12/7(木)-9(日)<a href="https://www.cinema-select.com/%E7%88%86%E9%9F%B3%E6%98%A0%E7%94%BB%E7%A5%AD-%E6%9D%BE%E6%9C%AC/" target="_blank" rel="noopener nofollow">「爆音映画祭2018 in 松本」</a>、12/13(木)-17(月)<a href="https://www.smt-cinema.com/campaign/bakuon_kyoto_201812/" target="_blank" rel="noopener nofollow">「爆音映画祭 in MOVIX京都」</a>。</span></p>2018-11-16T07:42:38+00:00Television Freak 第33回 (風元正)
2018-11-13T05:37:34+00:00boidhttp://boid-mag.publishers.fm/editor/356/http://boid-mag.publishers.fm/article/19244/<p><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">家では常にテレビつけっぱなしの生活を送る編集者・風元正さんが、ドラマを中心としたさまざまな番組について縦横無尽に論じるTV時評「Television Freak」。今回は現在放送中の連続ドラマから『獣になれない私たち』(日本テレビ系 水曜ドラマ)、『僕らは奇跡でできている』(カンテレ・フジテレビ系 火曜ドラマ)、『リーガルV~元弁護士・小鳥遊翔子~』(テレビ朝日系 木曜ドラマ)の3作品を取り上げます。<br /><br /> </span></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/bcc089dfa6354dee99f4d69af40a4445.jpg" /></div>
<div style="text-align: right;"><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">(撮影:風元正)</span></div>
<p><br /> <br /> <br /> <span style="font-size: 13pt; font-weight: bold;">「アメリカ映画」の血脈</span><br /> <br /> <br /> 文=風元正<br /> <br /> <br />ユーロスペースで青山真治監督『冷たい血』を鑑賞した後、黒沢清、青山の両氏が対話をはじめた瞬間の硬い空気は忘れがたい。『冷たい血』は黒沢先輩も賞賛する通りの快作であり、こちらは画面の格調の高さと緊迫感に圧倒されたまま、2人が壇上に出てきて、観衆は固唾を呑み込むように2人の言葉を聴く。中心テーマは「アメリカ映画」という観念だが、お二人も認める通り、何となくは存在するとしても、はっきり指し示せるものではない。黒沢さんは何度も「確信」という言葉を口にしたが、『冷たい血』は逡巡があったら撮れないシーンに充ちている。たとえば元刑事である石橋凌が銃で撃たれて片肺となり、「空洞」を抱えながら早足で歩いて、走り、息切れして咳き込む動作。あるいは、団地から荒川べりに駆け寄ってくる永島暎子の笑顔。だれもいない野球場で戯れる鈴木一真と遠山景織子に突然降る雨。これらすべてが「アメリカ映画」なのかもしれない。青山真治監督には、是が非でも新作を撮って欲しい。とりあえず、みなさまは青山さんが撮ったカーネーションの最新MV「サンセット・モンスターズ」(名曲)や、『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』、『Helpless』、『EUREKA』などもぜひとも。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/9fa9163466c04516b76cb2b4f6d320d2.jpg" /></div>
<p> </p>
<div style="text-align: center;">*</div>
<p><br /><br />『獣になれない私たち』に心打たれている。主人公・深海晶(新垣結衣)は大手企業の元派遣社員で「完璧な笑顔」を繰り出しながら忘年会でみんなのお酒を作るタイプで有能。転職した今は営業アシスタントなのに社内中の仕事を押し付けられている。クリオネが待ち受け画面。同僚の酔っ払いたちに酒を「自分で作れ!」と声をかけたのがきっかけで恋仲になった花井京谷(田中圭)とは交際4年。結婚目前のはずだが、実は部屋に元カノで失業者の長門朱里(黒木華)が住んでいる。基本、ストレスの塊だけど「今は恋がしたい」。つい線路に飛び込みたくなったりもする。<br />深海さんの生活は、クラフトビールバー「5tap」で隣り合わせた毒舌家の公認会計士・根元恒星(松田龍平)とブランドデザイナーの橘呉羽(菊地凛子)との出会いで揺れ動く。「直感と感情で動く生き物」である呉羽の店のエッジの効いた服で勢いつけて、原節子が心のアイドルのワガママ社長にぶち切れたら、「特別チーフクリエイター」に昇進してしまう。晶は恒星の「笑顔がキモい」という悪口を聞いて腹を立てたけれど、夜道での「バカになれたら楽なのにね」という言葉に心が波立つ。ちなみに「5tap」、一緒にいる客が同時にグラスを傾ける演出を見ると、日本酒をビールに変えて小津安二郎映画の酒場を引用しているのでは。<br />髭を生やした恒星ちゃんは、「5tap」でナンパした女の子を近所の自分の事務所にお持ち帰りするけど、酒が弱くて最中に寝る男。大手監査法人を辞めていて、「いつも笑顔の人気者」だったけど失踪中の兄に関して何やらトラブルに巻き込まれているらしい。でも、心の中には柔らかい部分も残っている。田中圭が、みんなにいい顔したい優柔不断な一流企業のリーマン役で飛ばしている。今までのイメージの集大成。恒星が晶と部屋で一夜を明かして、「晶さんてああ見えて声でかいんですね」と口走り、京谷がぶん殴る瞬間の「いい男」対決の火花は凄かった。<br />野木亜紀子の脚本は絶好調で、リアルかつ緻密な構成に舌を巻く。相当なダウナー系ドラマだけれど、爆笑しながら見てしまうのは、自虐的な方向で「俗情との結託」を誘わないからだ。「深海さん」は日本のどの社会にもいる。ちゃっかりといいとこどりする松任谷夢子(伊藤沙莉)も、ポンコツ新入社員上野発(犬飼貴丈)も、夫の介護を続けて京谷の結婚だけが楽しみの花井千春(田中美佐子)も。そして、呉羽の夫、橘カイジは何者なのか? 「幸せなら手をたたこう」のメロディーが頭から離れない。</p>
<div style="text-align: center; position: relative;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/6a4bf60131744c95ac567baddb20fb4e.jpg" /><br /><img style="height: 400px; width: 600px; position: absolute; top: 0; left: 0; margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/2e2f9c90e0504190b65b0968a8ef612c.gif" alt="" />
<div>
<div style="text-align: center;"><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">『獣になれない私たち』 日本テレビ系 毎週水曜よる10時放送</span></div>
</div>
</div>
<p> </p>
<div style="text-align: center;">*</div>
<p><br /><br />『僕らは奇跡でできている』は、高橋一生、小林薫、田中泯が共演している。そして、要潤も。そのメンバーが一同に会しただけで嬉しいドラマだけれど、高橋の演じる生命科学部の大学講師の相河一輝が好もしい。自転車通勤だけれど都市や森の生態系の変化に目を凝らし過ぎてすぐ寄り道する。人間界の変化にはさほど興味はなく、超マイペースで組織のルールなど頭に入らないが、自然界から得る情報量はかなり多いライフスタイルである。<br />第4話が秀逸だった。群馬県でタクシーに乗っている最中、一輝がイノシシを発見して物語は始まる。環境破壊で、山に食べ物が減ったから里に下りる状況を踏まえている。そして、シュウ酸カルシウムのえぐみでイノシシさえ食べないコンニャク畑に紛れ込み、泥棒と間違えられ、畑の持ち主が偶然、学生の実家だったので、仲良し4人組も押しかけてくる。そのうちのひとり、新庄龍太郎(西畑大吾)は、コンニャク農家という家業を恥じていて皆を案内するのが嫌だったのだが、一輝が「どうしてコンニャクは絶滅せずに千年も存在しているのでしょう」という疑問を徹底的に追及し、星降る美しい夜をみなで見学することで、自然にコンプレックスを解きほぐす。だけれども、一輝は、すき焼きは糸こんにゃくでなく肉から食べる。<br />「こんにゃくを味もそっけもないものだと思ってみるとそうでしかないんです。でも、その奥に隠れた見えないものをしっかり見れば、そのすばらしさを感じることができるんです」<br />美人で親の歯科クリニックを継いで院長となり、人も羨む境遇なのに、なぜか周囲と摩擦ばかり起こす水本育実(榮倉奈々)に、路上でお土産のこんにゃくを渡そうとして一輝が熱く語りかける言葉だ。でも、育実は受け取らない。話も聞かない。難しいシーンで、知的水準の高いけれどやや意味不明でもある長セリフを違和感なく発せられる高橋の個性を得難いと思う。<br />森に住む祖父の陶芸家・相河義高(田中泯)や学部長・鮫島瞬(小林薫)以外に、一輝を一番理解している学生の尾崎桜(北香那)はいつも控え目なメガネ女子で愛らしく、今後に重要な何かの役割を果たすはずだ。蟻の観察に余念のない変人・沼袋順平(児嶋一哉)の「グッジョブ」も気が利いているし、育実とともに「いい学校・いい会社」という価値観のグループにいる准教授・樫野木聡(要潤)の芸達者ぶりもいい感じだ。「愛されたい」と泣く「こじらせ気味」の意識高い系女子・育実の孤独は解消されるのか。成果主義に毒されて日本の理系が危機にある中、タイムリーなドラマ。「面白がる天才」一輝がどうやって人の価値観を変えてゆくのか、先行きにワクワクしている。</p>
<div style="text-align: center; position: relative;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/fd61d3f7b2d2471b84c36dfa20503c50.jpg" /><br /><img style="height: 400px; width: 600px; position: absolute; top: 0; left: 0; margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/2e2f9c90e0504190b65b0968a8ef612c.gif" alt="" />
<div>
<div style="text-align: center;"><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">『僕らは奇跡でできている』 カンテレ・フジテレビ系 毎週火曜よる9時放送</span></div>
</div>
</div>
<p> </p>
<div style="text-align: center;">*</div>
<p><br /><br />テレビ朝日は、プログラム・ピクチャーの精神を伝承している局である。『リーガルV~元弁護士・小鳥遊翔子~』の仕上がりには、もう、拍手しかない。はぐれ者が集まって敵を撃つ西部劇の骨法を基本に、短い時間の中で逆転また逆転の法廷劇をびしっと成立させる。「管理人」小鳥遊翔子(米倉涼子)を筆頭にした弱小「京極法律事務所」の面々には、意外とお飾りでない所長・京極雅彦(高橋英樹)、米倉ドラマではお馴染みの勝村政信演じるヤメ検・大鷹高志、「ポチ」が嵌っている青島圭太(林遣都)という弁護士たちに加え、前科者だらけのパラリーガルの安達祐実、三浦翔平、荒川良々。対する大手の「Felix & Temma法律事務所」のメンバーは小日向文世、向井理、菜々緒の3人がずらっと並び、それだけでド派手ではないか。そんな相手に米倉が……と思いきや、翔子は「だって私弁護士資格ないんだもん」と自らは法廷に立たない。<br />第2話でいうと、まずゲスト、斉藤由貴の存在感がすばらしい。製紙会社の初の女性役員役だが、3人の社員から突然パワハラで訴えられて取締役を解任され、会社に3億円の損害賠償を請求する。まず、パワハラする人柄かどうか、翔子は高級フランス料理屋を抱き込み無礼を働かせて確認、元ストーカーのパラリーガルを演じる荒川良々に浮気の証拠をおさえさせ、絶対的と思われた音声データの証拠を覆す。あの手、この手が愉快だが、最後にもうひとつの男と女のドラマが秘められていた。翔子の重度の「鉄ちゃん」趣味も小道具として効いており、真岡鐡道SLもおか号でカップ酒を傾ける米倉、斉藤の迫力といったら……。形容はしません。第4話に銀座のホステス役で出演した“ぱるる”こと島崎遥香も、「塩対応」を活かしながら大人の雰囲気を漂わせていた。<br />法廷があって新証言探しがある、そのテンポがいい。ジオラマがある鉄道バーとか、男のために横領した元銀行員の安達祐実の嘆きとか、現役ホストの三浦翔平のシャンパンとかお約束のギャグを挟み、「企業の番犬」向井の鉄仮面や菜々緒の七変化などの見せ場も作りつつ、「真実」は二転三転する。鎧塚平八の『現場百回』という架空の定番ドラマを踏まえた上で、あの『桃太郎侍』の高橋英樹の大時代な余裕の演技が、赤ワインを秘書の頭からかけたりする現代劇的な小日向文世と好対照を成している。<br />翔子は元「Felix & Temma法律事務所」のメンバーで、かつては向井演じる海崎と交際しており、とある事件で弁護士資格を失った過去がある。その因縁も、やがて大きなドラマを生むだろう。定番は、徹頭徹尾明るく痛快であって欲しい。米倉涼子は、ずっとゴージャスなドラマの女王のままで。</p>
<div style="text-align: center; position: relative;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/76947b8b5580454ba9b4ee9d9cbd9bcb.jpg" /><br /><img style="height: 400px; width: 600px; position: absolute; top: 0; left: 0; margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/2e2f9c90e0504190b65b0968a8ef612c.gif" alt="" />
<div>
<div style="text-align: center;"><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">『リーガルV~元弁護士・小鳥遊翔子~』 テレビ朝日系 毎週木曜よる9時放送</span></div>
</div>
</div>
<p> </p>
<div style="text-align: center;">*</div>
<p><br /> <br /> 「アメリカ映画」の血脈ははてしなく伝承されてゆく。ジョン・フォードの西部劇があって黒澤明の『七人の侍』があり、『荒野の七人』から『スター・ウォーズ』に至る夥しいオマージュが生まれてきた。小津安二郎もまたエルンスト・ルビッチなどのハリウッド映画から出発した人。『秋刀魚の味』のトリス・バーは「5tap」に繋がり、『晩春』の原節子が乗る自転車は、高橋一生のマウンテンバイクに繋がってゆく。『リーガルV』では、アメリカの法廷劇に「金さん」や「桃太郎侍」が流れ込んでいって愉快だ。秀作揃いの今クールのドラマを愛でながら車を運転していたら、ひさしぶりに大きな虹を見た。『奥様は魔女』に笑っていた子供の頃を思い出した。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/76ac5f76d05a450193785ccb745e369f.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">左下に薄い虹が見えないだろうか。慌てて写真を撮った時にはもう消えかかっていた……(撮影:風元正)</span></div>
<p><br /> <br /> <br /> <br /> <span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">風元正(かぜもと・ただし)<br /> 1961年川西市生まれ。早稲田大学文学部日本史学科卒。週刊、月刊、単行本など、 活字仕事全般の周辺に携わり現在に至る。ありがちな中央線沿線居住者。吉本隆明の流儀に従い、家ではTVつけっぱなし生活を30年間続けている。土日はグリーンチャンネル視聴。</span></p>2018-11-13T05:37:34+00:00YCAM繁盛記 第49回 (杉原永純)
2018-11-09T12:33:48+00:00boidhttp://boid-mag.publishers.fm/editor/356/http://boid-mag.publishers.fm/article/19235/<p><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">山口情報芸術センター=YCAMのシネマ担当・杉原永純さんによる連載「YCAM繁盛記」第49回です。出張が続いた初秋に台風直下の名古屋で見た2本の映画、『マタンギ /マヤ/M.I.A.』(スティーブ・ラブリッジ監督)『カニバ』(ヴェレーナ・パラヴェル+ルーシァン・キャステーヌ=テイラー監督)のことなど。<br /> <br /></span></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/21461258125448a6a09713fb686d243f.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">空から見た初秋の東北の山々は本当に美しかった</span></div>
<p><br /> <br /> <br /> <span style="font-size: 13pt; font-weight: bold;">名古屋で見た二本の映画と台風の9月末</span><br /> <br /> <br /> 文=杉原永純<br /> <br /> <br />かれこれ毎週飛び回る生活が8月末から続いていて、今も名古屋のホテルで原稿を書いている。9 月末京都アンテルームでの三宅唱+YCAM<a href="https://hotel-anteroom.com/gallery/2192" rel="nofollow">「ワールドツアーin Kyoto with AMP*」</a>(11月18日までの展示ですので関西お住いの方ぜひ!)仕込みに伺い、その翌日伊丹から山形空港へ、コミュニティシネマ会議に数年ぶりに参加。1泊し、翌日登壇して直後、山形空港から名古屋・小牧空港、そのまま愛知芸術文化センターで巡回中のイメージフォーラム・フェスティバルへ。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/e43677430cf84e30a7d06252ea227986.jpg" /></div>
<div style="text-align: left;"><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">アンテルームでの「ワールドツアー」は自然光も入る環境で展示。そのためプロジェクションはそもそもできなかったのだが、パナソニックが開発中の「AMP」なる正方形の美しい筐体のモニターで体験することができる</span></div>
<p><br /> <br />来年のあいちトリエンナーレでも映像プログラムの会場になる場所での上映になるので、その視察として。前情報をほとんど入れずに見た<a href="http://www.imageforumfestival.com/2018/program-h" rel="nofollow">『マタンギ /マヤ/M.I.A.』</a>には始まって5分で刮目した。<br />ミュージシャンで美術家のM.I.A. (音楽にとんと疎い自分は知らなかった)の幼少期から、家族、友人が撮りためた膨大な量のプライベート・ビデオとミュージック・ビデオを巧みに編集し、ポップ・アイコンとしてのし上がる過程を親密な距離で捉える。社会的なディスアドバンテージからの反逆、成功と失敗と成功。映画の構造はベタと言える。ただ、彼女はタミル系のスリランカ人で、反政府テログループに属す父親を持つ(そしてほとんど会ったことがない)という点は、この映画の特異点として終始影を残していた。スリランカから幼少期にイギリスへ移り住み移民として育ったと言う事実、そこから抽象されるアイデンティティにまつわる色々にM.I.A.は終始イラついている。ヤンチャもたくさんする。<br />2012年スーパーボウルのハーフタイムショーで、マドンナとの共演時にカメラに向かって中指を立てるジェスチャーをぶちかまし、たまたまそのまま全米に放映されてしまった。「あのマドンナが(スーパーボウル主催側の)くだらない男たちのいいなりになっていることがファック」なんだとパフォーマンス直後、楽屋で周囲の誰に言うでもなく興奮気味にまくし立てているところに、スーツ姿の男が入ってきて中指を立てる仕草を彼女に見せ「この件だ」と、直接クレームを受けるシーンまで収まっていた。その後、巨額の賠償金を請求され、以降の彼女の音楽活動は比較的静かなものとして描かれる。<br /> アーティストの活動が、彼/彼女のアイデンティティに触れることは不可避である。かつて真利子哲也監督がインタヴューに応えて、一般的な家庭で平均的に育ったことにある種のコンプレックスを抱えていると話していたこと、そこから初期の『極東のマンション』『マリコ三十騎』といったパフォーマティブな過激さを発露した自主映画作家として注目を浴びたことを思い出す。当時の真利子監督だったら M.I.A.の生い立ちには嫉妬しただろうか。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/f7ecdb98ba6a44fcb6297d5cda25ef1b.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/c67791bfa0e24984bd32e8a3f376b89c.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/d1b981328a774036b4ae327f5bb198b9.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">栄駅の地下街はランチタイムが終わると続々シャッターが閉まった。ゾンビ映画でも撮れそうな無人具合</span></div>
<p><br /><br /> イメージフォーラム・フェスティバルでの目当てはパリ人肉事件の佐川一政の現在を『リヴァイアサン』のハーバードの二人組監督が撮影した<a href="http://www.imageforumfestival.com/2018/program-i" rel="nofollow">『カニバ』</a>だった。YCAM爆音にこの夏来場してくださったIVCの森田さんに本作の感想を伺ったところ、顔をしかめていたので覚悟はして臨んだ。9/30(日)19:00からの上映で、折しもその日台風24号が名古屋に接近する中、栄駅周辺の地下街から完全に人が消えた。店のシャッターも全て昼過ぎには閉まってしまった。計画運休が発表され、それに応じて周辺の私鉄やローカル線もバンバン運休に入ってしまい、完全に栄駅周辺に孤立してしまった。ホテルを徒歩すぐのところにとっていた自分は良いとしても果たしてお客さんが来れるのか。来れたとしても、電車がない中帰れるのか非常に微妙、公共施設だとこういう場合「計画休映」を総務方からやんわり促されることを自分も経験していたのだが、越後谷さんは結局GOしてくれた。それも力強くではなく、緩やかに脱力してのGO。それが良い。会場には10人の猛者がいた。どうやって帰ったのかはわからない。<br />この映画についてコメントしてはいけないと思った。露悪的という言葉を超えるものが画面に映っていた。ハーバードという作家の肩書き、立派なアーティストと言う肩書きさえあれば、どんなスカムな映像であっても、アートとして認められるのかという問題が頭をもたげる。いや、こういうことを考えさせること自体がこの作品のロジックに飲み込まれることになるので、やはり考えないことにする。<br />ただ、台風が轟々吹き荒む環境で、この不穏な空気の充満する『カニバ』を見たこと自体は忘れがたい経験になった。映画は見る環境に大いに左右される。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/5499b36c6f504157bae814ca9688820d.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/4d7a6ad34b854f8db4bdaf85f71dd800.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/aaa567bdeb6945efb07606348de3ba45.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">都会で台風直撃に遭うのは久々。上映が終わって街に出るとドンキとコンビニ以外ほぼ早めに閉店を済ませていた</span></div>
<p><br /> <br /> あいちトリエンナーレ2019の全体コンセプト「情の時代」にフィットする作品を探していたのだが、作品の良し悪しとは関係なく、簡単にはこれだという作品に巡り会えるわけではない。人から見ればただ映画見てるだけだと思われそうだし、実際それだけなのだが、じゃあどの作品をセレクトすべきなのかは大変難しい。こうした国際美術展に映像プログラムが設けられている国際展は、国内ではおそらく唯一であるから国際展全体とどういった距離感で作品を選ぶかも決まっているわけでもない。だから、考え抜かないといけない苦しみはあるが、面白い。<br />こんなに映画を集中して見るために時間をとっているのは多分2010年以来で、自分が上映プログラムを始めてから忙しさにかまけてどれだけ映画をちゃんと見ていなかったか恥じる。スクリーンをきちんと見つめる、耳を澄ますことのリハビリをしている気分になる。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/b7750e9a665644028f929f8f55c0601b.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/80dcd46059dd4c76a0e4a70c4a09e1e8.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">翌日は東京に向かう。快晴、しかし品川で乗り換えると台風の余波で昼間なのに異常な混雑だった</span></div>
<p><br /><br /> いくつかこれだと思える作品に運良く出会えたが、それはまだ言えない。その中で来年のあいちでどれを上映できるかはまだわからない。中には上映をするには、極めてハードルの高いものもあるが、来年ぜひ愛知に来てでも見たいと思わせるラインナップになるよう現在充電=リサーチ期間真っ只中である。<br /> <br /> <br /> <br /><br /><br /><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">杉原永純(すぎはら・えいじゅん)<br />山口情報芸術センター[YCAM]シネマ担当。2014年3月までオーディトリウム渋谷番組編成。YCAMでは「YCAMシネマ」や「YCAM爆音映画祭」など映画上映プログラムを担当する他、映画製作プロジェクト「YCAM Film Factory」を手掛け、『ギ・あいうえおス 他山の石を以って己の玉を磨くべし』(柴田剛監督)、『映画 潜行一千里』(向山正洋監督)、『ブランク』(染谷将太監督)、『ワイルドツアー』(三宅唱監督)をプロデュース。空族の「潜行一千里」、三宅監督の「ワールドツアー」といったインスタレーション展も企画・制作。また、「あいちトリエンナーレ2019」の映像プログラム・キュレーターを務める。<br /> 近況:東京での常宿は部屋に洗濯乾燥機がある東急ステイ。名古屋での常宿を早く見つけたい。</span></p>2018-11-09T12:33:48+00:00樋口泰人の妄想映画日記 その82
2018-11-05T09:19:23+00:00boidhttp://boid-mag.publishers.fm/editor/356/http://boid-mag.publishers.fm/article/19190/<p><span style="font-size: 11px;"><strong>boid社長・樋口泰人による10月前半の妄想映画日記は、丸の内、堺、松江での爆音上映などについて。『遊星からの物体X』公開に合わせて「ジョン・カーペンター読本」を無事発売。以前サミュエル・フラー一家と同行した松江にて再び観光も。</strong></span><br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/83fbb065318e455c9cdf2a311975d94f.jpg" /></div>
<p><br /><br />文・写真=樋口泰人<br /><br /><br />怒涛の爆音ラッシュ。ひたすら疲労との戦い。まあ、戦うほどの力はないのでただただ疲労していくのみ。低空飛行をどこまで続けられるか。ダメならやめればいいだけなのでお気楽ではある。だが疲れ果てていると映画が観られない。もちろん観に行く時間もない。どうやって時間を作るか。来年4月くらいまでかけてゆっくりとboidの体制を整えていくつもりではあるのだが。果たしてそこまで体力が続くのかという、相当危ないところに来ているのは十分自覚せざるを得ないくらいの状況ではある。<br /><br /><br /><strong>10月1日(月)</strong><br /> 地方での爆音から帰京した月曜日は事務仕事が果てしない。そして『ジョン・カーペンター読本』の入稿作業が続く。辛いので電話にも出ないから結局boidはまったく電話の通じない事務所となる。<br /><br /><br /> <strong> 10月2日(火)</strong><br />友人が事務所にやってくる。ニール・ヤングの自伝第2集、車と歌のことを所持するヴィンテージカーの可愛すぎるイラストともに記した、眺めているだけで頬が緩む本の邦訳版を出版予定とのこと。情報だけはFBで知っていて勝手に盛り上がっていたのだが、まさかその出版を企画したのが自分の知り合いだったとは。しかし諸事情あって出版人は今の所公表せず、書籍の出版情報のみを告知中。出版に向けての告知や盛り上げイヴェントなどの相談をした。つまりいつものように、個人でやれることをやる、ということである。未来に向けて猛スピードで走る機関車を馬で追いかける『バック・トゥ・ザ・フューチャー3』のメアリー・スティーンバージェンになってしまえば、大抵のことはなんとかなる。なんとかならなくても何かが動く。それで十分である。 <br /><br /><br /> <strong> 10月3日(水)</strong><br /> 果てしない事務仕事。その合間に、「ザ・スリッツのドキュメンタリー『Here to be Heard: The Story of The Slits』と、L7のドキュメンタリー『L7: Pretend We're Dead』が日本公開決定。12月15日より新宿シネマカリテにて3週間限定」という情報を見つける。その頃、わたしが忘れていたら、この日記を読んだどなたかお知らせしていただけたら。<br /><br /><br /><strong>10月4日(木)</strong><br /> 朝の新幹線は日帰り出張の方たちや海外からの観光客の方たちで十分に混み合っている。前夜から現地入りする方が楽だともいえるが、さすがにこれだけ出張が続くと一晩でも自宅で呑気に過ごしたい。健康にとってはもちろん、精神的にも切実な問題だ。ただ家でじっとしているだけでいい。<br /><br /> 4月以来の堺は曇り空。視界が広がる。今回は新たな機材、スタッフとの調整作業。YCAMと同じエルアコのラインアレイを左右とセンターに並べた設定で、やはり高音が綺麗に出る。その分、中音域の分厚い迫力には欠ける。その辺りをどうするか。YCAMの場合は天井と座席下に仕込んだスピーカーからの音が思わぬ効果を発揮して、優しく丸い音になってくれているのだが、こちらはそれがない。しかも広い。別にこの音で全然問題はないのだが、もうちょっともうちょっとと試行錯誤が続く。そして広いので、左右の座席の音の偏りをなるべくなくすためのバランス調整。だが、ここはサラウンドスピーカーが十分な力を出すのだ。<br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/fe922962fe5d4ea896b5b2532c333317.jpg" /></div>
<p><br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/c670e16e99904bab96ca12221597aad6.jpg" /></div>
<p><br /><br /><br /><strong> 10月5日(金)</strong><br />少し晴れた。堺市のフェニックスストリートはいつ観ても不思議な気分になる。<br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/37b2d8d785ff44e781d32e49a1cbea9e.jpg" /></div>
<p><br /><br /> 映画館の駐車場もさらに視界が広がった。<br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/ff605df821fa4c8ab4cd773a155ce037.jpg" /></div>
<p><br /><br />そして映画館の裏側は、果てしなく広い。夜も調整が続く。 <br /><br /><br /><strong>10月6日(土)</strong><br /> あまりに天気が良いので旧堺港方面に行ってみた。真夏のリゾート気分。<br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/a84518c873ed468d868ecc6a204606a6.jpg" /></div>
<p><br /><br /> 『バーフバリ』と『怒りのデスロード』の絶叫上映の前説家の渡久山くんも到着して、爆音は佳境。そしてふたりで記念撮影もした。<br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/f6bab207d91b4f7db53d27c62b23f1a0.jpg" /></div>
<p><br /><br /><br /><strong>10月7日(日)</strong><br /> 爆音最終日だが、わたしは午前中に帰京。前夜ほとんど眠れなかったので、帰宅してひたすら寝た。何もできず。 <br /><br /><br /><strong>10月8日(月)</strong><br />疲れ過ぎていた。やはり何もできなかった。 <br /><br /><br /><strong>10月9日(火)</strong><br /> 事務仕事の後、来年のタイ爆音の打ち合わせ。そしてその後、丸の内ピカデリーにて、10日からの爆音映画祭のための深夜の爆音調整。調整の詳細はツイートしたのだが、今更それを取り出せず。誰かこういうことをやってくれるといいのだが。調整の様子をまとめて見られるような感じにできたら。後から辿り直すのはもう無理。気力なし。調整は夜明けに終了したが、今回の丸ピカの音は、あきれるほど気持ちよかった。ゆったりとしていて柔らかく、それでいて迫力十分。声もクリアに聞こえ、映画の中にどっぷりと浸かれる。贅沢すぎる時間を過ごせると思う。ずっと調整をやっていたいくらいだ。 <br /><br /><br /><strong>10月10日(水)</strong><br /> 『ジョン・カーペンター読本』が出来上がる。よく間に合ったとしか言いようがない。みなさんそれぞれの原稿が面白く、カーペンター作品全部見たくなる。みんながそんなことを思い始めて会社とかサボり始めたら楽しい日本になると思う。そんな楽しい日本のきっかけになるようなものを、次々にやったり出したりしていけたら。<br /><br /> 夜は丸の内ピカデリーにて爆音『遊星からの物体X』。音の偏りのために販売しなかった座席を除き、発売した座席は完売。400名以上の方々がこの日のために集まってくれた。男女比は圧倒的に男性メインで90%くらいかと思えるほどだが、だがまあ、これはこれでよし。この映画で男女比五分五分くらいになる日が来ることを夢見つつ。とはいえ、基本的にホラーやSF、宇宙人、人間が乗り移られるとか聞いただけでNGという女性の方たちが多いのだと思う。この壁はこちらが思っている以上に分厚い。あれやこれや賑やかにワイワイとやっていくしかない。<br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/aff17b7c1e46454bb85f398fde8df58d.jpg" /></div>
<p><br /><br /> ロビーで出来たて先行販売した『ジョン・カーペンター読本』も予想以上に売れて、上映中に事務所に戻って追加搬入ということになった。とりあえずまずは第一歩。そしてその後はまたもや朝までかけての深夜の爆音調整。<br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/16e638d241634ffd96d9c89371018baf.jpg" /></div>
<p><br /><br /><br /><strong>10月11日(木)</strong><br />事務所ではカーペンター読本の発送作業延々と。わたしは税理士との面談。アマゾンからも予想外の注文が来て、カーペンター読本の事務所在庫がなくなる。夜は丸ピカにてさらなる深夜の調整。開始が早かったおかげで朝にはならず。 <br /><br /><br /><strong>10月12日(金)</strong><br /> 3時間ほど寝て、羽田へ。朝の便で米子へと向かう。島根での初めての爆音上映である。米子空港は91年だったかの夏、サミュエル・フラー一家を案内しつつ訪れて以来。東京ではフラー特集が行われていて、さすがにずっと東京では退屈だろうということで、以前から小泉八雲の映画を撮りたいと発言していたこともあり、では松江へ、ということになったのだった。雑誌SWITCHの取材も兼ねての同行。あくまでもプライヴェートな旅行ということで特別なインタビューの時間とか、雑誌用の取材とかはなく、空気のように周りにいつつ、時々あれこれ話をするくらい。楽しい緊張の日々だった。しかし小泉八雲記念館に行ったこと、海辺でゆったりとした時間を過ごしたこと以外、どこに泊まったのかその他どこに行ったのか、まったく覚えていない。松江に着いてもまったく記憶は蘇ってこなかった。<br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/2100cf0221ee4d4a81055c15e9e5bf48.jpg" /></div>
<p><br /><br /> 空港から松江に向かう途中、有名店らしいのだが、海鮮丼の名物店で昼食。確かに想定外の海鮮丼が出てきた。見た目の量もすごいのだが、味も格別。東京に戻っても魚はしばらく食いたくない。<br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/dafce360a44c464a9fa0a41ad1b21713.jpg" /></div>
<p><br /><br /> そして午後からは調整本番。初めての会場で、初めてのスタッフとの仕事。映画館ではなく、クラシックのコンサートなどもやるホールなので、会場の作りが映画館とはまったく違う。壁の響きは映画向きではない。スクリーン後ろの空間の響きも気になる。とにかくセリフが壁に反響してストレートに聞こえてこない。などなど、いくつもの修正点が出てくる。それらをひとつひとつ潰していく。もちろん完全にそれが修正されるわけではない。もちろんだからダメということではなく、そこからはこの会場の持ち味、という風にしていけたら。そんな思いで、じわじわと時間をかけて調整した。思った以上に時間がかかった。いくつかは明日の本番前に再調整ということで持ち越しにした。『レ・ミゼラブル』は冒頭の船のシーンの迫力は多分これまでで一番だと思うが、その分、歌声が強すぎてセンタースピーカーの音量をだいぶ下げてもらった。ひとりの声ではなく多数の小さな声が肌に触れ、それらがまとまってひとつの声になるような感じ。『シング・ストリート』はその逆といったらいいか。ひとりの声が気がついたら世界に広がって多数の声になるように。いずれにしてもこの会場では良くも悪くも声が映画を支配した。<br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/060f3071a00b4d9b91d09ec07a20b80d.jpg" /></div>
<p><br /><br /> 夜は、ドロエビ、エテガレイなど、東京ではほぼお目にかかれない魚介類を。 <br /><br /><br /><strong>10月13日(土)</strong><br />爆音本番。朝、宍道湖周辺を散歩した。散歩ができる会場はいい。できることならずっと散歩をしていたい。空が広がる。<br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/5c8293798a164be49374f55fe466b2e9.jpg" /></div>
<p><br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/a025ff4ffdff48038a932c39cd68a500.jpg" /></div>
<p><br /><br /> 本番は、場内の音の反響が気になってハラハラしっぱなしだった。こういうことは一度気にし始めるときりがない。爆音の目的はこういうことを気にすることではないことは十分わかっていながら、プレゼンテーションする側としてはやはり気になってしまう。ただ、終了後の皆様は十分に映画に集中してくださっていたようで、本当に良かった。打ち上げではすでに来年どうするか、みたいな話も出た。 <br /><br /><br /><strong>10月14日(日)</strong><br />昨夜やってきた妻とともに島根観光。中海の端の方にある美保神社と宍道湖の端の方にある出雲大社の両方に行って、米子近くの海辺のホテルに泊まるという、相当無茶な移動をした。美保神社と出雲大社は両方セットで行ったほうがいいらしい。美保神社は楽曲の神様らしいので爆音の無事安全な広がりをお願いした。鳥居前あたりに謎の猫がいて、近づいても逃げず、撫でさせてもくれる。野良猫としてはあり得ない振る舞いなのだが、神様猫様なのだろうか。誰に対してもそうだった。今思い出しても不思議すぎる。 しめ縄がすごかった。<br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/aa2eafd92ef74ac7a2c2ff13eb33819b.jpg" /></div>
<p><br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/e62e067127d5486bb2298d71fd980d03.jpg" /></div>
<p><br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/e0c6621e2a0f4e95a3dce22d7eea2644.jpg" /></div>
<p><br /><br /> そして松江に戻り、電車にて出雲大社。以前の愛知・三好周辺と同様、読めない地名が続出していた。 <br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/b70e222bd62d49cb8d67419ec04444e8.jpg" /></div>
<p><br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/7756a7227b8a4ac587378c99c8d61910.jpg" /></div>
<p><br /><br /> 出雲大社はでかすぎてなんだかよくわからなかった。猫はいなかったが人はいっぱいいた。<br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/7f7d2b8a364a4c6d9f4e2c4ebdd0ed4b.jpg" /></div>
<p><br /><br /><br /><strong>10月15日(月)</strong><br />ホテルの脇の浜辺に出てみた。フラー一家と行ったのも似たような浜だったのだが、いったいあれはどこだったか? まだ陽射しは十分夏だった。 秋の朝の浜辺は何となく物悲しくもあり、自分が何をしているのかわからなくなった。<br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/17c4d29819924be9b03d0ecbce4df530.jpg" /></div>
<p><br /><br /> 地回り猫様にも挨拶もした。<br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/9130efab7f0443859c1976fb0aed607e.jpg" /></div>
<p><br /><br /> バスに乗って境港駅へ。水木しげるロードというのがあるのだが、着いた瞬間からすべてが水木しげるで驚いた。想像以上のものだった。つい最近リニューアルしたらしい。25周年なのだそうだ。笑っちゃうくらいいろんなものがあった。丸い街灯が全部目玉だった。世界中のレジデンツ・ファンは、日本に来たら、何はともあれ境港に、ということになるだろう。こういう場所でのグッズはめったに買わないわたしも、思わずあれこれ買ってしまった。「物体X」的な奴もいた。 <br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/b8fe4a24d21b4aebafffca5ca760657f.jpg" /></div>
<p><br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/7f1c54a324ad471c80a927a89bfa02aa.jpg" /></div>
<p><br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/4e14d58f65be42b18cc1660d66467eb6.jpg" /></div>
<p><br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/294e4feb6e4b45638cc9e8fd4c1470ff.jpg" /></div>
<p><br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/d69db831afb048c896dfa55d35dfe956.jpg" /></div>
<p><br /><br /> そして米子空港へ向かう列車は当然「目玉列車」だった。 <br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/533cd6d3269a441996564008d35c014b.jpg" /></div>
<p><br /><br /> 羽田付近、珍しく旅客機同士が接近した。肉眼で見るとすごく近く見えるのに、写真にはなかなか写らず。目いっぱいズームしたらようやく映ったので、改めて肉眼と機械的なレンズとの違いを認識した。無言日記を取りたくなる瞬間である。 <br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/7749138bcb2c402f8f6d5a89b50ffb70.jpg" /></div>
<p><br /><br /><br /><br /> <span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">樋口泰人(ひぐち・やすひと)<br />映画批評家、boid主宰。<a href="http://thething2018.jp/" target="_blank" rel="noopener nofollow">『遊星からの物体X』</a>全国ロードショー中。11/8(木)-11(日)<a href="http://www.unitedcinemas.jp/bakuon/" target="_blank" rel="noopener nofollow">「爆音映画祭 in ユナイテッド・シネマアクアシティお台場」</a>、11/14(水)-18(日)<a href="https://109cinemas.net/events/hiroshima-bakuon/" target="_blank" rel="noopener nofollow">「爆音映画祭 in 109シネマズ広島」</a>、11/22(木)-25(日)<a href="https://www.smt-cinema.com/campaign/bakuon_amagasaki_201811/" target="_blank" rel="noopener nofollow">「爆音映画祭 in MOVIXあまがさき」Vol.2</a>、12/7(木)-9(日)<a href="https://www.cinema-select.com/%E7%88%86%E9%9F%B3%E6%98%A0%E7%94%BB%E7%A5%AD-%E6%9D%BE%E6%9C%AC/" target="_blank" rel="noopener nofollow">「爆音映画祭2018 in 松本」</a>。</span></p>2018-11-05T09:19:23+00:00boidマガジン移転のお知らせ
2018-11-19T07:44:31+00:00boidhttp://boid-mag.publishers.fm/editor/356/http://boid-mag.publishers.fm/article/19189/<p>いつもご愛読いただきありがとうございます。<br />boidマガジンは7月にプレオープンした新サイトに2018年12月から本格的に移転させていただきます。<br /> <br />【新サイトURL】<br /> <a href="https://magazine.boid-s.com/" rel="nofollow">https://magazine.boid-s.com/</a><br /><br />つきましては本サイト(旧サイト <a href="https://boid-mag.publishers.fm/" rel="nofollow">https://boid-mag.publishers.fm/</a>)に読者登録している方にお送りしている<strong>発行・更新通知のメール配信は2018年11月末で終了</strong>させていただきます。<br /> <strong>12月以降に更新通知メールを受け取るには、新サイトでの会員登録(無料)が必要</strong>になります。受信をご希望の方でまだ新サイトの会員登録を行われていない場合は、お手数ですがご登録をお願いいたします。<br /><br />また、この<strong>旧サイトでの新規記事の公開は2018年12月末まで</strong>行います。2019年1月以降に掲載される記事に関しては、新サイトのみでの公開となりますのでご注意ください。<br />2018年までに公開された記事に関しては、2019年3月までは本サイトでもご覧いただけます。本サイトを閉鎖する日程が決まりましたら、改めて告知させていただきます。<br /> <br /><br /><br /><strong> ◎新サイトの会員登録について</strong><br /> <br />新サイトでは、掲載から3ヶ月が過ぎた<span style="text-decoration: underline;">過去記事を閲覧するためには簡単な会員登録が必要</span>になります。また、<span style="text-decoration: underline;">更新通知のメールを受け取るためにも登録が必要</span>です。 会員登録はメールアドレスを登録、パスワードを設定するだけの簡単なものですので、ぜひご利用ください。<br /> <span style="text-decoration: underline;">登録は新サイトの上部メニューバーの右上の「会員登録」ボタンから行ってください</span>。 会員登録後は、登録したメールアドレスと設定したパスワードを入力してログインすれば、全ての記事の閲覧が可能になります。<br /> <br /> ※新サイトは、旧サイトで利用していたプラットフォーム「Publishers」とは独立したサイトになりますので、「Publishers」のアカウントでログインすることはできません。お手数をおかけしますが、旧サイトで登録していただいた方も改めて新サイトでのご登録をお願いいたします。<br /> <br /> <br />ご不明な点がありましたら、以下のメールアドレスまでご連絡ください。<br /> <br />magazine(アットマーク)boid-s.com<br /> ※(アットマーク)の部分を「@」に変えて送信してください。<br /> <br />もろもろお手数おかけしますが、ご対応のほどよろしくお願いいたします。<br /> <br /><br /> boidマガジン編集部</p>2018-11-19T07:44:31+00:00映画は心意気だと思うんです。 第3回 (冨田翔子)
2018-10-30T01:39:09+00:00boidhttp://boid-mag.publishers.fm/editor/356/http://boid-mag.publishers.fm/article/19114/<p><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">ホラー映画をこよなく愛する冨田翔子さんが“わが心意気映画”を紹介してくれる連載。今回はジョン・カーペンター祭り第3弾ということで、現在デジタル・リマスター版が公開中の『遊星からの物体X』(1982)について取り上げます。人間の体内に侵略し擬態をする未知の生命体“物体X”と南極観測隊員たちとの戦いを描いたSFホラーの傑作ですが、初公開時の興行成績は決して芳しいものではなかったといいます。しかし、その後本作の影響を受けた映画が何本も生まれ、世代を超えた熱い支持を集めてきました。今回は冨田さんがそんな“物体Xの子供たち”を紹介してくれるとともに、本作が30年以上の時を経てもなお語り継がれる理由を考察してくれています。<br /> <br /></span></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/28f94631b2634b63862373cbcc413b51.jpg" /></div>
<p><br /> <br /> <br /> <span style="font-size: 13pt; font-weight: bold;">物体Xの子どもたちに会う</span><br /><span style="font-size: 11pt; font-weight: bold;">『遊星からの物体X』(1982年、ジョン・カーペンター監督)</span><br /> <br /> <br />文=冨田翔子<br /> <br /> <br />ジョン・カーペンターの『遊星からの物体X』は、1951年のハワード・ホークス監督による『遊星よりの物体X』のリメイク作品にあたる。少なくとも、当時のカーペンターはそれまでで一番の心意気を詰め込んだに違いない。幼少期、ホークス監督の『リオ・ブラボー』を観て映画に夢中になった少年が大人になり、敬愛する監督が手掛けた作品のリメイク版を作るのだ。しかも、初のメジャースタジオで。しかし当時の興行収入は、同作より2週間前に公開された『E.T.』フィーバーに押され、カーペンターが期待したものにはならなかった。だが、ゾクゾクするほど生々しいクリーチャーは熱狂的なファンを獲得し、それから30年以上にわたって語り継がれるSF映画の金字塔となった。 <br /> <br />物語の舞台は雪原広がる南極。氷の中から巨大UFOを掘り起こしたノルウェーの調査隊が、長い眠りから目覚めた未知の生命体に襲われ壊滅してしまう。有機体と同化し、そっくりな複製をつくる能力を持つ生命体は、ハスキー犬に乗り移ってアメリカの基地に侵入。隊員までもが複製され、人間ではない者が紛れ込むという事態に、隊員同士は疑心暗鬼に陥っていく。絶望の中、基地の外に生命体を出せば人類が危ないことを悟った隊員たちは、基地ごと爆発しようとする。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/4f2858d3f34743019d664d039a537406.jpg" /></div>
<p><br />私がこの映画を初めて観たのは、自宅の17インチのテレビだった。画面は小さい上に、DVDの画質も粗い。犬小屋のシーンはほぼ真っ暗で、何匹かのハスキー犬が寝転がっているなあというのが辛うじて判別できるといった具合だった。だが、そこに1匹の新入りハスキー犬が入ってきて、突然、その犬の頭がラフレシアの花のようにパカッ!と開いた瞬間に度肝を抜かれた。さらに、犬の体中からビュンビュンと触手が飛び出してのたうち回り、全身があっという間にドロドロの肉塊に変貌。塊の中で犬の目がまばたきし、別の箇所にはまたラフレシアのような花が出現。次々繰り出されるフリースタイルのクリーチャーは衝撃的だった。 <br /> <br />出会いから時を経たずして、ある日、私は映画館で『バイオハザードⅣ アフターライフ』を観ていた。すると、ゾンビ犬の頭が、あのラフレシア犬のように左右にパックリと割れるシーンに遭遇したのだ。わたしは思わず心の中で「あ、物体X!」と思った。それは、ちょっとオタクになれたような気のする嬉しい映画体験だった。ちなみに、ゾンビ犬は原作のゲーム版『バイオハザード』の5作目に初めて登場するらしい。<br /><br />こうしたカーペンター版『遊星からの物体X』に影響を受けている作品は少なくない。毎年ホラー映画を観ていると、何体かに遭遇する。 <br /> <br />『エイリアン2』のアンドロイド、ビショップ役のランス・ヘンリクセンが主演する2015年のアメリカ映画『X-コンタクト』は、まさに自分たちの『遊星からの物体X』を作ろうといった内容で、宇宙船が地球に向かって飛来するファーストシーンからオマージュが全開。舞台を漁船に移し、海中から引き上げたソ連の古い衛星の中に、氷漬けになった飛行士を発見すると、それが謎の生命体に侵されており、木の根っこみたいな触手をビュンビュン振り回すクリーチャーに襲われる。この漁船、カニ漁を行っており、生命体が腹を空かせていたのか2トンのカニに寄生。クリーチャーが触手のほかに巨大なカニの爪を持っているのがお茶目である。CGをほぼ使わず表現されたクリーチャーたちだが、青くLEDライトのように光る触手が今風だ。 <br /> <br />2014年にヨーロッパに現れた映画『パラサイト・クリーチャーズ』は、“物体X”のインスピレーションが感じられるオーストリア発のSFホラー・アクション。紅く染まった氷河から発見された微生物は、口から侵入し、寄生した生物のDNAを使って新たな生物の培養を行うというもの。つまり、胃の中のほかの生物のDNAなどを適当に配合して、新種の生物が誕生するという仕組みだ。私は当時、ユニークなクリーチャーが観られるのではないかとちょっと期待しつつ、友人を誘って劇場に足を運んだ。映画には、ダンゴムシとキツネの交配種や、昆虫と鳥の交配種、交配により進化した巨大な蜘蛛や人間と蚊のハイブリットなど、なかなか夢のあるクリーチャーが登場する。友人はホラー映画には全く興味がなかったが、無類のダンゴムシ好きだったこともあり、興味を持ってくれたようだった。 <br /> <br />帰り道、私が「面白かったけど、暗くてよく分からないクリーチャーもあったよね」なんて話していると、友人はこんなことを言い始めた。「でもさ、せっかく新種の生物が生まれても、交配種はそれ1匹だから子どもができないよね。だから、オリジナルが死んじゃったら終わりだね!」。それは目からウロコの感想で、私は打ちのめされてしまった。メルヘンなクリーチャーを前にのんきにはしゃいでいた自分に対し、海洋学を勉強した理系出身の友人は、もっとシリアスに生物の進化について考えていたのだった。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/7d010e1ae09341faa95fef69ce87ea70.jpg" /></div>
<p><br /> ほかにも、『遊星からの物体X』の子どもたちは世界各地で生まれている。オマージュ映画ではクリーチャーの造形に心血が注がれているが、本家の『遊星からの物体X』を何度か観ていると、クリーチャーばかりでなく、極寒の地の密室で繰り広げられる男たちの疑心暗鬼ドラマが気になってくる。未知の生命体は「複製」をつくる機能を持っているため、「こいつは本当に人間なのか」という緊張感が、観客にも重くのしかかってくる。そして隊員たちの、世界の果てで生命体ごと基地を爆発して流出を防ごうという男気も描かれる。思えば、ホームレスの男が世界の危機に立ち向かう『ゼイリブ』も、誰にも知られることなく戦い抜く物語だった。 <br /> <br />カーペンターは、『遊星からの物体X』でドラマチックな結末を描かなかった。燃え盛る南極基地で生き残った2人の男は、人間なのか、複製された“物体X”だったのか。映画はそれを示さずに幕を閉じる。カーペンターは当時の試写会で、10代の少女から「わたしそういうの嫌い」とバッサリ言われてしまったそうだ。しかし、後に彼が「この終わり方がベストだ」と語るように、そこにカーペンターの心意気が詰まっていると思う。あくまで映画を最後まで見守った鑑賞者に問いかける何かを残す。『ゼイリブ』曰く、消費されるだけではない、多くの人には刺さらずとも、誰かの心に大きな爪痕を残す映画。それゆえ、何十年にわたり、『遊星からの物体X』や『ゼイリブ』は議論され続けるのだと思う。</p>
<p> </p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/a9e3552d7d3f4227a7c29be32ae2cd69.jpg" /></div>
<p><span style="font-size: 8pt;"><span style="font-weight: bold;">遊星からの物体X 〈デジタル・リマスター版〉 The Thing</span><br />1982年 / アメリカ / 109分 / 監督:ジョン・カーペンター / 脚本:ビル・ランカスター / 原作:ジョン・W・キャンベルJr. / 出演:カート・ラッセル、ウィルフォード・ブリムリー、デヴィッド・クレノン、キース・デヴィッド、リチャード・メイサー、ドナルド・モファットほか<br /><span style="font-weight: bold;">10月19日(金)より丸の内ピカデリーほか全国公開中<br /><a href="http://thething2018.jp/" rel="nofollow">公式サイト</a></span> <br /> <br /><br /><br /> <br /> <span style="font-weight: bold;">冨田翔子(とみだ・しょうこ)<br /> エンタメWebサイト編集部勤め。好きなジャンルはホラー映画。心意気のある映画を愛する。</span></span></p>2018-10-30T01:39:09+00:00映画川『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』(相澤虎之助)
2018-10-28T08:03:33+00:00boidhttp://boid-mag.publishers.fm/editor/356/http://boid-mag.publishers.fm/article/19149/<p><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">空族の相澤虎之助さんによる、現在公開中の『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』(フレデリック・ワイズマン監督)の映画評をお届けします。本作はワイズマン監督にとって1967年のデビュー作『チチカット・フォーリーズ』から数えて40作目となるドキュメンタリー映画(2015年作品)。その舞台となるのはアメリカはニューヨーク市クイーンズ区にある、167もの言語が話されているという移民の町(neighborhood)ジャクソンハイツです。ワイズマンが見つめたジャクソンハイツは、自作において日本の甲府やタイ、ラオス、ベトナムの町に辿り着いた移民・棄民たちを描いてきた相澤さんの眼にどのように映ったのでしょうか?<br /> <br /></span></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/eced4a031bcf4e0e8a3cfedba1ae1801.jpg" /></div>
<p><br /> <br /> <br /><span style="font-size: 13pt; font-weight: bold;">BADLANDの果てにある町</span><br /> <br /> <br /> 文=相澤虎之助<br /> <br /> <br />私たち空族の作品『サウダーヂ』のプロデューサーの一人である笹本貴之氏は異色の経歴の持ち主で、生まれ故郷の山梨から東京の大学に進んで“民主主義”とはいったい何なのかを学びゆく過程において、その総本山とも言えるアメリカに実際に行かねばその実態が掴めないと、20代で単身その首都ワシントンDCに飛んだ。渡米当初は、自分にとっては物珍しいアメリカの中流家庭や大学のホームパーティー等に駆り出されトキメイたりもしたそうだがある時点でひとつのことに気がついたという。「そういえば俺は民主主義を学ぼうとアメリカに来て随分たっているし、いろんな所に呼ばれて行ったけどストリートを歩いているような黒人やヒスパニックの人たちに全然会ってないし、喋ってもいないじゃないか」<br />愕然とした笹本氏は、何かがあると直感してこれまた単身ボルティモアの貧困黒人居住区であるサンドタウンに飛び込んで自立支援や都市開発のボランティアスタッフとして働いたのである。そこにはこれまで自分が見ることができなかった、会うことができなかったアメリカの姿があった。笹本氏は帰国後その体験を<a href="https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3-%E2%80%95%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E3%81%AE%E8%87%AA%E7%AB%8B%E2%80%95-%E7%AC%B9%E6%9C%AC-%E8%B2%B4%E4%B9%8B/dp/4905075009" rel="nofollow">『サンドタウン』という一冊の本</a>にまとめ出版し現在は山梨に戻り地元の町(ネイバーフッド)に根を張って活動している。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/7ffc7797017a4672af7d4e9e4c90912d.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<p><br />フレデリック・ワイズマンの映画を観て思うことのひとつに、私たち日本人が戦後から現在に至るまでいわゆる“西洋”そして“アメリカ”というものに対していかにある特定のイメージばかりを享受し、また自らが再生産してきたということがある。先日なんの巡り会わせか電車の中吊り広告のキャッチコピーによくあるような“洗練の高台に上質にそびえる”高級分譲マンションの撮影を手伝うことになって行ってみると、2LDKの真っ白なモデルルームのオシャレなリビングに設置してある本、カタログの全てがなぜか洋書だった。私が住んでいる町、上野のTSUTAYAのブックカフェの図書館風の内装に陳列している本も全部洋書。ここに来る人はみんなそんなに洋書を読めるんだ? オレは全く読めん、シェイクスピアって書いてあるのと動物大辞典ってのはタイトルだけなんとか読めた、などと思いながら外に出てみると通りは隣のすしざんまいに並んでいるアジアからの観光客で溢れていた。そしてワイズマンが撮るのはいつだってそんな通りに並んでいる人々であって、そこで毒づいて電柱の全面喫煙禁止の張り紙の前でタバコに火をつける私自身の姿なのだろう。ゆえにワイズマンの撮るアメリカは、私たちにとって遠い海の向こうのアメリカではなく私たちが立っているこの町と地続きのアメリカなのであった。</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/987ecb8e3bad4ee1bdd2a092b6f3fab8.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<p>『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』において映しだされる多くの人々の顔、街角は色に溢れている。頻繁に挿入される花や、果実や動物の姿も色に溢れている。その色は当然カメラで撮られたものであるから、映像として固定されている。固定された色が躍動するためには音楽の伴奏が不可欠で、それもひとつやふたつの音色では不十分なのだ。音楽が、街のノイズが、そして人々の祈りと怒りと溜め息と笑いがその色を文字通り色めかせ、私たちの生きている色そのものに溶け込んで一体化してゆく。それは虹色の町。それに比べて劇中頻繁に登場する姿も形も見えないBID(経済発展特区)という言葉は無味無臭の記号のように無色である。町が本当に愛しているのは無色より無職であることはこの映画を観ればはっきりとわかるはずである。<br />メキシコから国境を越えようとして砂漠に放り出された移民たちが食べるものも飲むものも無い荒野の果てにかすかな灯りを見い出し歩いていく。何も持たない若者が極東アジアからたったひとりで黒人ゲットーへと飛び込んでゆく。荒れ野で叫ぶ者の声がするからだ。かつて棄民たちが海を越え先住民たちを殺して辿り着いたBADLAND(荒野)の果てにある町、そして今なお世界中の移民たちが集いゆく町とは果たして何色になるのだろうか? たった5歳でアメリカに辿り着いた時からフレデリック・ワイズマンはカメラを廻し続けている。<br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/86f26f251108429f92339d3b2ef674d5.jpg" /></div>
<p><span style="font-size: 8pt;"><span style="font-weight: bold;">ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ In Jackson Heights</span><br />2015年 / アメリカ、フランス / 189分 / 配給:チャイルド・フィルム、ムヴィオラ / 監督・録音・編集・製作:フレデリック・ワイズマン <br />(C) 2015 Moulins Films LLC All Rights Reserved <br /><span style="font-weight: bold;">シアター・イメージフォーラム公開中ほか全国順次ロードショー<br /></span><strong><a href="http://child-film.com/jackson/" rel="nofollow">公式サイト</a></strong></span><br /><br /><span style="font-size: 9pt;"><span style="font-weight: bold;">【公開記念トークイベント開催】</span><br />ワイズマンの編集室で3日間にわたりインタヴューを敢行した映画監督・舩橋淳さんと、記念碑的ワイズマン本『全貌フレデリック・ワイズマン』(岩波書店)共編著者のグラフィック・デザイナー鈴木一誌さんが語り尽くす必聴のトークイベント。<br /><span style="font-weight: bold;">日時:2018年11月4日(日) 17:00〜19:00</span>(受付開始16:15)<br />料金:1,500円(1ドリンク込み)※『全貌フレデリック・ワイズマン』ご購入の方はドリンク代500円のみ<br /><span style="font-weight: bold;">会場:<a href="https://www.jimbocho-book.jp/access/" rel="nofollow">神保町ブックセンター</a></span>(電話03-6268-9064)<br />ご予約→ <a href="https://jacksonheights.peatix.com/" rel="nofollow">https://jacksonheights.peatix.com/</a></span><br /> <br /><br /> <br /> <br /><span style="font-size: 8pt;"><span style="font-weight: bold;">相澤虎之助(あいざわ・とらのすけ)<br /> 映画監督、脚本家。映像制作集団「空族」の一員。主な監督作に『花物語バビロン』(97)、『かたびら街』(03)、『バビロン2 - THE OZAWA -』(12)、共同脚本作に『国道20号線』(07)、『サウダーヂ』(11)、『バンコクナイツ』(16、以上富田克也監督)、『菊とギロチン』(18、瀬々敬久監督)など。11月13日(火)に池袋シネマ・ロサで上映&開催される<a href="https://nowhere2018.themedia.jp/" rel="nofollow">『どこでもない、ここしかない』</a>のリム・カーワイ監督とのトークイベント、17日(土)に金沢市・<a href="https://www.ishipub.com/" rel="nofollow">石引パブリック</a>で開催される空族の上映・トークイベントに出演。</span></span></p>2018-10-28T08:03:33+00:00宝ヶ池の沈まぬ亀 第28回 (青山真治)
2018-10-26T02:42:39+00:00boidhttp://boid-mag.publishers.fm/editor/356/http://boid-mag.publishers.fm/article/19127/<p><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">10月27日(土)より<a href="http://www.eurospace.co.jp/works/detail.php?w_id=000299" rel="nofollow">渋谷ユーロスペースで特集上映</a>が開催される、青山真治監督の連載「宝ヶ池の沈まぬ亀」第28回です。<a href="https://boid-mag.publishers.fm/article/18967/" rel="nofollow">前回の日記</a>で記された高知・四万十町と伊豆高原での長期滞在を終え、東京に戻ったのが9月下旬。それから約一か月のことが記録された日記を今回掲載する予定でしたが、そのファイルを含む青山さんのパソコンに入っていた半年分のデータが消失する惨事が起こってしまい……<br /><br /></span></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/f235f4e9544e41ffa6888cd4ffa5e32f.jpg" alt="" /></div>
<p><br /> <br /> <br /> 文・写真=青山真治<br /> <br /> <br /> <br /> <span style="font-size: 11pt; font-weight: bold;">28、放蕩親爺の帰還に仔犬のワルツを(改</span><br /> <br />某日、……とこう、シネマヴェーラ堀禎一監督特集での川瀬陽太氏とのトークのために帰京して以来ほぼ一か月日々書き起こしてきた。途中何度も推敲したが、いつのまにか9ページ(40×40)に達してしまった。そのほとんどがぱるるとの散歩と食事の献立、もちろん見た映画(テレビとDVDのみだが)についてもかなり綿密に重要性の高い内容を書いたし、何しろ甲府・桜座での甫木元空バンドのライヴがあったからそのレポートなども記した。だが一昨日、それらすべて、一晩にして電脳の海の藻屑と化してしまった。書き始めた新作の小説も昔書いた小説のいくつかも、翻訳していた戯曲も、プライベートの写真も、パソコンに入っていた約半分のデータが消滅した、もしくは壊れて開かなくなった。絶望的な事態である。これがまさに一か月前のことであったら本気で絶望していただろう。だがそうはならなかった。長年かけて書いた小説や次回作に用意していた映画の脚本、依頼されていた映画評などはみなそれぞれの編集担当者やプロデューサーに送付した後だった。それゆえの気の緩みもあったかもしれない。たぶんそうなのだ。これまでどんなに脅されても頑なにウイルス除去の勧めなど信じてこなかったのがなぜか、一度やっておくかと、これは魔が差したとしか言いようがない。<br /> <br />ところが、実のところ私はあまり悔やんではいないし、落ち込んでもいない。もちろんいますぐ一からやり直そうと奮起できない程度に心は折れているが、たとえばそのソフトを売りつけた会社(一応復元に二日がかりで尽力してはくれた)に電話したときも、これまでなら長々と怒鳴り散らし、いますぐ責任者をここに来させろ、程度には捩じ込んでいたはずが、極めて冷静に、声を荒げることなくできることをするだけの電話対応に終始したのが我ながら信じ難い。が、実際そうだったのだ。なおかつ、これもあり得ない気がするが、いまやもうこの件を忘れようとしている。どうでもいいや、というより、先に進む意志が勝っているのである。ここで拘泥するより次にすべきことを考えていたいのだ。書きかけの小説はなくなる運命だったのだし、翻訳中の戯曲はまた一からやり直せばいい。一昨年のスケジュール表も見事に消えてなくなり、まるでないことになったように感じられるが、常に今日より先を生きる私に果たしてそれが必要だとも思えない。<br /> <br />それより誰かと堀君の話をしていたいし、ジェームズ・グレイ『ロスト・シティZ』の話をした方がずっと愉しかろう。それに触発されて見直したホークス『果てしなき蒼空』によって映画における知性とは美しい姿勢のことだと気づかされつつ『スター・ウォーズ』との因果関係に思い至り、葛生賢が送ってくれた海賊版・蓮實先生のアルドリッチ講演にこれまた触発されて見直して改めて驚愕した『甘い抱擁』の、コラル・ブラウンのクローズアップから考える現代映画の諸問題、あるいは『女の香り』が喚起するアルドリッチからヴェンダースへの気づかなかった数々の影響、ベッケルとポロンスキーの交差点に位置しかけながら痛ましい結果に終わった『ガーメント・ジャングル』におけるハリー・コーンの犯罪性、さらには『キッスで殺せ』と偶然連続して見た『アメリカの友人』との「稚気」というフィルム・ノワールとしての共通性、などなど自宅でのアルドリッチ三昧があって、再び見てやはり深く感銘を受けたデヴィッド・O・ラッセル『ジョイ』が示唆する家族映画の可能性、逆に人種問題ではフラーの諸作に遠く及ばない『ゲット・アウト』の限界、と最近作へと往還しもした。<br /> <br />その一方で「普通の暮らし」ということを見つめ直したのもこの時期だった。四万十町で学んだ、その日と翌朝のために日々食材を贖うという繰り返しを生きることの、かけがえのない日常の重要性。実際毎日スーパーに出かけ、秋刀魚や鯵や鮭を吟味して、野菜を吟味して、そのうち良い食材は何時ごろ行けば手に入るかとか、レジが空いているのは何時ごろとか、細かな、しかしなにものにも勝る知恵を目下身に着けているところだ。<br /> <br />久しぶりに仕事もした。この日記がboidマガジンにリリースされた直後あたりに公開されるであろう、がゆえにまだその名を明かすことのできない某バンドのMVである。これは厳密に甫木元と編集・田巻源太と私の三人で製作した。助監督のころから使ってみたかった城南島でようやくロケすることができた。バッティングセンターは『チンピラ』で控室がわりに厄介になって以来。編集は昨年「アヴェ・マリア」のときに田巻とともに会得したアクション中のカットを再度試すことができた。<br /> <br />ぱるるは成長した。毎朝五時五十五分に私を起こしに来る。ぱるると猫たちに朝餉を出してトイレを掃除、米を炊くところから一日が始まる。やがて女優が起きて三者で散歩へ。魚を焼き、卵を焼き、食卓を整えて朝餉をいただく。その間になんかくれと吠える仔犬をたしなめつつ。ぱるるは、いまだに私にはリードをつけさせない。なぜだろう。とにかく我々は半径五百メートルほどの町内を40分から60分ほどの時間、ぐるぐると歩き回る。口寂しくなると、または疲れてか、路上に座りこんでおやつを要求する。私も女優もショルダーバッグにおやつの袋を忍ばせ、必要に応じて取り出し足元に呼んで与える。<br /> <br />いいことばかりでもない。このパソコンショック並みにひどいことが実は仕事上でも起きてもいる。まるで常識が崩壊したようにさえ思われる。たぶん本当にそうなのだろう。だが、それをフォローして余りある援助の手を差し伸べてくれる仲間たちが続々と現れてくれた。そこから最初に実現したのがくだんのMV製作であり、そして十月末からユーロスペースで開催される予定の拙作の特集上映である。この特集のために作られたフライヤーにあしらわれた写真は私にとって非常に思い出深いものだ。片手にミネラルウォーターのボトルを、もう一方に小道具の杖をついたスキンヘッドの私。あの杖は決して相米さんの模倣ではない。今年の猛暑はこの写真の年、2013年の夏以来であり、杖をついた禿頭の男は、もう自分は映画を撮ることはないのではないか、と万策尽きて途方に暮れ、暑さに疲弊しきっているのだが、それを若者たちが救ってくれた。この年のみならず翌年も、またその翌年も。当時の成果が『FUGAKU三部作』という形でこの特集でも上映される。実はこの三部作、未完成というべきものかもしれない。だがそれはむしろ、完成と未完成のあわいで戯れているようなものであり、完成ということの退屈さを軽蔑、というか気の毒がっているような節があるはずだ。ウイルス除去ソフトを売っている会社に罵詈雑言吐かなかったのも、このころの経験がいまだにそうさせてくれているという気がする。<br />特集上映のプランナーであり実行者である大橋咲歩の尽力で、先生・師匠・友人たちがトークに駆けつけてくれることになり、いまから緊張を強いられている。だがこれは次回作のための景気づけという性格のものではない。むしろ「普通の暮らし」の実践同様、特別なことではない、日常的にされねばならない会話の延長線上に過ぎないものになるだろうし、それこそがいまの私にとってなによりも重要だと感じる。<br /> <br />まるでこのような私の窮状を察知してくれたかのように、いくつかの出版社がすぐれた書物をご恵投くださった。文遊社様よりジム・トンプソン『綿畑の小屋』という、開いた瞬間からホワイトトラッシュの体臭が立ち昇ってきそうな小説、文藝春秋様より平野啓一郎の話題作『ある男』、読書人様より『ディアローグ デュラス/ゴダール全対話』、など。ただし、この間に修行僧が聖典を小脇に抱えて歩くようにしつつ読んでいた書物は、通読二度目となる『ロバート・アルドリッチ大全』であり、今回気づいたのはこの著者たちが欧米人としては珍しいことに一部の日本人並みにアルドリッチをよく見ているということだった。その意味ではかれらは孤独に違いないが、海のこちら側からかれらに微笑みかけている同志が何人もいることを知らせてやりたい。かてて加えて『ロビー・ロバートソン自伝』。これはアマゾンで贖ったものだが、表紙を見るにつけ遣る瀬無さが押し寄せる。<br /> <br />あとはそう、この間に最終回を迎えた朝ドラ『半分、青い。』のこと。このドラマに相応しくその最終回はすがすがしいほどまったくの無内容だったが、1クールかけて四十年を醸成した上で震災によってすべてが灰燼に帰したアクチュアルな悲劇を、たった一人の死のみをもって描いてみせたその慧眼は諸手を挙げて讃嘆するに価した。これはこの枠でなければ無理な試みだろう。私はこの七年、震災を自作に取り入れようとしたことはないし、それを試みる他人の映画に興味を持ったこともなかった。映画は遅れてくる、とそればかり呟いてきた。もちろんこれは映画ではない。だが一本の映画でこれほど丁寧にやれるかどうか。少なくとも何か方法はないかと考えさせてくれた。それにもまだまだ長い時間がかかるだろうが、それをやるのが現代映画の課題であることに疑いはない。<br /> <br />と、ここへ来てジュリー問題というのが話題になっている。多くを語る気はさらさらないがまったくどうかしている。このふざけた国の誰が、あのジュリーを、ジュリーの行動を批判する資格を有しているというのだろうか。呆れるばかりだ。<br /> <br />……とまあこうした言い訳をしたためた某昼は、女優に頭を剃ってもらった後に特集上映館ユーロスペースへ『赤ずきん』のプリントを搬入し、大橋に引き継いだ。その後、中原と合流しヴェトナム料理屋でランチ。二人ともまずまず元気で安心。二人と別れてHMVで中古アナログ盤を物色。いやはや棚に並んだレコードを次々めくるなんて何年ぶりのことか。ディランのシングルなんて普通にある。The Whoの、あれがデビューシングルだったか、「アウト・イン・ザ・ストリート」に途方もない値段がついていた。夕刻、バスで帰宅し『西郷どん』を。先週の回について、戦死とはつねに犬死にである、という趣旨の批判を書いたが、これも消えた。従軍を希望する弟を受け容れるのではなく、嫌がる弟をあえて立場上戦場へ駆り出し、結局死なせることで西郷は己の罪の重さに気づく、というのがドラマとしてあるべき流れではなかったか。それによって西郷の隠遁が多くの死者ではなくたった一人の肉親の死に因することが認識され、結果として見る者に『半分、青い。』同様の実感を与ええたはずだ。背中に大きなものをしょっている、と言ったってそこに何も見えやしないのだから、せめて大日本帝国の原罪をそうした形で描写すべきだっただろう。持たぬ者にとって幕府も新政府も大差なかった。よって先週と今週にチグハグさは否めないし、そもそもその前の回での泣きの芝居など必要なく、むしろ将軍慶喜と町人に化けた慶喜に何の違いもなかったと認め、永遠の決裂を暗示すべきだった。<br /> <br />某日、とここからは通常営業に戻る。これは消えてしまった日々の常套句だったのだが、朝の支度(皆さんの食事、トイレ掃除、ゴミまとめ、飯炊き)を済ませて一時間の散歩後に朝餉。本日は秋刀魚とサラダ。11時ごろ睡魔に襲われ、復活して13時に編集室へ。某MVはクライアントからの求めに応じて再編集の嵐。毎度ながら怪我の功名のごとき新規のアイデアを得る。時間も金も余裕など皆無だが、とにかく撮影同様編集も楽しい。17時に一旦帰宅し、再び外出。神山町の書店での黒沢・篠崎・樋口の各氏によるカーペンタートークへ。お三方ならではの歓談。月末からのユーロスペースでの拙作特集上映の宣伝もしてもらう。帰りに総出で「へぎそば匠」。<br /> <br />某日、朝の支度、散歩、朝餉。ほっけとリュウキュウ。半分寝かかりながら次の録音日程でぐずぐずする午前を経ての午後、某MVはさらなるクライアントの要望を待ってましたとばかりに実現、さらにカラコレ・エフェクトを経てとりあえずオールラッシュ。終了後新宿へ。DUGで読書しつつ時間を潰し、濱口竜介『寝ても覚めても』を、ヘタすると新作を劇場で見るのは今年初めてではないか、という疑心暗鬼とともに。それにしてはどこか大画面で見る歓びを享受できないのは何も作品のせいではあるまいが、どこがどうというわけではなく、乗り切れない。良くも悪くもそつがないというのはあまり褒め言葉に当たらないだろう。日本映画の予算で命は賭けられないのはわかるけれど、バイク事故が『ポーラX』とは似ても似つかないことは残念ではある。ヒロインの狂気に増村的なものを見つけようとすると肩透かしを食らう。それとは違うアプローチ、たとえば吉田喜重的なアプローチによる女性の狂奔とでも言ったらいいか。あるいはドワイヨン的な手ぶらの放浪女子かもしれない。しかしこれ、実は女性主体に見えてやはりガールハントの物語と考えてしかるべきという気がする。つまり二人に分裂した一人の男による誑かしであり、それを女性の側から想定すればこのように語りえる、と。その意味で現実的にはホモソーシャル的視界であるにもかかわらず、かなり社会実験的構造とはいえるだろう。一方ここで朝ドラにおいて拘泥した問題を考えると、やはり3.11を虚構として導入することには大いに困難が伴う。いかにも付け足しにしか見えず、後半の移動を導入する契機にしてはあまりに冗長。それに、以前/以後が変わらない、というわけにはやはりいかないのではないか。作者がその点を深く試行錯誤したことには見当がついたが、これで済むかどうかは結論できかねた。しかしいずれにせよ近年の若手の作品としては問題作であり、これによって自分の撮ることになっている企画がひとつ意味を失ったかな、という気がした・・・いや、べつに撮ることになったら堂々と撮りますけど。<br /> <br />そんなわけで今回は最後に、送信する前でどうにか生き残った写真を。<br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/d722b103abac4edbbea9e9c0503a9850.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/43448574bb8f4fe294569be38d6e5bf2.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/173c39f5e7174a8eb93578e5ba3b2b35.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/cc0969fb0e034ff69b3fa3493001e576.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/350d88a574ab468586f3ad53673cbe63.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/310a893094cb48198c08fcf2a14b4cb3.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/82087c8d50bc4635a65656486dab4ab8.jpg" /></div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: right;">(つづく)</div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<div style="text-align: center;"> </div>
<p><strong>【特集/青山真治】</strong><br /><strong>10月27日(土)~11月4日(日)、渋谷・ユーロスペースにて</strong><br /><br />10月27日(土)18:30『シェイディー・グローヴ』/21:00『冷たい血』<br /> 28日(日)18:30『EM エンバーミング』【上映後、樋口泰人とのトーク】/21:00『FUGAKU 3部作』<br /> 29日(月)18:30『路地へ』+『赤ずきん』/21:00『月の砂漠』<br /> 30日(火)18:30『冷たい血』【上映後、廣瀬純さんとのトーク】/21:00『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』<br /> 31日(水)18:30『FUGAKU 3部作』/21:00『シェイディー・グローヴ』<br /> 11月1日(木)18:20『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』【上映後、蓮實重彦さんとのトーク】/21:10『EM エンバーミング』<br /> 2日(金)18:30『月の砂漠』/21:00『路地へ』+『赤ずきん』<br /> 3日(土)14:00『冷たい血』【上映後、黒沢清さんとのトーク】/17:00『路地へ』+『赤ずきん』/19:00『EM エンバーミング』<br /> 4日(日)14:00『月の砂漠』/16:20『シェイディー・グローヴ』【以上2作の上映中に中原昌也さんとのトーク】/18:15『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』<br /><br />※トークショーは全回、青山監督とゲストの対談<br />※鑑賞日の3日前から<a href="http://www.eurospace.co.jp/schedule/" rel="nofollow">ユーロスペースのオンラインシステム</a>で座席指定チケットが購入できます</p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/5e1c4122cd85470f83a63e10c581bc49.jpg" /></div>
<p><br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">青山真治(あおやま・しんじ)<br /> 映画監督、舞台演出。1996年に『Helpless』で長編デビュー。2000年、『EUREKA』がカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞&エキュメニック賞をW受賞。また、同作品の小説版で三島由紀夫賞を受賞。主な監督作品に『月の砂漠』(01)『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(05)『サッド ヴァケイション』(07)『東京公園』(11)『共喰い』(13)、舞台演出作に『ワーニャおじさん』(チェーホフ)『フェードル』(ラシーヌ)など。<br />近況:10月27日より渋谷ユーロスペースにて、国内では最初の特集上映が行われます。あまり上映されることのない作品ばかりですので、この機会に是非どうぞ。ド緊張のトークショーも連日予定しております。</span></p>2018-10-26T02:42:39+00:00無言日記 第36回 (三宅唱)
2018-10-25T04:52:07+00:00boidhttp://boid-mag.publishers.fm/editor/356/http://boid-mag.publishers.fm/article/19123/<p><span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">お待たせしました! 映画監督の三宅唱さんがiPhoneを使って日々撮り続けている映像日記「無言日記」が約1年ぶりに登場です。今回公開するのは今年5月に撮影された無言日記。インスタレーション展「ワールドツアー」と映画『ワイルドツアー』を製作したYCAM(山口情報芸術センター)での約8か月にわたる長期滞在を終え、東京に戻ってくるところから始まります。同じ時期に撮影されたというサニーデイ・サービス「Tokyo Sick feat. MARIA (VaVa Remix)」のPVも併せてご覧いただくとより楽しめると思います。 <br /> <br /></span></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/a35918efcc5f4e6684c9c64e36c91bfa.jpg" /></div>
<p><br /> <br /> <br /> 映像・文=三宅唱</p>
<p> </p>
<div style="text-align: center;"><iframe src="https://www.youtube.com/embed/1cHWgL2YdQw" width="640" height="360" frameborder="0" allowfullscreen="allowfullscreen"></iframe></div>
<p> </p>
<p><br /> <br />ひさしぶりの無言日記。2017年8月末から2018年4月末までYCAMで滞在制作をしていた。その期間に『きみの鳥はうたえる』の編集や初号があり、ビデオインスタレーション「ワールドツアー」を発表し、映画『ワイルドツアー』を撮り終えた。<br />「ワールドツアー」は無言日記のゴージャス版(複数人の無言日記をマルチスクリーンに展開するもの)なので、もう延々と無言日記を作っていたようなものだった。4月末に東京での生活を再開してからも撮影は続けていたが、「ワールドツアー」の編集で疲れきっていたのもあり、10月になってようやく編集した次第。<br /> <br />5月はサニーデイ・サービスのミュージックビデオを作っていた。「無言日記」で捉えているような出来事を、ちゃんと三脚を立ててきっちりフレームを決めてiPhoneではないカメラで撮影してみる、というプラン。7Dで50mmレンズ1本。</p>
<div style="text-align: center;"><iframe src="https://www.youtube.com/embed/-JxPQJe9buc" width="640" height="360" frameborder="0" allowfullscreen="allowfullscreen"></iframe></div>
<p><br /> <br />東京は緑が多い。意外に思われるかもしれないが印象としては札幌市街地よりも多いと思う。雪が降るからだろうか。滞在していたYCAM周辺は自然が多く、目のフォーカスが木々にあうようになっていたのか、東京の緑がよりくっきり見えた。新緑をいい光で撮るために、あまり予定を入れずになるべくいつでも動けるようにして、快晴の日を狙って撮った。当たり前だがiPhoneのような素早さはなく、結局3日撮影した。基本的にはハッピーなビデオになったと思うのだが、宮下公園の破壊という東京の病気みたいな現状を撮ろうとも考えていた。公園そのものの歴史をちょっと調べたら面白かった。<br />今回の無言日記は、このミュージックビデオのロケハン時にテストで撮ったようなカットが多いかもしれない。<br /> <br />『THE COCKPIT』でシネマ・ドゥ・リールに行った際、併映で1本短編があった。たしか文化人類学を学んでいるという同い年くらいの方が監督で、ジブラルタルのどこかが舞台の映画。そこは人よりも猿の方が多い。要するに植民地問題が先住の猿と人間の関係にスライドしている。そんな説明がされるわけではたしかなくて、最初から最後までただただ猿がフレームの中心に映っているような映画だった印象がある。画面の隅っこに地元の人や観光客が映っていた。猿の肩ナメに人が見下ろすように映る、みたいなカットもあった気がする。いわばドキュメンタリー版『猿の惑星』みたいな映画。<br />調べたら監督のサイトがあって、映画も全編公開されていた。『Territory』という17分の短編。<br /><a href="https://www.eleanorfilms.com" rel="nofollow">https://www.eleanorfilms.com</a><br /><br />監督のEleanor Mortimerやそのチームは(女性ばかりだった)、『THE COCKPIT』が大好きだったみたいで、映画祭のクロージングパーティーで彼女らがDJブースに向かい、何をしているのかと思ったらOMSBとビヨンセをかけてくれたりした。っていうような日記、前に書いたっけ??<br />と思ったら書いてなかった。その時の無言日記の記事はこちら↓<br /><br />「無言日記」第13回 <a href="https://magazine.boid-s.com/archive/article/--id/7886" rel="nofollow">【新サイト】</a>/<a href="https://boid-mag.publishers.fm/article/7886/" rel="nofollow">【旧サイト】</a><br /><br />7分ぐらいのところで、ビヨンセ”ALL THE SINGLE LADYS”でめっちゃ踊ってるシルエットの人たちが、彼女ら。</p>
<p><br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">三宅唱(みやけ・しょう)<br /> 映画監督。2010年に初長編映画『やくたたず』を監督。長編第2作<a href="http://www.playback-movie.com/" target="_blank" rel="nofollow noopener">『Playback』</a>は2012年のロカルノ国際映画祭に正式出品された。2015年にはドキュメンタリー映画<a href="http://cockpit-movie.com/" target="_blank" rel="nofollow noopener">『THE COCKPIT』</a>、2017年には時代劇<a href="https://www.nihon-eiga.com/missitburnin/" rel="nofollow">『密使と番人』</a>が公開。雑誌『POPEYE』にて映画評「IN THE PLACE TO C」を連載。現在、監督最新作『きみの鳥はうたえる』が公開中(三宅監督が登壇するイベントも多数。詳細は<a href="http://kiminotori.com/" rel="nofollow">映画公式サイト</a>で)。また、YCAM製作の映画『ワイルドツアー』の公開も控えている。</span></p>2018-10-25T04:52:07+00:00樋口泰人の妄想映画日記 その81
2018-10-20T14:00:13+00:00boidhttp://boid-mag.publishers.fm/editor/356/http://boid-mag.publishers.fm/article/19097/<p><span style="font-size: 11px;"><strong>boid社長・樋口泰人による9月後半の妄想映画日記です。夏が終わり、お台場、MOVIX利府での爆音映画祭へ。利府では新たな音響チームとの音作り、『グレイテスト・ショーマン』爆音パーティ上映では膨大な紙吹雪が。合間にピーター・ゴードンのレコードを。</strong></span></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/ae865a02bc4e4332aebd59130df080a8.jpg" /></div>
<p><br /><br />文・写真=樋口泰人<br /><br /><br />年末まで続く爆音ツアーが始まった9月。夏休み気分が次第に抜けていく。寂しい。この気分を抱えたまま1年を過ごすことはできないのか。そのためには自分は少しまじめすぎる。最近そのことがじわじわとわかってきた。今更な話でもあり残念な話でもあるのだが、まあそんなものだ。そううまくはいかない。ゆっくりと身体を慣らしていくだけだ。<br /><br /><br /><strong> 9月18日(火)~19日(水)</strong><br /> ひたすら事務仕事。毎週の爆音が始まるととにかく事務所での作業ができるのが週に2日くらいしかない。その間溜まったものを整理しているだけで丸2日かかってしまう。試写の予定を立ててもまったく行けず。いろんなお知らせがやってきても、もどかしく身もだえするばかりである。<br /><br /></p>
<p><br /> <strong> 9月20日(木)~23日(日)</strong><br /> お台場の爆音が始まる。今回はLRのスピーカーの向きを少し広げてみたとの報告あり。前回とどちらがいいか試して、ダメだったら元に戻すと言われたが、いいとか悪いとかの問題ではなく、これはこれで面白いので基本的にこのセッティングを活かすことですべてを進める。正解はない。左右の音が広がったおかげでコーラスが会場全体を包み込むように感じられる。もちろんそれは気のせいでもあるのだが、中心にある主人公の声や歌だけではなく、周囲の人々名もなき人々の声や歌が優しく体を包み込む。<br /> そして今回初上映の『ブリグズビー・ベア』の音使いに驚く。敢えてカセットテープ録音みたいな音にしたり、ノイズを加えたりして手作り感を出すのはわかるが、それが結果的にどんなものを生み出すか、何と共鳴するか、そこで映画全体がどんなふうに変容するかを、作り手自身が楽しんでいるようだ。監督は映画を作る人なのではなく育てる人であるとでも言ってみたくなる。<br /> 『マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー』は、1作目の前日譚と後日譚が交錯して描かれていくわけだが、熟年女優たちと若手女優たちとの演技と歌と踊りの差がはっきり出てしまっていて、これなら、1作目の後日譚だけで良かったのではないかと思った。もちろんそれならこの企画自体が成立しなかったのだろうが。<br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/ed92b6e76077453f9349c9cee1dffc42.jpg" /></div>
<p><br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/9d09cbfee53a4a18a29214f1bd05c33d.jpg" /></div>
<p><br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/70324b3cf48044578dc64ab1b6e873e3.jpg" /></div>
<p><br /><br /><br /> <strong> 9月24日(月)</strong><br /> 映画祭最終日はスタッフにお任せして、わたしは休養日。周囲で評判の『ザ・プレデター』。疲れているのか、編集の速さと物語の展開に全然ついていけなかった。目立って編集が速いということではなく、ゆったりとした時間が流れない、時間が同じテンポで流れ続けて気が付いたら物語もクライマックス、というその流れ方と脚本の古典的な展開とが、どこかうまく合っていない。その違和感を引きずったまま観終えてしまった。何かを見逃してしまったという思いが募る。動体視力の衰え。監督は若者だろうかと思ったら、わたしと大差ない年齢だった。<br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><iframe src="https://www.youtube.com/embed/xJ4hpza5zPs" width="560" height="315" frameborder="0" allowfullscreen="allowfullscreen"></iframe></div>
<p><br /><br /> そしてレコードをいくつか購入。爆音が続くと家でゆっくりレコードを聴く時間が無くなる。その余裕のなさが、いずれ爆音にも影響することになるだろう。<br /> ピーター・ゴードンの「ラヴ・オヴ・ライフ・オーケストラ」のレコードを見かけるとつい買ってしまうのだが、記憶の中の音ほどはいい音が聞こえてこない。とはいえ「こんなものだったのか」と見切りをつける気にはならない「若さ」が、いつもどこかから聞こえてくる。<br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/400a271bea4e4ba4a5f844a3b5cdd1f6.jpg" /></div>
<p><br /><br /> <br /><strong> 9月25日(火)</strong><br /> 社長仕事の後、午後からは某CS局で11月に放映される「テレビで爆音映画祭」というような企画のための収録を。お相手がいる場合は全然平気なのだが、ひとりだけで話すのは何ともつらい。特に短い時間に的確にと言われるともうアウト。だらだらできる場所がいい。<br /><br /></p>
<p><br /> <br /><strong> 9月26日(水)~27(木)</strong><br /> 利府へ。仙台から車で20分ほど北に行ったところ。今回が3回目の爆音映画祭となるのだが、今後毎週映画祭が続くため、機材も機材スタッフも新たに増やして、2チームをやりくりしながら全国を回ることになる。その最初である。だから前回とは機材一新。新たなオペレーターたちと、利府での音を探っていく。最初はさすがにだいぶイメージとは違った。あれこれとこちらのイメージを伝えていく。周波数などの数字を出しつつ具体的な提案をしてもいいのだが、それだと極端に言えばこちらの意図通りになるので、つまらない。自分の意図通りの音を作りたいわけではまったくない。ぼんやりとした曖昧な注文をして、それに対する反応の中から見えてきたものに、さらにこちらも反応していく。1回や2回ではうまく行かない。それでいい。何作品かを調整していく中で何かが見えてくれば。<br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/578df12bc5b341dbbdc88242cb60b9e6.jpg" /></div>
<p><br /><br /><br /><strong> 9月28日(金)~30日(日)</strong><br /> 本番が始まると逆に少し時間ができるので、ホテルから本塩釜駅方面に歩いた。寿司の街だそうだ。<br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/99722a31b99e4163b69e93c104898e99.jpg" /></div>
<p><br /><br />この辺りは津波の被害は少なかったとのこと。前回の多賀城のあたりはほぼ全滅地域で、風景が全然違う。<br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/0ff983ce595c46e4b52b2291ec9380ae.jpg" /></div>
<p> </p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/e644b394102045f0842899a77d23bde2.jpg" /></div>
<p><br /><br />そして利府の会場の方はとんでもないことになっていた。『グレイテスト・ショーマン』爆音パーティ上映。東京から参加した常連の方たちの紙吹雪の量が半端ない。バウスの頃の『ロッキーホラーショー』で慣れていたわたしでさえあきれる物量。しかし圧倒的に楽しそうではあった。もちろん掃除は大変で、しかも、上映終了後は爆音調整もあるので、朝から働いているオペレーターのためには、参加されたお客さんたちみんなでワイワイと掃除をしているわけにはいかず、おそらく参加者たちも掃除も含めて楽しいイヴェントなはずなのだが、今回はあきらめてもらった。チェックと調整といえども作品本編が上映されているわけで、映画館である以上部外者が同席するわけにはいかない。したがって、少ないスタッフのみでの大量の紙吹雪掃除。われわれはそれを横目に音の調整。さすがにまあ、こんなことを続けていたらみなさん身体がいくつあっても足りなくなる。<br /><br /></p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/76488d62e1c0450682b3ec2674ff5796.jpg" /></div>
<p> </p>
<div style="text-align: center;"><img style="margin: 0px;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/190/9fb289ff48134a6db30845f18317f885.jpg" /></div>
<p><br /><br /><br /><br /> <span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;">樋口泰人(ひぐち・やすひと)<span style="font-size: 8pt; font-weight: bold;"><br />映画批評家、boid主宰。10/19(金)より<a href="http://thething2018.jp/" target="_blank" rel="noopener nofollow">『遊星からの物体X』</a>全国ロードショー。10/26(金)まで<a href="http://marupicca-bakuon.com/" target="_blank" rel=""noopener nofollow">「丸の内ピカデリー爆音映画祭」</a>開催中、10/19(金)-21(日)<a href="http://takasaki-denkikan.jp/bakuon2018.html" target="_blank" rel="noopener nofollow">「爆音映画祭 in 高崎2018」</a>、10/25(木)-28(日)<a href="http://www.parkscinema.com/campaign/bakuon_201810/" target="_blank" rel=""noopener nofollow">「なんばパークスシネマ爆音映画祭」</a>、11/3(土祝)-4(日)<a href="http://airport-anifes.jp/" target="_blank" rel="""noopener nofollow">「新千歳空港国際アニメーション映画祭」</a>、11/8(木)-11(日)<a href="http://www.unitedcinemas.jp/bakuon/" target="_blank" rel="noopener nofollow">「爆音映画祭 in ユナイテッド・シネマアクアシティお台場」</a>、11/14(水)-18(日)<a href="https://109cinemas.net/events/hiroshima-bakuon/" target="_blank" rel="noopener nofollow">「爆音映画祭 in 109シネマズ広島」</a>。</span></span></p>2018-10-20T14:00:13+00:00