
文・写真=松林要樹
今から約2年前、2014年3月末日に10年ほど住んだ東京の世田谷の三畳一間のアパートがたて壊された。東京オリンピックが開催されることが決まって、約半年がたった頃だった。国家イベントとしてのオリンピック成功のため、貧乏人を犠牲にする政策がやってきそうだったので、いそいそと住所を海外へ転居届を出した。
その後、海外と日本を行き来する生活が2年ほど続いている。だいたい3カ月ペースで拠点を移動している。ほとんどの町は、それまで訪れていたことがある。

2年前に、アパートを出る日、空族の相澤虎之助さんがうちにやってきてくれた。そのままブラジルに飛び立った。飛び出したきっかけも、運よく、映画祭から航空券と旅費が出たからだ。まずサンパウロに拠点を置いて、南米の南を巡った。たまたま訪ねたウルグアイのモンテビデオではドキュメンタリー映画祭が開催されていて、受付できょろきょろとしているうちに、スペイン語も全くわかないまま、知らない間にワークショップにも参加してしまい、映画関係の仲間を作った。そこで出会ったブラジル出身の映画製作者らの協力のもと、文化庁の新進芸術家海外研修制度で現在サンパウロを拠点に取材を続けている。ここブラジルには世界最大の日系社会がある。今回はブラジル日系社会で見ることを中心に触れたい。
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