boidマガジン

2015年08月号 vol.3

エリオット・ロバーツ インタヴュー

2015年08月22日 17:29 by boid
エリオット・ロバーツさんは長年、ニール・ヤングのマネージャーを務めてきた方です。その付き合いは45年以上、もうすぐ半世紀に及ぶそうですから、ニール・ヤングを最もよく知る人物のひとりだといえるでしょう。というわけで、ニールさんへの取材が終わった後、エリオットさんにもインタヴューを敢行。『ヒューマン・ハイウェイ』の制作秘話や、ニール・ヤングの知られざる一面についてたっぷり語ってもらいました。
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聞き手:樋口泰人、湯浅学
通訳:トシ・オーヌキ
写真:兼子裕代



――ニールさんとの出会いは?

エリオット・ロバーツ(以下ER) 確か1967年か68年かな。当時僕はジョニ・ミッチェルのマネージャーをしていた。彼女とスタジオに入っていたとき、ジョニが、隣のスタジオにバッハァロー・スプリングフィールドがいるから、是非ニールに会わせたいって言うんだよ。行ってみたら、ニールはその日のレコーディングの作業を終えようとしていたところだった。そのころの僕は、ニューヨークからカリフォルニアに引っ越してきたばかりだったから、住むところがなくてね。それを聞いたニールが使ってない部屋を使っていいって快く言ってくれて、住む家が見つかるまでの間、居候してたんだ。それからしばらくして、ニールがバッハァロー・スプリングフィールドから脱退した直後に僕の家にやってきて、出し抜けにマネージャーになる気はあるかって聞いてきた。もちろん快く引き受けたよ。

――映画を作るのは大変なことだと思いますが、どのような経緯で『ヒューマン・ハイウェイ』を作ることになったんですか?

ER それ以前に『過去への旅路』を作っていたし、映画作りは初めてじゃなかった。ニールは映画作りの行程をものすごく楽しんでいる。撮影、編集、そして映画における音響設計も新しいチャンレンジだったけれど、彼は弊害や困難があればあるほど、それに立ち向かっていく傾向があるね。音楽制作の時とはまた違った過程や試行錯誤を楽しんでいた。しかも彼の語ろうとしていた物語はとても大切で、意義のあるものだったと思う。

――音楽だけでは物足りないということでしょうか?

ER そういうことではないと思う。ニールの創造のエネルギーの源は底知れない。最終的にそれが本、絵画、映画や音楽、どんな形になろうとも、彼は常に何かを創造し続けている。大抵の人がゴルフをするような時に、彼は新たな表現を求めて絵でも描こうとするんだ。

――『ヒューマン・ハイウェイ』でのあなたの役割は? 役者として出演もされていましたが……

ER あれは俳優に払うギャラを節約するために、駆り出されただけだよ。僕の役割はプロデューサーだった。スタジオと交渉したり、セットのデザインや、ギャラの支払いを管理したりと、映画製作に必要な仕事をしたまでだね。

――映画制作に入る前にニールさんと、どんなことを話し合われましたか?

ER ニールが話したようにまず夢の場面を16ミリで撮ったんだ。サンフランシスコのクラブ、マブハイ・ガーデンでDEVOが「カム・バック・ジョニー」を歌うシーンを撮影した。ジェリー・ルイスそっくりのライオネルというキャラクターが生まれたのもその頃だったね。『ニール・ヤング・ウィズ・クレイジー・ホース』 や『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』が大ヒットを記録した後で、ニールにとって "ニール・ヤング”から解放されることは精神的に大切なことだったんだ。違う自分になること、特に間抜けなキャラクターを演じるのは、心地いいことだったんじゃないかな。彼は、ニール・ヤングじゃない、ライオネルという別人を演じるのを楽しんでいたと思うよ。

――なぜコメディアンのようなキャラクターを選んだと思いますか?

ER ニールは観客を笑わせることに、特別な魅力を感じているんだと思う。そしてコメディは、例えば馬鹿げた事やおかしな事を言っても、真理を突いたメッセージを同時に伝えることもできる。僕らは核エネルギーを大きなテーマとして扱いたかった。当時、原子力開発の危険性について誰も語ろうとしていなかったからね。

――『ヒューマン・ハイウェイ』にはいろいろな編集ヴァージョンがあると聞いています。

ER ニールは編集という作業がとにかく好きなんだよ。台本がなかったうえに、コメディ映画の編集経験もなかったから、いろいろ学ばなくてはならなかった。観客を笑わせるのは、並大抵のことじゃないからね。

――映画に限らずニールさんは過去の作品を手直しする傾向があるようですね。あなたはそれについてどう思われますか?

ER ニールはすべてにおいて妥協したがらない性格なんだ。気になり始めたらそれが片付くまで次に進めない。例えばあるアルバムを作ったと思ったら、次に同じアルバムのソロ・ヴァージョンを作ると言い始めたり、さらにはライブ盤も必要だと考え始める。最終的に同じ曲目のアルバムが3枚だ。数年前の『リヴィング・ウィズ・ウォー』や最近の『ストーリートーン』でも同じようなことをやったよ。とにかく、何かしらのプロジェクトに没頭して、年中忙しくして、何かを作っているのが大好きなんだ。自らカメラを回すし、編集もやるし、何でもできてしまうからね。そんなニールのことは、トシが一番よく知っているよね。おまけに気が変わるのも人一倍早い。ある日突然、昨日よりも良いアイデアがあると言ったかと思えば、その翌日になると、昨日よりもっと良いアイデアが出てきたなんてことはしょっちゅう。しかもそんなことが何日も続くんだよ。全部試してどれがベストなのか、自分で確かめないと気がすまない質でね。電話でいきなり10年前にやった作品をもう一度やり直すって言われることもあるよ。もっと良く仕上げる方法がわかったって言うんだ。10年前の作品だよ。いったい誰が気にするっていうんだい……だけど、僕とニールにとっては重要な事なんだ。やれるのにやらない理由はないよね。わかるだろ?

トシ・オーヌキ(以下TO) そういえばニールに聞き忘れたことがあるんです。映画の中に登場するインディアンの村長の像"ウッディー”のことなんですが、今でもどのツアーのステージでも見かけますし、特別な扱われ方をされているように思うんですが、あの像はどういう経緯で登場したんでしょう? 

ER どこかのオークションで手に入れたと思う。それ以来、僕らのステージには毎回必ず登場しているよ。いわばニールにとっての守り神みたいなもんだね。

TO それは『ヒューマン・ハイウェイ』の前ですか?

ER 『ヒューマン・ハイウェイ』の前だ。焚き火の中にインディアン像をくべて、その周りで踊るシーンがあるのはあの映画だったよね?

TO 『ヒューマン・ハイウェイ』の夢のシーンです。その時に3体の像を燃やしましたよね。ニールが冗談で、それ以来呪われているかもしれないとぼやいていたことがありました。実際、その後、(『ヒューマン・ハイウェイ』にも登場する)"ポカホンタス”というツアー用のバスが火事になり燃え、開発中の電気自動車"リンクボルト”も数年前に全焼……次は何が起きるんでしょうか?

ER ちょっと待ってくれ、変な因縁があるなんて思いたくないな(笑)。何の関連もないことを祈るよ。




――ところで『ヒューマン・ハイウェイ』はいつ再編集を始めたか覚えてますか?

ER たぶん7年ほど前かな。ネガの一部がなかなか見つからなくて困ったのを覚えているかい?

TO ええ、よく覚えてますよ。編集室でプロデューサーの故ラリー・ジョンソンがVHSテープの素材だけを渡してきて、3時間後にニールが来るから、すぐに編集作業の用意をしてくれって言ったのを今でも覚えてます。そんな短い時間にタイムコードの無いVHSをアビッドに取り込むのは無理で、かなり焦りました。それが編集の第1日目だったと思います。

ER ああ、7、8年前だな。約2年間、なくなったネガをずっと探し続けたね。全部で6~7分相当の素材が行方不明だった。ミルバレー映画祭(1982年)に出品したニールの編集ヴァージョンの切れ端で、それがどうしても見つからなかった。

――映画に関することで誰も知らないようなエピソードはありませんか?

ER そういえば裁判沙汰になった話があるよ。サリー・カークランドが撮影中の事故でデニス・ホッパーを訴えた話だ。デニスが、ダイナーのキッチンでナイフを研ぐシーンの時、誤まって彼女の指を切ってしまったんだ。もちろん指が取れてしまったわけじゃなくて、ちょっとかすっただけなんだけどね。それでサリーは僕たちに憤慨して訴訟を起したんだ。最終的にはデニスだけが訴えられてしまったんだが……こんなことベラベラ喋っていいのかな(笑)。
いやあ、いろいろ楽しいことがあったな。ニールはひとりで映画を作ったわけじゃないんだ。ディーン・ストックウェル、デニス・ホッパー、ラス・タンブリンと名優揃いだった。ラス・タンブリンは知ってるかい? 『ウエスト・サイド物語』のギャングのリーダー役、リードダンサーとして知られる有名な役者だ。ディーン・ストックウェルは『緑色の髪の少年』の主人公を演じるなど、子役時代から長年に渡って活躍してきた。デニスも経験豊富な俳優だ。その4人が毎朝車の中でミーティングして、その日の演技やキャラクター作りについて話し合っているのを見るのは、なかなか面白かったよ。

――わざわざ車に乗って話し合うんですか?

ER 大きなスタジオだったから, 集中するために車を使ったんだ。しかも毎朝だよ。

――その日の撮影の基となるシナリオのようなものはあったのですか?

ER 台本は映画が出来上がってから書いた。これが嘘じゃないんだよ(笑)。

――毎日撮影を始める前に、今日は何を撮るかというところから話し合っていたんですか?

ER この映画ではいくつかの小さな物語が並行して語られるような構成を考えていた。例えば、ライオネルが恋い焦がれるシャーロット(シャーロット・スチュワート)がコンテストで歌う歌を練習している場面があっただろう。シャーロットが「今晩、私の歌を聴きに来てくれるの?」と聞くと、ライオネルはどんなふうに反応するのか……そういう細かなやりとりについて毎朝話し合っていた。

――役作りという点で、撮影していく中で臨機応変な対応が必要とされたのでは?

ER 即興で演じることはあっても、その場面についてたくさんの情報は与えられていたからね。役者たちは物語の流れを尊重したうえで、どこでアドリブを加えるべきか、役者として感じた通りに演技するわけだよ。

――つまり大まかなあらすじや結末はちゃんと最初から決まっていたということですか?

ER そう、物語の構造はあらかじめ決まっていた。具体的な台詞が書かれた台本はなかったが。役者たちはそれぞれの場面の方向性と、ニールの意図を完全に把握していたから、それでまったく問題はなかったよ。

――もう45年以上一緒に仕事をされていますが、ニールさんに最も惹かれる部分は?

ER もう48年だよ……。ニールと初めて出会った時は彼の音楽に惹かれた。当時、ニールは僕らの世代で最も優れたソングライターの一人だと確信していたし、彼のようなアーティストと一緒に仕事できるのはとても嬉しかった。それから長年一緒に働いてきたけれど、彼はとってもユーモラスな人間なんだ。そのことはあまり知られていないよね。彼は一緒にいてとても気安く、楽しい人だ。それに比べて、トシとはあまり馬が合わないんだ(笑)、冗談だよ。これまで結婚、子育て、離婚、再婚……いろいろなことがあったが、ニールとはずっと友達だった。ニールのような最高の友人を持てたのは本当に運が良かったと思う。

――これまでニールさんからたくさんのことを頼まれてきたと思いますが、難しい要求をされたことはありますか?

ER 無理難題を言われるのは毎日のことで、到底実現できないようなことも要求してくる。マネージャーの仕事とはそういうものさ。ある日、アーティストから電話がかかってきて、目の前に立ちはだかる山が邪魔だから、すぐにどけてくれと言われる。しょうがなく大変な思いで山を移動するわけだ。アーティストに「山をどけたので、もう大丈夫です」と報告すると、「ありがとう」の一言さ。それから10分後にまた電話がかかってきて、今度は友達のために用意したコンサートの席が最悪だったと、ものすごい剣幕で「お前たちは一日中何をやってるんだ!」と怒やされる。これがマネージャーの毎日さ。だけど、アーティストにとっては、どちらも同じぐらい重要なことなんだ。ニールはその典型のタイプだね(笑)。だからニールの頼みでも応じられないことは時々あるよ。(了)

エリオットさんのオフィスにはニールさんのサインが入ったこんなメッセージボードが……




エリオット・ロバーツ Elliot Roberts
1943年生まれ。タレント・エージェンシーのウィリアム・モリスに勤めていた時にジョニ・ミッチェルのライヴを観て感動し、自らマネージメントを申し出る。ニール・ヤングとはジョニ・ミッチェルとともにLAに移住した際に知り合い、バッファロー・スプリングフィールド解散後からマネージメントを引き受ける。1stアルバム『ニール・ヤング』から最新作『ザ・モンサント・イヤーズ』までの全作品(映画作品含む)の制作に関わってきた。『ヒューマン・ハイウェイ』では歌手フランキー・フォンテーヌ(ニール・ヤングが一人二役)のマネージャー役で出演も。

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