
新千歳空港国際アニメーション映画祭2015、クロージングパーティーでの集合写真
「スタイル」という孤独と、それを受け入れる映画祭という場所
文=土居伸彰
新千歳空港国際アニメーション映画祭2015が終わった。去年はアドバイザーという立場だったので、ある意味に無責任に楽しめたのだけれども、フェスティバル・ディレクターとして臨んだ1年目の今年の映画祭は責任が大きくのしかかってくるわけで、よくもまあこんなに、というくらいにしんどかった。バカみたいな話だけど(というか単にビビリなだけなのだと思うが)、舞台裏にいると、途方もない人数がこの映画祭に関わっていることがわかる。これまで僕がCALFでやってきたイベントは、それに比べたら、自分の手の届く範囲だけでやってきたようなものだ。なにかがあっても自分たちだけが損をすればそれで間に合う。だが今回は違うのだ。失敗に終われば、僕だけではなくて他の人たちの責任問題にもなる……プログラム選定に関して完全に自由を任されるということが逆にプレッシャーとしてのしかかる。他人に責任転嫁できないということだからだ。自分が思い通りに組んだプログラムに基づいた映画祭のために、スーツを着た空港や空港の代理店の人たちが朝から晩まで働いている……この景色は、慣れないと結構しんどい。映画祭開始2週間前に新千歳空港に入り、準備をする。空港は映画祭の広告でジャックされている状態だ。事務局にいると本当にいろんな人たちが打ち合わせに来る。たくさんの人たちが働く姿を見て、これは想像以上にスケールが大きいものなのだという実感がジワジワと高まっていき、そうなると落ち着けるのは、夜中に空港併設の温泉でサッポロクラシックの生ビール(北海道じゃないと飲めない!)を飲んでゆったりする1~2時間くらい。夜中から朝の時間は休息の時である。ホテル(こちらも空港内)は滑走路側の部屋で、窓から離着陸が見える。景色を遮るものがないので朝焼けがキレイでいつもその時間帯だけ目を覚まして見とれていた。しかし、ほんの少しの間しか続かないその時間が終わってしまえば、また重圧の時間の始まり。寝るのは楽しみで、しかし寝てしまえば次の日が来るので恐ろしくもあった。
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