
文=空族
仏歴2559年6月×日
タニヤに一歩も近づくことのできないまま、バンコクの静かな新暦の正月もとうに明け、町は普段通りの慌ただしさを取り戻していた。その間も我々本隊は前線基地にて待機、密使からの「タニヤ作戦については現在も交渉続行中。情勢は五分五分だが常時決行に備えよ」との情報がもたらされるたびに集合しては中止、解散、再び集合という日々を繰り返していた。毎回、20~30名の現地女性特殊部隊員たちは文句ひとつ言わず、各個戦闘以外の時間を我々に明け渡してくれていた。完全武装(←お化粧とか結構たいへん…)で集合、また中止…。わたしたちは毎回、彼女たちに再度集合の連絡を待ってくれるよう頭を下げ帰ってもらうしかなかった。そうこうするうちに立場が逆転していった。本来、彼女たちに協力を乞うているのは我々であり、その気持ちを維持すべく鼓舞すべき役割であるのに、もはや謝罪の言葉も持ち合わせない我々を見かね、憐れんでくれてか、彼女たちの方から励まし鼓舞してくれるようになっていった。憐みとはタイに教えられた心のひとつであった。
その繰り返しも2週間を超えると、誰も口には出さないが、その焦燥感はここまでの3ヶ月間とは質の違う疲労を隊員たちに蔓延させている。これはまずい…。
我々はすでに"タニヤ通りシーン”以外のすべてを撮り終えている。もはや勝利は確実、あとは如何にして勝つのか、だけではないのか…? 通りのシーンを撮らずに作戦が成立するかどうかを再検討してみる晩もあった。どうしても必要ならばどこか別の通りをタニヤに見立てては? との代替案もでた。最悪の事態に陥った場合のダメージを最小限に食い止めようと皆が思い思いを述べていくが誰もその言葉に力は入らない。そう、隊員の誰もがこの実際のタニヤ通りをカメラに収めてこその本作戦であり、それ以外の『バンコクナイツ』はあり得ないということを分かりきっていた。
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