今週の映画川は現在公開中の『マリアンヌ』(ロバート・ゼメキス監督)を取り上げます。第二次世界大戦下のカサブランカで出会ったカナダ人諜報員の男・マックス(ブラッド・ピット)とフランス軍レジスタンスの女・マリアンヌ(マリオン・コティヤール)が結婚し家庭を築くも、マリアンヌの正体をめぐってある疑いがかけられたことで二人に降りかかる悲劇が描かれたこの作品。併載の土居伸彰さんとの対談記事(「しごとのはなし」)でも本作が必見の作品であると語った樋口泰人が、その理由を詳しく解説します。
※この記事は映画の結末について触れています
文=樋口泰人
もちろん「マリアンヌ」とは人の名前である。原題は「Allied」。連合とか同盟とか同類とかを意味する言葉だが、英語ネイティヴの人たちに、タイトルとしてのこの言葉がどんなニュアンスとして伝わっているのか、わたしにはわからない。そんなわたしのような日本人たちのために邦題がつけられるわけだが、これはなかなかいい邦題ではないかと思っている。なぜなら映画を観たらわかるように、それはマリオン・コティヤールが演ずるマリアンヌという女を巡っての物語であると同時に、「マリアンヌ」はこの映画にはいないからだ。実は「マリアンヌ」はマリアンヌではなかったという証明が、物語のクライマックスとなる。では「マリアンヌ」と呼ばれていた女はいったい誰だったか、ということは語られないし、その女が仮称した「マリアンヌ」に観客たちが興味を持つようにも作られていない。実際、登場人物たちもそれにはあまり興味がない。そして何よりも、<「マリアンヌ」と呼ばれる女>がどんな女だったのか、何を思って「マリアンヌ」になったのか、その背景や内実は見事に何も描かれない。単に、ドイツのスパイだったという事実が語られるだけ。あとはひたすら彼女の現在と言ったらいいのか、「マリアンヌ」と呼ばれる女の今が、ブラッド・ピット扮する主人公マックスとともに描かれていくだけなのである。
2018年12月号
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