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2018年06月号

宝ヶ池の沈まぬ亀 第24回 (青山真治)

2018年06月22日 11:30 by boid
2018年06月22日 11:30 by boid

青山真治さんの連載「宝ヶ池の沈まぬ亀」第24回は、NHKの朝の番組に救われ、新たに家族に加わったかわいい“幼子”の世話に追われた晩春~早夏の日記。予定されていたレコーディングは延期になったものの、ザ・バンドに続きリトル・フィートのおさらいをしながら、パーティでライヴ演奏をしたり。久しぶりの映画はホン・サンスの新作群。そして、相次いで訃報が届いたたむらまさきさん、寺尾次郎さんのことも。




文=青山真治



24、コハヤガワな、あまりにコハヤガワな晩春

某日、帰京後は溜まった疲弊を癒す日々も束の間、女優に誘われたパーティで甫木元とライヴをやったり、演出部会があったり、レコーディングのリハーサルをやったり、結局休む間もなし。甫木元のバンド仲間、菊池剛くん(ピアニスト)との合流が最大の収穫であった。人生で初めて出会った理想のキーボードプレイヤーである。何しろニューオリンズからノイズまで何でもいけるクチ。ガースそっくりの音が出たときは鳥肌が立った。しかし何しろ体力払底、何かするとその都度二日ほど寝込む。というわけで睡眠不足だけは解消されている気がするが、そんななか例の日大アメフト部事件と愛媛4000枚文書。政府、相撲、大学、入管と、この国のある世代のある層は本当に腐っていて、この腐食させるカビは後の世代までじわじわしみこんでいる。戦後をやり直すというような声もあるが、そんなことが可能だという現実味はない。ではどうするか。是枝氏のカンヌ受賞は、たしかに順当なビジネススキームの結果だが、現在の日本からこの結果をもたらしえたことは、エンジェルス大谷ほどではないにせよ、当然評価に値する。しかしさて、これからどうするか、その明解な答えまであるわけではない。夜更けにテレビを点けると『クーリンチェ少年殺人事件』をやっていて、そのまま食い入るように見つめた。リバイバルには出かけなかったので公開時数度見て以来。1ショット1ショット、ここから得たものが果てしなくあることを思い知らされる。そのことが怖くて背を向けてきたのだろう。意地のようなものだが、しかしどんなに逃げようとしても無駄である。

夕方、菊池信之氏よりの留守電。たむらまさきという撮影者の訃報。5月23日。享年79歳。記憶はここで語りえる量を遙かに超えている。冥福を祈るという言葉さえ白々しい。呆然としているだけでもない。そして人生は続く、というばかりだ。



某日、重大な過失が発覚、二日分の予定が消える。確認不足。不覚としか言えない。いまは最悪のときなのだろうか。レコーディングが二か月延びた。またまた呆然としつつ、ひたすらせっせと各スタッフに訃報を伝える連絡。時折、頭の中をたむらさんの歌声が掠める。喜納昌吉「花」。
某日、ところで毎朝七時半からNHK BS『半分、青い。』を見て、続けて『にっぽん縦断 こころ旅』を見て、さらに地上波で『半分、青い。』を見直し、さらに『あさイチ』を見るという二時間を過しているのだが、この流れにこれほど心洗われるとは思っておらず、豊川さんの怪演に下支えされつつ、火野さんの洒脱な呟きに痺れつつ、華丸大吉さんの絶妙なやりとりに呵々大笑しつつ、そしてすずめたちの青春群像に繰り返し心洗われているのだった。さらに土曜日は『チコちゃんに叱られる!』にさえ微笑みを絶やさずにいられる。これは、秋風先生ではないけれど、まだ生きていく、という己の希求なのだ、と勝手に思い込むことにする。つい一年前にはNHKを擁護することに非常な困難を伴ったが、いまや救われているとしか言いようがない。そういえば秋風先生と私はだいたい同じ思想の下に創作に向かっていることを急ぎ追記しておこう。秋風先生は「死の恐怖を創作によって思い出さずに済む」と言い放ったが、私はこれらの番組によって日々自分の崩壊を意識せずに済ませてもらっている。そんでもって再放送でようやく『西郷どん』の前回。なるほどこの奄美惜別も神回だったか。
某日、そんなわけで聴くのがつらくて目の前に置きざりにしていたザ・バンド『ムーンドッグ・マチネー』紙ジャケをようやくプレイヤーにぶちこみ、ロックンロール三昧の昼。最新の映画だとか音楽だとか小説だとかにまったく興味を持てないのはこのようなアルバムがあるからであり、たとえThe Third Man Themeがつまらなくともとばせばいいだけだ。「バークリー帰り」のリヴォンのドラムはとにかく超絶。殊にMystery Train。この曲はリックのベースも凄い。そして、先日練習スタジオで菊池君がnordで出したハモンドの音に心を迷子にされてしまったけど、要するにガースのような音色を堪能したくてもう何十年間も音楽を聴いてきたのだとつくづく気づかされる。ロビーのフェイザーのかかり具合にも思わず頷いてしまい、さて自分のフェイザーはどこへやったかと不安になる。二か月延びたレコーディングまでにエフェクターの森を再度彷徨ってみるべきかもしれない。 某日、斉藤陽一郎来たりてロング・トークと週末に催される某パーティ用の歌の用意。楽曲は流れもあって「花」、そしてローザ「ひなたぼっこ」。日々泥酔しながら練習。挙句、陽一郎、アコースティックギターを購入。当日直前まで練習して出陣。何とか本番成功。某花嫁は同時に妊婦でもあり、その美しさたるや天上の神秘であった。二夜連続で近所の居酒屋「九州藩」で食事。
帰宅すると、なんとこちらも家族がひとり増えていた。数時間遊んで「ぱるる」と名付ける。生れたてのポメラニアンである。つまり初めての、犬。いや実は初めてではない。私の居ない間にほんの数日いた仔犬がいた。手術の失敗で亡くなってしまった。しかし先住民どもはそのおかげで犬に馴れていることが判明した。面白い。すでに女優の言い分にはしっかり従う。ちなみにご覧のとおり、超絶キュン死に級かわいさである。



某日、先夜の練習中に陽一郎にあがたさんとはちみつぱいの『べいびぃろん』を聴かせたせいで、ふと夜にYouTubeで四人囃子の2002ライヴを全篇通しで見た。それで思ったのだが、これは私見だが、はっぴぃえんどに続いて四人囃子が現れて、それからシュガーベイブとサンハウスが来て、かなり遅れてルースターズが登場、というのが日本のロックの見取り図で、あがたさんとはちみつぱいを一聴「ニューウェイブだ」と陽一郎が感嘆したのはこれがルースターズのようにも聴こえるという私見にも通じる。『べいびぃろん』は日本のニューウェイブの完成形と思う。私はYMOとムーンライダーズの時代、明後日の方角にいたので、なんとなく聞えてはいたが正直興味は薄かった。だがここへ来てそれまでの全時代を吸収したような四人囃子の演奏を聴いて、あらためて『べいびぃろん』の重要性を再確認した次第。それにしても小さな画面の中でも故・佐久間正英の雄姿には感動的なものがあった。

某日、禁酒に入る。二週ほど呑み続けたせいで、禁断症状的なものが出まくって大変しんどい。具体的には頭痛、発汗、鳥肌、悪寒、倦怠、手足の痺れ(さすがにふるえはない)、疲労、意識低下など、それらが数時間置きに繰り返す。二日ほど何も考えられないが、どうにか支払いなど事務作業をこなし、あとはひたすらぐったり。
某日、どうやら梅雨入りかと思われる雨の午前、手続きのために行った役所から戻ってぐったりしていると、お嬢さんのTwitterで寺尾次郎氏永眠を知る。まだ話したいこと、聞きたいことがたくさんあったのに。ひとは機会を逃すとそれが不可能になることはわかっているつもりだが、それでも、そりゃあない、という言葉しか出ない。アルノーの『イスマエル』を六本木で隣に座って見たのだ。そのときに、何かは秘密だがある宝物を貰った。その前にアンスティチュ・フランセのアルノーの会の打ち上げでもいろいろお話させていただいた。日仏のロビーで不意にありがとうと言われて何かと思ったら、大瀧さんの福生でのセッション風景の映像で寺尾さんがベース弾いているのをSNSでフォローしたことを喜んでくださったのだった。数日前に記したシュガーベイブはリズムセクションが寺尾さんとユカリさん在籍時のことだ。こちらこそありがとうございました、寺尾さん。寺尾さんの日本語字幕で勉強させてもらったこと、数え切れないです。
夜、女優と共に某笑いのレジェンドとの歓談。アルコール抜きで氏の演技論を拝聴、大いに納得する。渥美清の話、左とん平の話、筋トレなしで身につけた身体能力の話、3センチの振れ幅をコントロールする話、等々。いつかこの人に映画に出てもらいたい。遅くに帰宅すると、どういう反抗なのか、これまでしつけてきたことを無視して、ぱるるがあちこちの床に糞尿を垂れていた。まだひとりにするのは早いか。おにいさん方は当然あてにならないし。
某日、昼にホン・サンスをDVDで。映画を見るのはいつ以来だろうか。とはいえ、ホンさんはホンさんであった。夕方、近くの公園にぱるるを連れて初のお散歩。自分の体力のなさに呆れつつ、ぱるるは元気よく土の上を駆け巡った。それにしてもこれを育児と呼ぶと怒られるに決まってるし、夜泣きなどということはないのだが、間違いなくこちらの睡眠時間は三時間、これだって普段からそうだから問題ないのだが、トイレシートを無視した場合はあちこち拭いてまわらないといけない、とか、おなかがすくと飯くれアピールが激しい、とかとにかく目は離せないしかまわなくてはならないので他のこと(仕事)に集中することはそうそうできない。おむつがない代わりにトイレシートとティッシュの消費量が尋常ではなく、おもちゃはそこらじゅうに散乱して足の踏み場もない。一生育児とは無縁と高をくくってきたがこういう落とし穴があったか、とまあこれをうれしい悲鳴ですね、などと揶揄われても一向に構わないが。何はともあれ一日中眠い。
某日、昼はホン・サンス二本目。やはりホンさんはホンさんなのだが、これはちょっとだけ異色。もっともかなり以前にパリ舞台の作品があったが、あれに似ていた。ラスト、不吉そうな豚が高い窓にいるの、あれだったよなあ。しかしやはりキム・ミニとの出会いは誰が見ても画期的であるだろう。夜は昔パルコのあった場所にできたホテル・コエでのモエシャンドンさんのパーティ。久しぶりにドレスコード付き。何日ぶりかの酒。
某日、ふと点けたテレビで『ダイ・ハード/ラスト・デイ』。やはり面白い。装甲車的な巨大車両が横っ飛びに吹っ飛ぶところなんかは、CGだろうがなんだろうが、痛快なものである。気温の下がった夜更けに、ぱるるの存在を快く思わぬらしい猫たちが脱走、どうせ家の周囲から離れないものを朝まで帰宅説得にあたり、ようやく戻して疲れ切ったところで梅雨が戻る。眠って午後、ホン・サンス最新作を二本続けて。やはりカンヌで撮る物はどれもなんだか似てしまう気がする。かつてのビュル・オジェとイザベルが重なり、遙かにダニエルを想う。ちなみにこれまでホン作品で映画監督を演じてきた俳優の中で、このひとが一番優秀と思われた。当たり前か。もう一本は映画監督の出てこない新機軸。なんだか禁欲的になりすぎではないかと心配になるが、今回の四本の中では断然出来が良い。最後の十分間の張りつめ方はシナリオ含めてここ数年見た映画で最もしてやられた感が強く、また作家の新機軸としても賞賛に値する。



某日、台風も接近しているという雨の中、意を決して西日本新聞に依頼を受けた追悼文を書く。なるべく感情をこじらせずに書くことができた。夕方、下北沢へ。小さな楽器店で弦(アーニーボールの10セットにしてみた)を買った後、風知空知へ。今回の「アナログばか一代」はリトル・フィート特集。某社長は仙台→広島→東京、という強行軍。まずは出だしの「沖縄民謡ペットサウンズ」。意図せずなぜかそうなってしまうあたりが大変に面白い。そして怒濤のリトル・フィート。今回の白眉は、なんと大学の後輩、清水健治の持参したUSプロモ盤『ディキシー・チキン』だった。全員が大喜び。ここで、ひとは本当に凄い音を聴くと笑う、という事実を確認。ひとによるとは思うのだが、笑う人は兎にも角にも笑わずにはいられないらしい。苦笑に近いが、しかし絞り出すような笑い。かく云う私もその一人ではある。理想を申せば、スタジオ録音でも各プレイヤーがどれくらいの距離を持って演奏しているか幻視されるような音像がベスト。たとえそれがマイキングと定位のなせるイリュージョンだったとしても。それを味わうための席を選んでいる。その私は、青大将やシマヘビが出没するという湯浅家新居の24トンのレコードの「壁」から発掘されたアラン・トゥーサンのセカンド(大好物)に心から安堵したのだった。これでいずれじっくりかけてくれることもあるだろう。On your way downの聴き比べ、甲乙点け難し。リッチーのシンプルゆえのシャープなドラミングにともすれば軍配が。あと、みんな今期朝ドラを欠かさず見ているようで笑った。帰りに健治とマザーズ・ルーインで禁酒を破って一杯やっていると木滝P登場。続いてなぜか松本勝。てっぺん辺りでお開き。
某日、いわゆるシンガポールの日。どうでもいいんだが、二人の出会いが昔懐かしい自主映画で男女が左右からやって来ての出会いをカットバックで見せるやり口そっくりで、どうもこっぱずかしさを覚える。日本政府的には納得いかない会合に終わったかのような態度を終始一貫報道していた。お金がもったいないからいずれ在韓米軍を撤収するという米大統領の発言はなるほどショッキングではあるに違いないが、しかし、グアムから六時間かけて、というのもナンセンスなんで、というあたりは当然日米首脳の合意がなければ出るわけのない話だろう。かくして売国行為はいつものごとく国民の頭越しに先んじるのであり、それでもジェイニー・ムンの包括的勝利は目前である。
某日、『半分、青い。』は秋風先生の神週といったところか。昨日の「鬼、上等」から今日の笛投げたふりと連日ファインプレー続出。朝からリトル・フィートのおさらい。部屋を探すと『セイリン・シューズ』と『アメイジング!』が伊豆に置きざりになっていることに気づき、即座にアマゾンの世話になる。それにしてもファーストとロウエルのソロ『特別料理』も傑作。聴けば聴くほど味が出るというやつ。雨の降らない梅雨の気持ちの良い風と相俟って、ほとんど体にいいといいたくなるほどだ。



某日、それなりの天気の下、ハーバード大学に在籍する元フランクフルト・ニッポン・コネクションのプログラマー、アレックスとやはりハーバードのヘイデンさんとの新宿での会合。天ぷらを御馳走になる。どうやら来年秋までの予定が決まりそう。帰宅するとリトル・フィートの抜けていた部分が一気に届く。しかし結局のところ私はやはりロウエル・ジョージとリッチー・ヘイワードの最高に元気のいい場面が好きだ。湯浅さんは「変拍子という言葉は差別用語だ」と罵った。複合リズムと言えばいいか、頭とりづらい、とかいろいろ。



某日、降るような降らぬようなぼんやりとした天気の午後、大塚シネマハウスにて篠田昇没後十五年の特集上映でのトーク。中村裕樹オジキとディレカン同窓生・長澤雅彦とご一緒。オジキは『MISTY』という、崩壊しかけた現場の記憶を切々と語った。まあそういう現場の方が、当然だが記憶には生々しいものだ。話はたむらまさき氏にもおよび、篠田さんの助手デビューの際のキャメラマンがたむらさんであり、という流れをじっくり語られた。オジキは『竜馬暗殺』の撮影部すべてのメンツと組んだことがあり、その源流には宮川一夫がいる。その後の打ち上げ含めて最大の話題は、予想はついていたが『半分、青い。』の秋風先生はほぼ岩井俊二監督がモデル、という証言。まあ見たまんまですわな。途中、大橋が合流。長澤が連れて行ってくれた大塚の中華がやたらうまかった。
某日、朝、大阪で震度6。騒然とするなか、午前中から夫婦で出かけ、共通の友人の命日につき墓参。微妙に霧雨のような天気だが、本降りにはならず。花を買うかどうか迷い、とりあえず行ってみるとすでに美しい花束が捧げられてあった。線香のみ手向け、一周忌に改めて冥福を祈る。とりあえず女優を墓に案内するというミッションを完遂できたので心穏やか。帰りに初台のデニーズでブランチ。帰宅するとやがて甫木元が来て、欧州土産話に花を咲かす。パリで道草を食ったやつがおれより先にオランジェリーでモネの壁画を見てきたと知り、愕然。雨降る中で出かけた晩飯は、目黒川べりのもつ焼き屋。初めて入ったがなかなか悪くない。
某日、梅雨の中休みのような晴天。買い物に出ると路肩に色とりどりの花々が夏のはじまりを寿ぐべく爛漫と咲き乱れている。自宅にて編集者たちとホン・サンスについての対話を収録。喋っているうちにふと、ヴィスコンティの名前を口にしてしまったが、終わってテレビをつけるとなぜか『ベニスに死す』をやっている。間違っても酔いどれ監督とアッシェンバッハを同一視したわけではないのだが。そういえば朝ドラの律も秋風先生からタッジオとか呼ばれていたな。
某日、ようやく本格的な梅雨と呼ぶべき雨の早朝、女優は東南アジア某国へ旅立つ。私はしばしひとりで子育て。察してか、ぱるるもへんなところにうんちしてしまう。がんばらねばならない晩春。そしてブライアン、はぴば!

ぱるるとぼく
(つづく)






青山真治(あおやま・しんじ)
映画監督、舞台演出。1996年に『Helpless』で長編デビュー。2000年、『EUREKA』がカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞&エキュメニック賞をW受賞。また、同作品の小説版で三島由紀夫賞を受賞。主な監督作品に『月の砂漠』(01)『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(05)『サッド ヴァケイション』(07)『東京公園』(11)『共喰い』(13)、舞台演出作に『ワーニャおじさん』(チェーホフ)『フェードル』(ラシーヌ)など。
あちこちにたむらさんの追悼文が載るはずです。お別れの会は七月下旬の予定。あと、七月七日にアンスティチュ・フランセ飯田橋ゴーモン特集内でオフュルスの話をクリス・フジワラさんとやります。(※17:30の『マイエルリンクからサラエヴォへ』上映後)

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