
新装なった神代植物公園の大温室に妖しく開く食虫植物(撮影:風元正)
「分断」をつなぐもの
文=風元正
街にクリスマスソングが流れる季節となり、どうやら私は、1年間テレビ時評を続けてしまったらしい。クラクラする。しかし、最近『バンコクナイツ』『PARKS パークス』『ダケレオタイプの女』を1週間でたて続けに観るという挙に出て、自分が何をしたかったのか、ようやく腑に落ちた。まず、富田克也が捉えたタイのイサーン地方の底が抜けたように広い空と大地、瀬田なつきが一緒に駆けた少女たちの青春の輝き、黒沢清が魔術により溶かした生と死の境界線は、テレビは決して追いつけない表現だと思う。「映画」はやっぱり何かに挑んでいる。
いや、これはテレビに対する皮肉や批判ではない。普通に公開されている映画の手法ならば、ハリウッドを含めて、テレビはすべて、貪欲に呑み込んでいる。「視聴率」という最大公約数を追及するのが義務だから、大きな表現上の冒険ができないのは仕方ないとして、登場する俳優を含めても、映画とテレビはほとんど同一線上である。わざわざ大きなスクリーンで観る意味が見当たらない映画が大多数のような印象を持つ。
視聴率とシネコンとヤフーランキングが支配する世界の中で、作家たちはどう戦っているのか。その戦線を見極めるのが仕事ではないか。誰にも頼まれてないけど。『王様のブランチ』的な価値観はなかなか強力である。2016年は『シン・ゴジラ』のような闘いながらメガヒットというやり方を見出した映画もあったが、はたして初代『ゴジラ』を首尾よく更新することができたのか。伊福部昭が永遠に偉大であることは、よく分かった。

『PARKS パークス』 2017年4月22日(土) テアトル新宿にて公開!
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