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2017年08月号 vol.4

映画川番外編:『シネマの大義 廣瀬純映画論集』書評 (結城秀勇)

2017年08月26日 21:25 by boid
2017年08月26日 21:25 by boid

7月に出版された『シネマの大義 廣瀬純映画論集』(フィルムアート社)の書評を特別掲載します。今月号の青山真治さんの連載「宝ヶ池の沈まぬ亀」の中でも触れられていた本書は、批評家の廣瀬純さんの最新著書であり、2006~2017年の間に執筆された評論、講演採録他が収められた初の映画論集となっています。「シネマの大義の下で撮られたフィルムは全人類に関わる」という宣言のもと、ストローブ=ユイレ、ゴダール、オリヴェイラ、ブレッソンといった映画作家、さらに高倉健やカトリーヌ・ドヌーヴなどの俳優について、数多くの作品とともに論じられている本書を通して見えてくるものは何か、「映画(シネマ)」とは何か。本書の最後に収録されているゴダールの『さらば、愛の言葉よ』をめぐる座談会にも参加している映画批評家の結城秀勇さんが丹念に読み解いていきます。
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文=結城秀勇


 「 シネマの大義の下で撮られたフィルムは全人類に関わるのである」。そのことはすでにピンクのオビにデカデカと書いてあって、本書を手にとってページをめくりすらしなくても目に入ってくるのだ。だから、シネマの大義とはなにか、などという問いを立てる代わりに、シネマとはなにか、映画とはなにか、と問うてみる。
 そんな問いにこんなところでチョロチョロっと答えられるはずがなかろう、と思われるだろう――まさに「映画とはなにか」という問いに貫かれて映画を撮ることこそが、「シネマの大義の下で」映画を撮ることに他ならないのだから――が、しかし本書には、この問いに対する「精確かつ感動的な」「定義」として、ある一節が引かれている。「ロベール・ブレッソン 不確かさと二階層構造」の中で、『新ドイツ零年』公開時のジャン=リュック・ゴダールとの対談におけるマノエル・ド・オリヴェイラの言葉が引用される。

『新ドイツ零年』において私が気に入っているのは、深い両義性を帯びた記号たちが、それでもなお、あるいはだからこそいっそう、明瞭に存在しているという点です。実際、これこそが、そもそも映画というものー般について私が気に入っている点なのです。すなわち、美しい記号たちが、いっさいの説明を欠いた光のなかにただひたすら浸かったかたちで、スクリーンを溢れんばかりに満たす。これこそが映画であり、だからこそ私は映画を信じているのです。

 誰もがその通りだと強くうなづくほかないような言葉、「圧倒的な確かさ」を備えるように――まるでオリヴェイラの任意の作品の任意のカットそのもののように――思える言葉である。しかし、この言葉から廣瀬が引き出すのは、実現されるべき理念でも、到達すべき最終地点でも、映画とはなにかという問いに対する確かな解答でもない。そうではなく、ここに見出されるのは映画の「原理」あるいは「始まり」としての「不確かさ」なのだ。「映像内のすべての記号がー様に光を受けて、そのー粒一粒がすぺて平等に明瞭極まりない仕方で輝く、そして、そのときにこそ、不確かさが逆説的にもその圧例的な確かさの下で顕現することになる」。
 圧倒的な確かさを前にそこから立ち上がる不確かさ。それは『絶望論』で取られていた「おのれの眼前に不可能性の壁を屹立させそれに強いられて逃走線を描出する、革命の不可能性を自ら創出しそれに抵抗することで革命的になる」という方法論と同質のものだ。しかしそれだけのことであれば、ロベール・ブレッソン『やさしい女』のロードショー時のトークイヴェントでなぜこの引用がなされねばならなかったかということの十分な説明にはなっていない。当初「Incertitude(不確かさ)」という企画タイトルで『スリ』を用意していたブレッソンと、「O PRINCIPIO DA INCERTEZA(不確定性原理)」という原題をもつ『家宝』を監督したオリヴェイラという共通点はあるとはいえ、あまりにも唐突な、という印象をぬぐえない。
 にもかかわらず廣瀬がこのときこの場所で、オリヴェイラによる映画の「定義」を引用せずにはいられなかったのは、この発言の内容が前述した映画の「原理」であり「始まり」である「不確かさ」を孕んでいるからだけではなく、この発言者をめぐってもうひとつの「不確かさ」にわれわれはさらされている、という認識によるものだ。つまり2015年4月2日にマノエル・ド・オリヴェイラが死去したからだ。

オリヴェイラの死が映画にとって定めて重大な事件であると言うのは、彼の死とともにこうした定義が映画から失われてしまいかねないからです。二◯一五年四月二日を境に、映画は定義を失って、おのれの原理も始まりも知らぬままに、ただ彷徨うだけの存在になってしまうのではないか。オリヴェイラに続いてゴダールも死んでしまったら、映画は、何を以て映画と呼び続けられているのかもう誰にもわからないような、事実上どうでもいいものになってしまうかもしれません。

 オリヴェイラの発言にある「原理」と「始まり」としての「不確かさ」だけではなく、その発言者であり実践者でもあった人物の死去にともなってこの「定義」自体が別種の「不確かさ」にさらされている……。『アントニオ・ネグリ 革命の哲学』の用語を借りるならば、「定義」をそこに内在する「不確かさ」によって主体論的に揺り動かす必要があるが、しかしそれはつねに、われわれはもはや発言者の死去とともに別の「不確かさ」の只中に放りこまれているという構造論的認識の上でなされねばならない。この二重の「不確かさ」に挟み撃ちされた地点こそが、「シネマの大義」の始まる場所だ。

  同じような仕方で、本書の大半の文章で触れられる「クソ」の存在、また「奥行き」に対置されるものとしての「厚み」についても論じることができる。「ロベール・ブレッソン 不確かさと二階層構造」のすぐ後に置かれた「マノエル・ド・オリヴェイラ『ブロンド少女は過激に美しく』『アンジェリカの微笑み』 映画のエロス、映画のタナトス」では次のように語られる。「映画のエロスは記号を選別しないことに存する。映画は、宇宙を満たすありとあらゆる記号をいかなる例外もなくおのれのものとする力をもつ。この力に素直に従っている限り映画はいっさいクソを知らないが、同時にまた映画はそうしたおのれの無垢、おのれの清潔さ、おのれの正しさ、おのれの優等生ぶりに我慢がならない。ありとあらゆるすべての記号が平等に、等価にそれぞれの輝きを放つという絶対的な民主主義をおのれがあまりにもあっさりと体現してしまうことに映画は耐えられないのだ」。エロスとしてのこの力に対置されるのが「クソ」であり、自らを汚す力であるタナトスとして位置づけられる。
 ただ注意しなければならないのは、クソはオリヴェイラの定義にある「美しい記号たちが、いっさいの説明を欠いた光のなかにただひたすら浸かったかたちで、スクリーンを溢れんばかりに満たす」状態に対置されるのではないということだ。タナトスとしてのクソは、あくまで「エロスの純粋状態」や「セミオ=デモクラシーの絶対性」に対置されるものである。むしろ恣意的に言い換えるならば、クソは、「美しい記号たちが、いっさいの説明を欠いた光のなかに(以下略)」というひとつの映像をふたつに分けるときに生まれる。つまり廣瀬はオリヴェイラの言う「美しい記号たちが、いっさいの説明を欠いた光のなかに(以下略)」という状態を、ある「純粋状態」とは見なさないのだ。彼は「美しい記号たちが、いっさいの説明を欠いた光のなかに(以下略)」をふたつに割り、そこからクソを取り出す。そして「美しい記号たちが、いっさいの説明を欠いた光のなかに(以下略)」の中にクソを投げ返す。こうしてクソが「単純」に「セミオ=デモクラシーの絶対性」と共存しうる地点をこそ、映画の「原理」であり「始まり」と見なすのだ。
 次いで、主に「ヴィム・ヴェンダース『パレルモ・シューティング』 時間の矢、矢の時間」で問題とされる「厚み」という概念に話を移すなら、この文章と空族『サウダーヂ』を挟んで隣接する「レオス・カラックス『ホーリー・モーターズ』 疲労、ルックス映画の極北」と「大島渚 宇宙人の共和国をいかにして到来させるか」を併置させて考えてみる必要がある。1988年から1991年にかけて書かれたセルジュ・ダネー『練習は有益でした』における奥行き批判を発端として導入される「厚み」は、ヴェンダースの「映画の死」のテーゼを持ち出すまでもなく、歴史的な産物だ。1991年の『夢の涯てまでも』で「表面にとどまることをはっきりと放棄するに至る」ヴェンダース、1986年の『汚れた血』でのデイヴィッド・ボウイ「モダン・ラヴ」に合わせたドゥニ・ラヴァンの疾走を『ホーリー・モーターズ』で繰り返して見せるかのようなカラックス、そしてそのキャリアにおいて異なる二種類の抵抗を示した大島は、第二期の抵抗の有り様について1986年の『マックス、モン・アムール』を中心に論じられることになるだろう。つまり厚みは、表面を隅々まで踏破した果て、もはやどこにも行くべきところがなく、表面のどん詰まりに頭をぶつけるほかなくなる地点で始まる。日本という表面を踏破しつくして「日本がもっと広ければいいのになぁ」とつぶやいていた宇宙人になりたかった少年の20年後の裏返しの反復のように、自らを檻となす宇宙人であるチンパンジー。疲れを知らぬように駆け続けた四半世紀前の自分を反復するようでいて、ただただ疲労だけが蓄積していく疾走を見せるラヴァン。そして「泳ぐことを知らぬ者が水中に飛び込んでみせるときと同じほどの勇気」で、カメラを水中に沈めるヴェンダース。二次元的拡がりの限界まで行き着き、それでも安易に三次元的奥行きを仮構せず、表面に留まりながらも三次元を(あるいは、厚みが時間であるとするならば四次元を)導入しようとする者だけが、厚みを獲得する。「厚みの導入は表面を排除しない。厚みは表面が自身の裏地として獲得するものなのだ」。
 同時代的に「映画の死」を語るにはあまりにも遅れてやってきた著者による議論は、「映画の死」以降ものうのうと生き延びているわれわれ、あるいは死んだことにすら気づいていないまま現代を生きるわれわれの目に、かつてないほどアクティヴなものとして映る。

 不確かさ、クソ、厚み。それらは「1を2に割る」という毛沢東主義的方法論によって生み出される(定義を二分することによって見出されるクソ、そこにさらに歴史によって二重化される不確かさ、表面の踏破の果てに奥行きとは別のものとして見出される厚み)。この方法を映画の手法にたとえるとすれば、それはひとつのシーンをふたつのカットに割るというようなものではないだろう。そうではなく、むしろひとつのイメージをそのままでふたつに割ることの問題だ。ともすればスタティックなものにとどまってしまうかもしれない映像を、ふたつに割ることで絶え間ない運動にさらし続けること。たんなるスチール写真として静止しかねない映像を、叩き割って絶え間ない運動に汚染させ続けること。「クソは希望のたんなる反対物ではなく、希望の条件そのものにほかならない。クソの大津波に巻き込まれるとき、世界は初めて運動を知る」(「もちろん世界はクソに満ちている」)。
 「1を2に割る」、この方法論について廣瀬は『絶望論』の中で、「たとえばアラン・バディウがプロレタリア文化大革命について次のように述べるときに問題にしているのも、まさに革命の不可能性を独自に作り出すことにほかならないと言えるかもしれません」と語った上でバディウの次のような言葉を引用している。

一九六五年頃、中国では、現地の報道機関によって、"哲学の領域での大いなる階級闘争"と名付けられた試みが開始された。この闘争において対立し合うことになったのは、弁証法の本質を敵対性の発生にみてとり、"1は2に割れる"という定式を掲げる人々と、これとは反対に弁証法の本質を矛盾項の綜合にみてとり、"2は融合し1となる"という定式を掲げる人々であった。(中略)同時の中国で"左派"と呼ばれたのは"1は2に割れる"という定式を掲げる者たちのほうであり、"2は融合し1となる"という定式を掲げる者たちは"右派"と呼ばれた。なぜか。綜合の定式(2は融合し1となる)は、主観的側面から捉えれば、一者を求める欲望を表したものだと言えるが、これが右派だとされたのは、革命派から見た場合、それが時期尚早としか言えないものだったからだ。綜合の定式を掲げる主体は二者の貫徹を途中で放棄した主体であり、その意味で、階級戦争に勝利するということの真の栄光を知らない主体なのだ。この主体が欲望する一者は、実際にはまだ思考し得るものになっていないのであって、この主体が"綜合"の名のもとに訴える一者は、実のところ、かつての古き一者に過ぎないのだ。したがって、弁証法のこの手の解釈は復古主義的なものなのである。保守でないということ、現在において革命的であるということは、必然的に、分割を求めるということと同義となる。新たなものを作り出せるかどうかという間題は、与えられている状況の特異性のなかで創造的な分割を行い得るかどうかという問題に直結しているのである。

 長々とこのような引用を――しかもバディウの引用を!――行うのは、『シネマの大義』の中に"2は融合し1となる"という定式を掲げているかに思える文章があるからである。そしてその中でバディウ批判が(『アントニオ・ネグリ』の中でのネグリによるバディウ批判を、黒沢清、阪神タイガース、バディウという登場人物たちに置き換えたかたちでそっくりそのまま反復する批判が)行われるからである。それは黒沢清についてのふたつの文章だ。
 「黒沢清 万人がひれ伏す唯一最強の映像へ」は、「近所の商店街でビラを撒くことは歴史の舞台にあがることでもある」というバディウの一文を引き、そしてこのシナリオを「唯一最強の映像へと至る道をたどる」という責務を負う映画監督である黒沢清が(監督が神戸出身である事実をふまえ、三宮のアーケードでビラを撒くことで阪神タイガースの優勝を導くという翻案で)映画化するとしたら、という仮定で始まる。その場合、脚本家であるバディウのシナリオには、阪神タイガースの優勝の原因はフレームの中に描かれ得ないものとして存在する(天から降ってくる)。だが監督はそれを映画化するにあたり、「ビラ撒きから優勝へと至る過程をワンカットで示す」ことなくしてこの映画を撮ることはないだろうと語られるのだ。黒沢は革命がその場で実際に起こるその場面を「ツーシーン=ワンカット」として実現するだろう、と語られるのだ。
 まったく個人的な感想としてこの文章を初めて読んだとき、正直言ってわたしは、来るべき「唯一最強の映像」としての「ツーシーン=ワンカット」の片鱗として見出すべき映像を、おそらく筆者がもっとも念頭においているだろう『勝手にしやがれ!! 英雄計画』のあの「長回し」のシーン以外になにも思いつかなかった。もっと言えば、それを「ツーシーン=ワンカット」として語ることが(バディウが述べるように!)「時期尚早としか言えないもの」のように感じたのだ。もちろん70年代ゴダールの言う「正しい映像」と「たんなる映像」の議論、それが「映像関係のその無尽の可能性をそれでもなお消尽しモンタージュの極北に至るため、不毛のその極北において映像を来臨させるため、いかなる映像関係にももはや包摂され得ない文字通りの『たんなる映像』をそれとして出現させるため」継続されなければならないという議論は非常によくわかった。それでもなお、「唯一最強の映像」は「ツーシーン=ワンカット」なのか……、だとしたらそれはあまりに「時期尚早としか言えないもの」なのではないのか……、そんな疑念が拭えなかった。
 しかし改めてこの文章を再読するにあたって思うのは、仮にそれが「時期尚早」なのだとしても、ならいったいいつならちょうどいい時期など訪れるのか、いったいいつそれが「天から降ってくる」のか、ということだ。この文章が「シネ砦」Vol.1に収録されてから2年近い月日が経つ(つまりこの文章が書かれてからはもっと長い年月が経つ)が、いっこうにその気配はない。というか、そのいつかわかりもしない時期が「天から降ってくる」のを待つ人間には、あまりにも「間に合わなかった」者たちによる「シネマの大義」などそもそも無縁のものだろう。革命はつねに、いまここで起きなければならない。
 続く「『ダゲレオタイプの女』問題、あるいは、黒沢映画の唯物論的転回」において、筆者は「『唯一最強の映像』の探求から離れつつある黒沢」について語る。そうなのだろうか? そもそも「唯一最強の映像」は黒沢清について廣瀬純が語ることによってしか到来しないものではないのか? 『アントニオ・ネグリ』の「第4章 怒りか、恥辱か」において、廣瀬は「ネグリがその身をもって生きてきた(そしていまもなお生きている)あの圧倒的な希望をもう一度しっかりと受けとめ、その視座から自分の絶望論を再読するということ。ネグリからぼくが突きつけられたのはつまるところこの『宿題』だったのである」と述べている。フェリックス・グァタリ論として、あるいはフランコ・ベラルディ論として果たされるべきかもしれないと書かれるその「宿題」は、同時に黒沢清論、「唯一最強の映像へと至る道をたどる」監督としての黒沢清論としても果たされなければならないものではないだろうか。「希望を抱いては絶望し、しばらくするとまた希望を取り戻して精力的に活動を再開する」というようなやり方で。オリヴェイラのように死去したわけではなく、すでに「『ダゲレオタイプの女』問題、あるいは、黒沢映画の唯物論的転回」以降も複数の新作を用意している黒沢について、その「唯一最強の映像」について新たな文章が書き継がれる日は遠くあるまい、そう思っている。
 シネマの大義は、つねに始まりから始める者にしか宿らない。






結城秀勇(ゆうき・ひでたけ)
映画批評、映写技師、雑誌「NOBODY」編集委員。「NOBODY」のほか「リアルサウンド」などで映画評を執筆。共編著に『映画空間400選』(LIXIL出版)。8月25日発売の『エドワード・ヤン 再考/再見』(フィルムアート社)に『カップルズ』評を寄稿。

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