世界各国の音楽を発掘・収集するユニットSoi48が、微笑みの国=タイの表と裏を紹介する連載「微笑みの裏側」。今回紹介してくれる音楽は60年代に日本で流行したリズム歌謡「ドドンパ」とそのルーツとされるフィリピン音楽のバックグラウンドについて。アジアの音楽の中でも欧米の影響が強いフィリピンから発信されたフィリピン・マンボのリズムがその原型と知り・・・。
文=Soi48
最近、日本の音楽がタイにどのように伝わったか興味があって、本を読んだりインタビューを取ったりしている。ワールドミュージックの本でよく目にするのは"アジアは繋がっている"というフレーズだ。確かに自分は漢字も読み書きできるから台湾や中国とはさほど遠くはない文化圏で生活しているのかなというぐらいの感覚はある。しかし漠然と"アジアは繋がっている"と言われてもしっくりこないのが現実だ。騎馬民族は馬の上でパカパカ走りながら生活しているから3拍子のリズムが多いらしい、モンスーンのある場所だとこのような音楽が多いらしい、世界大戦の時日本が侵略したから日本の音楽が嫌悪感から浸透しないらしい・・・など本当だか推測だかわからないような、今時でいうと"ソースは?"と尋ねたくなる資料が多くあった。どれも全て正しいような気もするし、全て推測だけの気もする文章ばっかりで戸惑ってしまう。そんな中で面白い話を見つけたので今回はそれを紹介したい。
それはドドンパの話である。昭和歌謡も和モノのレコードも興味のない自分にとってドドンパは名前は知っているものの、とても遠い存在の音楽である。なんとなく60年代に日本で流行したリズム歌謡で、加山雄三が歌っていて、紅白歌合戦で氷川きよしが歌っていたのを見たことがあるといった程度の知識しかない。そんなドドンパに興味を持ったのが輪島祐介著『踊る昭和歌謡』を読んでからである。 この本には当時マンボ、カリプソ、チャチャチャなどアメリカで流行したラテンのリズムを取り入れて日本のポピュラー音楽は楽曲を制作していたという歴史が書かれている。その一例として60年代初めに流行したドドンパが登場するのだ。ドドンパを代表する曲は、61年渡辺マリが歌い大ヒットとなった「東京ドドンパ娘」である。これをきっかけにドドンパは映画でも使われ、そのままのタイトルの『東京ドドンパ娘』、勝新太郎主演の『ドドンパ酔虎伝』、宍戸錠初の主演作『ろくでなし稼業』で歌われている。こうしてドドンパは60年代初頭を代表する流行リズムとなった。
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