boidマガジン

2018年04月号

映画川『大和(カリフォルニア)』 (海老根剛)

2018年04月02日 15:20 by boid

今週の映画川は、4月7日(土)から劇場公開される『大和(カリフォルニア)』(宮崎大祐監督)。昨年に大阪アジアン映画祭にて初上映され、ようやくの公開となる本作は米軍基地、貧困といった問題を抱える大和という場所で、ひとりの少女が“語るべき言葉”を獲得していく物語。そのタイトルに含まれる「大和」と「カリフォルニア」の2つの世界の力学と登場人物の「ホーム(故郷)」の描かれ方について海老根剛さんが考察されています。




文=海老根剛


 いよいよ『大和(カリフォルニア)』が日本の映画館のスクリーンに帰還する。2016年に制作された本作は、昨年3月、大阪アジアン映画で国内初上映されたのち、世界各地の映画祭を経めぐり、さまざまな観客たちと出会い、大きな反響を呼び覚ましてきた。そんな作品がようやくいま、日本の幅広い観客たちの前に姿を現そうとしている。機が熟したというべきだろう。
 国境を軽々と横断して行く先々で人々の経験と共振してきた本作の歩みは、この映画が描き出す世界にふさわしい。すでにそのタイトルが示している通り、『大和(カリフォルニア)』は、みずからのうちに二つの場所、二つの空間の入り組んだ関係を含んでおり、そこで描かれるローカルな「地元」の世界は、あらかじめグローバルな動きに深く浸透されている。この映画に登場する人物たちみな、何らかの意味でこの力学の渦中にあって、「ホーム」(故郷)を半ば見失っているのである。
 とはいえ、『大和(カリフォルニア)』というタイトルは、単に実在する二つの場所の名称を組み合わせることで、日本とアメリカという二つの国の関係を示唆しているにすぎないのではない。私たちはむしろ、「大和(カリフォルニア)」という言葉を、この作品がはじめて切り開く未知の土地の名として理解すべきだろう。本作は米軍基地に隣接する都市に生きる若者たちのドキュメンタリー的なポートレートではない。この作品で宮崎監督が試みているのは、「大和」を「カリフォルニア」によって二重化することで解き放たれる「フィクションの力」に賭けることなのである。現実をフィクションによって二重化し、距離化することで、アイデンティティーと社会的プロファイリングの牢獄から登場人物を解放し、「ホーム」の経験を語る別のやり方を発見すること。これが『大和(カリフォルニア)』の挑戦であり、本作はそれに成功している。
 映画の冒頭では確かに「大和(カリフォルニア)」というタイトルは、物語の舞台である大和市と一部がその市域内にある米軍厚木基地の空間的な位置関係(日本の中にあるアメリカ)を意味しているようにみえる。またそれは、日本とアメリカの地政学的関係(アメリカの属国としての日本)を示唆しているようにも思える。作品の冒頭、廃材の山に囲まれた主人公のサクラ(韓英恵)が鬱屈した気分をラップで吐露し、轟音を上げて頭上を飛び去る軍用機を見上げるとき、「大和」が「(カリフォルニア)」に包囲されているように感じられるのだ。しかし、映画が進むにつれて、「大和(カリフォルニア)」には別のレイヤーが付加されていく。サクラの母(片岡礼子)を訪ねてサンフランシスコからやってきたレイ(遠藤新菜)とサクラとの出会いや、レイの父親アビーとサクラの母との関係、アビーを通じて知ったヒップホップがサクラにとってみずからの存在を支える表現行為になっていることなどが語られるのである。
 こうして現実がフィクションによって二重化されていくのだが、この作品で「大和(カリフォルニア)」が映画によって切り開かれる未知の土地の名へと変容するには、音楽の力が必要だった。レイと喧嘩したことを母親に咎められたサクラは家を飛び出し、父親代わりとも言える鰻屋の河野のもとを訪ねるが、河野はすでに店を畳んでいた。帰るべき場所を完全に見失ったサクラは夜の街路をさまよう。映画が映し出す地方都市の匿名的な風景がラディカルに変容し始めるのはここからである。このとき三つの音楽が決定的な役割を果たす。ひとつは片岡礼子が夜の橋の上で口ずさむ日本の歌曲であり、もうひとつはGEZAN&宍戸幸司による轟音のギターサウンド、そして最後はサクラ自身のラップである。『夜が終わる場所』でもそうだったが、宮崎作品において夜の橋は帰るべき場所を持たぬ者たちがふと立ち止まり、息をつき、柔らかな時間が流れ出す特権的な場であるらしい。そこで口ずさまれる歌は記憶のなかのひとつの場所を指し示す。他の二つの場面は、ぜひ劇場でその音響ととともに体験して欲しいので描写を差し控えるが、GEZAN &宍戸幸司の奏でるホームレス(帰るべき場所を持たぬ者たち)の音楽がサクラの背中を押し、声を取り戻すのを助けるのに対して、ラップは現実を意味づけ一人ひとりに役割を分配して回るルーチン化した言語と格闘し、それを韻とリズムで砕くことで、一度完全に見失った「ホーム」との結びつきを自分自身の手で再構築するのを可能にするようにみえる。



 映画の最後で、私たちは映画の冒頭でも映し出された大和駅前の広場に立つサクラを見る。
 「アイ、アム、インディペンデント。」
 サクラはまっすぐ天に向けて指先を伸ばし、そう宣言する。この英語とも日本語ともつかない言葉の晴れ晴れとした力強さ、いかなる国語にもたやすく回収されることのない不格好な言葉の輝き。これこそがこの映画がたどり着いた地点を指し示している。この言葉は「最強のインディペンデント映画」たらんとする『大和(カリフォルニア)』の宣言でもあるのだ。

大和(カリフォルニア)
2016年 / 日本・アメリカ / 119分 / 監督・脚本:宮崎大祐 / 出演:韓英恵、遠藤新菜、片岡礼子、内村遥、ほか
4月7日(土)よりK'sシネマほか全国順次ロードショー!
公式サイト




海老根剛(えびね・たけし)
ドイツ文化研究・表象文化論。大阪市立大学大学院文学研究科准教授。元『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』編集委員。近著論文に「〈映画都市〉としてのマドリード――アルモドバルの初期作品における都市表象をめぐって」(『表現文化』第9号)、訳書に『ヴィデオ――再帰的メディアの美学』(イヴォンヌ・シュピールマン著・柳橋大輔、遠藤浩介共訳/三元社/三元社)、『自然と権力』(ヨアヒム・ラートカウ著・森田直子共訳/みすず書房)など。東京生まれ、大阪在住。

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