boidマガジン

2017年07月号 vol.4

Animation Unrelated 第43回 山村浩二インタヴュー 後編 (土居伸彰)

2017年07月28日 15:57 by boid
『怪物学抄』


※このページは前編の記事の続きです




映画からの離脱

――今回の特集上映の話に戻ると、いろいろな作品の中に共通して見えるモードがあるなと。繰り返しの動きであったり、キャラクターたちが散らばっている感じ。ひとつの中心があるというよりは、いろんな現象やメカニズムが複数同時に展開している。『古事記』での編集の仕方が象徴的だなと。映画的にカットを切っていくのではなく、1つの平面上でいろいろな出来事が展開していく。これは意識的ですか?

山村 意識的ですね。『古事記』あたりから、かなり。絵本をやっていた影響もあると思うんですけれども、編集で語る映画的な言語がだんだんと古いものに感じられて。映画って、トリミングせざるをえないじゃないですか。画面の外にも世界があるのに、見えるのはこの画面だけっていう。いつも切り取った画面で、画面の中にマージンが全然無い。画面の外側に当然マージンを作っているんだけど、映画をスクリーンに映っているものと考えるとすれば、やはり全然マージンがない。どの映画を見ても、「画面がキツいなあ」「余白ないな」って。その感覚から、平面として映画を捉えはじめた。特に『サティ』は展開するのが「舞台」なので、舞台自体にも余白があって、そこにポツンと何かがあるっていう感覚。『古事記』のときも、カメラが映画的に神話の世界の内部に入っていくというのに違和感があって、もうちょっと距離をとって捉え直したかった。生々しいドキュメントではなく引いた位置で撮らないと……たとえば、木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)に求婚するところをカットバックでやると気持ち悪いわけです。映画的な言語が古い感じがしてきちゃったんですよね。もうちょっと引いた視点で、色んなことをただ捉えるというような見え方。あくまでそこにはただスクリーンに映し出された平面しかなくて、何の奥行きも無い壁を僕らは見ているんだという意識。

――キャラクターのサイズが比較的小さいのも、そういうところと繋がってくるんですかね?

山村 余白が欲しくて。切り取られてしまうのが気持ち悪い。昔の漫画映画って、キャラクターの全身が画面内に入っていたんですよね。だんだん発達してくると、クローズアップとか引きとかのカメラワークが漫画映画にも入ってくるんだけど、それが今もう古い気がして。僕はもう全身入っていないと気持ち悪い。『頭山』や『田舎医者』は映画的技法でトリミングしていて、カメラとの距離やレンズの違いとかを意識して描いていたけど、そういうのがまだるっこい。

――プレスシートの中で、トム・ムーアと対談しているじゃないですか。彼もそういうような描き方をしますよね。シンパシーとか感じたりします?

山村 グラフィック的に画面を捉える意識では感じる部分がありますね。「多分こういう風に絵を作りたいんだな」っていう。

――近年のアニメーションの傾向として、山村さんがさっき言った寓話性みたいなことが世界的になんとなく出てきた気がしていて。

山村 トム・ムーアもアイルランドの神話に興味があるわけですし。

――山村さんは、2000年代から2010年代前半にかけて、パーソナルな世界をアニメーションで描く傾向の代表みたいにも見られてきたと思います。一方でアニメーションはいま、トム・ムーアも代表的な存在だと思うんですが、「私」から「私たち」の世界に描く世界が抽象化している気がする。「個」とか「パーソナル」からちょっと離れてきている。で、山村さんは「私」の世界を描く人の文脈で捉えられがちだったんですけど、今回の上映を観ると、全然そうじゃないんですよね。おそらくそれは、そもそもの昔から。

山村 はい、ずーっと(笑)。僕は自分のことを描いてるみたいに思われてるけど、そんなつもりは全然ない。たぶん、本当にプライベートなテーマでやったのは『マイブリッジの糸』くらいで、それ以外はどちらかというと外と接続をして描いている。単純に、1人で作っているというつくり方のほうが目立つので、自分のことを描いていると思われちゃうんですよね。何か勘違いされるというか。

――『頭山』で山村さんのキャリアが変わった、みたいな話もされるじゃないですか。大人向け作品への変化みたいな。でも、今回の作品群を見ると、『頭山』以前の子供向け作品とも共通するところがあって、山村さんのキャリアの全体像が見えてくるみたいなことがすごくあるような気がする。今回の作品って、子供向けに作ったというわけではないですよね?

山村 子供向けに作ったものはまったく入っていないんだけど、でも、お子さんに見てもらっても支障がないものばかりかな。マクラレンの作品も子供向けには特に作られていないけど、でも子供が見ても楽しめる。たぶん、リズムとコントラストしかないような世界だから。

――そういうのって何向けっていうんですかね? 「〜向け」という考え方自体がそもそもアレなんですかね……(笑)

山村 ねえ。でもそういうのって「実験」って言われちゃうんですよね、世の中的には。すごく単純で素直に映画に向き合っているつもりなのに。難しいところです、本当に。

――でも、今日の話を聞いていると、映画やアニメーションが育ててきた歴史的な文脈というか、制約みたいなものから、自由になってきたのかなと思いました。

山村 制作しているときはあまり意識しなくなってきていますね。ベースにはどうしても残ると思うんだけど。そういう部分を必死になって作品で表現しなくてもいいかなとは思ってます。

――ここ2、3年、アニメーションが急に多作になったのは、そういうことも関係あるんですかね?

山村 それは年齢的なものかも。若い頃はいろいろ悩むじゃないですか。でも、50代くらいになると、単純に色々経験値も増えて、悩む時間がほとんど無くなってくる。変なこだわりみたいなものからも吹っ切れてくるので、生産性が上がるんですよ。50代になると仕事が速くなるっていう話はいろいろな人から聞いてたんだけど、やっぱりそうだなと。学生を教えてると分かりますけど、時間がかかっているのは悩んでる時間なんですよね。経験値が無いので技術的にも手が遅いというのはあるんだけど。僕は性格的にはせっかちで、早く決めていきたいタイプだったけど、それでもやっぱり若い時期なりのこだわりとか試行錯誤があった。でも今はそこからだんだん離れてきて、スピードが上がっている。このあいだ、上野耕路さんから新譜のCDが届いたんだけど、マネージャーの方が「最近の上野はこれまでの18倍のスピードで作曲してるんですよ」って書いていて、「分かる!」って(笑)。10倍じゃなくて18倍なんだ!っていうのが可笑しかった。でもたぶん、50代過ぎてくるとそうなってくると思う。全員ではないかもしれないけど、ある程度いろいろとやってきた人は。

――なるほど。となると、これからは多作に?

山村 なんかね、今、依頼の仕事がちょっと多すぎてしんどくなってきていますけれども。

――でも、できないことはない?

山村 まあ、ねえ(笑)。

――でも一方で、長編も作りたいんですよね。

山村 『Dozen North』が実は長いんですよ。

――「右目と左目でみる夢」との関係性で言うと、次のステップですか?

山村 うん、だいぶ違うものになると思っています。今回の上映は自分では良い区切りだなと思っていて。『怪物学抄』くらいまでで、ここ5、6年の細々とした試みがひと区切りした。今回で清算して次の段階に行けるかなと思っているんですけどね。


『怪物学抄』とポジティブな未来

――最後に『怪物学抄』についてお聞きしたいです。『こどもの形而上学』の対になる作品とおっしゃっていて、確かに構造的には凄く似ている部分はありますが、少し不思議な作品だなと思って……これは「架空の中世ヨーロッパの怪物学者による架空の怪物の公文書」って書いてあって。単純に「これ、なんなんだろう?」ってなる(笑)。それぞれの怪物名も、固有名詞というよりは、物凄く平易な言葉で書かれているものばかり。これって、元ネタみたいなものはあるんですか?

山村 いくつか実在の怪物が……実在の怪物って変ですね(笑)。伝承的に描かれた過去から存在する怪物はいくつかある。でも、そういった怪物を表現したいわけではなくて……どこから話せばいいかな。変な言葉を書き溜めていたんですよ。「自分の腐敗をコントロール」だとか、「筋肉質な暗闇」だとかも、変な形容詞と組み合わせてみて、別に意味はないものとか。あと聞き間違えとか。「レントゲンケーキ」も聞き間違え。でもその言葉自体が印象的で、意味は無いけど書き留めていた。そういう言葉が半分くらい使われている。それがどうして怪物と結びついたのかといえば……全然意味は無い(笑)。

――これらの怪物が、自分のペルソナとしての怪物みたいな印象を受けたんですよね。今日の話とつなげて考えると、まさに神話ということなのかもしれない。世界を理解するための落とし込みとしての怪物。方法論的にはシュルレアリスムっぽいですね。

山村 そうですね。無意味なものを組み合わせてみて、もしかしたらちょっと別の意味が見えてくるという。まあ、ナンセンスな世界ですよね。

――今日の最初の話題で、アニメーションは突き詰めるとコマ同士のコントラストになるという話がありました。その話ともつながるのかなと。『怪物学抄』で面白いのは、最後に「あなた」って出てくるところ。「え?わたし?」ってびっくりする(笑)。でも、急にその瞬間、作品世界にひねりが加わって、自分もそこに入れこまれる。あのラストシーンはどういう意図で入れたんでしょうか? 

山村 ラストは……どうしたんだっけねえ? 本当、忘れちゃうんだよね、どうやって決めたか(笑)。

――(笑)。反転の感覚が、すごく山村さんらしいなと……

山村 反転は『サティ』からつながっているんですけどね。『サティ』がメタ舞台というか、一通り見せておきながら最後に「何も演じられなかった」で終わるという。見ているものを単純に信じるんじゃなくて、そこにひねりを加えることで、逆に真実の強度を与えるというか。そこで起こっていることを信じすぎてしまうのって、傍から見たらすごく滑稽だし、いろんなことを見落としているんじゃないの、って気がする。それを防ぐっていうんですかね。

――なるほど。『怪物学抄』のラストを観て、『水棲』を思い出したんですよね。自分と自分の鏡面と対面して、それが変化していく。それもまた反転なのかなと。そこから、『頭山』のラストだったり、いろんなシーンが思い出されてくる。だから本当に今回の上映は、山村さんのアニメーションでやってきたことが、物凄くクリアになるなと。

山村 へえー……(笑)。

――「へえー」って(笑)。もうひとつお聞きしたいんですが、今のようなモードに入ったなかで、過去のものでもいいんですけど、改めて好きだと思えるアニメーション作品ってありますか? 「やっぱりこの作家はすごい」みたいなことに改めて気づく、みたいな。

山村 うーん、難しい質問ですね……でもまあ、マクラレンですかね? 『創作アニメーション入門』ではあまり良く書いてないんだけど(笑)。

――マクラレンって、どんなふうに良く書いたらいいのか難しいですよね。すごいんですが。

山村 難しいんですよ。でも、語り始めると一番語りたくなるのはマクラレン。他の作家って、ひととおりしゃべるともう尽きちゃうんだけど、マクラレンはいろいろな幅を持っている。やっぱり、頭脳だけでやってないからでしょうね。他の作家はだいたい範囲が見えるんだけど、マクラレンはそこを越えたところでやっている。

――「頭脳だけじゃない」という話は、サティだったりだとか、初めの話の「純粋さ」みたいなところにつながりますかね?

山村 そういうピュアさに惹かれるところがある。サティもいい音楽さえ作れば認められると思ってた人なんですよね。でも生前もそんなに認められていないし、未だにメインストリームのクラシック界では実はそれほど。今年は「パラード」の100周年だから盛り上がるかなと思ったら盛り上がらないし、やっぱりマイナーな存在。オルタナティブな人たちにどうしても共感しちゃうっていうのがある。絵でも、作者名のわからない版画とか、そういうものに惹かれたりする。全然著名ではない絵本作家の、さらに埋もれている絵とかに魅力を感じたりとか。

――ちなみに、インターネット以後の時代についてはどう考えていますか? 突飛な質問ですが。ある意味、「私のない世界」みたいな感じがありません? 匿名性の強い表現が流通していたり。今の話みたいなのとすごく繋がるところもあるのかなと。

山村 難しい話(笑)。

――じゃあ単純に、今の時代についてポジティブに考えてますか? ネガティブに考えてますか?

山村 そんなにネガティブには考えてないですね、なんでも。VRでも、ネットでも、GIFアニメーションでも。

――今回はすごくGIFアニメーションっぽい感じがありました。

山村 うん、そう。作品としてきちんとパッケージングされて、構造があって盛り上がりがあって終わりが来て……みたいなものじゃなくて、すごく断片化されている。僕はもともとそういう断片化したものが好きで、今回も断片的な要素が散りばめられたものが多い。筋がきっちりあったり、構造がしっかりあるものより、構造の緩い方へ向かっている……構造も嫌なんで。だから『怪物学抄』は、構造もなくフラットにしたかった。どこから切り取ってもいいように見える。実は構造はあるんだけど、でも、はじまりがあってターニングポイントがあって……みたいなものがもう違うかなと。フラットで緩やかな構造を持った方が、面白くなってきている。時代の感覚としてはそっちの方がすんなりとくるというか、ガッツリと話を見せられるのは、みんなしんどいんじゃないかなって。

――アニメーションとか映画の定型からは外れているけど、でも実は現代的。なおかつ普遍性もある…普遍性というよりは、色んな時代に偏在している数々の表現者たちの世界と、ふわっと繋がりあうような……

山村 そういう感じです。

――物語とか、カチッとした構造から解放されたときに、実は…

山村 よりこう、接続しやすくなってくるんじゃないかなという気はしています。
(終)

聞き手・構成:土居伸彰
協力:吉田瑠璃子



山村浩二 右目と左目でみる夢
アニメーション・監督:山村浩二 / 製作・配給:Au Praxinoscope
© Yamamura Animation

8月5日(土)ユーロスペースにてロードショー
公式HP




山村浩二(やまむら・こうじ)
アニメーション作家、絵本画家、イラストレーター。東京藝術大学大学院映像研究科教授。2002年『頭山』が世界の主要なアニメーション映画祭で6つのグランプリを受賞、米アカデミー賞短編アニメーション部門にノミネート。その他の作品に『バベルの本』(96)『カフカ 田舎医者』(07)『マイブリッジの糸』(11)『サティの「パラード」』(16)『怪物学抄』(同)など。『くだもの だもの』シリーズ(文・石津ちひろ/福音館書店)や『怪物学抄』(河出書房新社)など絵本作品も多数。


土居伸彰(どい・のぶあき)
株式会社ニューディアー代表。新千歳空港国際アニメーション映画祭フェスティバル・ディレクター。著書『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』(フィルムアート社)が日本アニメーション学会賞2017を受賞。8月12日(土)からヒューマントラストシネマ渋谷ほかにて「変態アニメーションナイト2017」を開催。



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