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2017年09月号 vol.4+10、11月号

樋口泰人の妄想映画日記 その53

2017年11月11日 17:17 by boid
boid社長・樋口泰人による10月1日~10日の業務日誌ときどき映画&音楽&妄想日記です。久しぶりの試写で見たトム・フォード『ノクターナル・アニマルズ』からエイミー・アダムスとジェニファー・ローレンスについての妄想へ。後半は初開催となる宮城県利府市での爆音映画祭について。

 



文・写真=樋口泰人

9月末の丸井吉祥寺店屋上でのイヴェントがあまりに気持ちよかった余韻のまま過ごした10月上旬。もちろんそんな気持ちなどお構いなしに現実は進行。いつまでも心を中空に漂わせていると足元をすくわれる。ただもう、足元すくわれたっていいじゃないかという気持ちにもなっている。いや、だがそうではない、両方。心を中空に漂わせたまま足元も大地につける。都合良すぎると思われるかもしれないが、そんなやり方がある。諦めたら終わり。爆音調整の最後の粘りにも通じる。何かをあきらめることなくすべてが均衡を保つ地点が必ずある。

 

10月1日(日)
昼の電車で山梨の実家へ。あまりの忙しさの中で半年以上間が空いてしまった。その間に身延線の最寄駅の様子も変わった。完全無人駅。駅前も何もない。

 

 

夜、外に出てみたのだが、やはり人の気配がない。年寄りたちはさらに老化が進んでいた。

 



10月2日(月)
庭の草取りをした。秋の花盛りだった。

 

 

 

すでに人が住まなくなって10年以上立つ隣家は、ますます『夏の庭』となっていた。残念ながら、ここにまだ誰かが住んでいるのではないかと妄想しつつ観察を続ける小学生が、物理的にいない。年寄りたちは自らが否応なく抱え込んだ自分や他人や見知らぬ人の歴史を我が事のように聞かせる相手もなく、ますます人の気配は街から消えていく。

 



10月3日(火)
本当に久々に試写。トム・フォード『ノクターナル・アニマルズ』。『メッセージ』といいこの映画といい、エイミー・アダムスじゃなくてジェニファー・ローレンスだったらもうちょっと違っていたんじゃないかと、そんな思いが湧き上がる。それ以上に、ジョディ・フォスターやシャロン・ストーンだったら。まあ、私が歳とっただけである。もちろんエイミー・アダムスは大好きで、どこが好きかというと、幸薄い、どちらかというとゴージャス感に欠ける部分。誰もが映画を輝かせることができるわけじゃない。映画の中の小さな欠損。気がつくとその映画を反転させてしまうようなジョーカーとして、映画の足元を常に揺らす。誰もがやりたがるわけではなく、当然誰にもできるわけではない役割を、彼女は彼女だけのやり方で、ちょっとした悲しみとともに演じることができる。
この映画でも確かにそんな役割なのだが、だが、あまりに堂々とそれをやっているので、「欠損」にはならない。それなら俄然ジェニファー・ローレンスがいい。デヴィッド・O・ラッセルはパワハラ、セクハラであれこれ問題になってはいるが、『アメリカン・ハッスル』はそんなジェニファー・ローレンスとエイミー・アダムスの配置の見事さだけで観ることができる映画だった。『ノクターナル・アニマルズ』はつまらないわけではないのだが、例えば、ジェニファー・ローレンスとエイミー・アダムスの二人一役とかでやったらどうだったか。まあそんなことできるわけはないのだが、わたしの脳内ではすでにそんな映画が動きはじめている。エイミー・アダムスにはキム・ベイシンガーの道を歩んでいただけたらと思う。そしていつか、『8Mile』でのベイシンガーのように、デトロイトのラッパーの酔っ払いの母親となって、テレビで流れる『悲しみは空の彼方に』を見ながらボロボロと涙を流す。そんな熟年を迎えてほしい。もちろんこちらの勝手な願いをあっさりと覆す新たなエイミー・アダムスを期待してもいるのだが。



10月4日(水)
マーク・ウェブ『ギフテッド』。天才少女がどう生きるか、周囲の人間が彼女とどう関わるかという物語。ゴージャスと欠損という『ノクターナル・アニマルズ』の話に繋げるなら、人生における過剰なゴージャスとそれゆえの過剰な欠損を持ってしまった人間をめぐっての物語ということになる。もちろんうまくいくはずはないのだが、そのあり得ない過剰さに、人々の可能性が吸い込まれ広がる。天才少女の物語というより、周囲の人々の可能性の物語と言ったらいいか。そのあたりで、マーク・ウェブのデビュー作『500日のサマー』とも関わってくる。もちろんともに、映画自体がカラックスのようにその可能性の向こう側へと、主人公たちとともに旅することはない。そうではなく、あくまでもこちら側にありつつ何ができるか? デプレシャンなら、こんな物語をどんな風な映画にするだろうか? 『キングス&クイーン』を観たくなる。

本日は中秋の名月とのことで、確かに空が明るかった。写真に撮ってみたが、光っているものを撮るのは難しい。雲ばかりが写った。

 



10月5日(木)
記憶なし。



10月6日(金)
夕方には仙台に。そして車で利府へと向かう。初めての場所での爆音の準備である。土地勘がないので、ほとんど車でしかくることのできない郊外のショッピングモールのシネコンにいったいどれだけの方たちが来てくれるのか、まったく見当もつかない。ちょっと前に今回のための取材をされた時の河北新報の記者の方は、大きなライヴも利府だし、仙台からも車で20分か30分くらいだからそんな問題はないですよとは言ってくれていたのだが。

 

 

とりあえずシネコンのそばで夕食を食い、21時すぎから調整が始まる。今回はスピーカーも新品。新しい音がする。これは本当にあるのだ。音の立ち上がりが早いということなのか。

 

 

『ラ・ラ・ランド』はその新しい音のおかげで、小さな音までくっきりと聞こえる。冒頭の高速での合唱は、それぞれの人や楽器の音がそれぞれの輪郭を保ちつつ耳元でひとつになる。爆音で映画を観る小さな幸せ。喜びの一瞬。

初爆音となる『ベイビー・ドライバー』は車の映画でもあり、音楽映画でもある。主人公の彼女が口ずさむカーラ・トーマスからデインジャー・マウスのまで、私の知らない曲もいくつかありつつ、とにかく選曲が幅広い。ブラック・ミュージックだけでなく、ジョン・スペンサーやジョナサン・リッチマン、そしてサイモン&ガーファンクル。観るぶんには楽しいのだが、どの曲に合わせるのが一番か。結局サム&デイヴに合わせたという、まあ、年寄り好みの音になったと思う。それもまた良し。60年代スタックスの音が、映画前編のベースに流れるのである。閉館された映画館をスタジオがわりに使うことで独特のサウンドを築いたスタックスの音こそ、まさに爆音のルーツであり基準でもあるのだ。

『この世界の片隅に』の爆撃シーンはさすがに座席下や天井にもスピーカーを入れたYCAMの時ほどは迫力は出ないので、そのぶん、セリフや歌声のまろやかさに気を使った。柔らかい部分と破壊の部分との対比をいかに際立たせるか。それができれば、この映画の物語がさらに鮮明になる。

『ワイルド・スピード SKY MISSION』では驚くようなトラブルが起こったが、ギリギリことなきを得た。本当に絶対にあり得ない思わぬことが起こる。まあそういうギリギリを物ともせずイケイケでことを進めるという映画なのだが、カート・ラッセルが出演しているだけでグッと来てしまうのは、どうしようもない。この手の映画では、こちらもイケイケになるとついやりすぎてしまうので、その辺りは慎重に。しかも古いタイプのスピーカーが体を揺らすのに対して、新しいタイプのスピーカーは音が直接耳元に届くような設計がされているので、気がつくと耳がやられる。できるだけ音を膨らませ、耳元だけではなく体全体に広がっていくような音を。その辺りは、こちらの気持ちをオペレーターに伝え、オペレーターが自分の判断で周波数の出し入れを調整する。基本的には数字の操作でしかないので、やれることは限られている。ただちょっとしたその塩梅で、耳に優しいと思われる音になる。

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』は『ワイルド・スピード』以上に優しい音にしておかないと、延々とあの音が鳴り続けるので耳ばかりではなく、身体の疲労感も半端ない。そして何よりも、最後の曲がかかった時の音のバランスをキープしておくことが重要である。必要以上の「爆音感」を出すことはない。それは映画が勝手にやってくれる。映画を信頼する。こちらができるのはこの程度である、というライン上での行ったり来たり。それがこの映画の物語にもつながるのではないか。

外はすでに世が明けていた。



10月7日(土)
利府での爆音映画祭初日。本番はスタッフに任せ、わたしと爆音の調整オペレーターは昼過ぎまで寝て夕方出勤。

深夜より爆音調整。『キングスマン』はクリアになった音が冒頭の爆発までの迫力を増す。同時に終盤の延々と続く乱闘シーンの音楽と銃撃音、格闘音などの臨場感を増す。例の国際会議中に皆さんの首が飛んで花火のように見えるシーンの優雅な馬鹿らしさという最もイギリス的な部分が、この音によって際立つ。そしてその結果、この映画は最後のブライアン・フェリーに合わせるのが一番、という結論に達する。アメリカという栄養をたっぷり吸い込んだスーツの紳士の物語。そしてその裏側に張り付いた艶やかな黒い広がり。映画には少し欠けているその艶やかさを、最後にこの歌が補強してくれる。

『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』は、観た方はおわかりのように音楽は完全にサイケデリック・テイストの選曲になっていて、どこかトチ狂った主人公たちに合わせるように、音楽のあり方もそれぞれの輪郭を一歩踏み外している。例えば、XTCの変名バンド、デュークス・オブ・ストラスフィアがサントラをやったらこんな感じになるんじゃないかと思われるような。下記のデュークスのクリップを見て育った人がこの映画を作ったのではないかと思われる。

 

 

『ジュラシック・ワールド』は今回のセレクションの中では、ひと時代前の映画の香りに満ちている。2015年作品で『怒りのデス・ロード』や『SKY MISSION』と同じ年の製作だということがにわかには信じがたい。画面構成、色合い、編集、物語どれをとってもスピルバーグが世界的に大ヒットを飛ばしていた時代の映画である。他と比べるとそれがはっきりとわかる。面白くて泣けるのだが、それだけ取り出すとどこか古臭くも感じる。その古臭さを古臭さとして置き去りにしたままわれわれはそれとは違う場所に来てしまった。そのことの痛みがさらにこの映画の悲しみを増す。凶暴な恐竜がそれでもどこかで人間と通じ合うことを信じることができるかどうか。この映画はただそれだけを、あっさりと肯定するところから始め、そのことに説明はいらないと穏やかに断言する。そこを欠いたら世界が崩壊するのだと言わんばかりである映画が、すでにそこが欠けている世界の中で作られている。そんなことを思いながら調整をした。

外は霧だった。『ロスト・ハイウェイ』な世界が広がっていた。未来が欠けている。それでも霧の中を進む。

 

 



10月8日(日)
2夜にわたる深夜の爆音調整が終わり、疲れがピーク。ホテルに併設された大銭湯の食堂では、昼からおっちゃんたちがご機嫌でカラオケをやっていた。わたしにもいつかこんな日が来るのだろうか。駐車場の上の空が完全に秋だった。

 

 



10月9日(月)
利府爆音最終日。ちょっと寂しい。心配された動員も、しり上がりに増えて、次回への期待を持たせた。

 



10月10日(火)
昼、仙台の友人に会い、その後帰宅。あとは寝ていたと思う。しかし、シネコンのあったショッピングモールには、びっくりドンキーやCoCo’sとか、ハンバーガーとステーキみたいなファミレスばかりがあった。身体じゅうから肉汁の匂いがしそうである。




樋口泰人(ひぐち・やすひと)
映画批評家、boid主宰。映画『PARKS パークス』『めだまろん/ザ・レジデンツ・ムービー』そして『DARK STAR/H・R・ギーガーの世界』公開中。今週末(11/10~12)は名古屋で2回目となる爆音映画祭 in 109シネマズ名古屋 Vol.2を開催。

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