boidマガジン

2017年09月号 vol.4+10、11月号

大音海の岸辺 第43回 (湯浅学)

2017年10月23日 16:50 by boid

大著作集『大音海』の編纂を兼ね、湯浅学さんの過去の原稿に書き下ろしの解説を加えて掲載していく「大音海の岸辺」第43回です。今回は「ミュージック・マガジン」で毎年行われている年間ベスト・アルバム特集に寄稿された30年分のリスト&コメントを一挙に再録するほか、「人情20選」「UKサイケデリック・ロック10選」といった様々なランキング/セレクト企画の原稿をたっぷりお届けします。これらの原稿を改めて再読した湯浅さんの書き下ろし解説と一緒にゆっくりお楽しみください。
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プリンス『サイン・オブ・ザ・タイムズ』



文=湯浅学


「ミュージック・マガジン」の年間ベスト・アルバム 1987~2006


ベスト・アルバム1987

プリンス『サイン・オブ・ザ・タイムズ』
ザ・ファントムギフト『ザ・ファントムギフトの世界』
ロジャー(ザップ)『アンリミテッド!』
アブデル・アジズ・エル・ムバラク『Abdel Aziz El Mubarak』
ロバート・パーカー『ベアフッティン』
パギチャグ『Paguichaguk』
平山みき『冗談じゃない朝』
ザ・ショウメン『イット・ウィル・スタンド』
Phew『View』
Oran ”Juice” Jones『G.T.O-Gangsters Takin’ Over』

 別格は我がアイドル、サヌリムのCD『僕が告白したらビックリするよ』だ。ガサツな力がとぐろを巻いている魅力。えーい、こちとらココロイキである。外面重視って根深いですね、世の中。もったいぶらないプリンス、ライヴでシビレたファントムのナポレオン山岸=ドシャ崩れマサカリ奏法、韓国のザ・フーを目指すパギチャグ、ネヴィルのグイのり、漫画は根本敬『天然』と川原泉、杉浦茂先生。とあるが、『ゆきゆきて、神軍』には歯が抜けるほど感動した。

(1988年2月号)



ベスト・アルバム1988

プリンス『Lovesexy』
ブライアン・ウィルソン『Brian Wilson』
ブーツィー・コリンズ『What’s Bootsy Doin?』
Steve金度均『Center Of The Universe』
申重鉉『Golden』
フランク・ザッパ『ユーキャントどうだザットこの凄さ!第一集』
キース・リチャーズ『トーク・イズ・チープ』
ウィリー・クレイトン『フォーエヴァー』
TEARDROPS『TEARDROPS』
ニック・ロウ『Pinker And Prouder Than Previous』

 あらら、JBとランディ・ニューマンが入らなくなっちゃった。前から好きだった人たちがグイっと力示してくれました。しかもオリンピックもなんのその、孤高の民族派メタルのスティーヴ・キム・ドキュンと大御所シン・ジュンヒョンの二人が、各々のやり方で現時点での理想の大韓ロックをぶっぱなしてくれたのです。その他、世界のGSやローカルなファンクなど個人的探求に休みはなく、毎日がウハウハ。しあわせなら、それでいいんです。

(1989年2月号)



ベスト・アルバム1989

遠藤健司「エンケンのミッチー音頭」
ジョージ・クリントン『シンデレラ・セオリー』
ニール・ヤング『フリーダム』
ローリング・ストーンズ『スティール・ホイールズ』
ネヴィル・ブラザーズ『イエロー・ムーン』
フードゥー・フシミ『たまらん!!!』
原田芳雄『Body Blow』
ロイ・オービソン『ミステリー・ガール』
ブラック・ホール『Black Hole』
フランク・ザッパ『ブロードウェイ・ザ・ハードウェイ』

 メイヴィス・ステイプルズ、ブルー・マジック、復活サム・ディーズらにもうっとりしつつ、デ・ラ・ソウル、ガトーン、ソビエトのアレクサンドル・グラツキーという人やマラヴォワもよく聴いた。それになんたってグレイトフル・デッド。奴らは老いてない。ライヴ見ればわかります。ブラック・ホールは大韓メタルがさつ派の注目盤。成熟なんかじゃなく、整理しきれないほどの熱と勇気が一番大切だ、とつくづく思った一年だった。エンケンさんありがとう。

(1990年2月号)



ベスト・アルバム1990

遠藤賢司バンド『不滅の男』
ソニック・ユース『Goo』
ネヴィル・ブラザーズ『ブラザーズ・キーパー』
パブリック・エナミー『ブラック・プラネット』
ニール・ヤング&クレイジー・ホース『傷だらけの栄光』
ボー・ドリス&ワイルド・マグノリアス『I’m Back...At Carnival Time』
李南二『李南二2』
ザ・レジデンツ『キューブ-E』
バーニー・ウォーレル『ファンク・オブ・エイジズ』
ジェーンズ・アディクション『リテュアル・デ・ロ・ハビテュアル』

 実はルイス・エンリケくんの清々しい歌謡魂が好き。サンディー、デティ、チャンプルー・DKI、アイス・キューブにBDP、テイシャーン、キャメオなど方々に愛聴盤ぞろぞろ。しかし映画『グラフィティ・ブリッジ』はあんまりだ。李南二(イ・ナミ)は、個人的に90年に一番研究した大韓民国の原始ハウス=ポンチャック・ディスコのバイタリティを直截に体現している、ハードなぴんからロッカーだ。ラップとエレキのうるさい奴らもたっぷり聴いた楽しい一年だった。

遠藤賢司バンド『不滅の男』
(1991年2月号)



ベスト・アルバム1991

裸のラリーズ『Les Rallizes Dénudés 77 Live』
遠藤賢司バンド『史上最長寿のロックンローラー』
突然段ボール『抑止音力』
ニール・ヤング&クレイジー・ホース『Arc-Weld』
ほぶらきん『ほぶらきん』
想い出波止場『水中JOE』
モーリン・タッカー『夜は永遠に…』
ジェイムズ・ブラッド・ウルマー『ブラック&ブルース』
ビブラストーン『エントロピー・プロダクションズ』
パブリック・エナミー『黙示録91』

 裸のラリーズ。8月中旬以降、水谷氏のフィードバックに脳をやられたまま。次点は、アーロン・ネヴィル、ロビー・ロバートソン、サン・オブ・バザーク、ミスター・フィドラー、デティ、ダイナソーJr.、菊水丸『ハッピー』、唯丸師匠など。エレキの騒乱連中を、邦洋ともやたら聴いたが、飽きるどころかさらにのめり込まされてしまった。PSFとアルケミーには本当に頭が下がる。92年は韓国のシャーマン音楽が音盤化されます。これは凄いんですよ。

(1992年2月号)


ベスト・ライヴ1991

ダイナソーJr. 6月

 12 月5日に釜山で体験した金石出(キム・ソクチュル)一族の演奏。4月10日にソウルでレコーディングに立ち会った珍島シッキムクッ。91年の“生”はこの大韓民国を代表するふたつのシャーマン・ミュージックにとどめを刺された。どちらも92年には日本でレコードが出る。場の空気を心地よく歪めたり磨いたりできる力との出会いに、感動するのだ。無意識を膨張させる力も素晴らしい、と感じたのはトーマス・マプフーモのときだった。久々に聴覚を飛び越して前頭葉を突いたのはダイナソーJr.のJ・マスキスのエレキだ。こいつが音を出すたび、だらしない高揚感にわくわくさせられた。またしても言うが、水谷さん、早くこいつと演ってください。

(同上)



ベスト・アルバム1992

裸のラリーズ『Les Rallizes Dénudés』(VTR)
キース・リチャーズ『メイン・オフェンダー~主犯』
『カルトGSコレクション〈クラウン編〉vol.2』
ボアダムス『ポップタタリ』
ビースティ・ボーイズ『チェック・ユア・ヘッド』
ドクター・ジョン『ゴーイン・バック・トゥ・ニューオリンズ』
ソニック・ユース『ダーティ』
ECD『ECD』
豊年斎梅坊主『幻の庶民芸』
ニール・ヤング『ハーヴェスト・ムーン』

 裸のラリーズ。このビデオは根本敬の『因果境界線』と対屏風である。自分が制作に関わったものは外したが、十年来の活動の成果『幻の名盤解放歌集』、それに『珍島シッキムクッ』と梅津和時『神明』は、自信を持って強くお進めいたします。めまぐるしく過ごした一年だった。とてつもない感動が幾度もあった。が、腹の立つことも多かった。93年も、スカしたやつ、影を見ようとしないやつとの闘いはつづくであろう。それにしても勝新太郎である。

(1993年2月号)



ベスト・アルバム1993

『幻の名盤解放 藤本卓也作品集~キング編「君が欲しい」』
アンサンブル・モデルン『Zappa The Yellow Shark』
メルヴィン・ヴァン・ピーブルズ『スウィート・スウィート・バック』(CDブック)
サン・ラー『Space Is The Place』(VTR)
ドナルド・フェイゲン『Kamakiriad』
マジカル・パワー・マコ『Hapmoniym 1972-1975 #1』
ガセネタ『Sooner Or Later』
突然段ボール『好きだよ』
ボアダムス『ワウツー』
某某人『中国RAP』

 イギー・ポップ、ダイナソーJr.、スモッグ、セバドー、ファイアホース、ドロマイト、マーキュリー・レヴなどが次点。貧乏臭いロックにはぞんざいな名作がたくさん生まれた。裸のラリーズのライヴ。メルヴィンの来日。藤本卓也先生との対面。93年はめちゃくちゃに忙しかったがとにかく濃い年だった。忘れられない言葉「言葉にできないことは語ることができない。しかしノイズにはできるのである」JOJO広重。それにしてもザッパの死である。

『幻の名盤解放 藤本卓也作品集~キング編「君が欲しい」』
(1994年2月号)



ベスト・アルバム1994

『幻の名盤解放 藤本卓也作品集〜テイチク編「真赤な夜のブルース」』
申重鉉『無為自然』
不失者『悲愴』
スプリーム・ディックス『Working Man’s Dick』
早川義夫『この世で一番キレイなもの』
ギターウルフ『ラン ウルフ ラン』
レッド・クレイオラ『The Red Krayola』
パット・メセニー『ゼロ・トレランス・フォー・サイレンス』
パーラメント・ファンカデリック『ドープ・ドッグズ』
ボアダムス『チョコレート・シンセサイザー』

 選外特賞は『アメリカン・ミュージックの原点』と『天才的話芸』、ドラッグ・シティの人々に。最優秀シングルはロッキー・エリクソン。大韓民国でついに巫楽(シャーマン音楽)三部作をCD化できた。申重鉉のビート感に教えられるところ大だった。ついに逢ってしまった早川義夫さんに。仕事と演奏活動にあけくれてあっという間に過ぎてしまった1年間だったが、うるせえやつまぬけな美の天才たくましいバカなどとたっぷり出会えた。行くぞまぬけ道。

(1995年2月号)



ベスト・アルバム1995

勝新太郎『遊びばなし~うたとはなしと三味線と』
灰野敬二『運命への挑戦』
突然段ボール『スーパー』
リー・ペリー『Black Ark Experryments』
ロッキー・エリクソン『All That May Do My Rhyme』
ジョニー・キャッシュ『アメリカン・レコーディングス』
ニール・ヤング『ミラー・ボール』
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド『ピール・スローリー・アンド・シー』
ジョン・フルシアンテ『Niandra Lades & Usually Just a T-Shirt』
ファウスト『Rien』

 中年と老年への愛は強まるのだった。歳を取ったとか年輪を重ねたとか、そういうことではない。濃度の問題である。個人的には95年はすごく大きな節目だった。無常について考えたり、虚無の海に落ちたりもしたが、結局、唸りとひずみ(しゃがれ、ひしゃげ)についてずっと勉強中なのだ。それゆえの灰野さんであり、ロッキー・エリクソンであり、ヴェルヴェットでありジョニー・キャッシュなのだが、年が押し詰まってから出たファウストとリー・ペリーには、心底やられた。滋養豊富な粗暴である。結局それは浪曲に通じているのである。95年夏からこっち、俺は浪曲山脈をさまよっている。だから個人的収穫の一番はLP15枚組『浪花節の黄金時代』(もちろん中古)である。本なら、大月隆寛『無法松の影』、荒俣宏『水生無脊椎動物』、奥崎謙三『奥崎謙三服役囚考』。功労賞はアモン・デュールを正式にCD化したキャプテン・トリップ・レコードに。ベスト10選外では、デストロイ・オール・モンスターズの3枚組、ドナルド・ミラー入魂のひずみギター『Little Treatise On Morals』、レッド・クレイオラ、デッドのライヴをよじり合わせて長尺「ダーク・スター」を新たに創り上げたジョン・オズワルドの『Grayfolded』、ソニック・ユース『ウォッシング・マシーン』、デッド・C、ゲイトなど。幻の名盤解放歌集はまだまだ続くのだ。空虚な原稿、カタカナ馬鹿どもにクソを。それにしても、勝新さんである。

(1996年2月号)



ベスト・アルバム1996

遠藤賢司『夢よ叫べ』
フランク・ザッパ『レザー』
ニール・ヤング&クレイジー・ホース『ブロークン・アロー』
藤本卓也『相棒』
斎藤徹『ストーン・アウト』
Novo Tono『パノラマ・パラダイス』
ロサンゼルス・フリー・ミュージック・ソサエティ『The Lowest Form Of Music』
レッド・クレイオラ『Hazel』
ジ・アーティスト・フォーマリー・ノウン・アズ・プリンス『イマンシペイション』
セデル・デイヴィス『フィール・ライク・ドゥーイン・サムシング・ロング』

 清々しい。あっという間に過ぎてしまった1年で、悲しいとか情けないとか、そういうこともあったのだが、遠賢さんのおかげでスッキリできました。濃厚で後口さわやかで激しくもありかわいらしくもありあたたかい。なにはなくとも遠賢である。96年はほとんど映画を見ていない。テレビも気入れて見たのはほんの少しだったし、本も乱読で、資料関係のものばかりだったので身に染みる読書を97年以降は心がけたい。そうした中にあってジョン・ケージの『サイレンス』はおもしろかった。十数年前にコンサートを見たこともあったが、ケージの無邪気はまぬけ美を内包しているではないか。こむずかしく考えるバカはほんとにドーシヨーもないですね、何によらず。逆に考えの薄さをエエカッコでごまかそうとする若者たちもぜんぜんおもしろくありませんでした。編み立て上手はずいぶんいるけど「そいつのもの」とはとても思えない虚しい歌、言葉の洪水にあきれました。それだからかパフィの2枚のシングルは好きで、子供と一緒に楽しみました。夏に大阪へ行ったこともずいぶん励みになりました。96年は自分の本を出したりもしたが、あれはちょっと前のものだったので、97年はさらに生なものをいくつか出そうと計画しています。
 それにしてもファット・ポッサムのおやじたちにヤラれた。イイ顔好きは必聴。レッド・クレイオラは年の瀬を明るくしてくれたかなりの傑作だ。ファウストのリミックス集、サン・ラーの『Singles』、『萬歳から漫才へ・ルーツ篇』『上方漫才黄金時代』、ドロップ・アウトからのシーズの3枚組、最低の超最高デストロイ・オール・モンスターズの諸作、ポート・カスとニプリッツ、そして裸のラリーズのシングルを突如この世に送り出してくれた雑誌「etcetera」、これらが特別賞です。遠賢さんは俺に言った。「やっぱり若気の至りがないとつまんないよね。俺は今もずっと若気の至りのつづきだけどさ」

遠藤賢司『夢よ叫べ』
(1997年2月号)



ベスト・アルバム1997

ザ・レジデンツ『うんざりするほどぎゅう詰めの宴』
ニプリッツ『裏窓』
ダイナソーJr.『ハンド・イット・オーヴァー』
ニコラス・アンド・ギャリヴァン・ウィズ・ラリー・ヤング『Love Cry Want』
ヴォン・フリーマン『ハヴ・ノー・フィアー』
デレク・ベイリー、パット・メセニー、グレッグ・ベンディアン、ポール・ワーティコ『サイン・オブ・4』
エル・マロ『スーパーハートグノーム』
サヌリム『Mujige』
ファン・シネ・バンド『萬病通治』
大滝詠一「幸福な結末」

 抜けの悪い1年ではあったが、そのどんよりとした後味にこそ価値があるというのがもはや我が性質というものであり、スカッとさわやかなんて冗談じゃねえやと思うようになって早30年ほどが経つことにしばしばふと気づいたりもしたのであった。メロディが聞えよがしに付いた退屈な歌は耳に入って来るだけで不愉快で、これにだけは慣れることができない。大衆に向けられていようがいまいが関係ないが、近隣や友人の一部のために作られたものになおさら心騒いで仕方がないのも、不愉快な歌(のような風情の音楽)が、ますます面の皮を厚くしているように思えてならなかったからだ。フレイミング・リップスの4枚組も見事だが、大滝さんの新曲とボブ・ディランとニール・ヤングが最終的に争うことになるとは思わなかった。レジデンツの25周年のお祝いを目撃でき、しかもリイシューのお手伝いができたのは幸いであった。しかし、レジデンツの歩みとその作品に思い巡らすことが多かったせいで不愉快な歌(のようなカス)が増えてしまったのではない。97年も様々な因果を、太いの重いのまぬけなの、思い知らされたのだが、自分の娘が♪髪をほどいたあ~と愛唱したのみならず♪はっぴいえんどで始めよう、とまで歌うとは。DNAに意志はありや? 徳南晴一郎の自伝「凶星の漫画家」は衝撃だった。

(1998年2月号)



ベスト・アルバム1998

遠藤賢司『もしも君がそばにいたら何んにもいらない』
ボブ・ディラン『ロイヤル・アルバート・ホール』
山本精一&Phew『幸福のすみか』
申重鉉『Kim Sakka』
漁魚夫Project Sound『Dog, Lucky Star』
大野松雄『鉄腕アトム・音の世界』
ヤン富田『ミュージック・フォー・リビング・サウンド』
ザ・レジデンツ『ワームウッド』
ヤホワ13『ゴッド・アンド・ヘアー』
S.T.ミカエル『超現実主義』

 捨てるものがやっと(少し)増えた。ような気がするだけかもしれないが、再発見もその分増したので、手にした音楽は結果的には増えてしまった。「まとめて聞くと気持ち良さに疲れる」(©高橋修)音楽が垂れ流されている巷へは自然と足が遠のく。まともに読むとへなちょこぶりやひとりよがりに吐き気覚える音楽感想文の多さに呆れた。こういうものはまともに読むな、ということか。まさか。そいつは死活問題ではないか。芯の強い音楽家はとても増えているというのに。脳ミソの肥満した奴にこんなこと言っても無駄か。でも言うんだよ。ソニック・ユースの『ア・サウザンド・リーヴズ』、50~60年代の電子やテープ操作作品の数々にも心打たれた。目から鱗が落ちたのは小杉武久さんとの出会い。99年は遠賢30周年。

(1999年1月号)



ベスト・アルバム1999

遠藤賢司『エンケンの四畳半ロック』
ニプリッツ『泥棒ごっこ』
渚にて『本当の世界』
デヴィッド・ボウイ『‘アワーズ…’』
突然段ボール『突然段ボールの感傷音楽』
渋さ知らズ『オンステージアットアムステルダム』
クレイジーケンバンド『ゴールド・フィッシュ・ボール』
レッド・クレイオラ『フィンガーペインティング』
ソニック・ユース『Goodbye 20th Century』
リッキー・マーティン『リッキー・マーティン~ヒア・アイ・アム』

 99年初夏から仕事のために60年代の音楽を大量に聴き直したら、これまで知っているつもりで聴きの足りないところがあることが分かり、CDや中古LPをせっせと漁る日々が今も続いている。このまま2000年は70年代チェックへと突入の予定だが、古いのに没入する反動で新しいのも聴きたくなるし、自分で音を作りたい欲も高まるし、調べものも溜まるから家の中はメチャクチャ。CDや本やエフェクターの崩れた山の中から手当たり次第に聴きながら結局繰り返し耳で食う10作。遠賢さんにもニプリッツのヒロシさんも渚にての柴山さんも突ダンの蔦木兄弟もケンさんもリッキーもみんなその音楽が裸だ。渋さ知らズなんてまるで混浴の銭湯だ。太陽とシスコムーンが好きなのも下半身中心だからです。

リッキー・マーティン『リッキー・マーティン~ヒア・アイ・アム』
(2000年1月号)



ベスト・アルバム2000

マーティン・レヴ『Strangeworld』
沢田研二『来タルベキ素敵』
クレイジーケンバンド『ショック療法』
ニール・ヤング『シルヴァー・アンド・ゴールド』
ナスカ・エクスプロージョン『August 2000』
ティン・パン『ティン・パン』
ヒュー・ル・ケイン『Compositions Demonstrations 1946-1974』
久保田麻琴『On The Border』
ザ・ザ『ネイキッドセルフ』
岸野雄一『A to 2』

 エンケンさんの「エンヤートット」を入れたかったが、これを書いている時点では未製品化。しかたなく21世紀最初にまわします。2000年は新旧ずいぶん音盤を買った。次点たんまり。クセナキス『Persepolis』とデヴィッド・チュードア&ジョン・ケイジ『RainforestⅡ / Mureau』は晩秋の愛聴盤。インキャパシタンツ、JOJO広重、フェダインも。やりくりつかぬこと多々あり、ライヴ見に行く回数激減。それにしても恐るべし川西杏、とんでもない曲が激流のように作り出されている。なにによらず闘いは果てしない。

(2001年1月号)



ベスト・アルバム2001

遠藤賢司「エンヤートット」
タイ・エレファント・オーケストラ『Thai Elephant Orchestra』
ヴァルター・ルットマン『Weekend Remix』
ザ・レジデンツ『イッキー・フリックス』(DVD)
『ムードコーラス・スペシャル 秘密のカクテル』
小坂忠『People』
蝉『蝉』
Onna『Eros・Onnaの世界』
ニール・マイケル・ハガティ『ニール・マイケル・ハガティ』
スピリチュアライズド『レット・イット・カム・ダウン』

 考えても考えても考えすぎることのない重さ。身のまわり、という意識、その領域が一気に拡大されてしまった年だった。歴史、という言葉を真正面から問う。ぬるさの中でさまざまな痛みと出会う。しかし“正義”もまた締めたふんどしのゆるさに気づこうともしない俄善人によって消費されかかっている。それにしても、遠賢さん、ニール・ヤングである。晩秋はライノによるグレイトフル・デッドの箱にどっぷり。たび重なる頭痛から救ってくれたクレイジーケンバンドに心の芯から感謝いたします。

(2002年1月号)



ベスト・アルバム2002

遠藤賢司『幾つになっても甘かあネェ!』
ザ・レジデンツ『ディーモンズ・ダンス・アローン』
突然段ボール『この世に無い物質』
ディーゼル・ギター『Stream of Lights』
サンタナ『シャーマン』
クレイジーケンバンド『グランツーリズモ』
デヴィッド・ボウイ『ヒーザン』
ヒゲの未亡人『ヒゲの未亡人の休日』
ナスカ・カー『Maximum Speed/Electronics』
ソニック・ユース『ムーレイ・ストリート』

 ふと昔のあれこれを振り返ることの多かった年。田口史人の大労作『はっぴいえんどかばあぼっくす』に関われたのはしあわせなことだった。いわゆる洋楽の新作で心に残ったもの極々僅か。選外ではスーサイド、レイノルズ、ジョン・オーツ、ニール・マイケル・ハガティ。CDへの不信感日々高まる中、それでもCD買わずにおれぬ自分も唾棄しつつ、アナログ・モノ盤をモノのMCカートリッジで再生する楽しさ。発見の連続。それはSACDに勝る。骨太くしなやかで図々しい芯の強い音。そういうやつもっと来い。俺も行く。

ザ・レジデンツ『ディーモンズ・ダンス・アローン』
(2003年1月号)



ベスト・アルバム2003

スティーヴ・ウィンウッド『アバウト・タイム』
ニール・ヤング『グリーンデイル』
ハンク・ロバーツ&ウィギー・ドッグ・ボーイ『ザ・トゥルース・アンド・レコンシリエイション・ショー』
クレイジーケンバンド『777』
ニプリッツ『講堂ブギ』
倉地久美夫『I Heard The Ground Sing』
デヴィッド・ボウイ『リアリティ』
ニール・マイケル・ハガティ『ザ・ハウリング・ヘックス』
ジョニー・キャッシュ『The Man Comes Around』
ゆらゆら帝国『な・ま・し・び・れ・な・ま・め・ま・い』

 それにしてもラモーンズである。今一番欲しいものはジョーイ・ラモーンのサインである。なにゆえ今さらラモーンズ? との問い、俺も自分に何度もしています。人間の死について考えることとそれは直結していました。俺が音楽に求めるかなりの要素がそこに入っている、と同時にだいぶ不足もある、という背反する思いをガバッと気楽に大量投与してもまるで大丈夫なしぶとさとか。いろいろとうんざりしていることも理由のひとつ。もちろん、選出の10枚もそれぞれにうれし楽し時々泣けた。スッキリいこうよスッキリ。

(2004年1月号)



ベスト・アルバム2004

マーティン・レヴ『To Live』
ノエル・アクショテ『ソニーⅡ』
ブライアン・ウィルソン『スマイル』
田村夏樹『Ko Ko Ko Ke』
シンク・オブ・ワン『シュヴァ・エン・ポー』
クレイジーケンバンド『Brown Metallic』
ジョニー・キャッシュ『Cash Unearthed』
想い出波止場『大阪・ラ』
ペーソス『ペーソス・アワー~生で甘えたい』
あつしひろし『大誤算』

 新譜より未知の旧譜のほうが発見が多いのはここ数年変わらないが、カートリッジがバッチリなやつになったのでアナログがモノのみならずステレオ盤も楽しくなっちゃった。『スマイル』はもちろん、ソニック・ユースもリー・ペリーも、新譜はアナログで買うようにしている。いいステージに多く出会えた。フジロックのシンク・オブ・ワン、武道館超満員のCKBは感慨深し。衝撃だったペーソス。録音物だけでは伝わりにくいこってりイイ味の、ぴんからラモーンズです。地味に行きます。宿題山積。尿酸値高いから。

(2005年1月号)



ベスト・アルバム2005

遠藤賢司『不滅の男 エンケン対日本武道館』
クレイジーケンバンド『ソウル・パンチ』
ニール・ヤング『Prairie Wind』
ザ・レジデンツ『アニマル・ラヴァー』
キング・クリムゾン『In The Court Of The Crimson King: Original Master Edition』
ウィルコ『キッキング・テレヴィジョン』
ボブ・ディラン『ノー・ディレクション・ホーム:ザ・サウンドトラック(ザ・ブートレッグ・シリーズ第7集)』
長見順『超スローブルース』
ザ・ローリング・ストーンズ『ア・ビガー・バン』
『See You In A Dream~大友良英 produce さがゆき Sings』

 アナログ度日々増す1年で、この秋にはSPの音の豊かさに一夜にして目覚めてしまいました。とはいえ『クリムゾン・キングの宮殿』のオリジナル・マスター・エディションにはえらく驚きました。iPodも欲しいと思わなくはないですが、それだったら、カートリッジやケーブル等、自宅システムの改良及び探求点のほうに気がいってしまいます。昔聴いていたものでも、聴き直してみると、自分の“聴いてたつもり”の愚かさに気づかされることしばしば。自宅在庫が新譜の山のよう。各種音楽史、音楽地図と、さらに勉強は続く。

ニール・ヤング『Prairie Wind』
(2006年1月号)



ベスト・アルバム2006

遠藤賢司『にゃあ!』
細野晴臣『東京シャイネス』(DVD)
クレイジーケンバンド『GALAXY』
ボブ・ディラン『モダン・タイムズ』
ザ・ハウリング・ヘックス『ナイトクラブ・ヴァージョン・オブ・ジ・イターナル』
ダーティ・ダズン・ブラス・バンド『ホワッツ・ゴーイング・オン』
スコット・ウォーカー『ザ・ドリフト』
デレク・ベイリー『トゥ・プレイ~ザ・ブレミッシュ・セッションズ』
ムーンライダーズ『MOON OVER the ROSEBUD』
ニール・ヤング『リヴィング・ウィズ・ウォー』

 大竹伸朗の人と作品が一時も頭から離れない。05年秋からそういう日々であった。「全景」展は万物をギュウ詰めにし、解きほぐし、千切っては貼り、剥がしては塗り重ねた夢のような場である。時空の交差が自由自在な天衣無縫の宇宙体。そこに身を置くだけで肉体の今まで動いていなかったところのスイッチが勝手に入ってゆく。とんでもない地場力が出現していた。大竹伸朗に最も近い存在力を感じたのがボブ・ディラン。ダーティ・ダズンはなにげなくやっているように聞こえるところが凄い。『嗚呼、名盤』よろしくお願いします。

(2007年1月号)



ベスト・アルバム2007

大竹伸朗『全景1955-2006』(CDブック)
遠藤賢司『遠藤賢司実況録音大会[第一巻]1968-1976』
ノエル・アクショテ『ソー・ラッキー』
ニック・ロウ『アット・マイ・エイジ』
突然段ボール『純粋で率直な思い出』
ハリー細野&ザ・ワールド・シャイネス『フライング・ソーサー1947』
クレイジーケンバンド『SOUL電波』
ニール・ヤング『Live at Massey Hall 1971』
『偉大なる足跡~ファッツ・ドミノ・トリビュート・アルバム』
サーストン・ムーア『Trees Outside The Academy』

 『全景』はA4版ハードカバー1152ページ厚さ8.5センチ重さ6キロ、史上最強のCDブックです。本を見て絶句しました。大竹伸朗研究の旅は福岡、別海、広島と続きました。終わりはもちろんありません。モノーラル盤、SP盤、シングル盤偏愛の度も高まるばかりですので、あえてCDを聴くよう自分を仕向ける毎日です。しかしこれは“できればアナログ盤で聴きたい”リストでもあります。すき間の美しさの色々を教えてくれたものばかりです。わけあってビッグ・バンド・ジャズもよく聴きました。08年はもっと執筆です。

(2008年1月号)



ベスト・アルバム2008

鈴木慶一『ヘイト船長とラヴ航海士』
ウォルター・ベッカー『サーカス・マネー』
デヴィッド・バーン&ブライアン・イーノ『エヴリシング・ザット・ハプンズ・ウィル・ハプン・トゥデイ』
ドクター・ジョン・アンド・ザ・ロウワー・911『シティ・ザット・ケア・フォーガット』
突然段ボール『D』
クレイジーケンバンド『ZERO』
面影ラッキーホール『ホワイダニット?』
ヘア・スタイリスティックス『Monthly Hair Stylistics Vol.7: Two Things…And Harmony』
モーターヘッド『モータライザー』
ブルース・スプリングスティーン、スーサイド、ビート・ザ・デヴィル『Dream Baby Dream』(10″)

 結局アナログの、モノーラルばかり聴いていたのだが、色々あってほんとうにレコード聴くのが楽しくてしょうがない毎日。もっと新しい音楽がアナログでたくさん出ないものか、と思うが。Perfumeの7インチ・シングル出ないかなあ。邦楽の現状も少しはよくなっているように(経済状況は別にすると)感じられる曲に多く出会えた。面影はほんと泣かせる。泣けて踊れるエロ。総合的に慶一さんのアルバムの豊かな音楽性から教えられるところはとても多かった。俺がiPodを持つ日は遠そうだなあ、とつくづく思った1年でした。

鈴木慶一『ヘイト船長とラヴ航海士』
(2009年1月号)



ベスト・アルバム2009

遠藤賢司『君にふにゃふにゃ』
ボブ・ディラン『トゥゲザー・スルー・ライフ』
ボブ・ディラン『クリスマス・イン・ザ・ハート』
ニール・ヤング『フォーク・イン・ザ・ロード』
デヴィッド・シルヴィアン『マナフォン』
ニプリッツ『ギターに夢中』
クレイジーケンバンド『ガール!ガール!ガール!』
フレディー『関西空港』
相対性理論『ハイファイ新書』
ザ・クロマニヨンズ『MONDO ROCCIA』

 今までやらなかったことをいくつもやってずいぶん忙しかったのに回想を強いられる場面/仕事も多々あり、1年間に新しく知り合った人の数は過去10年間でもおそらく最多。しかし達成感からはずいぶん遠い。年季の入った人たちの年季というのは人の心を動かす力の質量の大きさのことだろうと改めて思うことも多かった。意味を求めすぎるとくたびれる。コンセプトを守ろうとしすぎるとやるせない。理知に長けているのに気が効かないとか、構造が見え透いているのに自信満々とか、そういう音楽に払う金はもうまったくありません。

(2010年1月号)



ベスト・アルバム2010

Phew『ファイヴ・フィンガー・ディスカウント~万引き』
ニール・ヤング『ル・ノイズ』
トニー・ジョー・ホワイト『The Shine』
潮先郁男、さがゆき、加藤崇之『I Wish You Love』
サイティングス『City of Straw』
青木亜樹『夢見るアンドロメダ姫』
クレイジーケンバンド『Mint Condition』
ドクター・ジョン・アンド・ザ・ロウワー・911『Tribal』
ボブ・ディラン『ザ・ブートレッグ・シリーズ第9集:ザ・ウィットマーク・デモ』
大竹伸朗『NOTES 1985-1987』(DVD)

 ボブ・ディラン漬けからボブ・ディランまみれぐらいになったところ。聴くとさらに聴きたくなる。ボブの話をしていれば幸せなんだからまったく世話はない。オーディオの不思議に何度も直面し、生活環境が少々変わり、ライヴや各種イベントをやったり呼ばれたり、重い荷物と一緒にあっち行ったりこっち行ったり、もう少しまとまった書き物をしようと何度も思いながらなかなか実現できない。気がつくと何も片付かぬまま1日が終わっている。そんな日が多い。改めて音楽は演っても聴いても楽しいもんだ、としみじみ。でもやるんだよ。

(2011年1月号)



ベスト・アルバム2011

細野晴臣『HoSoNoVa』
山本精一『ラプソディア』
サーストン・ムーア『デモリッシュド・ソウツ』
ミシェル・ンデゲオチェロ『ウェザー』
ランディ・ニューマン『ランディ・ニューマン・ソングブックVol.2』
二階堂和美『にじみ』
ニック・ロウ『オールド・マジック』
Perfume『JPN』
スティーヴ・ライヒ『WTC 9/11, Mallet Quartet, Dance Patterns』
アルヴァ・ノト『Univrs』

 聴き続け演り続け書き続けしゃべり続け作り続け生き続けるのみ。そうすれば多少は活かしてもらえるかもしれないとの願い微かに。少しは振り返りもする。とにかく特別中の特別中の特別の本当に重要な出会い/発見があった。素晴らしい作品、演奏、歌にたくさん接した。多くの人々の無意識がすでに種々のことを再考しているのだと感じることもしばしば。音楽がなお好きになりなお感謝するようになった。意味は一周半遅れてやってくる感じ。俺も55歳。

細野晴臣『HoSoNoVa』
(2012年1月号)



ベスト・アルバム2012

遠藤賢司『ちゃんとやれ!えんけん!』
クレイジーケンバンド『ITALIAN GARDEN』
カーネーション『SWEET ROMANCE』
ニール・ヤング・ウィズ・クレイジー・ホース『サイケデリック・ピル』
ボブ・ディラン『テンペスト』
レナード・コーエン『オールド・アイディア』
ポール・マッカートニー『キス・オン・ザ・ボトム』
ZZトップ『La Futura』
ホセー・アントニオ・メンデス『フィーリンの真実』
空間現代『空間現代2』

 アナログで聴いているものが多いです。夏からこのかた猫の世話で日々が過ぎている感あまりに強く、どうしたものかと盤に針を落とすアナログばかです。ラジオ仕事が多くなった分、聴いた盤も増えたのですが、心に残る“若い新譜”はむしろ減った。いい盤よりいいデータのほうが望まれているとしても、カートリッジだケーブルだリード線だ、とちまちまやる道は楽しくて仕方がない。庭の落葉で堆肥がまた作れるようになる日を望む。原発長期戦。

(2013年1月号)



ベスト・アルバム2013

『「あまちゃん」オリジナルサウンドトラック』
『あまちゃん 歌のアルバム』
ソギー・チェリオス『1959』
細野晴臣『Heavenly Music』
高田漣『アンサンブル』
ももいろクローバーZ『5th Dimension』
ボブ・ディラン『アナザー・セルフ・ポートレイト~ブートレッグ・シリーズ第10集[デラックス・エディション]』
吾妻光良 & The Swinging Boppers『Senior Bacchanals』
すきすきスウィッチ『ここへきてはじめて』
大竹伸朗、畠中勝『dOCUMENTA〔13〕Materials: 08_#67:2』

 「あまちゃん」とボブ・ディラン、日本の大衆音楽の今昔、考え調査し見直して泣いたり怒ったり腹を減らしたりしているうちにあっという間に日々が過ぎていった。いわゆるアンビエントなもの、電子音楽、野外録音作品を息抜きのようによく聴いていた。死について、死者と生命について、考えることが多かった。猫の餌代に苦慮している。レコード大賞は天野春子「潮騒のメモリー」に。ラジオが楽しい。2014年はサン・ラー生誕100周年です。

(2014年1月号)



ベスト・アルバム2014

遠藤賢司『恋の歌』
Phew『1、2、3』
ボブ・ディラン&ザ・バンド『ザ・ベースメント・テープス・コンプリート(ブートレッグ・シリーズ第11集:デラックス・エディション)』
ガンジー石原&糸車『わからずやのコンコンチキ号漂流記』
山本精一『ファルセット』
植野隆司『フォーク100』
TADZIO『TADZIO 2』
プリンス『アート・オフィシャル・エイジ』
jjj『Yacht Club』
近藤譲『線の音楽』

 一番たくさん見たのはPhewのライヴ。毎月のように行っている。今のPhewは本当に素晴らしい。言葉にするのがもったいない。それぐらい素晴らしい。音情報にしてしまうのが悲しくなるほど力強い電子音と振れとふくらみ。これからもずっと直に見て聴き続けます。アナログ盤はみんなで聴くとより楽しい、というイヴェントを14年は特にたくさんやった。ニール・ヤングもフレイミング・リップスもレナード・コーエンもアナログ盤のほうが身にしみました。

遠藤賢司『恋の歌』
(2015年1月号)



ベスト・アルバム2015

ニール・ヤング+プロミス・オブ・ザ・リアル『ザ・モンサント・イヤーズ』
The End『ライブ&トリビュート だってあの娘が好きって言ったんだもの』
柴田聡子『柴田聡子』
ECD『THREE WISE MONKEYS』
おきあがり赤ちゃん『akachan from heaven』
遠藤賢司『遠藤賢司デビュー45周年記念リサイタルin草月ホール』
キース・リチャーズ『クロスアイド・ハート』
ソギー・チェリオス『イールズ&ピーナッツ』
笹久保伸・青木大輔=秩父前衛派『ピラミッド 破壊の記憶の走馬灯』
アル・ジャーナウ『Celestial Navigations』(DVD)

 秋から突然、新旧とりどりのヒップホップばかり聴いたり買ったりするようになったので、ケンドリック・ラマーとメッド・ブルー&マッドリブも心に残りました。過去作品の洗い直しをずっとやり続けているのと、他の土地のことを考える機会が多いのとで、どこにいても落ち着かない。
 それにしても長野のThe EndさんがCDで聴けるようになったのはほんとうにありがたい。湯浅湾もめでたく20周年を迎えた。16年は畑仕事を増やします。

(2016年1月号)



ベスト・アルバム2016

岡村靖幸『幸福』
プリンス『ヒット・アンド・ラン フェーズ・ツー』
ボブ・ディラン『フォールン・エンジェルズ』
レナード・コーエン『ユー・ウォント・イット・ダーカー』
カーネーション『Multimodal Sentiment』
ギターウルフ『チラノザウルス四畳半』
坂本慎太郎『できれば愛を』
イギー・ポップ『ポスト・ポップ・ディプレッション』
クレイジーケンバンド『香港的士』
宇多田ヒカル『Fantôme』

 これからもずっと悲しいのだろう、と思うと、やっぱり悲しい。プリンスが死んだというだけで、こんなに悲しいのはなぜなのか、をずっと考えている。レコードもCDも本もたくさん買ったしたくさん借りた(図書館で)。レコードをみんなに聴いてもらっておしゃべりする会をたくさんやった。その分、原稿は書き足りていないと思う。笹久保伸さんにずっと注目している。彼が教えてくれたハヤシヒロトさんの『蕩児、夢散る全方位』も傑作だ。

ボブ・ディラン『フォールン・エンジェルズ』
(2017年1月号)






Select Select Select〈今月の推薦盤〉 1987年7月

リー“スクラッチ”ペリー・アンド・フレンズ『OPEN THE GATE』
ニール・ヤング&ザ・レストレス『エルドラルド』
ポール・ローレンス『UNDEREXPOSED』
ブルー・マジック『フロム・アウト・オブ・ブルー』
ジャックス『CD BOX』

 リー・ペリーっておっさんはパンクだ。だから好きになった。十年前のことだ。今では昔アイランドから出た『SCRATCH ON THE WIRE』が一番好きだったんだが、これはこれだ「ひらけ門」。過剰な奴が俺は好きなんだ。箱入り? ケッコーケッコー。BOXセット? ジョートーじゃねえか。なんなら100枚ぐらいに組んでみろってんだ。これはLP3枚組だが、CD2枚組としても出ている。しかし内ジャケの猫かぶり・ペリーのポートレートが最高のため、LPの勝ち。時を同じくしてハート・ビートから出た60年代ものコレクション『CHICKEN SCRATCH』もユンケルより効くぜ。効くっていえばニール・ヤング。4月の日本公演4回見に行ってしまったのは重い思想があるからだ。ギターの過剰な歪みが煩悩を切り裂く。米国産遠藤賢司はもちろん不滅。
 ジャケットの大切さをじっくり教えてくれるポールくん。犬のほうが立派という声をよそに、後半せつせつとうったえるのがいい。カシーフの好敵手とかいいますが才能をもてあましぎみに、はにかみながら盤面ににじませているところが男だねえ。雨降りの初夏の夕方に。せつない奴は特にね。
 ところで俺は五月みどりが好きだ。五月は心も肉体もヴェテランだがトンがっている。ブルー・マジックも同じだ。じぶんたちのやり方に聴く者をずっぽりはめて酔わせる。いたれりつくせりのコーラス・ワークを従えて、ファルセットで人情を説く。香り高き甘露。こうなると樹液に吸いつくカブト虫の気持ちがわかる。
 ジャックスは死なない。20年という歳月は、無垢な情熱の前では一瞬である。6枚のCDと1枚のシングルCD、ここには正論しかない。だからアクが強い。そのアクは残念ながら近頃のロックとやらにはあまり見当たらない。どんな教典よりもこの一箱。

リー“スクラッチ”ペリー・アンド・フレンズ『OPEN THE GATE』
 
(「クロスビート」1989年7月号)





ザ・レジデンツの9作
ラルフ・レコードを拠点にアンチ・えせヒューマンを貫く正体不明の前衛目玉たち

 シルクハットにタキシードの目玉4人。米国の謎。サンフランシスコで72年に生まれたグループはメンバーの名も顔もよくわからない前衛で、わかりやすいがシャレもキツイものとして知られている。目玉に手足。これには水木しげる先生の影響もあるかもしれん。フリー・ジャズに民俗音楽、初めはサン・ラー・アーケストラの如き様子もあったが、名ギタリスト=スネークフィンガーの加入後はテクノを導入。ナチズムやエスキモーの生活、米国作曲家、モグラ帝国の物語、エルヴィス・プレスリー、米国人の離婚問題などを題材にパノラミックなテクノ劇というような作品を次々に生み続けている。CD-ROM作品もいち早く発表するなど、前衛の目玉はラルフ・レコードという自主レーベルを中心にメディアとしても独立独歩である。ピー・ウィー・ハーマンのTV音楽も手がけている。なお当初は4つあった目玉頭はひとつ盗まれて86年からは3つになってしまった。

『エスキモー』
 アルバム・ジャケットに堂々と立ち並ぶ4つの目玉人。これに少なからぬ衝撃を受けた者も多いが、中身はさらにショッキングである。
 全編に渡ってくりひろげられるのは、エスキモーの生活の音楽化である。レジデンツによれば「エスキモーの儀礼音楽を再生するだけではなく、エスキモーの物語儀式をかりることで、音楽という存在にとっての生きた文脈を創造する」、それが本作である。エスキモーは、米合衆国政府の福祉政策によって、(白人的文明人から見ると)悲惨だった生活から(白人的ヒューマニズムで)救出されて、集合住宅(白人的アパート)に移住させられたおかげで、それまでの高度な自給自足エスキモー文化をないがしろにさせられ、テレビばかり見て暮らすことになってしまっている、という。レジデンツは本作で「文明および文明人とは何か」という問いを民俗音楽のテクノ化によって成したのだ。しかも本作に対して「踊れない」という馬鹿な評価を下したクソどもに対し『エスキモー』をディスコ化した「ディスコモー」(EP)を発表してやるというサーヴィスまで提供している。ここにはエスニックへのあこがれも、センチメンタリズムもゲテモノ趣味もない。冷静な連帯と共感にあふれている。ひとつの極点としてのエスキモー文化とその人々という存在によって喚起させられる、根源的生命ノイズへの最大限の敬意がここにある。ワールド・ミュージック? 知らねえな。

『ミート・ザ・レジデンツ』
 もちろん『ミート・ザ・ビートルズ』のもじりによるタイトル+ジャケットで、CD化されるまでのオリジナル・ジャケットは裏面の添え物だった。ロックンロールの意味ってなあに? そんなの屁よ。と、あえて宣する勇気は、音楽的フロッタージュというべきものだ。レジデンツのこれはデビュー作だが、彼らがそれ以後一貫して行いつづける、現実/歴史へのこの上なくシリアスな揶揄が横溢している。ロックンロールとフリー・ジャズの楽天的邂逅をシャーマニックにポップ化するという恐るべき力技であるが、のほほんとした愛嬌がコッテリある。ブラスがサウンドに活を入れ、楽器アンサンブルは生々しい無国籍。鼻つまみ声はもちろんある。

『ザ・コマーシャル・アルバム』
 1分1曲全40曲の大作。名曲が濃縮レジデンツ。お菓子のレジデンツお花のレジデンツ酒屋のレジデンツレジデンツのお宿などなど、レジデンツ目玉が世間のそこかしこに増殖したらどうなるか、レジデンツ的マスメディア論の音楽的シミュレーション、ととることもできる。百花繚乱のアイディア宝箱である。テクノを手際よく組み入れたり、短歌のような歌、音楽の疑似ファースト・フード化、瞬発力のある花火のようなロックなど、聴く者の毛穴のひとつひとつまでをも楽しませようというのだろうか。盆栽の心を無意識に体現しているものでもある。汎西洋的視座を禅の心で表現していると感じることさえ可能な静と動の、限りなく球に近い多面体である。

『キューブ‐E~ライヴ・イン・オランダ』
 前半は〈アメリカン・コンポーザーズ・シリーズ〉の流れにある、音盤アメリカ開拓史。砂漠と人情と虚無感が淡々とした緊張の中で描かれている。脳内にこそ歴史あり。テクノは手足で山あり谷あり踊りあり。後半は『キング・アンド・アイ(目玉)』のライヴ版で、エルヴィスの名曲を拡大解釈してテクノでハードコアな“アメリカ魂のイケニエ”として描き切っている。濃厚にしてお笑いでシリアス。このライヴはオランダでのものだが、ヨーロッパ各国アメリカ各地でも大好評を博した。ダンサーたちが多彩な表現で音楽を深化させる。見た目と聴き目の総合芸術は細胞が宇宙の国なのだ。

『ザ・サード・ライヒン・ロール』
 3作目のアルバムは、50~60年代のロックンロール、ポップスをゴチャマゼにしてナチズムを描くという大絵巻。おなじみ曲が替え歌や変形されコチョコチョグニョグニョ出入りするミュージック・コンクレートはアウシュヴィッツの晴天を想像させる。ポップを裏返すのではなく親しみやすさへの影からの恩返しである。人力によるテクノは現代音楽の大衆化であることを証明している。

『フィンガープリンス』
 A面はスネークフィンガーのニョーンとしたギターが主役。親指姫ならぬ親指王子は虫の蛹か繭のなかにいるもんなのか。本来は2枚組LP3面プレスの予定だったという。B面はポリリズムの長編曲で、エキゾチシズムに反対する民俗学的ジャズのようですらある楽しい曲。『エスキモー』や『モール・ショー』の原型というべきアルバム。なお続編に「ベビーフィンガーズ」がある。

『ジョージ&ジェームズ』
 〈アメリカの偉大なる作曲家〉シリーズ第1弾は、ジェームズ・ブラウンとジョージ・ガーシュウィンの組み合わせ。JB編はアポロ劇場のライヴをテクノで再現した生まじめな諧謔もの。JBのエネルギーのミニマル化。ガーシュウィンの都会感覚も眼球の中に入れば、無邪気なもんだ。教条主義にはとんと縁がないおとぼけの解毒作用は、箱庭としてのアメリカ合衆国を提示してみせたのである。

『ジ・アイボール・ショウ~ライヴ・イン・ジャパン』
 85年の公演チラシのタタキ文句は“20世紀最後の大物”。10月30日渋谷パルコのスペース・パート3でのライヴ。あの目玉を手が届きそうなくらい身近に感じられる録音。選曲も新旧とりまぜて親しみやすくかつマニア心もくすぐる。フリークと常人の差などどこにもないほどのシリアスで馬鹿らしいレジデンツの“まなざし”は、アンチ・えせヒューマンだ。スネークフィンガーも名演あり。

『フリーク・ショウ』
 レジデンツの歩みは宇宙と血管や細胞をワープしづけて、人間とは生物とは何かという問いかけを音楽化することである。異形とは人間の本質をダイレクトに表出させた存在である。現在はCD-ROM化され、レジデンツの歴史絵巻化したフリークの園の音盤。闇のポップ化とは、もちろん鬼太郎のおやじ化である。聖/邪や明/暗なんてくだらんことを言ってないで楽しみつつ深化せよ、と。

ザ・レジデンツ『エスキモー』
 
(『ロック・オルタナティヴ パンク/ニューウェイヴ&80S』1994 年5月)





私が選んだライヴ・ベスト5 (70年代)

1. リトル・フィート 1978年7月
2. ニール・ヤング 1976年3月
3. オーティス・クレイ 1978年4月
4. エルヴィス・コステロ 1978年11月
5. ジミー・クリフ 1978年3月

(「ライヴ・イン・ジャパン」1995年)





1995年 アジア圏ベスト・アルバム

V.A.『Burning Myself…』
シン・ユンチョル『SHIN YOON CHEOL』
金昌完『Postscript』
勝新太郎『遊びばなし~うたとはなしと三味線と』
灰野敬二『運命への挑戦』
突然段ボール『スーパー』
京山幸枝若『東西男くらべ』
『再発見・ニッポンの音/芸(5) 歌になった浪曲』
VASARA『TUSGARU』
ネクスト『The Return of N.EX.T Part 2 – World』

95年はよく下痢をした。日本を当然含むアジア圏内からの10選。こうしてみると俺は香港・台湾・中華人民共和国とは相性がよくないようだ。今さらそんなこと言うなよって感なきにしもあらずだが、なにしろかの大韓民国の大衆音楽界の様相がますます香港化してきたので、気分はいいわけがないのだ。中身はあってもなくてもいいのかもしれないが、ただでさえハリボテで胸張ってきたのに、くらげ野郎がスカしたふにゃふにゃ唄を歌ってるばっかりじゃどうしようもねえや、と度々思ったりもした。ルーラやデュースやモンキー・ヘッドやクラッシュ(ライヴのがいいぞ)などは例外なのよ。さらに例外なのがここに挙げたシン・ユンチョルや金昌完や売れないメタル人たちなのだ。ネクストは大韓プログレ・ポップ道を歩まんとするその姿勢が音になっていた。とはいえ勝新さんの語り一発で大韓の若い者なんてみんなどっかいっちゃうんだがな。テイチクはよくやってくれました。「日本の伝統芸能」シリーズで浪曲50タイトルCD化、そのうち幸枝若が8作もある。95年は浪曲に改めてずっぽりハマった年だった。灰野さんは浪曲師と同じ波動を発している。その存在は尊い。大韓LGからの1930年代のパンソリの復刻盤や町田康やPhew、山本精一の諸々の作品、暴力温泉芸者も推したい。オルタナティヴなんかじゃなくて、アジアの前衛と連帯する。『定本ディープ・コリア』読んでくれた人たちどうもありがとう。

(「POP Asia」No.4/1996年1月)



1996年 アジア圏ベスト・アルバム

遠藤賢司『夢よ叫べ』
斉藤徹『Stone Out』
藤本卓也『相棒』
Novo Tono『パノラマ・パラダイス』
Puffy「アジアの純真」
ギターウルフ『ミサイルミー』
BENYAMIN S.『In Memoriam 1939~1995』 [MC]
不失者『PURPLE TRAP』
川西杏『俺は毒ガスサリンだ』 [MC]
YAT-KHA『YANISEI-PUNK』
br /> 大韓の若い衆の作るものってまったく退屈ですね最近。盗作でも自殺でも解散でも、そういうことはどうでもいいけど、スキャンダラスなことでは取材が日本から行っちゃうわけだが。マネっ子時代の後の過渡期ってことだといいですが。その中にあって拍手を送ってしまったのはDJ Docでありました。そういえば俺はSMAPが好きだし『未成年』もじっくり見ていて香取慎吾の才能を支持しているけど『ドク』にはガッカリだったな。あれで済んじゃうから“交流”は絵空事にしかならないわけだ。安田成美は自分の立場をどう考えているのだろう。これが日本のスタンダードなアジアの付き合いかい。んな馬鹿な。なら井上陽水の詞のほうが後くされなくていいわ、パフィ。パフィは子供(幼児)に人気があるのが素敵ですね。もちろんこのベスト10は日本を含むアジアに限ってのものである。李博士は多少羽振りよくなったみたいでよかったじゃん。俺が大韓民国の音楽について(極限られたもの以外は)あれこれ言ったり書いたりしないのは、人に言いたくないヤーな理由の他に、95~96年の大韓民国の大衆音楽その他色々を2、3歩引いて(つまり他のアジア諸国に対すると同様な角度を持って)見てみようとしたらそのタルさがよくわかった、からなのだ。俺は花札やってハゲを紅潮させている大韓おやじが大好きだ。ワールド・カップも大韓単独開催にしてさし上げればよろしかろう。

(「POP Asia 」No.10/1997年2月)
 
勝新太郎『遊びばなし~うたとはなしと三味線と』





人情20選

勝新太郎『The Man Never Give Up』
 深呼吸をしたとき人々は知らぬまに勝新粉を吸い込んでいる。勝新の歌はジャズでありソウルでありコーランである。勝新の巨大な情とは人情を含む宇宙情である。救済しようとしなくとも何万ものさまよえる霊が勝新の歌を聴くことでホッとため息をつく。歌うことだけが歌ではない。AORな勝新がこのアルバムには居るが、市も朝吉親分も大宮も警視Kも揃って出迎えてくれる徳用盤。

坂上弘『交通地獄』(カセット)
 史上最年長のラッパーは満月の夜に月の引力の魔力によって発生した巨大な無意識の潮流に乗って登場した。73歳という年輪はあまりにも粋なので柔な情はへなへなに溶けてしまう。ヒップホップはBボーイとやらにいいようにされるものではなく、語りたい者、何かを構築したい者には等しく武器たりえる秘伝である、ということを天然の脱構築力によって証明した坂上弘。おそるべし人情。

斎藤徹『Stone Out』
 コントラバス2人、ピアノ1人、箏4人による組曲。大韓偉人金石出への(今できる)最大のリスペクトによって成された果敢な試みを斎藤はゆるやかに(一時的に)定着させた。即興は激しさとまろやかさに満ち、音楽への情がほとばしり出ている。人間関係のわずらわしいあやとりに惑わされない日韓関係を本作に学ぶべきだ。大韓リズムの体得の見事さに胸が熱くなる。

浪花亭綾太郎「壺坂霊験記」
 飛び交う蚊が落ちてしまう唸り。空気が痛いほどの情のこすれ合いを、平然と表現し続けた人気者だが、芸には滅法厳しかったという。妻は夫をいたわりつ夫は妻に慕いつつ、でよく知られるこの、盲人の夫が妻の幸福を観音様に祈願する話を、盲人である綾太郎が語るからなおさら情は濃い。嵐を呼ぶ負けずぎらいの激情家だった綾太郊の唸りは念仏にも似て鎮痛力に満ちている。

広沢虎造『浪曲全集〜清水次郎長伝』
 声の波動は喉の力ではなく腹の芯、丹田の芯によるのである。次郎長親分は馬鹿につける薬をいくつも知っていた。それが人を束ねる者の基本である、と虎造は我々に伝えた。唄いすぎず語りすぎず。血を沸き立たせるものは物語でも音色でもなく唸りそのものである。声の底のひずみは天然のファズ・ボックスによるものであり、人情の実力は岩を涙させるほどのものであるとわかる。

遠藤賢司バンド『不滅の男』
 97年正月には待望の新スタジオ録音フル・アルバム『夢よ叫べ』が予定されている大遠賢は森羅万象への敬意を常に抱き、歌は人の生の燃焼そのものであることを他ならぬ歌によって我々に伝えつづけている。清々しく胸を張り自分の名を大声で太陽に告げられるか。そう遠賢に問われてもうつむかぬ情が身に付いたとき自分が素っ裸で宇宙にいることを実感できるのだ。ライヴの遠賢はMC5そのもの。

ビル・ワイマン『モンキー・グリップ』
 バンド脱退の退職金がわりにミックのひと声でもらったのが自分のソロ・アルバムの原盤権だったというタレ目のもったり野郎は、焦点の定まらぬ暖昧なべース心とへんにゃりした歌心によって世を渡っていったが、ソロ作での超なあなあぶりこそ世間をとろとろにする人情のスウィートな効用の好見本である。リンゴ・スターの『リンゴ』と続けて聴けば人情ロックのありがたさも倍増。

古今亭志ん朝「芝浜」
 因業の橋脚の役割を人情は担っている。「芝浜」はもちろん桂三木助の代表作だが、志ん朝さんのものはさらに念入りになっている。夢と現実を紬ぐのもまた人情である、ということをわかりやすく夫婦の愛情に変換しつつ描く。小三治さんのものも絶品だが、志ん朝さんによるおかみさんの気さくさにより情が多く含まれている。志ん朝さんにジャズを感じることもしばしばなのである。

コーネル・デュプリー『サタデーナイト・フィーバー』
 本作はデュプリーの『シャドウ・ダンシング』、スティーヴ・クロッパーの『ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンド』と併聴してこそ真価がよりくっきりとわかる。ギターで他の演奏者を包み込むことにかけてはこの人の右に出る者はいない。パニャポニャといつの間にかその音でイイ心持ちにされてしまう人情演奏の玄人技はお馬鹿さんの背中をそっとさすってやるが如し。

『幻の名盤解放歌集*テイチク編 シューベルト物語』
 すでに20作に至ったこのシリーズは人情の精子性とお色気の関係について考察する上でのテキストの役割も実は担っている。なぜそこであえて「テイチク編」か、といえば三音英次の「釜ケ崎人情」が入っているからに他ならない。鈴江京子のあねごの人情と汗の煮こごりドヤ畳の臭気にむせる垢の塊情とが出会うとき地面は沸き立ち夕陽はいつまでも沈めないのだ。筋肉の詩情である。

藤本卓也『相棒』
 詞・曲・編曲・歌だけではなく音作り演奏までを藤本卓也ひとりで手がけた友情組曲。男と男のドラマだが辛さと苦さだけではない。強いだけが男じゃないが弱いんじゃ話にならない夜の男と女は疲れ知らずの人情と非情の玄人揃い、という世界を藤本卓也はまろやかに歌い描いてしまうのだから、凄みとは実はおおらかさの奥にありがちだ。横須賀昌美とのデュエットもまたつややか。

裸のラリーズ『Mizutani '70 / Les Rallizes Dénudés'73』
 暗闇の中にいる真黒な生き物の存在すら見分けられぬ者は白昼の白い光の中の虚無を素通りしてしまう。死ぬことと生きることの差は紙一重であることを水谷孝は歌い巨大なエレキの音塊によって我々に伝えている。このCDでは久保田麻琴との友情が横糸になっていて、素晴らしいエレキのデュオとさわやかな水谷の歌が聴ける。妖精を見た人々のための安息の森が欝蒼と広がっている。

キャプテン・ビーフハート『トラウト・マスク・レプリカ』
 合宿による修業で成し得た団結の音がここに塊になっている。生体エネルギーの熟成された姿、それが音楽になっている稀有な例として人類の至宝として末代まで語り継がれ聴き継がれてゆかねばならない。サイキックな発語による巨大な情のヴィジョンである。速度、ビートの交差は民俗のざわめきの素描である。肉体のもどかしさを突き破る産声でビーフハートはプラトンの洞窟を破壊。

高柳昌行『ロンリー・ウーマン』
 高柳さんの粉や汁や影あるいは実物が実はこの世の様々な所や人や物の中に入っていることを俺はよく発見してこっそりニンマリしている。ジャズは人情あるぶちかましであり突き放しだが、このソロ・ギター演奏集はギター仁義である。音楽は仁侠に決まってるじゃねえか。豪気な遊びと濃やかな創造力とを同時に大量に出しながら指は地獄と天国を行き交いすべてを0に立ち戻らせる。

申重鉉『無為自然』
 音楽を通じての、国家・人民・動植物・地球・宇宙からすべての元素に対する慈しみによって生まれたのがこのアルバムだから、大韓の恨だの近代的自我の民族的苦悩などに足をすくわれている人たちには、申師の真意は理解できない。しかしそうした無理解な者たちをも救済すべく微笑んでいるのが申師の人情節である。心は広すぎると何もないように思われがちなのもまた人の世の常。

伊磨村孝『カウンター暮し』
 伊磨村はイマムラ・たかしの名で活動する作曲家でもあり青江三奈や渚一郎とルナ・ジェーナに曲を提供してきた。ワウ・ギターのイントロが、ふんにゃりした人情がそっと集った飲み屋のカウンター仕事の哀しみと苦労をいきなりほんのりと喜劇に変換する。人情をさらりといなせな日常生活の、たとえばティッシュ・ペーパーの如き必需品として描く手際こそ日本歌謡曲の玄人技である。

突然ダンボール『初期未発表集No.1 1977~1988』(カセット)
 兄弟で超クールで鋭い歌を送り出しつつ即興もこんもりかましつづけてもいる突段もすでに20年近くの活動歴かあ。と感嘆するほど、この蔦木兄弟は不変である。数ある作品の中でもこのカセットはやけくそ性が薄く、ていねいに乱暴で、淡々と濃い。蔦木栄一の言葉は攻撃的でありながら豪気な思いやりに満ちてもいる。虚無の果ての情の海辺で世界の終わりを見届けているような決断の歌集。

J・J・バーンズ&スティーブ・マンチャ『レア・スタンプス』
 デトロイト・ソウルの名男性歌手2人がぐぐっと歌い込む。歌は放つのではなく発酵し発臭する。J・J・バーンズの甘さをまじえたいなたい女殺しは交ったあとでそっと股にティッシュを置いてやる思いやり。もうひとりの主役は名前がいい。マンチャだ。“俺を語り部にさせないでくれ”ともったり歌うぬくもりは温泉猿も酔うほどの情・情・情。ゆるくてド太い。朝陽が似合う2人のおやじ。

ザ・レジデンツ『キューブE』
 人間的であろう、としなければ人間的になれぬとはなんという不埒。そもそも“的”の付いた人間に情などあるはずもなし。アメリカ合衆国の影をゆるやかに描くことは人道主義という大欺瞞への柔らかい鉄拳である。レジデンツはエルヴィス・プレスリーの悲哀を腹話術で表現している。多数の愛より虚数の誠をエルヴィスは求めていたのだ。正義を声高に示さずにはいられぬ米人の弱さを暴く。

一節太郎『親馬鹿人生』(台詞入り)
 飯場の永遠のスタンダードとして現在もなお歌い継がれている「浪曲子守唄」はダミ声の哀愁でさらりと親子(父子家庭)の苦悩を伝えたが、全曲セリフ入りのこのアルバムはその飯場生活の後日談集。声をひずませずにはいられぬ男気は、後姿に同情を呼び寄せるなど愚の骨頂であると知りつつ好転せぬ事態にあえて直面しようとする自虐的精神をも内包している。安楽はあの世で十分と。

(「スタジオ・ボイス」1996年10月号)





1996年の電妄ベスト10

【1】わかたけのバンマス浜田俊一
【2】大阪西成の文字発明路上闘士(犬連れ)
【3】ラ!ノイ?東京公演3時間半
【4】リー・ペリーのあれこれ
【5】白石民夫『altsax / live performances: 1992-1994』
【6】ギャーテーズ
【7】デストロイ・オール・モンスターズ東京公演
【8】ゼルギウス・ゴロウィン『Lord Krishna Von Goloka』
【9】『ロックン・ロール・サーカス』のブライアン・ジョーンズ
【10】平岩米吉『犬の生態』

これらを包み込み唾かける大人物として村崎百郎氏がいるが電妄とは電波と妄想とか電波系で妄想もまざっているとかよそういうことでもあるがね電波の受信発信に関わり妄想と思想が同じものだと知らしめる偉人達ということであるわけよ電波系を模した若人たちが増殖することを俺は無視するがエーテルに暮らしおわす女王精子を思うとき我々は生命の誕生とは因果の実現であることを知れ。浜田は道端の石ころーつーつの顔ににらまれ外出不可の後生死をさまよい入院し文字発明家は日に何度か見えない敵と口論しクラウス・ディンガーはクルクルパーで悪魔を何匹も殺したリー・ペリーとギャーテーズ(お坊さんバンド)の共演を望みつつ白石民夫は日本の宝でDAMのバカタレフニャフニャお見事だしゼルギウス・ゴロウィンは73年作だが念の入った電波発信の真性妄想スターで祝CD化でそれにしてもブライアンのマラカス担当姿は生きる死体そのもの。

ゼルギウス・ゴロウィン『Lord Krishna Von Goloka』
 
(「クロスビート」1997年2月号)





UKサイケデリック・ロック10選

 俗にネオ・サイケと呼ばれた英国80年代中~後期のバンドのほとんどがほどほどのメロディの歌に多めのエコーをかけてディストーションのほどよくかかったギター中心のサウンドで聴かせる過去のポップのなぞりを中心としたものばかりだった。サイケデリックとは冗漫で悠長でまとまりがないが音は突拍子もなく、とりとめがないが衝撃は何度でもやってくる、甘美で奇怪で人によっては耳ざわりで悪辣な印象を持つようなものである。ひとことで言うなら裸のラリーズであるが、それに似たものを選出したわけではない。心理的動揺と音響的陶酔と刺激を重層的に与えてくれるもの、その結果聴き手の身体のどこかを覚醒させる要素を他では得られぬほど含有しているロックとしてのサイケデリックを考察した結果である。従って“時代精神”というファッショナブルな規定は排除するべきものである。サイケデリックな夢とは無限大と永久運動へのあくなき挑戦だからである。

ハプシャシュ・アンド・ザ・カラード・コート
『Featuring The Human Host And The Heavy Metal Kids』
 ロンドンのデザイナー系グループのひとつであるが、アモン・デュールに大きな影響を与えた集団音楽セラピー的原始力あふれた名作。打楽器も弦楽器も同等に雨ごいの道具と化したかのような、結果的に色彩豊かなサウンドは何も考えないことが一番グッド・トリップだと教えてくれる。本作の他『Western Flier』というアルバムも名作。マネージャーをガイ・スティーヴンスが務めていた。67年にこのようなおおらかな“交歓”を音盤化したことの意義は大きい。ドイツのSiloah(シロア)と併せて聴きたくなる。ヤホワ13の素もここにあるのかも。

トゥモロウ『TOMORROW』
 スティーヴ・ハウが在籍していたことで超有名なバンド唯一のアルバム。もちろんビートルズ以降のポップ・サイケ路線のものながら、ふわふわと、どこに着地するのかわからぬ展開をしっかり支える技術が、その後の種々のバンドにずいぶん影響を与えている。大ヒットした「マイ・ホワイト・バイシクル」は後にニール・イネスが大ボケを見事にサイケ化してカヴァーした。イエスはもちろんクイーン、XTCにも通じる色あり。シタールをこれほど巧みにかつたくさん使ったポップ曲集もめずらしい。エスニックを自己流に消化した好例でありましょう。

ジョージ・ハリスン『不思議の壁』
 68年公開のジョー・マソット監督の映画『ワンダーウォール』のサントラで67年12月にインドのボンベイで現地のミュージシャンを使って録音された(ロンドンで手を加えているだろう)ジョージ初のソロ長尺作品。作曲もアレンジもジョージによるものだが、インド音楽というよりインドを玄関とした異次元(あるいはこの世とあの世の狭間)への眼差し/随想をつれづれなるままに作品化したような精神の多元宇宙の描かれぶりはまさしくサイケデリック。音楽はミニマルからヴォードヴィルまで多種多彩。『電子音楽の世界』と併せて聴くべき、キマってるジョージ。

キング・クリムゾン『クリムゾン・キングの宮殿』
 激しいことなら『レッド』だって負けてはいない。“プログレ”というワクはうざったい。69年に外耳~中耳~内耳~渦巻管から脳へ至るスリルをロック・バンド形式で体現した稀有な存在の象徴として本作はサイケデリックな冒険譚の傑作である。内向する詩情がゆるやかに導き出されながら突如暴発してしまうのは、夢想であれ妄想であれ現実であれ直線的な志向や感情など実は強制されねばあり得ないのではないか、という問いかけの結果である。サイケデリックな想像力の喚起とはつまりサイキックな創造力のことだと本作は示唆している。

ホークウインド『Space Ritual』
 宇宙的という言葉はSF映画の数々によってプリセットされたイメージを多量に喚起するが、それをコミューン型ロックに合体させて生み出した激しくとりとめのない快楽の渦巻きが本作。音響と儀式性が当然のものとして楽曲化されたのは、意識とは拡大されるのがあたりまえと誰もが考える時代だったからだ。シンセサイザーのヒュンヒュン飛び交う中をひたすら突き進むニック・ターナーの歌とサックスは生命という二文字を背中に入れ墨してあげたくなるほど清々しい。変わらぬならば変わったと思ってもなおやめるな、というサイキックな合気道ライヴ。

マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン『愛なき世界』
 こいつらは“ネオ・サイケ”ではなく、進行形のサイケデリック・バンドだった。ライヴの音響はこの世で裸のラリーズに次いで2番目に大きい。あまりにも音がでかいのでダイヴしようとしていたやつらがその場で目と耳がくらんで硬直してしまったほどだ。珍奇な音が飛び交い甘美な歌声がフィードバックに溶けてゆくのは、来世に向けて呼びかけるイタコの饗宴の如し。88年の『イズント・エニシング』以来3年ぶり(制作費20万ポンド)に世に問うた傑作がこれだ。なめらかなメロディを全員がはかないものにし、ノイズの花がひとつになる。その快楽を。

フライング・ソーサー・アタック『ファーザー』
 いわゆる音響派にされているが、エレキ・ギターによるエコーの重層的な音空間のゆったりとした揺れの中に身を置き続けると、覚醒と睡眠の中間的な脱力感や時には心地よいめまいを感得することができる。フィードバック・エコーだけでなく、環境音や超単調なベース・ラインやアコースティック・ギター、つぶやき系歌なども聴けるが、内面に収束していこうとする音はひとつもない。揺れながら広がり続ける。細胞の分裂、変形菌の増殖の図がそのまま使える。ワイアーやポポル・ヴーの影響あり。ディストーションの選択も多彩だ。これが3作目。

テルスター・ポニーズ『ヴォイシズ・フロム・ザ・ニュー・ミュージック』
 元18ホイーラーのデヴィッド・キーナンと元ティーンエイジ・ファンクラブのブレンダン・オヘアによって94年に結成。現在はキーナンとレイチェル・ディヴァインの2人組。本作は96年秋発表の2作目で、よりスコットランド人的体質を意識的に強化している快作。内向的なノイズ、マーチング・ドラム、レイチェルの涼しげで冷静な声、空漠とした詩情はニヒルではなく、弛緩寸前の緊張感を持ったキーナンの朴訥な歌が淡々とした大きな孤独感を描き出す。豪快なファズ・ギターがさらに爆裂プレイへと至るのは、あきらかに灰野敬二の影響である。

ハプシャシュ・アンド・ザ・カラード・コート『Featuring The Human Host And The Heavy Metal Kids』
 
(『UKロック・ファイル』1997年3月)





黒いサイケ5選

ファンカデリック『ファンカデリック』
 エディ・ヘイゼルのギターのとりとめのない妙技に涙さえ出てくる。大雑把でスケールの大きなエコーの渦はこの世が化物屋敷であることを知らしめる。ここでサイド・ギターを弾いていたタル・ロスが95年に出したソロ作『Giant Shirley』もサイケ修業による傑作。

V.A.『Scratch On The Wire』
 70年代中頃のダブ傾向の極めて強い歌物を中心に集めたリー・ペリー・プロデュース作品集の傑作中の傑作。ジョージ・フェイスの“ダイアナ”やメディテイションズの“ノー・ピース”の他ペリー先生の3曲も必聴のゆるやかなアシッドの温風が足元をあやうくする。

パープル・イメージ『Purple Image』
 オハイオ出身の7人組。ヴォーカルの一人は女性。15分級の大作もどこかまぬけ美。ハードなエレキが炸裂。ジミの影響は小さくなくテープ逆回転などのスタジオ添加物がしっくりはまる小技もなかなかのスリル。71年リリースの本作が唯一のアルバムらしい。

ジミ・ヘンドリックス『ボールド・アズ・ラブ』
 ジャケットのお手軽なアシッド感とジミの人情と暴力性がすこやかにマッチしている。『エレクトリック・レディランド』に漂うやるせなさはここにはない。希望がギターの音に反映されてもいる。曲はそれぞれに簡潔であり、メロディも美しい。強い。

サン・ラー『Space Probe』
 サン・ラーのシンセ・ソロ20分余、サックス対パーカッション、フルート+ピアノ対パーカッションの3曲入り。演奏によって天気も変えられるに違いないピヒャーと響き続けるシンセはハナタラシの大先輩。74年録音と64年頃の録音。カップリング違い盤もあり。

ファンカデリック『ファンカデリック』
 
(「ele-king」1997年6/7月号)






湯浅学による解説

 毎年やっている年間ベスト10リストとそのコメントをざっと見ていると同じことをずっと言い続けているんだなあ、と思った。人間、そんなに変われないってことか。「ミュージック・マガジン」に原稿を書き始めたのが86年。レコード買う/聴くのがなにより好きであること、82年春に幻の名盤解放同盟を結成しそちらの聴取/解読/原稿書きもずっと続けていたことが、その他の音楽原稿を書くうえでたいへん役に立っていることは確かで、どのような音楽であっても聴く基本姿勢はまったく同じである。遠賢さん、ニール・ヤング、ボブはどうしてもランクインの対象となる。それは存在として受けとめつづけているということであって、どんなミュージシャンでもそのように聴きたくなるということにはなかなかならない。このようなリストになるのは“マガジン”のベスト10は“私のリスト”でなければならない、と決めているからだ。“マガジン”のベスト10を引き受けるにあたっては、他誌の同じような企画は引き受けないでほしい、という“マガジン”側からの要求を受諾する必要がある。確か20年ぐらい前に申し入れがあった“条件”である。なので、だったらここは極個人的なリストにしようと思ったのだ。他誌からの依頼は毎年のようにあったが、そのつど何かしら“しばり”を個人的につけて、“マガジン”版との区別を明確にするようにしている。ここ数年は雑誌が減ったりメディアが変わったりで、俺のようなロートルへの依頼はずいぶん減った。そもそもランキングのようなもの自体、日常的に数々様々ある/やる/示しておくのが当たり前のような世の中になってしまっているので、1年を振り返ったリストというのは情報提示の速度感の中にあってのんびりしすぎ、と受け止められる傾向にあるのではなかろうか。
 と思ったりもするが、今年何聴いていたっけなあ、と振り返るのは“年表好き”の自分にとっては今でも大事な行事である。ランキングはこれまでに色々参加してきたが、自分で勝手に題目を作って並べるのはやっぱり楽しい。強引なランキングばっかりの本は一度まとめてみたい気がする。だいたいランキングというやつは、大人数の集計で決めるものが少なくないが、それで生じる“参加者の人選による偏向”が悪く作用して、強引というよりツッコミ所ばかりのランキングが結果的に出来上がってしまうことは、よくある。なんだか自民党が有利な選挙制度を彷彿させなくもない。逆に自分の好みと大きくズレたランキングが出現すると楽しくなったりする。多数決って残酷だもんなあ。ベスト10の場合、1位と10位は確かに差があるが、4~9位はほどんど同格な感じである。
 その他のランキングもあるので、それらは次回に。





湯浅学(ゆあさ・まなぶ)
音楽評論家、ロック・バンド「湯浅湾」リーダー。近著に『ボブ・ディランの21世紀』(音楽出版社)、監修・執筆担当の『洋楽ロック&ポップス・アルバム名盤Vol.3 1978-1985』(ミュージック・マガジン)、2014~2016年にboidマガジンで連載していた「ねこ日記」を加筆・訂正してまとめた『ねこのあと』(青林工藝舎)など。幻の名盤解放同盟の「現代版ディープ・コリアの旅」プロジェクトが進行中、11月3日(祝・金)に両国RRRで「心機一転土工!ポンチャック展」を開催。

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