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2017年09月号 vol.4+10~12月号

【特別無料公開】空族『バンコクナイツ 潜行一千里』(河出書房新社)/第1章・その3

2017年12月23日 20:15 by boid
2017年12月23日 20:15 by boid

2017年2月の公開から多くの話題を集めた空族の最新作『バンコクナイツ』。boidマガジンでは「潜行一千里」と題して全44回に渡ってその撮影の模様をお伝えしてきましたが、11月30日、同連載に大幅な加筆修正を加え、河出書房新社より『バンコクナイツ 潜行一千里』として刊行されました。その発売を記念して、boidマガジンでは本書の一部を全4回で無料公開しています。前回(その2)、2008年に“バビロン作戦”第二次アジア視察で初めてラオスに潜入したものの、ひどい食当たりに襲われ眠れぬ一夜を過ごしたカーツヤからの入電の続きをご覧ください。12月16日(土)より新宿K's cinemaで公開された『バンコクナイツ』のドキュメンタリー『映画 潜行一千里』(向山正洋監督)と併せて、文字と映像を通じてアジアと日本をチョッケツし、現代の“闇”に迫ります!!
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『映画 潜行一千里』より



文=空族(富田克也、相澤虎之助)



第1章 娼婦・楽園・植民地より  その3


仏暦2551(西暦2008)年2月xx日  カーツヤからの入電の続き

 長い夜が空けて翌朝。朝日に目を眩まされながら外に出ると、国境の町がどこもそうであるように、欧米人の姿が目立つメインストリートには人々が行き交い、軒を連ねた安宿の食堂では焼き魚や粥を売り、観光客相手の売店では慌ただしく浮き輪や水着を売る準備を始めていた。隣部屋で寝ていたヒトシとツヨシは既に起きていて、一階の食堂から通りを眺めている。が、ヒトシの様子がおかしい。聞けば私とまったく同じで、夜通し便所で過ごしたらしく、ぐったりしている。早速、昨日食った何がいけなかったのかと話し合ってみるが、同じものを食っていたようでいて、ツヨシはあのタマゴは食べなかったとか、トラツキはあの肉をやめていたとか様々だった。結果的にはシコウを含め、慎重派三人が助かったようだ。とはいえトラツキやシコウも多少のダメージを受けていて、その程度は各自の体調にも左右されていた。最終的に無傷なのはツヨシだけで、私とヒトシは朝食の粥の匂いだけで吐気をもよおす有様。初めてのラオスで、目に入る食べ物すべてが珍しく、暴飲暴食したことも祟ったのだろう。
 この状態で本日決行予定の“バビロン作戦”最大の山場、巨大ケシ畑への潜入という難関を無事こなすことができるのか。我々は、昨晩、トラツキから作戦の概要を聞かされていた。そして昨晩のうちに、通りでクサを売りつけてきた若い男をガイドとして雇っておいたのだ。遠路八時間の移動を含め準備万端、ようやくここまで漕ぎつけたものを、みすみす食中毒ごときで逃すことになってしまうのか……。
 するとそこへ「ケシ畑が見たい」という我々の無茶な注文を自信満々に引き受けたガイドの若い男が、冴えない顔で寄ってきたかと思うと「ガイドは無理だった。すまない」と言い、理由すら言わずにそそくさと帰っていった。落胆はしたものの、私は正直、ちょっとホッとしていた。一晩の格闘も虚しく依然として食欲は一向に戻らず、かろうじて茶を啜るのが精一杯。それも飲むたびに便所に駆け込まなければならない有様だったからだ。さすがにこりゃ無理だろうと諦めかけていたときだった。身体のデカイ、見るからに悪そうな男が我々に近づいてきて、お前らを一晩見張らせてもらった、と言う。
「ケシ畑を見たい日本人はお前らだな。お前らなら大丈夫そうだ。さっきの若造は俺の手下さ。アイツではてんでダメだ。俺ならお前たちの目的を叶えてやれるぜ。俺の吊はミスターA、よろしくな」
 それを聞いてトラツキの目が再び輝き出した。ミスターAが続ける。
「いいか、まず言っておくが、ここからケシ畑までは山を三つ越えることになる。お前らの足なら八時間だろう。今から準備して夕方に出れば深夜には着く。どうする?」
 ヒトシは即答で無理だと言う。シコウ、お前は大丈夫だよな、と確認すると、プルプル震えながら怒り出し、
「なんで僕がそんな山奥まで行かなきゃいけないんですか! 行きたければ行ってきてください。僕はここで寝てますから。冗談じゃないですよ!」
 と言って我々の説得も聞かない。一方で体調に問題がないトラツキとツヨシは行く気満々だ。ここで私が断念すればこの作戦は中止になってしまう。迷っていると、ミスターAは人の気も知らずに言った。
「実はお前ら、超ラッキーなんだぞ。いいか、今は収穫期だ。俺はこれまでの人生をすべてヤクに捧げてきた。その俺でさえこの時期のケシ畑には一度として行ったことがない。これ以上ない程新鮮なヤクを味わえるんだ。俺は嬉しいよ。ひとりでも行きたいぐらいさ! こんなチャンスは滅多にないからな。で? なぜそんなヤバいところへ俺たちが行けると思う? へへへ、俺には友達がいるんだ。モン族のな。もちろんこれから行く畑がある村の出身さ。お前らにも最高にフレッシュなやつを味わわせてやる。約束だ」
 こんなにやる気のあるガイドは初めてだった。そこまで言われて行かないとは言えない。しかし、この体調だ。私は辿り着ける自信がまったくなかった。
 昼過ぎに迎えにくると言い残し、やる気満々のミスターAは雑踏に消えていった。もはや彼を止めることはできない。宿のおばちゃんは「あんたたち、ありゃ町で有名なヤク中だよ。あんなのと付き合っちゃダメだよ」と言う。私は今にも布団に倒れ込みたい気持ちを抑えて荷造りをしていると、横で気持ちよさげに眠っているシコウに小言の一つも言ってやりたくなった。しかしシコウを責めてもしょうがない。彼もまさかこんな旅になるとは想像していなかっただろう。
 シコウは地元甲府の後輩で、以前から互いに知ってはいたが、こうやって一緒に旅をするのは初めてだった。彼は英語とタイ語に堪能だった。若い頃、カナダへの留学経験を持ち、その後バックパッカーとしてアジアを回った豊富な経験がある。なかでもタイが気に入り、甲府の実家近くにあったタイ人コミュニティに日常的に出入りすることで日本にいるときも継続してタイ語を使い、見事その会話力を上達させてしまった強者だ。今回も自らの高い語学力を活かすべくこの先遣任務に志願してくれたのだった(彼はこの任務以降、長きにわたる先遣任務のすべてに同行してくれることになる。彼の存在なくしては『バンコクナイツ』はあり得なかっただろう)。
 さて、巨大ケシ畑潜入作戦に戻ろう。午後を過ぎ、我々が日に焼かれながらフラフラとミスターAが指定した店に辿り着くと、しばらくして小柄な男と連れ立ったミスターAがやってきた。小柄な男は、モン族の友人だと言う。私、トラツキ、ツヨシの三人は、彼ら二人に促され移動を開始した。
 ミスターAはまたも、いかに今回の旅がラッキーなのか、新鮮な阿片がどれほど甘いのかということを汗を拭き拭き拙い英語で捲し立ててくる。アジア人が使う拙い英語同士、なんとか会話が成立していた。しばらくして小さな集落が見えてくると、モン族の男は我々に日本円で三〇〇円をねだってから、その集落に寄って少し休憩すると言う。円形の藁葺き屋根で簡素な作りの小屋は、焼けつくような日差しを遮ってくれるだけで充分に涼しく、ただでさえフラフラだった私には、この後三度繰り返された集落での休憩には心底助けられた。しかし、モン族の小柄なオヤジは、休憩のたび我々に三〇〇円をねだり、どこかに消えていく。帰ってきたかと思うと、タバコの銀紙から器用にアルミ箔だけを剝がし、L字型に折ってその上に赤い錠剤を載せ、火で炙りながら煙をストローで吸い込んでいる。通称ヤー・バー、直訳するとバカのクスリ。覚醒剤四〇パーセント+カフェイン六〇パーセントの赤い粒、粗悪なシャブだ。当時、東南アジアがヤー・バーに汚染されているとはよく聞いたが、こんな山岳地帯の村まで? と驚いたことを憶えている。が、今になってみれば、かつて世界的な阿片の生産地だったここが、今はヤー・バーも製造していると考える方がむしろ順当なのかもしれない。そうだ、ここはもう阿片の里なのだ。村の斜面に朽ち果てた四角い水槽があったが、それは阿片の精製に使われていたものだとミスターAが教えてくれた。
 三度目の休憩で、ミスターAはモン族のオヤジからアルミ箔を奪い取り、我々に渡しながら言う。「いよいよ山道に入る。ここからが本番だ。お前らも吸っておけ」。陽は未だ高いが、時刻は午後四時を過ぎようとしていた。この時間に山に入って大丈夫なのか? 本当に夜の山越えをする気なのか? しかも私の体調ときたら……。畑のある村までの道のりはモン族のオヤジなら五時間だという。これはまずい。気が進まなかったが、今こそヤー・バーの力を借りる時なのかもしれない。かつての日本軍兵士も、長井博士がデベロップメントしたヒロポンの力を借りてこの辺りを行軍したのだ! そう考えた私はがむしゃらにその煙を吸い込んだ。ミスターAが最後の煙を吸い込み、アルミ箔を握りつぶすと、それを合図に全員から気合いの雄たけびがあがった。
 我々が小屋を出ていこうとすると、ミスターAが投げ捨てたアルミ箔に向かって何かが駆け寄った。よく見ると恐ろしいほど痩せこけた女だった。女は頰の上から飛び出してしまいそうな眼球で、必死にヤー・バーの残りを探そうとアルミ箔を広げ見つめている。家の主が女を威嚇すると慌てて小屋を飛び出し、更にアルミ箔を丹念に調べていた。
 我々は山道に入った。一瞬にして汗が噴き出し、息が上がって膝が震えだす。先を見れば確かに道にはなっているが、とんでもない急斜面だ。この山道を八時間登るのか……。ちょっとまってくれよ……。やはり十分も登らないうちにバテてしまい休憩。私にはヤー・バーの効き目を発揮する体力すら残っていなかったようだ。それどころか休憩のたびに藪にしゃがみこんではピーピーとやっている始末。いや、ピーピーのたびに休憩になってしまう。とにかく水しか飲めないし、飲めば下す。しかし汗は噴き出し続けるので、水を飲まないわけにはいかない。ミスターAは気合い満点で「絶対に行くぞ! お前の荷物は俺が持ってやる」と私を身軽にしてくれる。それに応えなければと私もなんとか頑張るものの、登るペースは落ちる一方だった。完全に足手まといになっている……。先頭を見ると、モン族のオヤジの前をツヨシがこちらを向いて歩いている。つまり後ろ歩きでこの急斜面を登っているではないか。なんだ、アイツは……。トラツキを見るとさすがに彼も息が上がっているようだが私ほどではなかった。マズい……。モン族のオヤジが何か言い、それをミスターAが英語に訳してくれる。休憩だ。助かった……。
 急な山道とせせらぎが交差する場所に腰を下ろす。モン族のオヤジは慣れた身のこなしで上半身をくるっと回すと、後ろの木の根っこあたりに隠してあった竹製の水パイプを取り出し、タバコを詰めると美味そうに吸い出した。モン族の男たちは独特な形状、そう、ちょうど三日月のような形をした手ごろな大きさのナイフというか、小さなナタを腰に挿していて、それを使ってなんでも器用に作ってしまう。この時も、短い休憩時間の間に、筒状の植物の茎を加工してさっとパイプを作ってくれた。モン族のオヤジがツヨシを見ながら何か言い、ミスターAがツヨシを称えるような仕草で「ヒー・イズ・ストロング」と言うと、ツヨシは「俺もっと速く歩けるよ」と笑っている。今の私には到底信じられなかった。「このくらいの斜面を石柱担いで一日何往復もしてたからね、仕事で」。土方は凄まじい。トラツキが英語でツヨシの職業を伝えると、彼ら山の民も納得したようだった。
 短い休憩が終わり、私は立ち上がろうとした。しかし、またも腹がキュルキュルし、藪に駆け込むことになった。私はもはや歩ける状態にないことを悟り、周りとの圧倒的な体調の差を痛感した。するとミスターAは腕時計とにらめっこしながら「このペースでは何時になるかわかったもんじゃない。さすがに危険だ。下山しよう」と言い出した。ちょうど山道を登り始めてから二時間が経過していた。結果的にはガイドを依頼した我々よりもケシ畑に行きたがっていたミスターAには申し訳なかったが、私が賛成したのは言うまでもない。ホッとして少し元気を取り戻した。
 あたりを見渡す余裕ができると、山の中腹から視界が開け、谷の底まで景色が見降ろせた。山がやたらと優しく見えた。ほっとしたからって随分現金だなと自嘲したが、ラオスの山々が日本のそれと似ていることに気がついた。私の基準は山梨あたりの山々だ。日が暮れようとしている。下山するなら早い方がいいと、皆黙って歩き続けた。似ているのは標高が近いからか……そういえばラオスも山梨と同じく海のない山岳国だ……などととりとめもなく考えていた。
 なんとか山を下りてきた我々は、すぐにある集落に入った。集落を走る赤土の一本道脇に一軒だけある雑貨屋の表に出されたテーブルに辿り着いたとき、ちょうど街灯が点いた。とにかく何かを口に入れなければと、店で売っていたクノールの粉スープにお湯を入れてもらい、恐る恐る啜ったがそれも大半は残してしまった。あまりに経験不足、未熟の極みのような作戦行動だった。
 ミスターAは我々をここまで送り届けると、
「残念だったな。でもまぁそう落ち込むな。明日車でも行ける畑に連れていってやるさ。でも期待するなよ。その畑は小さいんだ。今日行こうとしたところが一番でっかいんだ。なにしろ、お前らがでかいところがいいと言ったんだからな。町まで戻るとロスになるから今夜はここに泊まれ。明日午前中に迎えに来るから早く休むように」
 と言って、阿片でベタベタになったクサのジョイントを置いて去っていった。

 数時間後、私は我に返った。さっき、村全体の明かりが一斉に落とされてからどのくらい経ったろうか。あたりがすっかり静まり返って、メコン川のせせらぎが大きくなったように感じる。私が体を横たえているのは、板の台の上に薄い敷布団が敷かれ、そこに蚊帳がかかるだけの簡素な小屋がいくつか並ぶ安宿だ。確か雑貨屋の裏に位置していたはずだ。しかし、普段は一体誰がこんなところに泊まるというのだろうか。暗い裸電球が蚊帳の外で淡く光り、蛾は自らの居場所を微調整している。クサと睡眠のおかげで体が随分と楽になっていた。これは、トラツキとツヨシにも渡してやらねばならない。
 部屋を出ると月明かりが随分と明るいらしく、メコン川が輝いていた。ちょうど川の湾曲部だからなのか、流れの音が大きく聞こえる。川岸に置かれたテーブルのところにトラツキとツヨシの姿がはっきりと見えた。彼らは昼間に吸ったヤー・バーが変に効いてしまい寝つけないという。皆同じか、それならこれだと、ミスターAの置いていってくれたクサのジョイントを三人で回す。明るいけれど肝心の月が見えないな……と皆で通りの反対側に出てみると、山の稜線をはっきりと照らす満月が浮かんでいた。疲れとクサのせいで三人とも多くは語らなかったが、この時見た景色にそれぞれが深く感じ入っていたことは互いに知れた。少し冷え込んできて、我々はそれぞれの蚊帳に戻った。昼間に休憩した村で、ひとりのおばさんが、夜子どもがぐずったら阿片をペロリと舐めさせるんだと言っていた。私は、そのおばさんの笑う顔を思い出しながら浅い眠りについた。
 翌朝、明け方の冷え込みでぶるっと目が覚め、小便ついでに通りに出た。すると、辺り一面をうっすらと霧が覆いモノクロのような景色が広がっていた。振り向くとトラツキとツヨシもその中に入ってくる。我々は顔を見合わせていた。言葉にはしなかったが言いたいことはわかっていた。我々は、初めて来たはずのこの場所を知っている。私は、ただ此処にたゆたっていたいという欲望をふりきり、これも任務だったと踵を返し8ミリカメラを取って戻ると、一心不乱にフィルムを回した。霧が晴れていくにしたがって次第に景色に色が戻り、それぞれの輪郭が浮かびはじめる。掃除をしている少女、その妹とじゃれる犬、通りを横切る鶏、豚……(後日談として補足すると、このとき撮った8ミリフィルム映像は『サウダーヂ』にインサートされた)。私はこの明け方の景色を生涯忘れることはないだろう。そう思った感触が、十年経った今でも身体に残っている。
 オーヴァー。

(つづく)
 
 

『バンコクナイツ 潜行一千里』
著者:空族(富田克也、相澤虎之助)
定価:1,600円(税別) / 発売日:2017年11月30日 / 仕様:46判並製、304ページ / 出版社:河出書房新社

“楽園"はどこにあるのか――
バンコクの日本人向け歓楽街・タニヤ通りに導かれ男たちはインドシナの奥地へと迷い込み、アジアと日本を貫く“闇"に出会う……。
映画『国道20号線』や『サウダーヂ』などインディペンデントな制作・上映スタイルをとりながら圧倒的な支持を集める映像制作集団・空族。バンコクとインドシナ半島を舞台にした彼らの最新作『バンコクナイツ』は公開と同時に多くの話題を集めている。そして今、彼らが『バンコクナイツ』へと至る十年間にも及ぶインドシナ半島への潜入が、本書を生み出した。日本とアジアをチョッケツし、“闇の底"で煌めく抵抗の根拠地を描き出す!

 

『映画 潜行一千里』
2017年 / 日本 / 122分 / 監督:向山正洋 / 撮影:スタジオ石(向山正洋、古屋卓麿)/ 音楽:DJ KENSEI / 整音:山崎巌 / 出演:スベンジャ・ボンコン、富田克也、相澤虎之助、川瀬陽太ほか / 製作:山口情報芸術センター[YCAM] / 企画・配給:空族
構想10年、タイ・ラオスオールロケ!
東南アジアを縦横無尽に駆け抜けた映画『バンコクナイツ』のドキュメンタリー

12月16日(土)より新宿K's cinemaにて公開!

『映画 潜行一千里』 予告編

 

 



空族(くぞく)
映像制作集団。2004年、“作りたい映画を勝手に作り、勝手に上映する”をモットーに、『空族』を名のりはじめる。常識にとらわれない、毎回長期間に及ぶ独特の映画制作スタイルを持つ。作品ごとに合わせた配給・宣伝を自分たちで行い、作品はすべて未ソフト化という独自路線をひた走る。

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